アメジスト
翌日は朝から不安定な天気だった。
空は曇っていて
いつ雨が降り出してもおかしくないようなそんな天気。
早めにお昼を食べて
優の夏休みの工作に必要な材料を商店街の文具店まで一緒に買いに行った。
肉屋と八百屋にも寄り食材も買う。
今夜は何にしよう…。肉屋の前でぼんやりと考えた。
とんかつ食べたい!
優がそう言ったので美香は夕食をとんかつに決めた。
油が十分にあるか思い出せなかったので違う店にも寄った。
家に着くとお風呂そうじと夕食の下ごしらえに すぐに取り掛かる。
「優くん、今日うちライブに行くねん。ホンマに悪いけど今夜もお留守番いい?」
「アイス2個!」
「分かった」
優は近頃なんだか沢山食べるようになった気がする。
背も伸びたような…。
恵と約束した夕方4時半までもう少し。
とんかつ揚げ始めた。
揚げ終わると最後に揚げた一番小さなとんかつを口にして
美香は着替えを始めた。
昨日、無地のワンピースを着たので今日は紺地にオレンジの小花のワンピースしか選択肢がない。
達也に買ってもらった紫の花のイヤリングを付けたくて
洗面所で髪をポニーテールに結った。
慎重に両耳にイヤリングをつける。
バッグは、青地の刺繍がオレンジには少し合わない気がしたので刺繍のない面を表に持った。
「優くん!行って来るー。テレビつけたまま寝るのはいややで」
「分かったー」
美香は急ぎ足で恵の家へと向かった。
玄関のチャイムを鳴らすとバッチリとオシャレをした加代子が迎えてくれた。
部屋に上げてもらい恵を見ると一緒に買い物に行った時に買った
デニム素材のパフスリーブのワンピースに水玉のカチューシャ、首にはパールのネックレス。
ガーリーにまとまっていて とても可愛かった。
「めっちゃ可愛い!」思わず美香が口にすると
「美香ちゃんもめちゃめちゃ可愛いで」
嬉しい返事が帰ってきた。
加代子は一段と色気を増すような大人っぽいタイトスカートを履いている。
彼女によってオレンジの小バラ柄のトーンに合う
ゴールデンブラウンのアイシャドウを塗られ、
こげ茶のアイラインとマスカラを終えた美香はより一層美しくなった。
最後にオレンジのチークを頬に重ねた時、その美しさが完成した。
恵の方は今時の雑誌から飛び出してきたようなキュートな姿で水玉のカチューシャがよく似合っている。
ライブハウスに着いた頃には雷が鳴り出し
美香と恵は4列目の左隅から激しいパフォーマンスをするTAKEを見つめた。
どうしてあの人は…いつも強くて元気なんだろう?
私もそうなれればいいのに…また同じ事を思いながら
左耳のイヤリングにそっと触れた。
ライトに照らされている達也は生き生きと輝いていて本当にかっこいい。
ライブの後にはとうとう強い雨が降り出したので
三人は雨が弱まるのを待つ為に他のバンドも見て帰ることにした。
「AKIさんや~」
しばらくして加代子が一番後ろでライブを見ているTAKEのメンバーに気がついて
ファンの子と騒ぎ出した。
それから雨は息苦しい程の湿気を残してすぐに止み
AKIを目で追い続けていた佳代子は彼のもとへ他の子と飛んでいった。
「うちな~KEIGOさんのファンになった。めちゃめちゃかっこええねん。美香ちゃんは?」
恵が口を開く。
「うちは……達也さんかな…」
そう口にするとなんだか恥ずかしくなった。
急いで「加代子ちゃんは100パーセントAKIさんやな~」と話題を加代子に変える。
「姉ちゃんはホンマにすごいわ。毎日AKIさんAKIさんって言ってはる(笑)」
その日は達也と話すことが出来ずに家路に着いた。
帰宅すると優がお風呂に入っていたので
自分の部屋に入り イヤリングを外して机の上に置いた。
そうよ…。私は今日から達也さんのファンになったんだわ…
恵との会話を思い出しながらイヤリングを見つめた。
机上のライトに照らされて それは紫色に輝く。
これは…アメジスト……
小さい頃に母親から教わった宝石の名前がふとよみがえる。
アメジスト……
なんてキレイな色をしているのだろう。
板の間に膝間づき 机の上のイヤリングをしばらくの間見つめていた。
ポニーテールの髪をゆっくりとほどいた頃、
「美香ちゃん?帰ってきてるん?」
お風呂を出た優の声で現実に引き戻される。
「帰ってるよ」
部屋を出て居間に向かうと
「明日、サッカーの練習試合の日やねんけど、覚えてる?」
「あっ、そうやったわ。お弁当いるね」
「んで、明日6時に起こしてなー」
「分かった。そんなら はよう寝てや」
「うん。今からもう寝るわ」
美香は台所でお米3合をかし始めた。
明日は5時に起きてお弁当作りだな…。
冷蔵庫の中を眺めて おかずをどうするか考えた。
卵にウインナー、ピーマン、たまねぎを確認して扉を閉める。
これだけあれば大丈夫。
安心してシャワーを浴び眠りについた。
翌朝は5時ちょうどに起きて弁当作り。
炊きたての熱いご飯をボールに移した後に塩を振り粗熱を取る。
卵を溶いたり、ウインナーと野菜を刻んだり…
気が付くと6時を少し過ぎていた。
「優くん!6時ー、起きてや~」
慌てて優を起こす。
「6時過ぎとるやんけ・・・」
ぶすっとしながらも優は洗面所に向かい支度を整える。
美香は弁当箱におかずを詰めて 冷凍庫から氷を出し冷蔵庫の麦茶と合わせて水筒に移した。
握ったおにぎりをアルミホイルで包み弁当袋の巾着の紐を結んでようやく完成。
弁当を詰めた残りのおかずを優が勢いよく食べている。
6時45分に優を送り出し 美香の朝の役目はやっと終わった。
ボールに残ったわずかなご飯とふりかけが美香の朝食になる。
テレビの朝のニュースを聞きながら 麦茶のグラスの中の氷を見つめ
ぼんやりと朝ごはんを口へ運んだ。
一人きりで食べる静かな朝食の時間になんだか小さな幸せを感じていた。
9時を回ったところで朝の涼しいうちに数学と理科のプリントを進めた。
文章問題を解いたり沢山計算をしたり、理科の光の問題…
気が付くと1時を過ぎていてものすごい空腹だった。
甘いものが食べたくて一人で大きなホットケーキを焼き
はちみつをたっぷりかけて優雅にナイフをフォークを使う。
飲み物にはカルピスを用意して氷を浮かべる。
甘いホットケーキが何より美味しくて その強い甘さが全身にゆき渡る思いがした。
昼食の後には 図書館で借りた本の続きを読み始める。
大阪についてのエッセイ本で、まだ大阪をよく知らない美香にとっては役に立つ本だ。
街の歴史や名所めぐり、たこ焼きの話…どれも興味深かった。
1時間くらい読み続けただろうか?
早起きと満腹感のせいで強烈な眠気に襲われ 美香は居間の座布団を折って枕にし寝入った。
夢の中で電話が鳴り響いていて 目を覚ますと本当に電話がなっていた。
慌てて受話器を取る。
「さっ佐藤です」
「美香ちゃん?俺」
「た達也さん…」
「昨日は来てくれてありがとう。顔、見られへんかってごめん。ちゃんと夜、帰れたん?」
「はい。あの…イヤリング…ホンマにすみませんでした」
「ええって。でもびっくりした?(笑)」
「(笑)ホンマにびっくりして 電話しようと思ったけど もう夜遅かったから…」
「気にせんどいて。 今日は何してたん?」
「弟がサッカーの試合があって 朝、5時に起きて弁当作って 宿題して本読んで ちょっと寝てしまった…」
「また寝てたん?(笑)ホンマは毎日寝てるんとちゃうん?(笑)」
「ちっ違います!(笑)」
「ごめん。うそうそ(笑)あと夏祭り、住吉祭 行く?」
「はい。恵ちゃんと弟と行きます」
「俺らバンドのメンバーで屋台のバイトすんねん。俺と圭吾が輪投げ、
健太と英二がカメ、昭が焼きそば(笑)もし良かったら遊びに来てな」
「えっすごい・・・」
「3日間バイトしてちょっと稼ごうと思ってんねん」
「ホンマにすごいです…」
「何でもないねん。ただのバイトやで。ほな、また電話する。美香ちゃんも電話してきてなー。」
「はい。」
そう言えば…浴衣の着かたが分からない。
なんとなく悲しい気持ちになった。
母親に浴衣を着せてもらって、家族みんなで京都の夏祭りへ行った遠い日の思い出がよみがえる。
お母さんの浴衣…今年はもう着れるだろうか?
最後に浴衣を来た小学4年生の時から美香の背はぐんと伸びた。
中学校入学時の身体検査では 当時で背の高い部類に入る159cmになっていた。
優の部屋の押入れを明け 奥から一つのダンボールを探した。
「浴衣」と優しい母の字で書かれた箱のテープをカッターでそっと開けると
ナフタリンの匂いに混ざって 家族みんなの浴衣が丁寧にたたまれて入っている。
母親が着ていた 紫地の牡丹柄の浴衣を広げながら水色の帯を置いてみた。
きれいな色…。美香は小さなため息をついた。
そうこうしているうちにまた電話がなり
今度は恵からだった。
「美香ちゃん、杉山から電話がかかってきたねん!住吉祭一緒に行かへんねんかて?どうする?星野もやて」
「え?なんで? うちは優くんと優くんの友達も世話しなあかんから…」
「断ろうかー? あとな、姉ちゃんから聞いてんけどTAKEのメンバーが夜店でバイトすんねんって。絶対、見に行こ!
姉ちゃんがうちらにAKIさんの焼きそば買ってくれるって言うてるし」
「そうなんや~。焼きそば食べたいね。杉山くんの電話は…」
「うちが断るわー。」
「ありがとう。恵ちゃん浴衣着る? うち着たいねんけど着かたが分からへん」
「うちも着たい!お母さんに聞いて隣のおばちゃんに着せてもらわへん?」
「それええな~」