魔導機動歩兵《マシーニ・クラスター》
それは悪夢のような出来事であった。
円盤状の体から生える四本の細長い足。そして、自由自在に動く触手のような物を使って倒れている人を掴み口に運ぶ姿。これは機械などではない。何かの生命体である。
この物体は人間を捕食しているのだ。
「逃げないと……ここに居たら私も食べられてしまう。だけど、体が思うように動かない……絶対に逃げ切れない……」
目の前の恐怖に彼女の体は硬直して動かない。蛇に睨まれた蛙――圧倒的な力を前にして金縛りに遭ったように動けないのだ。
そして、沙樹は不意に友人の楓のことを思い出した。
「楓……まさか、一緒に逃げていたはずの楓が居ないのは……この怪物に……」
沙樹の中に突然怒りが湧いた。そして彼女はゆっくりと立ち上がる。目からは涙が溢れて零れ落ちていた。
「返してよ……楓を……彼女を返しなさいよ、この化け物っ!!」
人を捕食していた怪物の触手がピタリと止まる。沙樹の存在に気が付いたのだ。
怪物の触手は蛇が地を這うかのように沙樹に近づいた。
だが、彼女はその場から動かなかった。楓を失ったことが彼女を自暴自棄にした。どうせ、逃げ切ることなどできないと諦めていたのかもしれない。
触手はゆっくりと近づき彼女の目の前で止まった。
沙樹は唇を噛み締めた。彼女の中では、恐ろしさよりも悔しい気持ちのほうが強かった。楓を失った悔しさ。ここで訳も分からず朽ち果てる無念さ。逃げることも出来ない己の無力さを呪ったのである。
彼女は自分の死を受け入れたのである。
だがその時、一筋の閃光が怪物の触手を切り裂いた。
「えっ!? 何っ?」
沙樹は咄嗟に後ろを振り向いた。彼女の視線の先に現れた人型の影――それは白いボディを持つ人の形をした機械であった。
白い体に赤く光り輝く瞳、三メートルを超える大きな体からは相手を威圧するほどの闘志が感じられた。
「今度はロボット? 私は夢でも見ているというの? こんなこと普通じゃ有得ない……ううん、これが夢であったなら、どんなに良かったことか……」
沙樹の体から力が抜ける。そして彼女はその場にペタリと座り込んでしまった。
「あのロボットが私を助けてくれた……」
沙樹を助けた人型の機械――これはこの世界で造られたものではない。異世界からやって来た戦闘用の魔導機動歩兵、マシーニ・クラスターと呼ばれるものであった。
魔導機動歩兵は腰に帯刀している剣を抜いた。その剣は低い唸りをあげて刀身から光りの刃が現れる。
魔導機動歩兵は黒い怪物を目指して走り出す。それに合わせて黒い怪物も魔導機動歩兵を攻撃対象と認めて動き出した。
鞭のような怪物の触手が魔導機動歩兵を襲った。土煙を上げて砕け散る大地。だが、既に魔導機動歩兵の体はそこには無かった――怪物の遥か上、大きく跳躍して相手の頭上をとっていたのだ。
手にしている剣を力いっぱいに振りぬく――そこから繰り出された斬撃は黒い怪物の体を切り裂き、その衝撃は足元の地面をも粉砕した。
「ギャァァァァァアッ…………」
怪物の叫び声――その大きな悲鳴は街のビルのガラス窓を振動させる。
そして、怪物は空中に浮かび上がった。相手との距離を取る為である。
怪物は一定の距離を保ちながら魔導機動歩兵の周囲を回る。襲う機会を窺っているのである。
魔導機動歩兵はわざと攻撃の構えを解く。そして、相手の動きを誘うように手招きをして挑発をする。
これに触発したかのように怪物は体から数本の触手を打ち出した。それは槍のように伸びて大地に突き刺さる。
地響きを立てて土煙が舞い上がった。沙樹は思わず声を上げた。魔導機動歩兵がやられたと思ったのだ。
「ああっ……いくら機械の体でも、あんな攻撃を受けたら……」
土煙が風に流され視界が開く。その中に魔導機動歩兵は立っていた――無傷で。槍のような触手の攻撃を剣で受け流し相手の攻撃を防いだのだ。
「……凄い……あのロボット何者なの?」
魔導機動歩兵は怪物の触手を掴んで大地に引きずり下ろす。そのパワーに怪物は大地に叩きつけられた。
道路は陥没し地面に減り込んだ形で動けなくなった怪物に魔導機動歩兵は剣を突き刺した。
「ギャァァァッッ…………」
苦悶の声を上げる怪物。魔導機動歩兵は突き刺した剣を引き抜き、それを上段に構える。
怪物は力を振り絞り相手に飛び掛った。だが、魔導機動歩兵の振り下ろす剣はそれよりも早く怪物を切り裂いた。
怪物は動きが止まった。まるで大岩のようにピクリとも動かない。
だが、それは死んでわけではなかった。その大きな体はゆっくりと空中に浮上するとそのまま高度を上げる。しかし、既に戦意は感じられない。怪物は、そのまま空高く舞い上がり、やがて消えていった。
「……あのロボットが勝った……怪物を追い払ってくれた……」
沙樹は破壊された新宿の街を見回す。道路に倒れて動かない人達。煙を上げて炎に包まれる建物。酷い有様であった。
「そうだ……楓を探さなくっちゃ……まだ、どこかで生きていてくれるかもしれない……ううん、まだ死んだと決まったわけじゃない。きっと生きている……絶対に、また会える……」
沙樹はゆっくりと前へと進む。だが、彼女の体は限界に来ていた。極限の緊張と恐怖が彼女の体力を奪ったのだ。
沙樹は力を失い道路にへたり込む。視界がぼんやりとして意識が遠のき、そのまま倒れてしまった。
倒れている彼女に近づく一つの影。それは魔導機動歩兵の影であった。
彼は沙樹の顔を覗き込んだ。彼女を見つめる瞳は穏やかで優しかった。まるで大切な人を見守るようなそんな優しさがあった。
魔導機動歩兵は沙樹をそっと優しく抱き上げる。そして、彼女を連れてその場から立ち去っていった。