始まり
加代子やその友達がバンドマンに向かって一生懸命話をしている間に
時間はあっという間に過ぎていた。
「もうすぐ終電や!」加代子が声をあげた。
気が付けば今夜の全てのバンドのライブも終わり
お客もまばらになりかけていた。
ギターの男がすぐ近くの自動販売機にジュースを買いに行った。
「自分ら家どこなん?」
金髪の男が口を開く。
「昭和町やねん」加代子が答えた。
「今日だけ送って行こか?もう遅いし危ないわ…」
「えぇーー!!」
加代子が目を丸くして驚いた。
「ホンマですかー?」
「ホンマや、…危ないからな~今日は打ち上げもないし。もうちょっとだけここで待ってて欲しいねんけど」
「ホンマにホンマ??ありがとうございます」加代子は舞い上がっていた。
「達也さんに送ってもらえるんやで~!!分かる~??車に乗せてもらえるんよ!あんたら分かる?ホンマにすごいことなんよ。」
加代子の興奮は収まることを知らなかった。
達也とはこのバンド(TAKEテイク)のリーダーで彼が中心になってメンバー結成された。
恵と美香には加代子の言う
そのすごいことの意味を十分に理解できていなかった…。
しばらくそこにいると
達也が戻ってきた。
夜風は少し強くカーディガンを着ている美香には肌寒く感じられた。
目の前をテイクの他のメンバーの車が通り過ぎる。
車を持っていないメンバーもいるので達也とドラムの英二が
いつもメンバーの送りの世話をしていた。
英二の車に乗ったメンバーが達也と加代子に手を振る。
英二が小さくクラクションを鳴らす。
「ほな行こか」達也が加代子に話しかけた。
「はい。お願いします」加代子が返事をする。
達也に付いてライブハウスの裏側に回るとそこには駐車場があり
黒い車が止まっていた。
セドリック430系と呼ばれた当時の高級車だ。現在はフーガという名式に変更されている。
その頃はまだあのシーマも世に出る前で
セドリック、グロリアが日産ブランドの姉妹高級車であった。
「前に乗ったらええよ」
達也の言葉で加代子が助手席に座る。
恵と美香は後部座席に座った。
車内は香水のようないい匂いが少しだけ漂い
シートはなんだか ふかふかな気がした。
冷えていた体が少しずつ体温を取り戻し始めているのが美香には分かった。
窓の外には夜の光が煌いて(きらめいて)いて
心が少しそわそわする。
恵と目が合うと恵がにこりと微笑んだ。
美香も微笑み返す。
恵がそっと腕を組んできた。
さっきよりも温かくなって美香は嬉しかった。
「近くなったらおしえてな」
「分かりました。あともう少し行ったら信号左で…」
加代子が道を説明し始める。
何分経ったのだろう…?
車は静かに加代子の家の前に着いた。
「今日はホンマにありがとうございました」
「気にせんでな…また次のライブでな」
加代子がお礼を言った時に恵が車のドアを開けて車から降りたので
美香も続いて降りた。
「はい。次のライブも絶対見に行きます!」
「ありがとう。あっ、この子のうちはどこなん?」達也が美香を見た。
「ちっ近いので歩いて帰ります」美香はとっさにそう答えた。
「遅いからあかんわ、送るから」
どないしよう…。美香は急に心細くなった。
「かっ加代子ちゃんに洋服を借りたから…」その声は小さすぎてだれにも聞こえなかった。
「美香ちゃん危ないから、やっぱり送ってもらいー」加代子がドアを開けて車から降りた。
「今日借りたワンピース、洗って返します。ホンマにごめんなさい」
「気にせんどいて、また遊びに来てね」加代子が優しく返事をした。
加代子と恵におやすみとお礼を言って美香は開いたままのドアから助手席に乗り込んだ。
車は静かに発進した。
「コーヒー買ってもええかな?何か飲む?」
美香は首を横に振った。
達也はたばこ屋の自動販売機ギリギリに車をつけ
美香の顔を見た。
「ホンマに何もいらへんの?」
「はい…」美香は緊張のせいでまた聞こえないような小さな声しか出せなかった。
「名前は何やったっけ?ホンマに中学生なん?いくつ?」
「みっ美香です。中学1年で12です…」
「ホンマに?やっぱり見えへんわ。加代子ちゃんと同級生かと思った。」
そう言うと達也は美香に向かって微笑んだ。
美香も弱々しく微笑む。
「俺バンドやってるから髪はこんな色やし見た目はもこんなんやけど怖い人ちゃうから。怖い??」
達也はさっきよりももっと優しく微笑んだ。
美香の緊張も少しだけほぐれた。
「あんまり遅くなったら親にしばかれるなぁ。帰ろうか。親は厳しいん?」
「お父さんは仕事が忙しいからあまり家に帰って来ないんです。お母さんは…いません…」
「そっか…」
「ここのアパートです。ホンマにありがとうございました」
「ええよ。気にせんどいてな」
達也は車内のライトを付けると財布からチケットを取り出した。
「これあげるから次のライブもおいでよ」
美香は驚いた。
加代子はお金を払ってチケットを買った。恵の分のチケットはない。それから私にはライブに着て行く可愛い洋服もない…。
この事を知ったら加代子ちゃんも恵ちゃんも私を嫌いになるだろう。私だけがチケットをもらうなんて。
「ごめんなさい……」
色々な事が頭の中を駆け巡る中、たった一言断るのに美香の体は震えていた。
さっきよりも強い極度の緊張が舞い戻りそのせいか悲しくもないのに涙ぐんでしまった。
「どないした?ごめん。俺なんか悪い事言った??」
「ごめんなさい。ホンマにごめんなさい。またライブに行きたいけど
加代子ちゃんはチケット買ったのに…。私だけもらったら…ダメです。
恵ちゃんだって私の事、嫌いになるし…お友達がおらんくなるから…ホンマにごめんなさい」
「分かった。そうやな……友達は大事にせななあ~」
美香ちゃん…電話番号教えてくれへん?
次の次のライブに来られるようにしてあげたいねん。」
車内には紙もペンもなかった。
美香はアパートに一旦戻りメモ帳に電話番号をかいて達也に渡した。
「ホンマにありがとうございました」
頭を下げて達也の車が角を曲がるまで見送った。
真っ暗なアパートに再び戻ると
美香は丁寧にカーディガンとワンピースを脱ぎ急いでお風呂に入った。
湯船の中で今日起こった事をぼんやりと振り返る。
あまりゆっくりしてられないので早々と上がり急いで髪を乾かす。
鏡を見ると加代子にしてもらった化粧がまだ落ちていない。
オイルかクリームで落としてねと言われていた事を思い出した。
母親がいないので化粧落としのクリームがなかった。
台所にあるサラダ油をティッシュに取り優しく顔をなでて
洗面所でもう一度顔を洗った。
歯磨きをしてテーブルで緑茶を飲み終えた時、時計は1時を過ぎていた。
美香は布団に入りすぐに眠りについた。
翌日はいつもの時間に起きた。
その日もよく晴れた朝で
いつもと違うのは耳がキーンとしている事…。
初めてのライブハウスで大きな音の中にいたせいだった。
目玉焼きとみそ汁、ごはんを用意して優を起こす。
「優くん起きて!昨日はごめんね」
「美香ちゃん何時に帰ってきたん?」
「12時くらいやった…。ごめん。今日お昼は焼そばしようか?」
土曜日なので二人とも学校が半日だった。
優は急いで朝ごはんを食べサッカーボールと共に通学班の待ち合わせ場所に行く。
美香も朝ごはんを済ませ、食器を洗い、焼そばに使う野菜を洗って切ったりと下ごしらえだけをする。
それから中学校へ向かう。
家を出ると、
恵がちゃんといつものように自分を待っていてくれるか何故か急に心配になった。
不安な気持ちでゆっくり歩いていると
「美香ちゃんー」と元気な声。
恵は同じ場所で以前と変わらない笑顔で迎えてくれた。
美香はホット胸をなでおろす。
「昨日、楽しかったわ~」恵はさっそく昨日の話題を持ちかける。
それが美香をもっと安堵の気持ちへと導いた。
「耳がキーンキーンってすんねん」そう言って二人は笑いあった。
その日の授業は耳がおかしいのもあってあまり身が入らなかった。
昨日のライブの事ばかりを思い出していた。
下校後、お昼は約束通りに優に焼きそばを食べさせ洗濯をした。
加代子に借りたワンピースとカーディガンは丁寧に手洗いをした。
春の日差しの中、洗濯物を干していると
幸せな気持ちになれた。
そのまま商店街まで買い物に出かけ
夕食や明日の食事の献立なんかを考えながら一人ぶらぶらと歩いた。
素敵な洋服が欲しいな……
ふとそんな思いが浮かんだが
無駄使いをしてはいけないわ…。
すぐにそれを打ち消した。
お父さんはやっぱり今日も帰って来ないのかしら……。
もしかして……もう永久に帰って来ないとしたらどうすればいいのだろう……。
帰り道は新しい心配事に駆られ急に悲しくなった。
夕食にはシュウマイを作りサバを焼いて野菜炒めを用意した。
前日に寝るのが遅かったのもあり
その日は優よりも先にお風呂を済ませた。
そろそろ眠ろうとした時に
居間の電話が鳴った。
「美香ちゃん、小林いう人」
小林…?誰だろう?
美香は不思議に思いながらも受話器を取った。
優はその足で風呂場へと向かった。
「もしもし…」
「美香ちゃん、俺 達也やねんけど」
「あっ………」
「びっくりした?昨日は何か恐がらせてしまったからホンマに悪かったと思うてな…」
「いえ……」
「今、電話に出たの弟?親父さんは今日も仕事なん?ご飯は食べたん?」
「弟です。お父さんはまだ帰って来てないです。今日は…シューマイとサバと野菜炒め食べました…」
「美香ちゃんが作ったん?」
「はい…」
「わ~すごいな…。今度俺にも食べさせてや~。あと5月にもライブやるねんけど来る?」
「………行きたいけど……」
「どないした??」
「……お金もないし、可愛い洋服がないから行かれへんと思う……。ごめんなさい」
「洋服なんて何でもええやん。チケットは俺が払うねんから。」
「加代子ちゃんと恵ちゃんも一緒じゃいと怖いねん。そやから……」
「一緒に来たらええよ。チケットは俺から買ったって言えばええねんから。
加代子ちゃんは昭彦のファンやからまた昭から買うやろうし、妹の分も一緒に買うんちゃう?」
「うん…。」電話越しでも昨夜の様な緊張に襲われていた。
まさか達也がさっそく電話をかけてくるなんて思ってもいなかったし
あんな大人の男が自分をライブに誘ってくれるなんて想像もしていなかった。
「5月の13日、また同じ場所やから来てな。待ってるわ」
「分かった…。ありがとうとおやすみなさい」
受話器を置く手には力が入らなかった。
さっきまでの眠気も
もうどこかへいってしまっていた。
達也は最近フラれたばかりだった。
というよりも付き合っていた彼女の心変わりに気が付いて
フラれる前に自分から立ち去ったのだった。
18歳の達也には年上の20歳の彼女が少し大人の存在で一緒に過ごす度に少々無理な背伸びをしていた。
セドリックを手に入れたのも彼女の為で、親に初めて借金を作った。
美容院で働く彼女を時間があれば車で迎えに行ったし
食事はたまに奢ってもらってはいたものの、彼女の事はそれなりに大事にしていた。
それなのに、
付き合い始めて一年が過ぎた頃
彼女が他のメタル系のバンドを見に行くようになった。
やがて後にあるバンドの男と関係があった事を知り
達也はその彼女と連絡を取らなくなった。
「達也~。なんで最近電話くれへんの?忙しいん?」
「お前とはもう終わってんねん。電話してくんなや。他の男と寝た女はクズやねん。お前はクズ」
電話口でそんな会話を交わしたのが最後だった。
あの日も少しだけ寂しいような
むしゃくしゃした気持ちをぶつけるようにライブをした。
そしてふと柵の向こうのお客の中に
まるで人形のような顔をした少女を見つける。
青白くて整った清らかな顔…。
ライブ中に美香を初めて見た時から達也は美香が気になって仕方がなかった。
わざわざ車で送り、電話番号を聞き出し
中学一年生と知った時には驚いたけれど
その大人びた綺麗な顔がどんな風にもっと綺麗になってゆくのかを見届けたいような
そんな気持ちに刈られた。
年上の彼女の裏切りに傷付いた心は知らず知らずのうちに
無垢な少女を愛そうとする方向転換を見い出していた。
この始まりから二人には実に色々な事が起こる。
それは昭和の終わり、バブル経済とその崩壊、新しい称号の世…そんな激動の時代と共にあったのだった。




