中間テスト
翌日の月曜日。
美香はいつもに起きて朝食の用意をして優を起こす。
優が登校した後に
一人 鏡の前に立って
念入りに髪をとかし
きつくポニーテイルを結った。
もっと強くなりたい…
もっと強くなりたい…
そんな願いを込めて。
それから恵の待っているいつもの場所を目指した。
学校の様子は先週と何ひとつ変わらず
穏やかに流れた。
部活の時間の終わりを告げるチャイムがなり
美香と恵は茶華道室を出て校門に差し掛かっていた。
校門を出ると
そこにはレディースと呼ばれる不良の女子生徒が4人ほど立ってこっちを見ている。
目を合わさずに通り過ぎよう
言葉を交わさなくとも二人は同じ事を考えていた。
「あんた義人に告白されたやろ」
きつい目つきをした一人が口を開いた。
恐怖と驚きで美香の心臓は高鳴り
みぞおちの辺りにグーと痛みが広がる。
「そうです。……でも断りました」
相手の顔を見ないまま答えた。
「断ったん?なんで?ホンマに断ったん?」
「はい……」
「ほなもうええわ」
彼女からは意外な返事が返ってきた。
美香と恵はそのまま
すたすたと歩き出し
「あの人ら何やろ?あの甲斐って男が好きなんちゃう?うちらはもっとかっこええ人達 知ってるっちゅーねん!」
そんな会話をして少しだけ笑った。
美香はその日、加代子に借りていたワンピースと小物を恵に預けて家路についた。
夕食後は
宿題を済ませ、4月に学校でもらった年間行事表をながめた。
5月30、31にある中間テストという文字を見つめながら
少しだけ不安な気持ちに苛まれる(さいなまれる)…。
すごく難しいのだろうか?
順位も出るなんて……
今夜から勉強を始めようかしら?
この時はまだ中間テストの範囲表すら配布されていなかった。
引越しは6月3日の日曜日の朝に迫っていて
荷造りの事も気になっていた。
修は一緒にアパートを見に行ったあの日以来まだ家に帰ってきていない……。
本当はもうその理由に気が付いていたけれど誰にも何も言わなかった。
少しずつ父親が他人のように思えている自分がいる。
父親は麻衣子がいたから家族だったのではないだろうか…?
そんな考えすら頭をよぎっていた。
その翌週にとうとう中間テストの範囲表が配られた。
テスト当日には三時限目以降がない。
2教科や3教科の試験を受けたらすぐに下校できる。
それが何より嬉しかった。
よし!今日から勉強を頑張ろう。
不安だった美香の心はいつしかやる気で満ちていた。
授業で取り溜めたノートをもう一度まとめ直して
問題集を解く。
間違えた問題は繰り返し演習する。
そんな地味な学習法を根気よく時間をかけてこなした。
義人の件もすっかり忘れかけていた。
テストを二日先に控えた夜に
達也から電話があった。
「美香ちゃん、元気?あれから大丈夫なん?何もされてない?」
「大丈夫です。あの時はホンマにありがとうございました」
「最近何してんの?」
「明後日から中間テストで……」
「あっ勉強してたん?」
「少し…」
「偉いなあー。俺、英語やったらちょっと分かるから何でも聞いてやー」
「はい…」
「あとな、急に6月3日にライブが1本決まったんやけど、日曜日な、来る?」
「ごめんなさい。日曜日は引越しがあって…」
「ホンマ?どこに引っ越すん?」
「近くです…。ホンマにすぐ近くなんです。シルクっていう喫茶店の上のアパートで」
「そっか。あっ、7月28日にもライブがあんねんけど来れる?もう夏休みちゃうの?」
「はい…」
「あと、この前、当券で入ったやろ?チケ代払わしてしまってホンマにゴメン。次は必ず用意するから」
「いいんです。大丈夫です」
「お小遣い、沢山もろうてるの?」
「……家のお金が残った時に使ったり……」
「(笑)色々大変そうやな。なんか助けたい気分になってきたわ(笑)」
「(笑)……」
「またライブ近くなったら電話する。美香ちゃんも何か困った事とかあったら電話してきてな」
「はい。」
「ほな、テスト頑張りーや」
「はい」
「またな…」
電話を切った後には
なんだか暖かいような嬉しい気持ちに包まれた。
友達でも家族でもない人が自分の事を気に掛けてくれた。
一方的に話す達也の存在がなんだかとても強くて頼りがいのある存在にすら思えていた。
優しい夜風を感じながら
今夜も少し遅くまでテスト勉強に時間を費やした。
試験の前日、
美香は緊張から生じる小さな胃の痛みを一日中感じていた。
給食も控えめにして
業後は恵と足早に家路に着いた。
夕食後には念入りに鉛筆を削って予備の消しゴムも用意した。
明日受ける教科の復習に努め
少しだけ早めに布団に入ったけれどなかなか寝付けない。
眠れないので小さな音でラジオを流し、
それからまもなく知らず知らずのうちに眠りについた。
当日は
少しだけ早く家を出て恵と合流し教室に入る。
教室に着くともう数人の生徒が既に登校していて皆、教科書や問題集を広げていた。
担任が教室に来てからは
机の中の教科書類や通学かばん…
鉛筆、消しゴム以外の全ての所持品を廊下に出すように言われ
長い廊下は生徒達の備品で溢れた。
試験の説明や注意事項を聞き
問題用紙、解答用紙が配られる。
「始め」という担任の声の後に生徒達は一斉に問題用紙を表に返し問題を解き始めた。
試験は初回という事もあり優しい問題が多かった。
美香は全ての問題に答える事ができ
あの胃の痛みはもうどこかにいってしまっていた。
2時間目のテストの時、
不良の生徒が廊下をうろうろとしていた。
教室に戻ってテストを受けなさいと担任が生徒に促す。
「テストなんか受けても意味ないやん」と不良が教師にフランクに返答をする。
美香は
どうか義人が一年生の階に現れませんようにと祈るばかりだった。
唯一の救いは
佐藤という名字が彼女を名簿順で最後の方
つまり廊下側に座らせない事である。
二人の不良がフラフラと去っていった後は再びテストに集中した。
初日なのでその日は二教科のみで
給食もなく
掃除もなく
終礼を終えるとすぐに下校だった。
美香と恵は帰宅をしてもお互いに家に両親がいないので
お昼を一緒に食べ、一緒に勉強をしたかったのだが…
まっすぐに帰宅をし、明日のテストに備えて勉強する事、
また昼過ぎからは街に出歩いて遊んでいる生徒がいないか教師達が見回りをすると終礼で聞き
がっくりと肩を落とした。
それから言われた通りに二人は恵の自宅の前で別れた。
美香は帰宅前に急いで商店街のパン屋へ走った。
一人の昼食にどうしてもパン屋のパンが食べたかったのだ。
パン屋のトレイにチョココロネとメロンパンを取ってお金を払い
急いで家に帰る。
一人で過ごす特別な時間と優には内緒のちょっと贅沢な昼食に
幸せでいっぱいだった。
明日もまた早く帰って来られると思うと嬉しくてしょうがなかった。
贅沢な一人の時間の楽しみを覚たのと同時に
中間テスト全ての教科の試験があっけなく終わり
金曜日にはさっそく採点された答案用紙が一部返され
また部活も始まった。
美香は国語で100点を取り
社会で98点を取った。
国語の時間に皆の前で名前を言われたのがすごく恥ずかしかったが
頑張った成果が出た事は本当に嬉しかった。
金曜日の夜から引越しの為の荷造りを本格的に始めた。
すぐには使わない大皿、押入れの中身、秋冬の洋服、母親の遺品…
使っていない物から順番にダンボールに詰める。
真夜中まで荷造りを続け
土曜日の部活の後にも
さらに荷造りを進めた。
夕方に修が帰ってきて
荷造りを手伝った。
引越し当日は小雨が降る
どんよりと曇った日で
午前中に来た引越し業者は午後2時には帰っていった。
明日から使うものだけを優先させて荷ほどきをする。
修と麻衣子が一緒に寝ていたセミダブルベッドは5畳の部屋に置かれ
そこは美香の部屋になった。
もう一つの部屋は優の一人部屋になり麻衣子のドッレッサー置き場にもなった。
「お父さんな…忙しいから帰って来た時は居間で美香の布団敷いて寝るわ な…」
「……うん。分かった…」心のない返事を美香は返した。
その日は下の絹子おばさんが7時に喫茶店を閉めた後に夕食をこしらえてくれ届けてくれた。
美香も優も疲れていてその日はぐっすりと眠った。
月曜日にもテストの返却があり
火曜日、水曜日までには
全ての答案の返却が終わり
美香の高得点は5教科全部に及んだ。
この経験から一生懸命に取り組めば結果は答えてくれる。
そんな実感が生まれた。
その週末には順位表が配られ
学年成績優秀者の上位30名の名前と点数が職員室の廊下に貼り出された。
終礼時に美香のクラスでは
彼女を含む4人が上位30名に入っていた事を担任が伝え
クラスメイトから一身の注目を浴びた。
思春期に差し掛かり
人の注目や興味を引く事はなんだか恥ずかしくて居心地が悪かった。
廊下に成績が貼り出される意味にも疑問を感じ
何かうわさに上る(のぼる)んでないかという不安にさえ駆られた。
帰り道に恵は美香の事をひたすら褒めた。
「美香ちゃんホンマにすごいな!今度のテストの時に色々教えてな」
「うん。一緒に勉強しよう」
変わらず接してくれず恵だけが本当の友達のような気がした。
担任に引越しが終わった事を伝え
緊急連絡先表の住所も書き換えた。
土曜日には部活後に一旦帰宅した恵がクマの小さなぬいぐるみを引越しのお祝いに持って
遊びに来てくれた。
美香は夕食にチャーハンを作って恵と優に食べさせた。
毎日のように学校で会っているのに二人のおしゃべりには終わりがなかった。