受験
また花のいい香りが漂う春がやってきて
美香はいよいよ中学三年生になった。
頭に浮かぶのは受験の事ばかりで
その未知の試練に大きな憂鬱が絶えずついて回る。
恵とはクラスが離れてしまい最初は不安で仕方なかったけれど
すぐに新しい友達が出来始めた。
その頃、TAKEのメンバーがもう一人脱退したがそれを追う様に新しいメンバーが二人続いて加入し
バンドは息を吹き返し始めていた。
一学期はまだ皆でライブに行っていたが
夏休み以後、美香は少しずつライブに行く回数が減った。
夏の終わりに長かった髪を肩上3cmまでバッサリと切った。
これからもっと勉強に集中する。そんな誓いを込めて。
そのうち美香は恵から嫌な話を耳にする。
「なんか変なファンの女がいんねん。
一人はAKIさんのファンでもう一人はTATSUYAさんのファン。
タバコ差し入れしたり、
メンバーにものすごい勢いで付きまとってホンマにうっとうしい。
なんかその女がTATUYAさんと心斎橋におったっていうの誰か見たって言うてるし…」
恵によるとその二人の女の子は加代子たちのグループと仲が悪く
どうしようもない険悪な空気が漂っているそうだ。
誕生日…達也からは何の連絡もなかった。
きっと待ってはいけないのに達也からの電話を待ち続けてしまい
一人部屋で泣いていた。
翌日の土曜日も肩を落として学校へ行き
冴えない顔で授業を受けた。
やっぱりもう達也さんは私の事なんて何とも思っていない…。
他にいい人がいるのだわ…。
心のより所にしていた存在を失い悲しみばかりが募る。
三年生の後半なのでもう部活もなく
業後は逃げるようにして急いで家路につき
夕方、自分の部屋に西日が差し込むまで泣きはらした。
これからどう過ごせばいいのだろう。
もう勉強も嫌…。何もかも嫌…。
達也の存在は余りにも大きすぎたのだ。
達也の方はメンバーの加入後にバンドを立て直すのに必死だった。
京都の方でもライブをしたり
お金も欲しくて家業の新聞屋の手伝いにも精を出していた。
美香のことは変わらずに好きだった。
それでも目の前に他に刺激的な女の子がいれば
やっぱり誘惑に負けて関係を持ってしまった。
あの日、年上の彼女に裏切られたことなんてもう頭にない。
ただ美香のことは必ず大切にしなくては…
その気持ちだけは変わらなかった。
関係を持った女の子は一方的にライブに来るだけで
何かをプレゼントしたい、どこかに連れて行きたいとか
そういう感情は不思議と生まれてこない。
気持ちが揺れてただ刹那的に新鮮な関係を持っただけだった。
12月の初めに一度だけ達也から電話があった。
「元気なん?」
その声を聞いただけで美香の目からは涙が溢れ止まらない。
「どうしたん?泣いてる?」
「ごめんなさい。元気です…」
「元気ちゃうやん?ずっと連絡できへんでごめん。なんか俺も忙しかってん」
ずっと心の奥に追いやっていた感情が一気に舞い戻ってきて
もう話をすることなど出来なかった。
「今から会われへん?そっちまで行くわ」
「……」
「久しぶりに顔見せてや、 な…5時半にはそっちに着くから。外に出て来て」
作り終わったばかりのカレーの鍋にふたをして、優に小さな置手紙書くと
美香は恐る恐る外に出た。
外はすっかり暗く寒かった。
明るいライトの達也の車が駐車場に入ってくるのが見えても急に足がすくんでしまい動けない。
達也が車のドアを開けた時、やっと我に返ることが出来て階段を降り始めた。
「乗りー」
車に乗り込んでも何を話したら良いか分からずにうつむくしかなかった。
「おっ、髪はいつ切ったん?お腹すいてへん?ケンタ行かへん?」
あっけらかんと話しかけてくる達也の意味が分からなかった。
達也は勝手に車を出し、ケンタッキーに美香を連れて行く。
ケンタッキーへ初めて連れいて行ってくれたのも この達也だ。
でも今夜、それはもう悲しい思い出でそんなことに感謝する余裕もない。
ガツガツと食べる達也を前に、食欲なんてなかった。
達也は美香の食べ残しを少しつまんで
残りは持ち帰りのパック入れて持たせた。
「何?なんでそんなに暗い?」
それは本当に心無い言葉に聞こえて
とうとう美香は泣き出した。
達也は黙って運転を続け、しばらくすると
奥地に入った人気のない道路わきに車を止めた。
「久振りにせっかく会うのに元気なさすぎやねん。そんなんじゃダメやわ」
一瞬、怒りにも似た感情が沸き起こったが
悲しみの方が遥かに強く
「ごめんなさい…」としか言えなかった。
達也は黙ってその弱々しく沈んでいる肩を引き寄せた。
「可愛い子がそんな悲しい顔しとったらあかんやん
色々心配やった?」
さっきとは違う優しい言葉に涙が再びこぼれ落ちる。
達也は大きく上下する美香の肩を片手で撫でた。
色んな想いがありすぎて何から達也に訴えれば良いのか分からず泣き続けた。
「受験勉強はどないなの?
もうどこの高校受けるか決めてんの?
何で髪切ったん?
おとんとは連絡取ってんの?
ん?」
涙で言葉を詰まらせながらも達也の問いかけに時間をかけて答えた。
「そうか…。今は色んなことが大変やと思うねんけど美香ちゃんが高校に入ったら
もっと自由になれる。今よりもっと楽しい事がいっぱいあんねん。
来年な、東京でライブ考えてるから一緒に連れて行ったる。
どこまでやれるか分からんけど、
俺はもっと頑張る。
どっか旅行も一緒に行こうや?な、…」
思いがけない言葉に驚いた。
「もう、うちのことなんて…どうでもいいのかと思ってた…」
「なんでやねん?最初に声かけて電話番号聞いたの俺やん。
どうでも良かったら どこにも連れて行かへんよ」
「でも、もしうちのこと嫌いになった時はっきり言うて欲しい…」
「なんでやねん?(笑)まだもらうもん もらってへんでー」
「え?」
「だから起きてもないことを心配するのは損って前も言うたやん
なんで俺に嫌われると思ってんの?」
「達也さんのこと ものすごい好きな人がファンでいてるって恵ちゃんが言うてたし…」
「ファンはファンやわ」
「うちもファンやから…」
「俺はファンになる前に声かけたねんけど(笑)」
まだ涙が止まらないがやっと小さな笑顔を浮かべ返すことができた。
黄緑のハンカチはたくさんの涙と鼻水でもう使えないほどだった。
「今12月やろ、もうあと少しやん。それまで頑張ろうや。
寂しくなったらいつでも電話してや、俺も電話かける」
美香は達也の首に巻きついた。
この人がいないと私には何もいいことが起きない…。
そんな風に一気に思いつめってしまった瞬間だった。
達也はそれを待っていたかのように
そっとその手をほどき唇を重ねた。
3月の中旬過ぎに
美香は無事に難関の公立進学校に合格した。
くる日もくる日も凍える手で勉強を続けて
試験の日までに不安で何度、涙がにじんだか分からない。
達也の声に何度救われたか分からない。
それでも過ぎてしまえば心が晴れる日が来るのだ。
受験を数日後に控えた卒業式、
私立高校に合格が決まっていてバラバラになってしまう恵と
これからもずっと友達でいようと泣きながら約束をした。
知らない男子から花をもらったり 手紙をもらったことにも
素直に感謝した。




