須磨水族館
約束の日は早めに起き
優に部活があるのでいつものように弁当作りと朝ごはんの用意をこなした。
「優くん、うち今日出かけるねん。
夕方には帰ってくると思うねんけど…もし遅くなったら……」
「ええよ。ほんなら おにぎりだけ作って置いていってくれへん?
あと、からあげまだあるやろ?それ食べるし、ラーメンもまだあんでー」
「分かった。おにぎり用意しとく」
優は乾いたばかりのTシャツと短パンをナップサックに詰め込んで
慌しく出かけていった。
美香はお釜に残っているご飯をすべておにぎりにしてその一つを味噌汁と一緒にほおばった。
8つも出来てしまったおにぎりを大きなお皿に乗せて余熱が冷めるのを待つ。
洗濯をして軽い掃除をしていたら
もう10時近く急いで髪をとかしに洗面所へ。
腰の手前まで伸びた髪に何もしないでおくことにした。
赤ピンクに色のつくリップを唇にぬり
部屋に戻ると濃い紫のカーディガンに紺色のスカート
いつも達也と会う時につけるアメジストのイヤリングを今日もつけた。
10時半に玄関を出て駐車場を覗いて見ると
まだ達也の車は止まっていない。
美香は3階のから雲一つない秋晴れの空を見渡して深呼吸をした。
祝日なので絹子おばさんの喫茶店はお休みだ。
京都にいた頃にもこんな空を見た気がする…。
そんな気がした。
やがて駐車場に入ってくる達也の車に気が付き階段を降りる。
「おはよう。ちょっと遅れてしまった、ごめん」
謝る達也に美香は笑顔を返した。
車に乗ると
「美香ちゃん、朝飯食うた?」
「はい」
「俺、今起きたばっかで…食うてからでもいい?腹減って死にそう(笑)」
「はい…」と言いかけて美香はおにぎりの事を思い出した。昨夜6合も炊いたお米。
「あの、もし良かったらおにぎり食べますか?朝ごはんの残りがうちに沢山あって。」
「ええの?食べたいわ」
「はい、取ってきます」
美香は部屋に戻り台所の日陰にふきんをかけた大皿の上のおにぎりを3つ手に取り
自分の水筒にほうじ茶の残りを注いで車に戻った。
達也は運転をしながら おにぎりを美味い美味いと連呼しながら食べていた。
高速道路に乗り一時間半くらい走った所に
須磨水族館はある。
須磨水族館とは現在の須磨海浜水族園かつての呼び名である。
1987年の建物の老朽化に伴うリニューアル後にその名称も変更された。
京都市内には水族館がないので
美香にとって水族館はなんとも神秘的な場所に思えた。
おそらく年少期に両親に一度はどこかの水族館に連れて行ってもらったと思うが幼すぎてその記憶が残っていない。
大きなカメや優雅に泳ぐ巨大なエイ。
不思議な動きをするクラゲとイソギンチャク。
巨大なセイウチの剥製を見た時は
思わず恐いと口走ってしまった。
当時はまだラッコやイルカの展示が始まっていない。
それでも美香は十分すぎるほど楽しんだ。
ふりふりとお尻をふりながら泳ぐぷっくりとした金魚たちも可愛かった。
達也は魚も面白かったが、長い髪おろしている美香の方に興味がいっていた。
シンプルな深い紫のカーディガンに紺色のスカート、タイツ。
すらっとしていてどう見ても高校生以上にしか見えない。
白い肌に色素の薄い髪と目の色、長めのまつげにほんのり赤い唇。
水槽の並ぶ薄暗い空間にいる彼女の存在の方が魚よりも遥かに神秘的に思えた。
遅い昼食を取り 隣接する海辺を歩き、
もう夕暮れだった。
その日、浜辺で青く染まる空の下 二人ならんで座り
達也は美香にもう一つのキスの仕方を教えた。
ビックリしたのと肌寒いせいで
美香は反射的に握っていた達也の手をもっと強く握る。
それでも達也のリードに美香の体の力はしだいに抜けてゆき
達也に身を任せた。
「なんか寒いな。帰ろうか?」
その後、達也は何事もなかったのかのようにつぶやく。
車に戻った後も再び美香の唇を占領した。
そのまま全てが欲しいという最終的な欲望が脳の奥底から溢れ出し
それは脈打つように体のすみずみにまで伝わってくる。
まだ早い。
もっと大事にできる。
ありったけの理性をかき集め達也は気持ちを整える。
何も知らない美香は
また達也の大きな腕に包まれたい。
安心したい。
この世で一番安心できる場所は彼の腕の中だけかも知れない。
そんな風に思っていた。




