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大山鷹一郎の不思議捜査シリーズ第3作

今回は、日本では大黒天と言えばふくよかな布袋様のイメージですが、元々はインド神話の破壊神シヴァです。なぜ日本ではそうなったのかを、自分なりに構築してみました。

この物語は一部実際の地名や歴史上の人物名を使用しておりますが、ほとんどの人名地名は架空のものです。


大山鷹一郎・・・九州のとある県警川北署刑事。連続猟奇殺人事件を追う内に、様々な神秘体験をする。

汐田・・・九州のとある県県警川北署鑑識。

山内・・・川北警察署長。

白水かおる・・・大山のパートナー。私立探偵。北条政子転生 比叡山裏衆

羽間賢信・・・九州のとある県県警川北署刑事。大山の部下。剣道3段、柔道4段、空手2段の猛者。佐々木盛綱転生

小野道子・・・『ラ・クア・クチーナ』ママ

山高梅良・・・藤桜大学新解考古学教授。大黒天研究会会員。

尾加田剛・・・和製インディ・ジョーンズを自称する大山の同級生

長岡興三・・・林田化学技師

周浩宇・・・中国人商人

セルゲイ・カディロフ・・・カザフスタンの歴史学者

増岡勝蔵・・・柴塔会メンバー


1 


男は強い風と共に全身に突き刺さる砂に、身体が一瞬揺らいだが何とか踏ん張った。中東ほどではないが、それなりに強い砂嵐が吹いたようだ。現地の男たちとカザフ語で会話しながら砂を掘っていたのだが、時おり違った言語が漏れ出してきていた。

「ここにあると思うんだがなあ・・・。」

間違いなく日本語だった。しかしその顔は黒く焼け、かなり濃い髭が顔面の下半分に生えてきており、一見したところでは現地人かと思われるような風貌でもあった。おそらくここでの生活が長いのだろう。それなりにという以上に馴染んでいるように感じられた。男たちに指示をしていたが、それは現地語だった。

馴染みきれていない日本人はすぐに日常の振る舞いで見分けがつくものだが、そういうぎこちなさは全く感じられなかった。まず、明らかに現地の旧市街で仕入れたとしか思えない民族衣装の砂漠仕様服であり、ターバンも巻いていた。日本に戻ってきて生活できるのだろうかとさえ思えてくるほどに馴染んでいた。

現地の男が近寄ってきて、現地語でちょっといいですかと声をかけてきた。男はどうしたのかと返事をし、少しの間話していたが途中ではっと顔を上げた。そして思いっきり日本語で聞き返した。

「なんだって?」

そして慌てて現地語で返した。カザフ語での会話は慣れているというものの、驚いたときにはどうしても日本語が出てしまう。

こっちに来てくれと言われ、男は走り出した。そこは少しだけ小高くなっている丘で、むき出しの土に砂が叩きつけられていた。


高さは5m程度であり、丈の低い草が生えていた。男は9世紀に中央アジアに存在したイスラム王朝カラハン朝の遺跡を探していたのだが、ここになにかありそうだと現地の男が伝えてきたのだった。

しかしどう見てもただの丘にしか見えない。ここに何があるのかと尋ねたら、現地の男は黙って丘の頂上付近を指差した。風も弱まってきたので、男は双眼鏡で指差されたあたりを覗いてみた。しばらくは何があるのかわからなかったが、やがて男の両手がピタリと止まった。

「あれは・・・?」

丘の頂上がほんの一部だが平になっているようだった。男はそこにいた男たちの中で年配の者に、ここに登ってもいいのかと尋ねてみたが、特に問題はないとの答えが返ってきた。男は比較的登りやすいところを探し、ときにはスコップで足場を作りながら登っていった。40分ほどで、頂上に着いた。

「ここか。」

男は下から見て平らだった部分を見つけ、腰にぶら下げていた日本製の亀の子ほうきで土と砂を除き始めた。最初はゆっくりとだが、徐々に興奮してきたのか激しく動きだした。少し経過した後、男は立ち上がって両手を突き出した。

「やったー!」

男は我を忘れて、何度も何度も叫んだ。かなり涼しくなってきていた。もう夕方になろうとしていた。下から、もうすぐ晩飯だぞと声が届いてきた。男は手を振り、そしてまた呟いた。

「明日以降・・・ここが正解かわかるな。」


2 


室内温度はほぼ90℃だった。なぜかテレビの横に室温計がある。常に室温をチェックしていろということなのだろう。

「なんかこう・・・邪魔っすね、あれ。」

室温計にイチャモンつけていたのは羽間だった。

「あー!また入れられちゃったあ。こりゃもうダメかいな。」

「お前、うるせえよ。静かにしてろ。」

汗を拭きながら羽間に注意したのは大山だった。2人は仕事の合間に川北市にある「ライオンサウナ」に来ていた。テレビでは今年の日本シリーズ最終戦が中継されていた。熱烈な玄海ストームズのファンである羽間は、安芸ネイビーズを罵りながら応援していた。

どちらのファンでもない大山は、今回の日本シリーズなどどうでもよかったので、羽間のはしゃぎ方はうざいだけでしかなかった。ただでさえ面倒なのに。

「おい、もう出るぞ。そろそろ・・・。」

「お?お!お、おおおおおおおおお!!!!!!!や、やったーーーーー!逆転満塁サヨナラホームラン!!!!ぐわああああああ!日本一だあああああ!」

羽間は同じサウナ室内にいたストームズのファンたちをハイタッチし、ハグし始めた。大山は馬鹿負けして、とっとと出ていった。深呼吸して、水風呂に入った。

「うお!・・・ふうー、はー、目が覚める・・・。」

世の中には様々なリフレッシュ法があるが、大山にはこれが一番だった。どんなにきつい時でも、これをやると気分新たに仕事に向かっていけた。身体が冷えすぎてもいけないので20秒ほどで上がったが、サウナの方が妙に騒がしい。

ドアが開いて数人が中を覗き込んでいた。大山は近づいて訊ねた。

「あの・・・どうかしました?」

「いやあね、中にいた連中が全員のぼせよって。倒れちゃったんで、今から運び出すとこたい。」

サウナの従業員に背負われて出てきた中に、見たくない顔があった。

「あのバカ!」

泡を吹いている羽間を横目に、大急ぎで着替えた大山は事務所に駆け込み、説明した。ようやく息を吹き返した羽間にタオルを叩きつけ、大山は待合でタバコをふかして待った。

「いやあ先輩すみません。まさかの満塁逆転サヨナラホームランだったんでつい・・・。」

思いっきり怒鳴ろうと思った大山のスマホが、絶妙なタイミングで鳴りだした。山内からだった。

「あ、署長、どうかし・・・。」

『したんだよ!すぐ来い!』

ここまで山内が焦って連絡してくることは滅多にない。只事でないことはすぐにわかったので、コーヒー牛乳を飲みかけた羽間を引きずるようにして大山はサウナを出た。

地方都市とは言え、日本シリーズの後はどこも混んでいた。やや遅れがちだったが、大山らは川北署に着いた。

「失礼します!」

署長室に入った大山は、そこに川北市長がいることに気がつき、慌てて敬礼した。山内は睨みつけるように大山を見て、一枚の紙を手渡した。山内は手袋をしていて、大山にも手袋を渡した。大山は手袋をしてその紙を持った。

指紋がつかないためだったのだが、それほど重要なものなのだろうか。それはどう見ても週刊誌の裏面のように見えた。

「読め。」


訝し気に大山はその紙に目を通した。読んでいるうちに、大山の顔色が変化していった。

「署長、これって・・・?」

「そうだ。川北市庁舎爆破予告だ。」

平和極まりない川北市において、市庁舎爆破予告などありえないことだ。週刊誌の裏面の黄色い背景の上に、古風な切り張りでこのような文面があった。

「川北市庁舎を、明日正午きっかりに爆破する しばとう」

大山は眉間に皺寄せて山内に訊ねた。

「この・・・しばとう・・・って・・・何です?」

「それがわからんとたい。市長もおわかりにならん。何としても今日中に探るんだ。」

また妙な事件だ。ここのところ立て続けに変な事件がここで起こっている。猟奇事件だったり、訓練された暴力団だったり。まさか今度もかと思うのも無理はなかった。

なぜなのか、まだこの時の大山には理解できなかった。


3 


風呂上り、いつものようにトレシャツトレパンに着替え、ドテラを着て缶ビールを開けた大山は、大好きなロックCDをセットして座椅子に座った。ノートパソコンを開いて、フェイスブックを立ち上げて白水かおるのページを開いた。メッセを開いて、電話コールボタンを押した。

少しのコール後、かおるの顔が画面に現れた。

『こんばんは。』

かおるも風呂あがりのようで、頭にタオルを巻き、バスローブを着ていた。

「よお。そっちはどうだ?」

『快適よ。料理は美味しいし、人は優しいし。ずっとここに住んでもいいなって思っちゃう。』

「じゃあ引退したら台湾に住むとするか。」

かおるは先日に勤務していた叔父の探偵事務所を辞め、個人事務所を立ち上げていた。海外にも人脈を持っているので国際探偵にするべく、台湾の高雄に来ていた。

「そっちは温いとやろ?」

『温かいわよねえ。今日だって最高37℃。暑いわよ。』

「こっちはもう寒い。それでサウナ入ってたら、ケンの馬鹿がのぼせやがってさ。大変だった。」

『相変わらずね、あの人。』

かおるとは毎日、この時間に連絡するようにしていた。今の時代、こうやって簡単に国際電話ができる。いい時代になったものだ。

「でもさ、今日市庁舎爆破予告があってな。調べろって言われても全くアテがなくて。わかったのは・・・えーと、予告してきた奴の名前だとは思うんだが・・・『しばとう』って書いてあった。これ。何だろうな。」

『しばとう?変なの。』

「そうだろ?今色々調べてもらってる。今のところ候補が、柴任三左衛門という人物だけなんだが・・・。」

『誰?』

「それがさあ・・・宮本武蔵の二天一流兵法第3代師範で、武蔵の兵法と『五輪書』を肥後国を出て江戸とかに伝えた人物なんだわ。これじゃないしなあ。」

「そうよね。」

聴いたこともない名前で、個人名なのか団体名なのかさえわからなかった。面倒くさいなと大山は思った。まだそんな事件なのかわからなかったが、とりあえず面倒くさそうだ。

『また面倒だなって思ったでしょ。』

かおるはすぐ大山の内面を見抜く。大山は飲みかけたビールを吐き出しそうになった。

「まあな。こんな田舎で長いこと平和だったのに、なんか急に変な事件が続きやがる。そりゃ面倒だよなあ。」

『まあ確かにね。あたしも巻き込まれちゃったしね。何かあるのかもしれない。』

大山はここで、かおるの、前の事件での言葉を思い出した。

『・・・わかってるけどね。いまのタカちゃんにはこれで精一杯だってことも。』

大山は缶ビールを飲み干して、かおるに訊ねた。

「お前・・・こないだは途中で話終わってたよな。今の俺にはこれ以上話せないみたいなことをさ。」

『ああ・・・そうね。』

「あれ、どういうことなんだよ。」

かおるは多少困ったような、しかし余裕ある表情で悪戯っぽく返事した。

『どうかな・・・タカちゃんにもいつかは話せると思ってるよ。だけど今はダメ。まだまだいろんなことがあってから・・・。』

ここまで言って、かおるが急に無表情になった。まるで意識がどこかに飛んで行ってしまったような、そんな感じだった。

「おい・・・おい、かおる!」

大山の声に、かおるの表情は元に戻った。

『あ、ごめんね。今日はもう切るわ。また明日ね。おやすみ。』

「おい、ちょっと待て、か・・・。」

画面のかおるは消えた。大山は軽く舌打ちしてノートPC閉じた。そして二本目の缶ビールを開け、窓を開けた。秋空は寒かったが、今はこれくらいの風が嬉しいほどに、大山の身体は火照っていた。

全く意味がわからなかったが、こういうときは普通何らかの事件を解決しようとしているときの感覚だった。また何か、前のような事件が起きるのだろうか。

(かおるのあの反応は一体何だったんだ?)

山の中腹にある大山のアパートからは川北市の夜景がきれいに見えた。


4 


大山と羽間は、数名の捜査員たちと共に川北市庁舎周辺を探っていた。今のところ、庁舎には爆発物などはないようだった。となると考えられるのは何らかの陽動作戦くらいしか考えられない。

まさかミサイルなどと言うことはないだろう。こんな地方の市庁舎を狙ったところで何のメリットもない。

「何なんすかねえ、アホが・・・。」

羽間が軽く呟いた。当然ながら隠密捜査である。普通の会話っぽく入れ込んで、聴いたところで何にも感じないはずだ。

「まあな。そんなアホがいるから、俺たちが困るんだよな。」

大山と羽間は、市役所職員を装って庁舎の周辺を歩いていた。

時々、店舗に入って会話しながら店主とも話している風を演じてもいた。当然その店は、普段から協力してくれていることはわかっているので、アイコンタクトで全てオッケーだった。

だが一切何も情報はなかった。爆発物もなく、あたりにも何もない。警察犬も出てはいたのだが、これも全く無反応。そうこうしているうちに午前11時50分にまでなっていた。

「もうちょっとじゃないですか・・・。」

羽間が、いかにも昼飯前で腹が減った風に話しかけてきた。

「そうだな。クチーナに行こう。」

クチーナとは、市庁舎近くにあるイタリア家庭料理『ラ・クア・クチーナ(彼女の食事)』のことである。川北署員が立ち寄る食事場所でもあり、各種カメラを設置してもいた。と言うのも、オーナー兼シェフの小野道子は元川北署刑事でもあった。

結婚を機に退職し、留学して料理をマスターして帰国。そしてこの場所に開店したのだが、最初から協力するつもりで勝手に店を作っていた。ということでこの店は繁盛してもいたが、市警やその他行政職員も多数来店するようになっていた。

「あら、あんたたち、お仕事は?」

ぽっちゃり体系で話し上手な道子は、大山らが黒いスーツを着ていることですぐに察した。普段はカジュアルな雰囲気なのだが、そこは元刑事だけあってそれにもいくつかパターンがある。口頭で説明することも文章ででも一切なく、全てアイコンタクトと内密のボディランゲージで通じる。

大山は空腹で死にそうな雰囲気で答えた。



「いやあ、もう我慢できんくらいに腹減ったんで、戻る前に食べちゃおうとね。正午に戻ると腹がもうもたない。」

「あらあら大変ねえ。今日は何にするの?」

「ナポリタンと、爆弾ラビオリお願い。こいつは激辛ピザでよかったかな?」

心なしか、道子の顔色が変わった。もちろんよほどよく観察していないとわからない程度ではあったが。

「珍しいわね。爆弾ラビオリ?滅多に出ないやつよね。」

これはこの店の裏メニューであり、元々はまかないで作っていたものなのだが、店に残った余りものをギュウギュウに詰め込んでゲンコツサイズにまでデカくしたラビオリのことである。

「具はどうするの?」

「ママにお任せ。何かわからない奴で作ってよ。」

道子は眉をひそめ、肩をすくめて適当に愚を練り始めた。これだけの会話で、散りばめられたワードから、道子は何らかの爆発予告が正午にあるのだと察した。今は平和な川北市ではあったが、警察のこういう努力があってのものだった。今も極道が存在しており、どこかで暗躍はしていた。

「はい、お待たせ。」

「おお、でかい!」

爆弾ラビオリが運ばれてきた。大山はちらりと腕時計を見た。11時57分になっていた。もう間もなく正午になる。

「辛か!」

顔色を変えずに目だけで市庁舎付近を追っていた大山を他所目に、羽間は激辛ピザを早速頬張っていた。大山は爆弾ラビオリにフォークとナイフを突き立てようとしていたその時だった。

「はい、お水。」

道子が大きな音を立ててコップを大山の前に置いた。これも合図のひとつだったので、大山は道子の顔を見た。道子の顔は大山を向いていたが、眼は正面を見てはいなかった。大山は素早く道子の目の先を見た。

市庁舎付近に、黒いスウェットフードパーカーを着た長身の男と思われる人物が近寄ってきていた。一見したところ、普通の通行人だった。しかし大山や道子の目にはそうは見えなかった。普通は前方を向いて歩くのだが、この男はうつむき気味に下を見ながら歩いていた。


フードの上に黒いブルゾンを羽織っており、ブルーのスリムデニムといういでたちだった。しかし大山は上着が妙に膨らんでダボっとしている様に気がついた。

「ママ、ちょっと出てくるね。これ、まだ置いといて。」

そう言うと大山は走らない程度の速さで店を出ていった。今まで激辛ピザを頬張っていた羽間も続いた。大山は急ぎ足で歩き、男に悟られないようにしながら追った。

その間に大山は赤いウィンドブレーカーを鞄から取り出して羽織った。市庁舎周辺には監視員が張っているので、これが要注意人物発見の合図となる。

一方の羽間はスマホを耳にして、上司に連絡している風を装いながら大山よりは早く走っていった。結果的に2人で不審人物を挟んだポジションになる。

数人の監視員も彼らの周囲で円を作って少しずつ囲んでいった。充分に包囲網が形成されたと判断した大山は、他の捜査員にも近づくように合図してから、男に声を掛けた。

「すみません、ちょっとよろしいでしょうか?」

しかし男は全く反応することもなく、何も聞こえなかったように、むしろスピードアップし始めた。

「おい!」

大山が声を荒げた。同時に捜査員たちも駆け寄ってきた。大山は男に追いついて、男の左肩を掴んだ。

「う?」

大山の掌は、あるはずの人間の肩が掴めなかった。それは明らかに服だけであって、中身はなかった。しかしさらに男はスピードを上げていく。

大山は掴んだ手を引き戻した。ブルゾンとニット帽が脱げた。

「う・・・こりゃ・・・。」

そこにあったのは、人間の胴体のような合成樹脂と思われる骨組みに囲まれた箱だった。頭部はガラスケースになっていて小さな金魚箱程度の大きさで、デニムパンツの中にはメタル製のロボットフットが見えた。

「遠隔操作されてる!止めろ、羽間!」

前を走っていた羽間が倒れ、デニムの足をカニばさみの要領で挟んで倒した。金属的な音がして、ロボットフットは倒れ、ガラスケースも倒れたがどうやら固定してあったようで割れてはいなかった。

「離れろ!」

ロボットフットはずっと動いていた。大山は山内に連絡して周囲から人を避難させるよう依頼した。爆発物が入っている可能性があったからだ。メガホンから警告が流れ、あたり一帯に捜査員らが通達して避難が始まった。

一方では爆破解除チームが到着し、素早く爆発防御の準備を始めた。周囲を可能な限り遮蔽壁で囲み、観察して処理する準備に入ろうとしたとき、ロボットフットは動きを止めた。全員が爆破に備えて低姿勢になったが、爆破解除チームはその間も高解像度カメラでシステムを分析していた。

爆弾のパターンを全てインプットしてあるITSだった。大山らはいつ爆発するかもわからない状態のまま時が経過するのを待った。すると、爆破解除チームの1人がゆっくりと立ち上がってロボットに近づいていった。

「お、おい!」

大山は思わず声を上げた。男は何か首を傾げながら近づき、そして恐る恐る触れてみた。透明な中にある機会を念入りに調べ、身体を起こした。やがて男は振り返って、大声を上げた。

「これ、爆発しません!」


5 


「結局、ただの悪戯だったのか?」

山内は目の前にあるロボットフットを眺めながら呟いた。

「まあ・・・今のところはそうでしょうね。このアクリルの中に入っていたのは単なるバランサーでした。まだ犯人は把握できていませんが。」

「それだけじゃない。市庁舎爆破もデマだったってことじゃないか。一体何だ?偶然じゃあるまい。当然同一犯だろうが。」

爆破は秘密にされていたが、これはさすがに市民も大騒ぎになり、全国ニュースでもオンエアされてしまった。ローカルマスコミも全国マスコミも連日川北署に押し寄せてきていた。発表しなければならないのだが、もう少し情報がないと川北署の恥となりかねない。

山内がイラつくのも無理はなかった。

「ネタがないわけじゃない。ヤマさん、今届いたんだが・・・。」

汐田が部下から手渡された紙を一読して、山内に渡した。

「このアクリルなんだが、どうやら絞り易そうだ。売れゆき悪いので製造中止になってる。それは実はつい1か月前のことなんだ。新港近くの子供用品店店頭で販売されたものだということだ。購入者の名前は・・・ナガオカコウゾウ。名前は伏せておくにせよ、これだけでも発表できるんじゃないか?」

山内は軽く頷いた。

「わかった。とりあえずこれで会見しておく。・・・わかってるな、大山。」

「はっ!」

大山と羽間は早速、長岡興三という男の調査に取り掛かった。男の所在は簡単に割り出せた。

「ここか。」

2人が向かったのは、川北市西部にある月登町にある「(株)林田化学」だった。この会社は主に企業向けのツールや薬剤を開発している会社だった。県内でも業績良好であり、起業10年にして海外にまで進出するほどだった。

海沿いに5階建ての自社ビルを持ち、30台は収容可能な駐車場もあった。活発な企業らしく、頻繁に車両が出入りしていた。自社ビルに隣接してちょっとした体育館並みの倉庫兼実験場も所有していた。

海沿いに建てたのは海水に無限の可能性を持っているからと公表しており、海中に突き出た海水採取室やボート発着場もあった。かなりの資本が落とされていたようだ。

大山と羽間は割に大きめの玄関から入り、受付で川北署の者であると告げ、長岡興三との面会を求めた。

「あ・・・少々お待ちください。長岡は・・・牧野さん、長岡くんはどこにいます?」

たぶん容姿で選んだと思われる綺麗な女性が、おそらく誰よりも会社内に詳しいと思われる年配女性に訊ねた。

「長岡くんなら実験室じゃない?」

その女性はまるで相手にしていない風に答えた。

「ご案内いたしますね。」

「ああそれから、責任者さんにもお話を伺いたいのですが。」

「わかりました。社長もすぐにお連れいたします。」

牧野が2人を案内したのは、広い実験場だった。あちこちに、一見したところではガラクタにしか見えないような機械や木材が転がっており、奥にある倉庫とは壁で仕切られていた。しかし乱雑に置かれてはいたが決して汚いということでもなく、きちんと整理されている部分が大半だった。

「長岡くん!長岡くん!」

牧野が大声をあげた。

すると無造作に置かれていた機材の奥から、汚れた作業着を着て顎鬚を生やした痩せた長身の男が、のそりと姿を現した。

「ど、どうしたの、牧野さ・・・。」

「どうしたもこうしたもじゃないわよ!警察の方よ!あんたまた何かやらかしたの?」

牧野は長岡の言葉を遮って怒鳴った。長岡は戸惑いながら、あちこちについた汚れを払いながら大山たちに近づいてきた。近づくにつれ、この男がえらく背が高いことに気がついた。おそらく2m近くはあるのだろう。

「あ・・・僕ですが・・・あの~・・・。」

上から声が降りてくるのだが、全く威圧感も何もなく、邪気も感じられなかった。大山は直観でこいつはシロだとわかったが、それで済ます訳にもいかない。大山は警察手帳を見せ、長岡に今回の意味を説明した。

「市庁舎付近で暴走させましたね、ロボットを。」

当然怯えると思ったのだが、長岡の反応は違った。

「あ・・・あれ!やっぱりそうでしたか!良かったあ。」

「良かった?それってどういう・・・。」

そこへバタバタといかにもトロ臭そうな走り方で、老年の男が走ってきた。

「ハアハア・・・な、長岡―っ!お前また!」

長身で痩せているこの男が、ここの社長である林田昌也だった。林田は怒鳴る寸前の形相で駆け寄ってきたのだが、大山らを見て慌ててスーツをただした。そして中小企業経営者特有の姿勢で名刺を差し出した。

「この度はまことに申し訳ございません。私共の者がお騒がせしてしまったようで・・・なーがーおーかー!おまえも謝らんか!」

林田は長岡の頭を押さえつけようとしたのだが、自分より長身の長岡には届かなかった。

「あ、いや・・・すみませんが、状況が掴めてません。お話を伺っても?」

「も、もちろんです!」

林田と長岡は、実験室の隅に設置しているプレハブ事務所に大山らを案内した。

「・・・で、まずあのロボットは?」

茶が運ばれてきたのだが、大山は口もつけずに質問した。相手のペースに巻き込まれてはいけないという鉄則があるからだ。

「はい、あれはドローン追跡できるロボットなんです。」

長岡はテーブルに置いてあった模型を取り出して大山の前に置いた。

「ドローンで追跡?」

「はい、つまりですね、遠距離にいながらその場の状況をリアルタイムでロボットとドローンから把握することによって、危険度の高い作業も行うことができるようにと開発してきたものなんです。企業さんからのご提案がありまして。」

「じゃあそれがどうして市庁舎付近で歩いてたんですか?」

「・・・申し訳ございません、これをご覧ください。」

長岡が手元のタブレットを取り出してタップすると、事務所横に会ったロボットが動き始めた。

「この画面を見ていただきたいんですが、今はこの実験場の映像が写されてますね。それでここをタップすると・・・。」

ロボットは長岡が捜査していないにも関わらず、あちこちにある障害物を避けながら移動していた。

「このように、決められたエリア内でしたら、自動掃除機のように障害物を避けて、自らの判断で動くことができます。さらにこうやってターゲットを指定して行動を指定してやると・・・。」

ロボットは骨組みだけのアームで指定された箱を持ち上げ、別の場所に移動させた。

「こうして簡単な動きを行えます。現在ではさらに複雑な行動パターンを製作中なんですが・・・ここで手違いが起こってしまいました。登録されたエリア以外のデータがインプットされていて、消去するのを忘れていたんです。」

「それが市庁舎付近だったと?」

「あ、はい。これ見てください。データの混入が10日ほど前になってます。」

「しかしあのロボットはスウェットフードパーカーにデニムという姿でした。それはどういうことで?」

長岡はそこで頭をかいた。

「それが・・・私どもにも全くわからんとですよ。あれはここにもあるようにむき出しなんです。実はついさきほど、ここからロボットが一体なくなっていることが見つかりました。たぶんそれだとは思うんですけど。」

さっき長岡が出てきたところに、置いてあったということか。

「わかりました。警察までご同行願いますか。あのロボットを見ていただきたい。」

「も、もちろんです。いいね、長岡くん。私も行くんでしょ?」

もちろん社長も動向してもらわなければならなかったので、大山は頷いた。この一件、思ったより複雑そうだった。



『・・・で、結局そこのロボットだったの?』

「ああ。使用しているパーツの製造番号が一致した。林田化学で作られたものだったよ。」

いつものように、大山は台湾にいるかおると話していた。画面の向こうにいるかおるは、着込んでいる大山とは違って白いTシャツ姿に短パン姿だった。台湾はすでに暑い。

白い生地の裏にはうっすらと胸の輪郭が透けて見える。今しがた風呂を済ませたのか、無造作にアップした髪から覗く汗が色っぽかった。

『でも、それをわざわざ服着せて、爆破予告されたところに走らせるって・・・どういう意図があるのかしら?』

「それがわからんとたい。あれはドローンで操作できるようになってるんだけど、どうやら技適基準以外にリセットされたものらしい。林田化学では技適のでしか製造されていないことは証明されている。誰かがあれを盗んで、改造したんだろうな。」

日本ではドローンは2.4GHか920MHでしか認められていないのだが、海外では5.8GHに設定されている。日本で使用するためには技術基準適合証明と技術基準適合認定のいずれかあるいは両者の認証を受けたものしか認められず、これを技適マークと呼ばれるものが刻印されている。

しかし盗難されたロボットは海外仕様に書き換えられていたようだ。

『でも、普通に考えても爆破予告犯がやったとしか考えられないわよね。どうなってるのかしらねえ。』

かおるはタバコに火をつけて煙を吐いた。最近喫煙量が増えているようだ。

『で、パーカーとかデニムの出所はわかったの?』

大山は冷えた発泡酒を半分くらい一気に空けて、ため息をついた。

「いや、まだだ。ちょっと前のものらしくてな。特定に時間かかってる。それと、話は変わるけど、明日あいつが戻ってくるぞ。」

『あいつって?』

「ほら、カザフスタンで仕事してる尾加田だよ。さっき連絡あった。仕事の合間に、ちょっと会ってくる。」

尾加田剛のことはかおるもよく知っていた。高校卒業してからすぐに韓国に出て行って、そこから徐々に中央アジアに進出していった貿易商だったはずだ。帰国したときには何回か3人で会っていた。

『あら、そうなんだ。今度は、あたしは会えないわね。よろしく伝えといて。』

大山はかおるとの会話を終え、スマホを見た。

『今、上海にいる。明日の昼には川北に戻れそうだ。飯しないか?面白い話もあるぞ。』

こいつが面白いという時に限ってロクなことはない。一度なんか絶対儲かると言っていた商売相手が、まさかの国際手配された闇市場の顔役だったので、大山が慌ててダメ出しをしてやめさせたこともあった。色々と面倒をやらかす奴だったのだが、大山とは妙に切れない関係でもあった。

かおると話した翌日、大山は空港に来ていた。山の麓にある空港で、県内に空港は2か所あるがメインはこちらだった。ローカルの小さな空港なのだが、一応国際線もあって台湾などへ発着できるようになっていた。尾加田はその台湾経由で県入りするはずだった。

やがて到着口の扉が開き、ゾロゾロと歩いてくる中に、一人黒光りしてサングラスをかけ、寒いのに黒いポロシャツにブルーデニム、ブーツにターバンという、やたら目立つ髭の男が見えた。


遠目で確認してもわかるほどにマッチョだった。

「おおい、こっちだ!」

大山は両手を振って合図した。その男は大山を確認すると、中身がぎっしり詰まっている巨大なリュックを片手で持ち上げて大声をあげた。

「うおーい!」

並みの力ではなかった。相当に筋トレやっているようだ。

「うっす、久しぶりだな!」

大山は尾加田と握手したが、顔をしかめて振り払った。

「痛え!・・・相変わらず容赦ない!」

尾加田は背も高く、一時はプロレスにも勧誘されたこともある。大山よりは10センチほどでかい。尾加田は以前からこうして大山をイジっては喜んでいた。

「がははは!相変わらず弱いのお。鍛えとるんか?そんなこっちゃ警官やっとれんぞ!」

大山は右手を振りながら顔をしかめた。

「馬鹿。お前が馬鹿力すぎるんだよ。貿易なんざやめて、とっととプロレスやれ。コネならあるぞ。」

「プロレスは儲からんし、あんな痛い思いする意味がわからん。あのマットも痛いし、ロープワークにいたっては・・・。」

何だかんだ言いながら、一度はチャレンジしてるじゃないかとわかり、大山は苦笑した。

「まあいい。今回はどのくらいいるんだ?」

「ああ・・・まあ、当分いる・・・かな。」

「カザフは?会社、まだやってんだろ?」

「まあ・・・そのことなんだよ、帰国したんはさ。どっかで飯食いながら話さないか。」

大山と尾加田は空港を離れ、川北市内にある『カトレア』に向かった。ここは2人が高校時代によくお忍びで通っていたところで、今では大山のネタ元になっていた。ここでの会合は一切他に漏れないので、ネタ屋と会うときにもたまに使っていた。

大山はいつものビジネスランチだったが、尾加田はカツカレーの大盛600gを注文し、あっという間にたいらげた。

「・・・相変わらず食うなあ。」

「いやあ、懐かしい!ここのカツカレーは世界一ばい!」

そもそもカツカレーは日本のものだがと思いながらも、やっと地元弁が出てきたところで、大山はコーヒーを頼んだ。

「で?お前が帰ってきた訳、訊かせてもらおうか?どうせ色々あんだろ?」

尾加田はコーヒーをうまそうに一口すすると、ニヤリと笑った。

「まあな。お前に隠しても始まらん。聴いてくれ。」

尾加田は葉巻に火をつけ、煙のスクリーンに映像を見ているかのように話し始めた。尾加田がカザフスタンに行ったのは、そもそもが貿易会社勤務だった時代にカザフスタンが旧ソ連から独立し、狙い目と見た上司が尾加田を派遣したことからだった。

混乱期には様々な物資が必要となる。混乱していて、秩序がかすかに見えだしたほどの地域が、この音の性に合ったようだ。尾加田は様々な重機を輸入し、売りまくった。

カザフという土地に住む人々の、日本人が亡くしたとさえ思える優しさが身に沁み、地元の人々と懇意になっていき、やがて独立するようになった。

「俺はさ、前世はカザフだったかもしれないとさえ思うようになった。モスクワは性に合わんかったが、カザフは違った。あのおおらかで他人に対する思いやりは・・・この国では感じたことがなかった。」

尾加田も大山も、高校時代にはそれなりに荒れていた。非行ではなかったが、十分不良ではあった。大山は両親の離婚が原因だったが、尾加田は別のことだったようだ。カザフスタンの大地が醸し出す思いやりに、この男は救われたのだろう。

「そこまで良かったんなら、なぜ帰ってきたんだ?」

「まあ焦るな。ここからだよ。」

尾加田は現地の女性と結婚し、子供もできて日本人とカザフスタンを繋ぐ役目を担うようになっていった。その頃、中華人民共和国から一人の男がカザフスタンにやってきて、尾加田と会った。その男の右耳は半分千切れていた。

その頃の中国は鄧小平支配下で天安門事件などが起こっていた。共産党独裁下でありながら市場経済を導入し、ゆえにこういった事件も起こっていた。

男は周浩宇チョウハオユーと名乗った。周浩宇は現政権下で上層部と揉めたため、中央アジアで一旗上げようと思ったと語った。

「こいつがさ・・・とんでもない奴だったんだよ。」

尾加田はこの周と気が合い、やがて共同事業をやろうということになった。当初は良好だったのだが、あるときから急激に周の態度が変化したらしかった。

「どう変わったんだ?カネか?」

「まあな・・・カネだけならまだしもな。」

周が持ってきたのは、カザフスタンの最大都市アルマトイにいた歴史学者セルゲイ・カディロフからの依頼だった。

カディロフは古代スキタイ文化の研究者だったが、とある文献に、サルイイシコトラウ砂漠のどこかに、バベルの塔のモデル遺跡が眠っており、そこには古代インド神話に登場するシヴァと思われる悪魔の蔵があると記してあると言っていた。

「シヴァったら、ヴィシュヌとかカーリーとかと、あとえーっと・・・。」

「そんなとこだ。全部言えんだろうからもういい。」

さほど歴史にも地理にも詳しくない大山は、しばらく黙っておくことにした。


7 


「シヴァは、華国では大黒天だ。その姿は人型だが、本来のシヴァは牛頭だったと言われている。モヘンジョダロ史跡にはそれを物語る細工が残っている。その牛頭のシヴァが、実はカザフスタンが発症ではないかとカディロフは言ってるんだ。もしそうなら、これはすごい儲けになるぞ。世界中の考古学者や宗教学者がこぞって買うだろうに、博物館という手もある。どうだ、やらないか。」

周が尾加田に持ち掛けたのは、こういう話だった。周という男の嗅覚は大したものだったし、それまでも尾加田は周と組むことで随分と儲けていたので、何の疑問もなく飛びついた。

尾加田はシヴァ神がヒンドゥー教における破壊再生神であることは知っていた。そして救済神がヴィシュヌであり、ブラフマーが創造神で、これにシヴァが加わって三神一体トリムーニティとなって宇宙が構成されるというものも知っていた。

カザフスタンは中国の西方、インドの北方に位置しており、なおかつ中東にも近い。ここから派生したシヴァの原型が西方に伝われば牛頭悪魔モラクスとなり、東方に伝われば大黒天となり、そして南方に伝わってシヴァとなったとカディロフは主張していた。

世界各国の神話には必ず源流があり、そこから派生したものが地域ごと民族ごとに変形して伝えられている。馬小屋でイエスが誕生した伝説が日本に伝われば、聖徳太子が厩戸皇子となったように。

周のコネでアルマトイにあるカディロフのオフィスに赴いた尾加田は、カディロフからこのような説明を受け、彼の説によるとサルイイシコトラウ砂漠にあるはずだと聞かされた。

「サルイイシコトラウ砂漠だって?あんなとこに?」

「そうだよ、オカダくん。」

サルイイシコトラウ砂漠はアルマトイの北方にあって、広大である。カディロフによれば、このあたりに牛に関する様々な逸話伝説を多く聴いたらしかった。長年スキタイ文化について研究していたカディロフにとって、それは自然な流れだったという。

スキタイは現ウクライナを中心に活動していた騎馬民族である。当時馬を駆使できるということは絶対的だった。馬を操れば遠方にも行けるし、当然ながら伝説も伝わりやすい。

「お願いだ、オカダくん。シヴァの源流を探ってはくれまいか。前金として1億テンゲ出そう。叶ったら2億だ。どうかね?」

前金で2400万円、報酬で4800万円、計7200万円。日本円ではまあまあだが、このあたりでは大金である。発掘品の買い取りについては後ほど交渉するとして、とりあえず尾加田はオッケーして、早速発掘に取り掛かった。

尾加田は周にチームづくりを依頼して、その中から尾加田が選抜して調査チームを作った。これはかなり気を使い、信用できると思える連中をチョイスした。こういう土地では、しっかりと仲間になっておかなければ恐ろしい。幸いカザフというところは、一旦仲間意識を持てばありとあらゆる親切をしてくれる。

その間にも尾加田と周は、カディロフと密に話し合った。カディロフの説によると、サルイイシコトラウ砂漠のクラクス近辺ではないかと言うことだった。尾加田らはクラクス付近でキャンプを設置し、カディロフが用意した地図を頼りに探り始めた。この地図は伝説の錬金術師であるジャービル・ブン・ハイヤーンのものだとカディロフは主張していたが、尾加田にはどうでもいいことだった。


一か月ほど過ぎた頃、動きがあった。古代西トルキスタンで栄えたカラハン朝関連の遺跡に何かありそうだという情報が入ってきたのだ。それは周が探してきた、先祖がシルクロード商人だったという男の家にあった絵だ。そこには明らかにバベルの塔に似ていたものが描かれており、そこに牛頭の者が入っていく様が描かれていたのだ。

それからさらに時間をかけて発掘作業していたときに、ついにそれらしい遺跡を尾加田たちは発見した。

「え?あったんか?」

「ああ。砂に埋もれてたが、塔のてっぺんあたりが見つかってな。そこにあったんだよ、牛頭の絵が。」

冒頭のように尾加田が発掘したのは、砂に埋もれて丘になっていた、巨大な塔だった。後に判明したことだが、この塔の高さは30mほど。現在でも中東各地には大小の塔が見られるが、これほど巨大なものは見られない。

バベルの塔自体は、旧約聖書創世記に登場するわずかな文言にしか語られていない。主に人間の思い上がりの象徴としてキリスト教では扱われてきていたが、カディロフは彼なりの解釈を行っていた。

カディロフによれば、バベルの塔というものは何らかの業績をあげたノアを称えるために子孫が建立した塔なのではないかというものだった。旧約聖書によれば、バベルの塔が建立されたのはノアによる洪水脱出物語から、神による人類救済のための預言者として選ばれたアブラハム登場の間となる。ノアとノアの子孫はおそらく絶対的な権力を得ていたのではないかとカディロフは推測していた。

しかしそうなると、必然的にもうひとつの勢力と衝突することになる。カディロフはその勢力が、モーゼがシナイ山で啓示を受けたとされるユダヤ教の勢力だったのではないかとも語っていた。彼らが各地に建設した塔は、ノア子孫一派の、一種の『城塞』というものだったのではないかとも。

宗教が絶対的な存在として民衆に君臨していた古代においては、対立するものは全て悪という扱いにすることができる。宗教側はそれを巧妙に用いて民衆の心を引き寄せ、その結果ノア一派は駆逐され、塔は破壊された、と考えることが自然であろう。

バベルの塔は神を越えようとした、つまりユダヤ教勢力を越えようとした『破壊のシンボル』として位置づけされるようになったと考えれば自然なのではないかとカディロフは考えた。

そうなると、当然ながらそこにあるものは全て『悪魔のもの』として記述されるようになる。ここにある塔がもしバベルの塔と同じようなものだとして、ここに悪魔・・・破壊の神があると考えることは合理的だ。

周はその考えに大いに関心を示し、だとすればここには相当な秘宝もしくは資料が眠っていることになると考えた。砂を全部除去することは困難だったため、尾加田たちは周の意見に従って、バベルの塔が城塞だったと仮定して入り口を推測して掘り進め、それらしいものを発見した。

「これは・・・動くぞ?」

尾加田たちが侵入したのは、頂点付近にある岩のズレからだった。そのズレにピッケルを差し込み、数人がかりで捻るとギギギと擦れる音と共に畳二畳程度の岩が内部に落ちた。かなり頑丈に組まれていたようで、内部からは砂が舞い上がることはなかった。

「よし。」

尾加田は中を覗き込み、塔の内部に入っていった。


8 


 大山は最近始めた電子タバコを取り出し、咥えた。フレーバーのある蒸気を吸い込み、長く時間をかけて吐き出した。

「なんだか、とんでもない話だな。」

「まあな。俺の向こうでの生活なんざ、多かれ少なかれそんなもんだ。知力体力気力がないと生きていけん。おかげで、こうなっちまったがな。」

尾加田は右腕に力こぶを作ってみせた。まるでポパイのような筋肉の塊が盛り上がった。もう少し若ければ、どこかのローカルプロレス団体にならすぐ入れそうだ。

「おおっと。すげえなそりゃ。で、それからどうなったんだ?」

塔の内部には螺旋状になった階段が壁に沿ってつくってあり、最上階は6畳ほどのスペースとなっており、会談で下ることができた。尾加田はライトを持って階段を降りようとした。

「そこまでだ。」

尾加田の背後にいた周の現地語だった。


周の背後には、それまで親しくしていた仲間たちもいた。

「周、どういうこった?」

周はさきほど岩をこじ開けたピッケルを持ち、鋭い目で尾加田を見ていた。その目は尾加田が知っている周のものではなかった。周は軽く口角をあげ、カザフ語ではなく・・・れっきとした日本語で答えた。

「中国人になりきるには大変だったぞ。」

「お前、日本人か!」

周、いや誰かわからない日本人は鋭い目つきのまま、尾加田の足元をチラと見た。

「悪いな。カザフには日本人はまだまだ少数だ。結構な確率でターゲットになっちまったな。」

男は背後にいた、ついさっきまでチームだった連中にアゴでなにかを促した。おそらくはこいつらは最初からつるんでいたのだろう。無表情で尾加田にジリジリと迫ってきた。明らかに殺られる場面だ。

「なんてこった・・・それでよく逃げれたな。どうやったんだ?」

大山でなくても気になるところだ。

「俺を甘く見るなよ。あんなとこで金儲けするんだ、それなりの用意はしてあるさ。」

尾加田は首に巻いていたシュマグを、そっと鼻を隠すように上にあげた。これは砂漠ではマスク代わりになる便利ものだ。そして左手に巻いているアームカバーを少しだけずらせた。

男たちは一人が拳銃を構え、残りはロープや棒を持って迫ってきていた。およそ50センチ付近までギリギリ引き寄せたところで、尾加田は左腕を男たちにむけて突き出した。すばやくゴーグルを下げて目をカバーし、腕カバーから赤い液体が周囲に拡散された。

「ギャア!」

男たちは一斉に目や鼻を抑えてもだえ出した。バタバタと倒れて苦しんでいた。

「な、なんだそりゃ?」

「非常用に仕込んでおいた、濃縮タバスコにハバネロ濃縮液を混ぜた殺虫剤だよ。虫にも蛇にも人間にもよーく効く。」

尾加田は倒れて苦しんでいる男たちの間を素早く走り、入り口を目指した。その前に、拳銃やピッケルは取り上げておいた。

「ん?」

かつて周だと思っていた男はまだ目を押さえて苦しんでいたのだが、横に何か見えた。それは何かと周が中に手を入れていた黒い袋だったことは覚えていた。尾加田はその袋をそっと掴み、外に出て走り出した。そして移動用の四駆に乗って事務所に戻り、大急ぎで出国の準備をした。親しい奴はいたものの、あれだけ慎重に集めたメンバーが実は周に雇われていたという事実があった。誰が味方で誰が敵なのかわからない状態では、ただただ危険だ。

尾加田は素早く身の回りの身分を示すものをバスタブで焼却し、預金を全て日本の自前口座に送金した。そして四駆を飛ばして空港に向かい、登場手続きの前にあの袋を開いて調べた。中には結構な量のカネと、名刺入れサイズ程度の小物入れがあった。

尾加田はその小物入れを開けてみた。

「なんだあ?」

そこにあったのは、金色の像だったのだが、その姿はあまりにも異形だった。牛頭であることからシヴァかとも思えるが、なぜか着物のようなものを羽織っており、さらには腕が8本ある。顔には牙が生えており、手には槍を持っていた。


さらに箱には紙が折りたたんで敷かれており、尾加田はそれを広げてみた。A5サイズの紙にはおそらくヒンドゥー語と思われる文字が細かく書かれていた。尾加田はインド語には堪能ではなかったので閉じようとしたが、文末にローマ字で書かれていた、おそらくはサインと思われるものに目が止まった。

『SHOZO MASUOKA』

マスオカショウゾウというのが周の本名だったようだ。しかしそれ以上詳しく見る時間もなく、尾加田はカザフを後にした。

「はー・・・まあ色々あったんやなあ。」

「ああ。いきなり日本に帰ると狙われやすいと思ってさ、ジャカルタから上海経由で戻って来たってとこ。で、お前に連絡して・・・。」

「その、マスオカショウゾウを調べろってんだろ?」

「話早えー。助かるわ。そもそもさ、何で俺が狙われなくちゃならんのか、意味がわからん。あの牛頭のシヴァはどうなったんだ?それをぜひ知りたい。そして大儲けしたい。」

「・・・懲りないな、お前は!わかった。だが警察で調べたらお前も捜査対象になる。ここはかおるに任せるとしよう。」

市庁舎爆破といい、尾加田の件といい、ますます面倒になってきたようだ。


9 


「え、明日?」

『そ。一昨日決まってね。大変。』

大山はメッセンジャー電話しながら、飲みかけのビールを吹きそうになった。かおるの部屋は、いたるところで帰り支度している途中だった。

「にしても急やな。俺は嬉しいが。」

かおるは白いシャツにブルーパンツであって、例によって大きな胸がパンパンだった。

『うん。まあねえ・・・。』

「どした?」

『こっちでちょっとね、居心地悪いようになっちゃってさ。』

「何かあったんか?」

かおるが言うには、台湾マフィア絡みの件に引っ掛かってしまい、全く動きが取れなくなってしまったらしい。調査の依頼人が海に浮いていて、気がついたら部屋は荒らされ、行く先々にヤバそうな男女が常に見張っているようになっていたようだ。

「そりゃいかんな。大丈夫か?」

『うん、とりあえずこっちの警察にもコネあってね。帰国するまでガードしてもらってる。明日は朝一の便で帰るね。部屋はちゃんと片付けて・・・ないわねえ、やっぱり。』

あっちからも大山の部屋は見れる。いつも片付けろとうるさい。

「俺のとこはいいだろ。帰ったら、また色々頼むわ。」

『わかった。休む暇はないってことね、つまり。』

大山はかおるとの通信を終え、ボロボロの皮システム手帳を開いた。長年使っているものなので、手放せないでいる。真新しいページを開くと、そこには最近の調査結果がランダムに描かれていた。

尾加田のマスオカショウゾウについては全くだったが、今調べることは林田化学の長岡が製造したロボットがなぜ市庁舎で、わざわざパーカーやズボンを履かせてまで走らせていたのかということだった。これまで調べたところでは、問題の服については、どうやら川北市東部に位置する東一重市のリサイクルショップから購入されたものらしいことはわかった。

しかしこれを購入したと思われたのは大学生だったのだが、この男はすぐにネットオークションで売ってしまい、足取りはそこで止まってしまっていた。売った相手というのが、どう探しても見つからないのだ。手元に届いているはずの日から行方不明になっていた。

売却相手はアーダルベルト・スズキという日独ハーフの男なのだが、この男はすでに川北大学に留学期間を終え、ドイツに帰っていた。しかもそれは、事件の1年も前のことだった。問い合わせてはいるが、遅々として何もわからなかった。

もう一つの情報は誰がデータを改ざんしたのかということだった。あのドローンはおそらくアメリカ製ではないかと言うことだったが、林田化学の防犯カメラには何も映っていなかった。というか、この映像ですら怪しかった。誰かが、映像データを故意に入れ込んだとしか思えなかったのだ。

事件は混沌としていた。

(どうしてこう訳わからん事件が続くんだ?平和で暇な川北市だったのに、なんでいきなりなんだろう。)

いくら考えても思いつかない。大山はかおるが、まだ大山が全てを知るには早いと言っていたことを思い出した。これも意味がわからない。

(何がどうなっているんだろう。)

大山はいつもの発泡酒を開け、一気に半分以上を干した。しかしイライラは解消しなかった。酔いも遅そうだ。仕方なく、大山はテレビのスイッチを入れた。夜も遅かったし、大して面白い番組があるはずもない。

適当にチャンネルを変えながらぼうっとしていたが、今見ている日本史関連の番組があまりにもダルいので変えようとして、リモコンを画面に向けてスイッチを入れようとしたときだった。

「ん?」

大山はリモコンを置いて画面にくぎ付けになった。そこではどこかの学者が、新たな遺跡を発掘したというものだったが、大山の目に止まったのはその学者が得意そうに紹介していた遺跡ではなく、学者の胸にあるバッジが発掘物を持ち上げたときにズームインして見えた、学者の胸にあるバッジだった。

大山は気になって、タイムシフトで再生してみた。そのシーンまで飛ばし、ストップさせた。

「おいおいおい・・・こりゃ、牛の頭じゃないか?」

この学者の胸にあったバッジは、牛の頭に8本の腕がある、一見悪魔風なデザインだった。大山は慌ててスマホで番組データを調べてみた。

「藤桜大学新解考古学教授、山高梅良・・・か。こりゃ探らないといけないか?」

どのみち市庁舎爆破の件は遅々として進んでいない。気晴らしにこっちを調べてみるのもいいかなと判断した。それに、尾加田の件といい、爆破予告にあった奇妙な名前『しばとう』ということもまるでわかっていないのだ。

かおるが言っていた『自分にはまだ知るには早い』というコメントも気になっていた。とにかく現状を打破しないとどうにもならない。大山はもう一缶発泡酒を開けてベッドに入った。


10 


「山高梅良?大学教授?それとこの件とどう関係あるとや?」

山内は大山の申し出に唖然としていた。急に神奈川まで行かせてほしいと申し出てきたので理由を聴いたら訳わからない理由だったのだ。普段はこのようなことは絶対に言わない大山なので、余計驚いた。

「はあ・・・自分でもよくわからんとです。あえて申せば、ここしばらく自分の周りで起きていることが、漠然とですが、共通点があるような気がしてですね。」

「なんや、そら。」

「ヤマさん、訊いてあげなよ。」

例によって汐田も来ていた。ここしばらくは、山内に横には必ずこのベテラン鑑定士がいた。

「汐さん、なんで?」

「だってさ、ここしばらくの変な事件は、全部大さんが解決してきているじゃないか。結果はどうであれ、な。この人の勘に頼ってもいいんじゃない?」

確かに汐田の言う通りだった。妙な事件ばかりだったが、結果的に大山が終束させてきていた。

「まあ・・・よかろう。ただし、絶対に何らかの鍵は見つけてこい。でなきゃ予算降りないぞ。」

という訳で、大山は上京することになったのだが、同行したのはかおるだった。台湾から帰国してすぐに、大山からことの顛末を聴いて即決していたのだ。

「旅費は出ねえぞ。」

「いいのよ。叔父さんからの依頼事項があるから、ついでに。」

2人は川北空港から羽田に向かって飛んだ。飛行中大山は、眠っているパートナーかおるの横顔を見て、こうやって2人で旅行するのなんて初めてだと気がついた。もう付き合って2年になるのに1回も旅行したことがなかった。2人の職業上仕方ないことではあったのだが、これって新婚旅行っぽいなと、ふと思ったりした。

羽田についた2人は、一旦新宿のニューライスホテルにチェックインした。かおるは鎌倉にある親戚の家に向かい、大山は鎌倉の先にある静岡との県境に向かった。JR湘南新宿ライン特別快速に乗って小田原に向かい、平塚で乗り換えて熱海線に乗り換え、30分ほどで着いた。

山高梅良が新解考古学教授を務める藤桜大学は深い森の中にあった。山奥に建てられたこの大学は、日本史研究に特化した大学だった。真新しい校舎に入り、総務課で許可を取った。山高教授にはすでにアポを取ってある。

大山が案内された新解考古学研究室は、本舎の隣に建てられた別棟にあった。

(えー、単独で一棟占めているのか。)

そう思いながら大山が案内されたところは、いたって広めのスペースだった。周囲には見たこともない肖像画や地図、奇妙な仏像などがアトリエの様に陳列されていた。綺麗に置かれているのが、逆に妙な怖さを感じさせた。

「お待たせいたしました。山高です。」

背後から急に声が聴こえたため、大山は一瞬驚いた。振り向くと、細身で長身のブロンズヘアーの男が立っていた。テレビで見た、山高梅良だった。

「お時間いただき、感謝します。川北署の大山です。」

2人は形式通りに名刺交換して、そこにあったソファに座った。

「先生、失礼ですがお名前は何とお呼びすればよろしいでしょうか?」

「ああ・・・よく言われます。梅良と書いて、『うめお』と読みます。父親が梅干し生産者だったものですからそう名付けたそうです。紛らわしいですよね。」

山高はそう言うと、コーヒーを持ってくるよう秘書に指示した。


コーヒーが来る前に、大山は早速本題に入った。

まず、今回来ることになった理由を説明した。

山高は頷いて聴いていたが、特に尾加田の話になると身を乗り出してきた。

「シヴァの原型ですって?」

「先生なら当然ご存じとは思いますが、カザフにあるとか。」

「ええ、そういう説があることは存じております。セルゲイ・カディロフというカザフの歴史学者が提唱してはいますが、確証はないとも聞いております。私は『大黒天研究会』のメンバーで、カディロフもメンバーです。」

「え?大黒天研究会ですって?」

「ええ、このシンブルがマークです。各国にありまして、それぞれ名称は異なっておりますが。」

山高が大山に見せたのは、テレビで見たあのバッジと同じマークの小冊子だった。

「先生、実は今回お時間いただいたのは、テレビでこれ見たからなんですよ。これって、大黒天・・・なんですか?私が知っている大黒天って、ふくやかでニコニコしてるイメージしかないんですが、これはちょっと・・・。」

山高は大山の顔を見て、大笑いした。

「あっはっは。警部さん、大黒天ってそもそも何かご存じですか?」

「ええと・・・ふくよかで七福神のひとりで・・・。」

「日本では確かにそう伝えられています。ですが大黒天とは、そもそもインドのシヴァ神・・・つまり破壊の神です。」

「え?・・・ってことは、これって?」

「はい、これはシヴァの最も狂暴な一面を表したもので、降閻魔尊とも言われています。別名大威徳明王。強力な魔除けですよ。私たちはシヴァという破壊神が中国や日本でどう変化し、私たちの間でどう影響を与え、信仰されて来たかを探る研究を行っています。日本においては、こうした暖かくふくよかな神様のイメージになってますよね。」

大山はそこでやっと思い出した。確か尾加田もそのようなことを言っていたが、全く入ってこなかったのだ。

「そうでした!やっと思い出しました。それでお伺いしたかったことが、この、ええと、大威徳明王に関することで、何か気になることとかございませんでしょうか?」

「え?気になること?なんですか、それ。」

大山は尾加田の件について話した。例のロボット事件とは関係ないが、とにかく何でも知っておきたかった。

「そのような方がいらっしゃったのですか。私もぜひお会いしてみたいですなあ。さて・・・気になること・・・ねえ・・・あえて申すならば、ついこの間のことなのですが、小耳に挟んだことくらい・・・でしょうかねえ。」

「なんです?」

「私も詳しいことはまだ存じあげないのですが・・・ゾロアスター教というものはご存じですかな?」

「いえ・・・それは?」

「カザフスタンあたりの宗教です。このあたりに西暦226年頃、ササン朝ペルシャが建国されたんです。このササン朝というものは強力な独裁国家でしてね、それまで曖昧な関係だった多宗教を徹底的に弾圧してゾロアスター教のみを国教と定めました。これ以降、ゾロアスター教におけるアーリマンという悪神が敵対していたインドでは善神になり、それまで破壊のみだったアーリマンが世を救う神となって東方へ伝わり、大黒天となって日本にも定着したのではないかとされる説があります。この説を熱心に信奉している教団があるという話なのです。」

つまり、山高の話では古代の政治的対立によって、敵の悪神がこっちでは善神となって日本にまで伝わったということなのだ。

「その・・・教団と申しますと、どのような活動を?名前は?」

「その活動が問題なのですよ。伝え聞いた話によると、彼らはシヴァの本体とされる牛頭の神を掲げ、善悪を合体させて世界統一を行おうとしていると・・・。」

「え?どういうことです?」

「はい、彼らによると、この絶対神を創造することができれば、いかなる既存宗教に勝る力の神と喧伝できるそうです。そのために絶対神を発掘して、そこを聖地にしたいようです。彼らによると、それは絶対にカザフにあると。・・・とまあ、こういう戯言ではあるのですがね。」

大山は正直、ガッカリした。このレベルならば大したことではないのだ。

「しかし、これはちょっと気になることなのですが・・・。」

「なんです?」

「彼らは絶対神を掲げて各地で破壊活動を行い、その力を世界に知らしめると計画していると聞きました。しかしそれが確実な話かどうかはわかりません。ただ、そのための実験は行おうとしているとも聞きました。そして彼らを率いているのは、日本人らしいのです。日本でテロまがいのことをやろうとしているとも・・・。」

「なんですって?それじゃ宗教過激派じゃないですか!公安が扱う件ですよ。」

まさかの展開になりそうだった。ここはもっと詳しく掘り下げておかなければならないと大山は思った。ひょっとしたら、大山が追っているあの事件と関係あるのかもしれない。


11  


「あ、刑事さん。これはあくまで単なる冗談だと思いますよ。だって今どき宗教で動く世の中ではありませんよ。バチカンがガリレオに謝罪し、ムスリムが酒を飲み、マサイ族がタブレットを使いこなすのですよ。気になることは何かと聴かれましたからお答えはいたしましたけど、真に受けないでください。」

山高は慌てて大山に懇願した。こんなことを自分が喋ったなどと言われても困るからだ。

「いや先生、私も以前なら一笑に付していたと思います。しかし、あまりにも偶然すぎるんですよ。実は私の所轄でこのような事件が起こっています。」

大山は市庁舎爆破予告と林田化学製ロボットの件を話した。

「これは私個人としてはテロと考えていいと思います。しかしただの悪戯かもしれない。そこに友人のカザフの件があり、そして私はテレビで先生を見て、今こうしてここにいます。自分にはどうしてもただの悪戯とも思えんとですよ。」

興奮してきたのか、大山は地方弁が出てきてしまった。山高はしばらく目を見開いて大山の話を聴いていたが、深くため息をついてソファに寄りかかり、冷めてしまったコーヒーを一気に飲んだ。そして大山をチラ見してから、身を大山の方に乗り出してきた。

「刑事さん。あなたなら、私の説をお話してもいいようです。ですが、ここではできません。川北市まで行きます。予定は全てキャンセルします。」

「ええ?先生。どうしてそこまでなさるのですか?」

大山でなくとも驚くことだった。このような浮世離れした話を刑事が話し、学者がそれに同調しているのだ。しかもどうやら、捜査に協力しそうな雰囲気だ。

「詳しくは現場を見てからです。それに尾加田さんにもお話を伺いたい。」

山高はそれ以上決して自説を語らず、急いで川北に行くための準備を始めた。大山は特に帰郷日時を決めていたわけではないので、かおるに相談した。

「・・・ということでさ、急に帰るになりそうなんだわ。そっちはどうだ?」

『あたし、用事はもう済ませたからいつでもいいわよ。せっかくならその先生ともお話したいわね。食事する時間くらいはあるんでしょ?』

「そうだな、訊いてみるよ。」

大山とかおる、山高の3人は、山高の時間が空くのを待って都内のインド料理店で食事した。

各種カレーとナン、チーズナンなどを食べながら、3人はあえて今回の話題には触れないような雰囲気で会話した。

山高が現地でなければ話さないと言った以上、どうしようもないのは確かではあったが。

食事が終わり、ワインやシャンパンを飲んでいると、かおるが本当に突然に山高に話しかけた。

「山高先生、先生は前世体験ありますでしょう?」


大山は一番口にあう発泡酒を飲んでいたが、吹き出しそうになった。

「ちょ、ちょっと待て、かおる!お前、何言って・・・。」

「ありますよ。」

「え・・・えええええ?」

まるで示し合わせたかのような話し方だった。急に訊ねたかおるもそうだが、実にあっさりと答えた山高にも驚いた。

「よくおわかりになられましたね。あなたもですね。」

「はい。私は前の生き方をよく知っております。」

大山は夢なら醒めてくれと真剣に思った。

(なんでこんな会話が初対面でできるんだ?)

自分のパートナーが真剣に恐ろしく感じ始めた。

「あ・・・あの・・・俺にもわかるような話してもらえませんか?」

かおるは大山に向かってにっこりと笑った。

「ごめんね、タカちゃん。あなたにはまだ早いって言ったのはこういうことなのよ。この世界にまだ慣れてないでしょ?」

「こ、この世界?どういう意味なんだよ。」

「まあまあ・・・刑事さん、私もまさかとは思いましたが、私の説というのはこういうことなんですよ。」

こういうことと言われても、それすら全然理解できなかった。

「詳しいことは川北に行ってからになりますが・・・今までお伺いした部分だけでお話いたしますが、ゾロアスター教というものがあります。私はこれが世界最古の、体系だった宗教ではないかと考えているんですよ。つまり人間の知恵と感性で構築された世界観です。古くはエジプト宗教もありますが、ゾロアスター教においては、後のキリスト教やイスラム教のベースとなる明確な悪と神という対立構造が存在しており、これは人間が自己防衛という生物本能を文化として体系化したすごいものなんですよ。そしてさらに共通なのが、転生という概念がある。古代エジプトでは同じ肉体が蘇るという概念でしたが、この考え方は画期的です。」

大山はたぶん6本目となる発泡酒を一気に飲んだ。いつもならとっくの昔に酔っているところなのだが、今宵は全く酔いが感じられなかった。

「す、すみません。俺にはもう何が何やら全く・・・それはまあいずれ、この人に訊くとして、その前世体験とか転生とかと、今回の事件とどう関係あるってんです?」

かおるは、テーブルに置いている大山の左手をそっと下に降ろした。

「落ち着いて、タカちゃん。」

「あ・・・ああ。」

夢の中にいる感覚は変わらなかったが、少しだけ気持ちが落ち着いてはきた。

「つまり、市庁舎爆破犯人、シヴァとの間には相関関係があると私は思っているのですよ。それを繋ぐのがゾロアスター教です。」

またまた理解不能な言葉が山高から聞かされた。何でもいいから、何らかのきっかけになればいいと思って尋ねてきた先で、まさかこのようなことになろうとは。

「すみません、俺にはやっぱり全然・・・。」

山高はスーツの裏から、メモ用紙を取り出した。

「刑事さん、私が小耳に挟んだ過激思想集団のこと、覚えてらっしゃいますか?」

「あ、そりゃもう。」

「じゃあこれ、ご覧ください。」

山高はメモを大山に渡した。それは何かのサイトを小さくプリントアウトしたものだった。

「何ですこれ?英語で書かれているのでちょっと・・・。」

かおるは大山からプリントを取り、読んだ。

「タカちゃん、これちゃんと読んで。」

「いや、俺こういうのはちょっと・・・。」

かおるは表情を変えずに、読み上げた

「シヴァ原理主義教団・・・シヴァ・ファンダメンタル・オーガニゼーション・・・SFОって書いてある。」

「原理主義?そりゃひょっとして過激派か?」

「そうなんですよ、刑事さん。シヴァは破壊と同時に福を招く。つまり元来は我々が思う以上に強烈な力を持っているはずだと主張し、求める集団です。彼らは世界中で密かにテロ活動を行っているとも聞きます。単なる噂だとばっかり思っていましたけど、刑事さんのお話をお伺いして、これはちょっと・・・と。」


大山はやっと意味が掴めてきた。

「すると今回の事件もこいつらが関与している可能性があるってことですか?」

「現地に行ってみなければわからないと言いますのは、現地に隠された何かがあるかどうかなんですよ。あるとしたら、当然可能性は高いです。」

「タカちゃん・・・ここ見てちょうだい。」

かおるが指さしたところには、見たこともない紋章があった。

「なんだこりゃ・・・牛頭に・・・何か台形みたいな・・・これがどうした?」

「わたしはこれ見て、すぐ思いついたわ。先生これ、彼らのマークでしょ?意味は?」

大山はメガネを取り出してプリントを見た。

「これは、彼らのシンボルです。シヴァが秘密の塔に眠っているというね。」

「あ、それじゃ・・・。」

尾加田の事件というものは、彼らが関与している可能性が一気に高くなった。

「彼らは世界中にいます。ただその数は少ないらしいです。なにせキリスト教もイスラム教も敵に回しかねませんしね。彼らもそれは避けたいところでしょう。なので彼らはその社会においては、一見普通の生活を行い、秘密結社的な活動を行っています。それぞれの国では違った名称も使っていると聞いています。」

「英語表記以外でも?」「

「ドイツ、イタリア、フランス、ロシア、エジプト、スペイン・・・日本にもあります。」

「先生、日本では何と称しているんです?」

「シヴァを柴と呼び、原理主義とは名乗っていません。彼らはバベルの塔こそシヴァの原点であるとして、このマークにあるように塔を組み合わせて柴塔会と名乗っているようです。」

「え?せ、先生、今なんと・・・?」

「しばとうかい、です。」

「しばとう!そ、それだ!」

暗中模索だった捜査に、やっと光がさしてきた。


12 


大山たちは、山高と共に川北に帰ってきた。当然ながら、その間にはシヴァにまつわるエピソードを嫌というほどレクチャーされた。大山はいちいち驚いていたのだが、かおるは一切動揺することも驚くこともなく山高の話を聴いていた。

山高とかおるは最初から距離が近く、いきなり質問されても的確に答えていた。時おり転生だとか異次元とかの言葉が聴こえてはいたのだが、大山は自然と耳を閉じていた。

どうせ訊いたところで理解できないことはわかっていたからだが。

「先生、こちらが市庁舎です。」

山高が一刻も早く現場を見たいと言うので、ホテルにチェックインすることもなく彼らは川北市庁舎にタクシーで乗り付けてきた。山高は頷いて市庁舎周囲を歩き出した。荷物は大山が呼び出した羽間が抱えてついてきた。

山高はいきなり市庁舎の裏手に向かった。

「先生、どこに行かれるんです?」

「刑事さん、こうした庁舎というものは一部を除いて、秘匿すべきものは裏手にあるのですよ。まずはここからでしょう。」

山高はほとんど走るように裏手に向かい、そこは職員用お呼び公用車用のスペースとなっていた。割に広いので、市民団体が抗議したことがあったなと大山はぼんやり思い出していたのだが、急に山高が走り出した。かおるも大山も、荷物を抱えた羽間も山高の後を追って走った。

山高が目指していたのは、駐車場の隅に置いてあった石碑だった。まるで無限大マークのような形をしていて、両端の膨らみにくぼみがある。それはおそらく岩を削って作られたものであることは大山にもわかった。

山高は石碑の前に座って、大山に質問した。

「刑事さん、これは?」

「ええと、ちょっと担当者呼んできますね。」

大山は市役所に入り、知人の広報を呼んで連れてきた。

「この石碑ですか?これは元々、ここにあったものなんですよ。」

「すみません、この場所って元は何があったところなのですか?」

広報は山高と大山の顔を交互に見た。

「すみません・・・大山さん、こちらはどなたでしょう?」

「こちらは藤桜大学新解考古学教授の山高さんです。ここを調べたいとのことなので・・・。」

「大学の先生ですか。そんならよかでしょう。この市庁舎は10年前に移転したとですけど、元々ここには廃寺があったところです。相当な昔には妙なお寺があったみたいです。」

「妙な寺ですと?それはひょっとして天台密教系では?」

「はい・・・なんでおわかり?ここにあったのは金剛宝塔寺と言って、何でも牙を生やして腕がたくさんある、気持ち悪い仏像があったとです。細々と存続していましたけど、明治維新の廃仏でほとんど機能しなくなっていて、昭和になってからは完全に廃寺でした。それで市議会が、新庁舎移転のときにここを使おうと議決したんです。」

山高は後方職員の顔を見ることもなく、じっと石碑を見つめていた。何かを考えているようだった。そしてそのまま、山高は質問した。

「その時には、その仏像はありましたか?」

「ええまあ。だけどひどい有様で復元もできないということでしたので、それは焼却となりました。そのときに、その土台にあったものがこれだったんですよ。」

「これは・・・金剛杵ですね。」

「はい、そうです。それを磨いて、新庁舎のお守りにと置いたとです。」

山高は立ち上がり、市庁舎を見上げた。地方にしては珍しい5階建てのビルであり、上になるにつれ少し細くなっていた。そして広報に再び質問した。

「更地にするにあたって、特に問題とかはありませんでしたか?」

「さあ・・・私は特には聞いておりませんねえ。」

「それからもう一つ・・・寺の所有主や総本山に確認は間違いなくされましたか?」

「土地の所有者さんは、森さんという方でしたね。もうお亡くなりになられていて、お子さん方もいらっしゃいませんでした。総本山・・・ああ、そうだ。比叡山延暦寺さんにも問い合わせたんですが、延暦寺さんがお電話を変わられて、その先の方がそのような寺は記録にも一切残っておりませんと言われました。」

「記録にない・・・記録にない?いや、そんなはずはない。天台ならば全て把握しているはず。おかしい・・・。」

山高は少しの間考え、そして何かに気づいたようにはっと顔を上げた。

「あの・・・妙なことをお伺いするようですが、そのとき叡山に問い合わせされた方はどなたでしょう?」

「ああ、それは私ですよ。広報は大変なんですよねえ。そのときは延暦寺さんではなく、そうしたことを調査依頼されている、名前は忘れましたけど、どこかの会社の方でした。」

「それではそのとき、その会社の担当者は何か口ごもったりしておりませんでしたか?」

「確かに妙なことですねえ!口ごもった?うーん・・・ええと・・・口ごもりはされてませんでしたけど、ちょっとだけ引っ掛かったことがあります。記録はないと言われる前に、確かに『う』と言われたんですよ。意味がわからんかったんで、訊き返したことはありましたね。しかしそれが何か?」

山高は大山が急に黙ったので、顔を見た。心なしか青ざめていた。

「刑事さん、一旦戻りましょう。これ以上ここにいる必要はありません。」

「え?先生、もうよろしいんですか?」

さっさと歩き出した山高とかおるに代わって、大山は広報に今度飲みに行こうと挨拶すると慌てて羽間と追った。山高は市庁舎前で一旦歩を止め、見上げた。

「・・・厄介なことだ・・・。」

山高はホテルまでほとんど口をきかず、ずっと何かを考えているようだった。荷物を部屋に置き、山高は部屋の椅子に腰を下ろして、深くため息をついた。

「先生、もうお話聴かせていただいてよろしいですか?先生にはこれまでのことで何か掴めていらっしゃるんじゃないんですか?」

大山は少しばかりイライラしながら訊ねた。山高は首を振ってまたため息をついて、大山とかおるを見た。

「何から始めていいのやら・・・もう少し落ち着いてから・・・。」

「ダメです、先生。今でなければ遅くなります。取返しつかなくなりますよ。」

かおるが強めに口を出した。このような冷淡で強く言うかおるを見るのは、大山は初めてだった。

「おい、かおる・・・。」

「タカちゃんは黙ってて!」

大山も羽間も驚いて何も言えなくなった。山高は少しだけ笑みを浮かべ、かおるに話しかけた。

「そうですね、白水さん。仰る通りだ。今でなければ・・・な。刑事さん方、ソファにお座りください。」

山高が勧めるので、大山と羽間はソファに腰かけ、かおるはベッドに座った。山高はネクタイを緩め、黒いビジネスバッグを手元に寄せた。

「今から私がお話することは、多くの真実と少しの想像で構成されています。ご了承ください。」


13 


昭和50年、山高は宮本財団考古学研究所に入社したばかりの新人だった。宮本財団は骨董販売と古美術輸入で財を成した宮本源心が設立したもので、多くの骨董品を整備して価値をつけ、販売するための調査機関だった。宮本源心に心酔していた大学生だった山高は学生時代から何通も封書を送り、その熱意に感銘を受けた源心にスカウトされたのだった。

「梅良、前回の狩野正信足跡調査結果、見事だったぞ。修行時代の作があんな小屋に眠っていたとはな。」

山高は京で延暦寺を調べていたとき、偶然にも埋もれていた小屋を発見し、そこに狩野派の始祖とされる正信の、修行時代の失敗作を多数発見していた。源心は山高を気に入っており、自分の側近として置くまでにしていた。

「ありがとうございます。たまたま運が良かったです。」

「運も・・・実力だ。これは報酬だ。とっておけ。」

山高は分厚い封筒を無造作に手渡され、ドキドキした。

「あ、ありがとうございます、会長!」

「礼などいらん。お前には儲けさせてもらっておるのでな。ところで梅良、お前西パキスタンに行ってみないか。」

「西パキスタン?何かあるのですか?」

源心はかなり大きい地球儀を回し、インドの北西を示した。

「印パ戦争の後、ようやく政情も安定してきている。とは言え、まだキナ臭いがな。ここにお前に探し出してきてほしいものがある。」

「それは、一体?」

「ここだ。ここにある大黒天の原点を探してこい。」

「ここって・・・ここって・・・モヘンジョダロじゃないですか!ここに行けるんですか?」

「ああ、そうだ。本来シュメールがシヴァの原型だともいわれておるが、あそこのは牛の頭に蛇だ。ここがどうにも、私はひっかかる。インド神話では蛇は悪魔であり、ガルーダが蛇を喰らう。確かに原型はシュメールにあるのかもしれんが、私はなぜインドでシヴァが誕生したのかは明らかではないと思う。おそらくヒントはここにある。頼んだぞ。」

戦後復興が進み、高度成長期の日本とは言え、パキスタンに行くと言うことは簡単ではなかった。インダス文明の奇跡の遺跡であるモヘンジョダロは、世界中の考古学者や研究者にとってあこがれの場所でもあった。この頃源心はすでに発足したばかりの世界シヴァ研究会に所属し、大黒天研究会を立ち上げたばかりだった。

「私らは後発だ。何らかの手柄を持っておかないと世界から舐められる。ここに、大黒天のルーツがあるという説が根強くある。それを私らで発見しておかねばな。」

こうして若い山高梅良は単身西パキスタンに向かうことになった。モヘンジョダロに着いた山高は、財団が雇った学者らと協力しながら当時発見されたばかりの壁画を調査した。

確かにそこには牛頭と思われる絵が見受けられた。学者らによれば、シュメールと古代インドの間で戦争があり、そのときに文明の『交換』が行われた可能性が高いとのことだった。シュメールや中央アジアでは牛が少なかったらしく、一方のインドには豊富に牛がいた。戦争において、牛の角に松明を結わえて突入させるなどの戦法があったとしたら、シュメールにとって牛は悪魔であり、一方のインドにおいては聖なるものになったと仮定する学者もいた。だがいずれにせよ決定打は見つからなかった。

山高は失意のうちに帰国せざるを得なくなり、最後の夜にもう一度モヘンジョダロを目に焼き付けておこうと、すぐ近くにある宿のベランダから遺跡を眺めた。当時夜間は松明で周囲を照らしており、よく見えた。

世界シヴァ研究会の学者たちには山高ほどの熱意はなく、酒を飲んで寝入っていた。山高はこういう連中が学者を名乗っていることが許せなかった。酒だけではなく、飲む打つ買う全てを国費で享受していた。

自分が真面目すぎるのかもとも思ったが、極貧だった自分にチャンスを与えてくれた財団のことを思えば当然そうなる。日本に帰って何を報告すればいいのだろうか、とぼんやり考えていた山高だったが、松明に照らされた遺跡に何やら動く人影が見えた。

現地の人間も普通に出歩いているので不思議はないのだが、気になったのはそれが集団であって、申し合わせたように動いていたことだった。集団で動き、まるで魚群が大きな生物であるかのように人影が動いていた。

「・・・なんだあれは?」

山高は懐中電灯とカメラ、拳銃を持ってホテルを出て遺跡に向かった。着いたときにはすでに彼らの姿は見えなかった。山高は彼らがいたあたりに行き、明らかにそこが他とは違うことに気がついた。彼らは全く同じ、揃った靴を履いていたことが足跡から見てとれた。

明らかにおかしい。山高はさすがに心細くなってきたが、何かしらの成果がほしい欲求に負けて足跡群を追うことにした。どうやら人数は5人程度のようだった。山高は学生時代柔道選手だったので体力には自信あったが、できれば厄介ごとに遭遇したくはない。慎重に足跡を追っていたが、かすかに話声が聞こえてきたので歩を緩めた。

懐中電灯を消し、わずかに漏れる光を追って進んでいくと、山高が調査で何度も訪れた中庭に出た。そこではやはり数名の人間が、広場の中央を囲んで何やら話していた。彼らの言葉がかすかに聞こえてきたのだが、驚くことにそれは日本語だった。

「ここでいいんだな?」

「そのはずだ。」

少なくともモヘンジョダロに来てからは、日本人に合ったことはなかった。なので彼らは山高が知らない人間たちだ。人数は5名で、中には女性も交じっているようだった。彼らは10畳ほどのスペースの中央に、何かを置いた。それは鉄製で、山高もよく知るものだった。

「独鈷じゃないか・・・なんでまた?」

彼らがおいたのは2キロ鉄アレイ程度の大きさの、密教で使用する独鈷だった。彼らはそれぞれの独鈷を中央に向かって置き、被っていた帽子を脱いで、さらに上着も脱いで裸になった。

おそらく全員が30代くらいなのだろう。男たちは精悍で、女性はスリムだった。彼らは深くため息をついて、リーダーと思われる髭面の男が静かに全員に声をかけた。

「我ら天界衆、五大明王の名において降閻魔尊を行わんとす。数々の失敗をしてきたが、ここモヘンジョダロこそ大黒天の始まりだと信ずる。この地において、降天の儀式を行う。マコ、いいか。」

マコと呼ばれた唯一の女性は、ゆっくりと頷いた。そしてマコはゆっくりと中央に歩いてゆき、全裸となって独鈷を胸に抱えた。男たちはそれぞれ四方に移動し、やはり全裸になって独鈷をマコに向かって並べた。

「大黒天の力により、これより魔を降伏させ、我らと一体となす。我ら五行衆、世界の帝とならん!」


リーダー格と思われる男が言い、何やら唱えだした。山高は語学にも長けていたのだが、全く聞いたこともない言語だった。男は一通り唱えると、上空を見上げて一言つぶやいた。最後の言葉だけは、山高にも聞き取れた。

『ゴーシールシャ』

次の瞬間に見たことを、山高は忘れることはなかった。中央に立った女の下から、黒い角のようなものが生えだしてきたからだ。それは気体のようでもあり、液体のようでもあった。この瞬間に山高の全身をかつて経験したことのない恐怖が突き抜けていた。

たとえ幽霊を見たとしても、これほどの恐怖は感じなかっただろう。悪霊などは人間が作り出した残留思念にすぎない。しかしこれは違った。あらゆる生物の根源に宿る闇、恐怖の源としか思えないほどのものだった。山高は完全に腰が抜けてしまい、その場に崩れ落ちた。

「誰だ!」

山高が崩れ落ちたときに音がして、気づいた男が吠えた。

「馬鹿!集中しろ!」

リーダー格の男が怒鳴ったが、同時にマコが苦しみだした。

「ギャアア!た、助け・・・グ、グオオオオオオ!」

苦しんで前に突き出したマコの両腕が徐々に消えていった。マコの声は次第に濁った低い声、というよりも音に変化し、マコの胴体は光り輝き、鱗のような模様が見え始めた。

「あれは・・・あれは・・・ごず?」

山高の目には仏教で言うところの地獄の獄卒「牛頭ごず」の姿に見えた。しかしよく見ると人間と牛が合体した胴体のようにも見える。すでに人間の姿ではなくなったマコの身体からは黒い気が発散され、その勢いは益々増していった。

「うわああああ!」


マコを囲んでいた男の一人が叫んだ。右腕と同の右側がきれいに消えていた。マコから発せられた黒いものに触れた者たちは、全て同じように消えていった。

「くそっ!お前がいなけりゃ!」

リーダー格の男は拳銃を拾い、山高に向けた。あまりの恐怖に立ち上がれなかった山高は、ぼんやりと死を自覚した。そのとき牛頭のようなものに変化したマコから、ぼんやりとした薄明るい気が発せられ、山高をすっぽりと包み込んだ。

リーダー格の男は山高めがけて発砲したのだが、それは途中で消え失せた。リーダー格の男は叫び声をあげて拳銃を捨て、一目散に逃走していった。山高の意識は徐々に消えてゆき、やがて完全に気を失った。

気がつくと山高はホテルに寝ていて、遺跡も普通通りだった。調査したい欲求に駆られたが、すぐに日本に帰国しなければならない。山高は荷物をまとめて帰国の途に就いた。


14 


「あの・・・それでどうなったんですか?」

ひとしきり話して大きく息を吐いた山高に、大山は声をかけた。話が中途半端だったし、これを信じろという方が無理だ。

「いえ、これからが本題です。」

山高は立ち上がり、窓の外を見た。川北市の地方都市風景が広がっており、日は暮れようとしていた。

「帰国後、私は宮本源心先生に結果を報告しました。すべてを話したとき、先生はこう仰いました。そうか、お前は見れたのか、と。」

「見れた?・・・ってことは、その宮本って人は、そうなることを予想されてた・・・?」

「そういうことです。」

山高が言うには、かつて源心も似たような経験をしたことがあったとのことだった。源心はかつて出口王仁三郎率いる大本教会に属していた。源心が影響を受けたのは、八百万の神などは存在せず、基本的に一神教であるとした思想に加えて、人類共通言語であるエスペラントの普及に努めたことだった。

若い源心は教祖王仁三郎に惹かれ、やがて若手の有望株と言われるほどになった。王仁三郎は格段に霊力に優れた存在だという観点では接することはなく、単純に彼の世界観に惹かれていったと言う。

「王仁三郎は、牛頭とは須佐之男命、つまりスサノオノミコトのことだと断言していたそうです。」

「スサノオって確か昔の人でしたよね?」

羽間が恐る恐るかおるに訊ねたが見事に無視された。

「そうです。スサノオノミコトは、天皇家三種の神器である草薙剣をヤマタノオロチから奪った英雄とされています。王仁三郎はこれに異を唱えたのです。スサノオは英雄などではなく、むしろ天皇家に弓ひく対抗勢力だったと言っていたと思うのです。ただそう言ってしまえば当時の戦前日本では生きていけません。なので彼は、妖怪であるとしたのです。ただ彼が最も重要視したのは、スサノオが出雲出身だと言うことです。出雲には独自の神話があり、その中に登場する妖怪に牛鬼というものがあります。これが大黒天だとしたら、なぜ朝廷は妖怪を英雄としたのでしょう。」

大山は気がついた。

「つまりその・・・大黒天がシヴァですから、その破壊的な力を得ようとした・・・ということですか?」

「そういうこと。当時の日本には、牛の妖怪というものがいて、それは悪魔の力と神の力を併せ持っていたものだという認識があったってことになるわね。」



それまで黙って聴いていたかおるが口を開いた。

「そう考えた方が自然です。先生は王仁三郎と人間として接することができる稀有な若者だったのですよ。なので王仁三郎は先生にだけは本質を語ってくれた・・・。あるときは将棋を打ちながらぼそりとね。そして先生はいてもたってもおられず、出雲に修行に行かれた、そうですよね?出雲に行って、大黒天をこの目で見たいという思いからだったのでしょう。しかしその願いは叶いませんでしたが、王仁三郎はいずれ先生の周りで見ることができる者が現れるだろうと仰った・・・。」

「おい、かおる!なんでお前がそんなことを・・・?」

「いいのですよ、刑事さん。白水さん、その通りです。それがたまたま、私だったと言うことです。」

山高は語り、再び深くため息をついた。

「山高先生を襲ったその連中ですけど・・・五行衆ですって?今までの話を整理すると、彼らはシヴァの力を得ようとしている連中ってことになるわけですか?」

大山にとっては今回の事件の犯人さえわかれば良かったので、そのことについて訊ねた。

「刑事さん、今でも彼らの正体はわかりません。私にわかることは、おそらく今回の事件には彼らがすでに関わっていると言うことです。彼らを今すぐに止めないと。」

「今すぐ?な、なぜです?何か証拠でもあるんですか?」

「これを見てください。」

山高がカバンから取り出したものは一冊の古い洋書だった。革製であり、相当に古いものであることは大山にもわかった。

「これは紀元8世紀の天才錬金術師、ジャービル・ブン・ハイヤーンの書物です。」

「・・・聞いたことがあるぞ・・・そうだ、尾加田が言ってた人だ!有名な人なんでしょ?」

大山が尾加田から聴いたとき、そのようなことを言っていたことを思い出したのだ。山高は頷いた。

「彼の書物はほとんどが後に彼の弟子を自称する錬金術師によって編纂されたものだとはわかっています。しかしこれは正真正銘、ジャービルの著作です。精密鑑定によって、彼がいたイランのホラーサーン特有のシダの繊維が使われています。そしてこの書物は『牛魔の書』と言います。」

全員が山高の言葉に聴き入っていた。牛の悪魔だとは、完全にシヴァのことではないか。

「これによると、東方にゾグディアナあり。この地において、アリマスポイと大月氏の闘いあり。アリマスポイは魔の民にてアフラマズダを主神とし、この戦いにおいてアーリマンを蘇らせ大月氏を撃退した、とあります。」

羽間と大山は顔を見合わせた。全く意味がわからなかったからだ。察したのか、かおるが口を開いた。

「大月氏というのは、現在のインドね。ゾグディアナはカザフスタンとインドの中間になるわね。現在のウズベキスタンの一部。このあたり。」

かおるは言いながらスマホを操作して地域を示した。山高はほっとした表情で、軽く会釈した。

「ありがとうございます。アリマスポイはカザフスタンにいた騎馬民族で、非常に好戦的でした。彼らの神がゾロアスター教の悪神アフラマズダであり、インドとの闘いにおいて動物を操る悪神アーリマンを復活させて勝利したということでしょう。問題はこのとき、大月氏が善神ウォフ・マナフを復活させた、と記していることです。ウォフ・マナフは動物を統べる神です。このとき、牛を使ってアリマスポイを撃退したのかもしれません。それで牛は悪魔のシンボルにもなり、善神のシンボルにもなったのです。」

「なるほど・・・史実としてはそのようにお考えなわけですね。ですが、なぜその・・・ウォフなんとかがすごい力を持っていると考えるようになったのでしょうか?」

 大山の素直な問いに、山高は眉を上げて答えた。

「史実的にはキリスト教でも仏教でも神のシンボルとして浸透していきました。その影響であることは間違いないとも思います。ですが刑事さん、私は実際に見た。モヘンジョダロ遺跡において、ひとりの女性が変化していき、まるで五頭のように変形していった。科学的にはありえないことなのですが、私はあの力が実際に戦争において使われたのではないかと、今では心から信じています。この神がかった歴史は世界中にある。世界にはこの力を復活させて力を得ようと真剣に考え、行動している連中がいるのです。彼らの中には、特に原理主義者の中には、時にはテロまがいの過激な行動もしているようです。日本においてはそれが・・・。」

「・・・柴塔会・・・?」

「日本ではそう称しています。そしてその代表が、かつて大黒天研究会メンバーでもあった、増岡勝蔵です。」

大山は目を剥いた。

「な、何ですって!増岡勝蔵・・・マスオカショウゾウ・・・繋がった!まさかこんなことになるなんて!」

尾加田を裏切った発掘チームのリーダーだった男がマスオカショウゾウ、つまり増岡勝蔵であり、柴塔会のリーダーであり、シヴァ原理主義だったのだ。

「そうです。あの恐ろしい場面を目撃したもう一人が増岡勝二であり、その息子が勝蔵なのです。そのことを知ったのは、彼が脱会した後でした。」

(何てこった・・・。)

ということだろう。若き日の山高と増岡が同じ現場にいて、その息子が尾加田を襲ったと言うのか。しかも大山はたまたまテレビを観ていて、そこで気になった山高を訪ねただけなのだ。単なる偶然と捉えるには重なりすぎている。

大山も羽間も、この事実には黙るしかなかった。


15 


「まだ、でしょう?まだお話することがあるはずですよ、先生。」

 それまでほとんど口をきかなかったかおるが、静寂を破った。

「かおる?」

大山はそのとき初めて、何かは理解できなかったが、それまで感じたことのない何かを感じていた。それがどういうものかを文章で伝えることは難しい。あえて言えば通常は感じることがない空気間であり、急に何かのフィルターがかかったように見える『ように感じる』ということである。

「そうですね。それが一番大事なことです。・・・刑事さん、先ほどの市庁舎裏のことを思い出してください。」

「あの金剛杵のことでしょうか?」

「はい。そのとき私は比叡山のことをお聞きしましたね。」

「あ、ああ、そうでしたね。」

「そのとき、あそこにあった寺が何なのか、何も残っていませんでした。比叡山の方も存じておられませんでした、しかし、調査担当の方がうっかり『う』と漏らしておられました。それでわかったのです。」

「は?『う』でですか?何がわかったのですか?」

「刑事さん、世の中にはすべて裏表があるもの。長きにわたって天台と比叡山が日本の宗教の総本山です。しかしそれはあくまで表の話です。天台にも裏があるのです。裏においては、天台の密教においては忍と同じ働きをする者たちがおり、彼らをして裏衆と呼んでいたそうです。そして彼らの役目は魔から日本を守ること。そのために、天台には『牛王の秘儀』なるものもありました。」

「牛王の秘儀・・・裏衆・・・。」

(もう何が何やら・・・。)

 大山がおぼろげに理解し始めたことは、自分が今まで当たり前に思っていたこと全てにおいて過去があり、この地方都市においてガラガラと崩れはじめているということだけだった。

「すでに廃絶となった天台の一派で玄旨帰命壇という立川流の一派があり、その本尊が摩多羅神とも申しますが、牛の魔力によって国を守るという意味もあります。あまりにも法力が強かったので邪教とされ、廃絶したと言われておりますが、裏では生き続けていたのです。おそらくここがその玄旨帰命壇があった場所だと思うのです。つまり、増岡勝蔵たちはここを何らかの方法で使おうと考えたのでしょう。」

そのために爆破しようとしたと言うのだろうか。異常である。

「先生それはもう我々の手には負えません。公安に依頼するしか・・・。」

「ダメ!」

かおるの鋭い声が部屋に響いた。

「タカちゃん、これはあたしたちでやらなきゃならないの。」

「かおる・・・ど、どうしたんだ?これは立派な集団的共謀罪適用だぞ。証拠を集めて・・・。」

「だからダメなの!」

羽間はかおるの意図は全く理解できなかったが、何となく2人だけにしないといけないと感じて、山高の方に手を置いて、顎で共に部屋から出るように促した。山高も察し、素直に出ていった。

大山は止めようとしたが、思いとどまった。何かあるのだ。ここしばらく、かおるにどこか不気味とさえ思える変化が見えてきていた。かおるが大山にはまだ早いと言ったあのことが気になっていたのも事実だ。

「どうしたんだ?最近おかしいぞ、いったい・・・。」

「・・・あたしにもわからなかったけど、今がその時・・・。」

「え?」

「タカちゃん・・・手を出して。」

大山はかおるが言う通りに、両手を前に出した。かおるはその手をとり、長身の大山の目をじっと見あげた。大山は初めてかおるに会ったときのことを思い出した。まだ大山が巡査だった頃、飲酒して暴れていた男を取り押さえたことがあった。そのとき殴られて眉間から血を流していたのだが、そっとハンカチを渡してくれたのがかおるだった。

そのときもかおるはこうやって、自分を見上げるように見ていた。あの頃はかおるも駆け出しの探偵で、同じ初心者同士で気が合い、いつかごく自然に付き合うようになっていた。あれから数年が過ぎ、2人はやっと一人前になった。

今から何があるのだろう・・・と大山が考えていると、次第にかおるの姿がぼやけてきた。長時間ゲームをやり続けた後のように、焦点が合わない。目をこすりたかったが、両手を掴まれているので動かせなかった。

「か、かおる!どうなってんだ!」

大山はそう叫びたかったのだが、ピクリとも身体が動かない。かおるの姿は映像実験でも見ているように分断したり雨が降ったり揺れたりしていた。白いスーツ姿もブレて、何を着ているのかわからなくなっていた。大山はどこか凄まじいスピードで移動しているような感覚もあった。

次第にかおるの姿は見えなくなり、暗闇の中をただ高速移動しているようでもあり、じっと止まっているようでもある、奇妙な感覚だった。時間がすでに意味なくなってきていた。

大山は自分が赤ん坊になったり、老人になっているような感覚にもなっていた。宇宙のあらゆる存在は時間の流れの中で生きているのだが、そうではなくなると意識自体が存在しにくくなる。

思考できないのだ。大山はもう何も考えられなくなってきていた。永遠に時間が経過したような、逆行したような奇妙な感覚の中、まるで投げ出されたように景色が変わった。

先ほどまでいたホテルの部屋ではなく、見えたのは空だった。風が吹いており、ほのかに海の香りがした。大山は普通に思考できていることに気がついた。

首を動かしてみた。まず右に。草原が広がっていた。そして左に動かしてみた。草原と海が見えた。今度は上半身を起こしてみた。動くかどうか心配だったが、ちゃんと動いた。

ゆっくり体を起こす。大きく息を吸ってみた。うまい空気だった。背伸びをしようとして、大山はいつもと違う服を着ていることに気がついた。両腕を上げてみた。

「え?着物?」

普段はスーツなのだが、なぜか袖が見えた。着物など持ってもいない。さらには袴のようなものも着ていた。足にはスニーカーではなく、草鞋を履いている。

「な・・・一体どうした?」

大山は立ち上がり、周囲を見渡した。どうやら丘の上にいるらしく海が眼下に見えた。大山はあたりの景色に全く見覚えがないことに気がついた。こういう地形など行ったことがない。改めて服を見てみた。

「こりゃあまるで、時代劇の・・・。」

途中まで言って、大山は感じたことのない違和感を覚えた。言葉や声が自分のものではないのだ。自分が発した言葉でありながら、異国の言葉の様に思えた。

「わ、わしはいかがしたのだ・・・わ、わしだと?俺はどうなってるんだ?」

大山は自分が誰なのかまるでわからなくなり、フラフラと歩いているうちに小川にやってきていた。 


16  


どこをどう歩いたのかまるでわからない。ただ、ついさっきまでの感情とは全く違ったものを感じていた。まるで別人になったかのような奇妙な感情と思考が脳裏にあったことは確認できた。大山鷹一郎としての立ち位置や感情はどこか遠くに行ってしまい、誰だかわからない人の感情は苛立ちと怒りと諦めとささやかな平和・・・このようなものだった。

大山は凄まじく喉が乾いていることに気が付き、目の前に流れている小川の辺りに座り、水を飲もうとして水面を見た。そこにあったのは、全く見覚えのない若い侍の顔だった。大山は恐る恐る、両手を自分の頬に持っていった。水面に映る侍も同じポーズをした。

間違いなかった。

「こ、これは・・・いったいどうなったのだ?わしは、わしは・・・。」

大山はすでに大山ではなくなっていた。いつの間にか見知らぬ誰かが、大山の意識に取って代わっていた。様々な概念が流入してきて、やがて違和感もなくなってきた。


「三郎さま!」

馬を駆ける音と共に、若武者が声をかけてきた。

「ここにおられたか。散々探しましたぞ。」

若武者は馬を降り、今や別人となった大山の前に片膝ついて頭を垂れた。

「太郎、ふざけた真似はよせ。今は誰もおらぬ。」

「・・・左様でござるか・・・よおおーし!」

太郎と呼ばれた男は立ち上がり、大きく背伸びをした。そして手に持ったムチで乗ってきた馬のタテガミを軽く叩いた。

「こいつめ、とんだじゃじゃ馬だわい。わしが気に食わんのか、まともに走ろうとはせん。おかげで背が痛うてたまらんわ。」

「それはよいが、何事だ。」

「おう、そうじゃ。伊豆の姫が探しておられたぞ。何か約束しておられたであろう?大層に怒っておられたぞ。」

「姫が?・・・あ!」

三郎は伊豆の姫と会う約束をしていたところだった。笹竜胆の紋章を作って渡すつもりでいたのだ。

「いかん!それはいかん!」

太郎は狼狽える三郎を見て腹を抱えて笑った。

「わっはははは。早うなされ。急がぬと、素っ首落とされますぞ。」

「笑うな!笑えることではないわ!」

伊豆の姫の恐ろしさは三郎が一番わかっていた。三郎は大急ぎで繋いでいた馬にまたがり、韮山をめざした。館が見えると、三郎は軽く身震いした。嬉しさもあるが、この館の主にも姫にも軽い恐怖があった。身なりを整えた三郎は、館の横にある離れに向かった。そこが姫の住まいだったし、そこへの出入りは自由だった。

「・・・遅れてすまぬ・・・おるのか?」

三郎は我が家のように熟知している庵の中に入った。人の気配は感じられない。

「おい・・・。」

姫の名を呼ぼうとしたとき、目の前の空間にいきなり穴が開いた。本当に今まで何もなかった空間に暗黒の穴ができたのだ。

「う、うわ!あやかしか!」

三郎は笹竜胆の飾りを投げ捨て、刀を抜いた。

「三郎・・・三郎・・・わしじゃ・・・父じゃ・・・」

三郎はその声を忘れたことはなかった。

「父上!なぜ・・・身罷っておるはずじゃ!」

「わしは・・・我が怨み、いまだ晴れぬ・・・ゆえに彷徨っておる・・・三郎よ、我が怨みを晴らせ・・・入道めを・・・。」

「父上!」

三郎は引き寄せられるように真っ暗な穴に向かって歩き出した。持っていた刀も落としてしまっていた。三郎の目は反転し、何かに引きずられていた。そして穴に手が届きそうに迄なった。

「おん、そわか!」

鋭い女性の声が響き、三郎を支配していた力は消え、三郎はその場に崩れ落ちた。

「失せよ!我が夫となるお方に手を出すでない!」

部屋の外には、先端に奇妙な金型をつけた棒を持った若い女性が立っていた。女性はその棒を高く突き上げ、そのままゆっくりと穴に向かって突き出した。

「失せよ、牛魔!」

女性の某から鋭い光が発せられ、穴に向かって激しく光った。穴は不気味な音を立てながら次第に消えていった。穴が完全に消えるのを確認した女性は、三郎の元に近づき、そして顔を撫でた。そして三郎に向かって話しかけた。

「タカちゃん、こういうことなのよ。」

大山は気がついた。元のホテルの部屋のままだった。両手はかおるに掴まれたままだ。

「おい・・・かおる・・・アレは一体・・・俺って、誰や?三郎って誰だよ!お前は誰なんだ!」

かおるはそっと両手を話した。

「今のところはこれで精一杯。タカちゃんの準備がもうちょっとできたら、もっとね。」

「説明になっとらん!」

「いいの。」

かおるは短く、一言で終わらせた。

「ただ、これだけは言っておくわね。さっき見た穴はね、牛魔、つまりシヴァという超絶な存在が分裂してできた、邪悪なものが作った穴なのね。三郎って人が誰なのか、いずれわかる。とにかく。」

かおるは静に大山を見つめて言った。

「タカちゃんとあたしはね、もう何回も夫婦になってる。そしてあいつは私たちの天敵。だからね、あたしたちで解決しなくちゃならないの。」

「解決って・・・どうすりゃよかとや!」

大山は叫んだ。意味不明すぎる。

「九尾の狐、そしてアマビコ・・・そしてこんどはシヴァ・・・こんなことがなぜこの九州の、それも地方都市で起こっているのか。それは全部繋がっているからなの。」

かおるは大山に近づくと、その胸に顔をうずめた。

「あたしがいるから・・・一緒にやろ。いつか、そんなに先のことじゃない。きっとタカちゃんにもわかるときが来る。そのときは、あたしを助けてね。」


17 


山高と羽間と大山、それにかおるは川北市立図書館にいた。もう3日ほど入り浸っていた。川北市に関するあらゆることを調べていたのだ。特に市庁舎建設前に存在したという、謎の寺についてだった。

天台密教系の仲でも異端とされた玄旨帰命壇の寺があったかどうか、それに加えて天台の裏衆の存在があったかどうか。まだほとんどデジタル化されていなかったので検索をかけることもできず、いちいち目を通さねばならなかったのでえらく時間が必要だった。

「・・・これって・・・?先生、これちょっと見てください。」

羽間が何か見つけたようだった。

「これは・・・読本ですね。」

「読本?時代劇に出てきそうですね。」

「大山さん、そうです。これは江戸時代に刊行された、言わば大衆本なんですよ。ほとんどが創作でしてね。でもこれは・・・やたら挿絵が多いな。『大黒天武蔵』・・・いかにもな表題ですね。しかし大黒天・・・ちょっと気になるなあ。」

山高はその読本をめくって見始めた。何ページ目かで、めくる手が止まった。

「・・・なんだ、これは?」

山高以外の3人が一斉に山高の開いたページを見た。

「え?こりゃまるで・・・前に見た漫画の・・・えーっと、あ、そうだ!バベル2世の塔そっくりじゃないですか。これが江戸時代に刊行されたわけですか?」

羽間が驚きの声をあげた。ただその反応理由が、山高でさえ眉ひそめるレベルではあったのだが。タッチが浮世絵ではあったものの、それは本当に聖書にあるバベルの塔そのものだった。

さらに目を引いた事は塔の横では多くの人々が闘っており、その中心にいたのはひときわ体格のいい武士だった。両手に大小の刀を持ち、周囲の敵の首を刎ねている。

「どうやらこれが武蔵のようですね・・・えーと・・・玄信奮戦し、牛王城を・・・何だって!」


山高は目を見開いた。

「どうされたんです、先生!玄信ってなんです?」

聞いたことがない単語が並ぶのにはもう慣れてきたが、頭がパンパンになりそうだった。

「玄信は『はるのぶ』と読み、諱のことです。これは平清盛を相国、源義経を判官と読んだように、本名には霊が宿るということで、何かしら関わりある部分で読んだものです。玄信とは宮本武蔵の諱のことでしてね。つまりこの場合、霊に邪魔されないリアルな事実のため、とも考えられます。しかも牛王城・・・バベルの塔・・・シヴァの原型がいるところと戦っているということを表している・・・そうなると思うのです。羽間さん、お手柄ですよ。」 

 ここで、かおるが何かに気がついたように顔を上げた

「今思い出したのですけど、確か川北市には宮本武蔵にまつわる伝説がありました。」

「それは私も知っています。宮本武蔵が佐々木小次郎と対決した後、この地で妖怪退治をしたという話です。しかしこれがこの本では牛王城となっている・・・これは奇妙だ。もうちょっとこれ調べてみましょう。」

 山高はパラパラとめくっていたが、週末あたりで手が止まった。

「これは?」

「どうされました?」

「ここに書いてあるのですよ。作者名は消されているのですが、横に艮密うしとらみつ寺とある・・・艮密だって?東密や台密ならわかるが・・・。」

「うしとらって・・・何です?」

「艮は、鬼門のことよ。」

かおるが口を挟んできた。

「鬼門は全ての悪霊、悪いエネルギーが通る方角とされてるの。天台宗って密教なのよ。だから天台密教のことを台密と呼んで、空海の真言宗を東密と呼ぶのよね。でも、鬼門をつけるなんて・・・これってもう、天台でも真言でもないわね。いくら江戸時代の創作本って言っても、これが世に出せたものなのかしら。」

「そうです。ひょっとしたら、ですが・・・天台には裏衆という、いわば仏門の忍者とも言うべき存在があったと言います。この連中と言いますのは、寺を守るためのことももちろんやりましたが、仏敵に対する守りの部隊だとも言われています。」

「仏敵って?」

「わかりやすく言えば、悪魔や妖怪、鬼・・・こうしたものと戦う力を持った忍者です。もちろん天台はこうした存在のことなど認めてはいません。しかし石山本願寺などはちゃんと武器を持って戦っていた。その中に紛れていたのかもしれません。・・・ちょっと待てよ・・・白水さん、ここが裏衆の拠点だった可能性もあるんじゃないですか?」

「根拠はないんですけど、あると思います。こうした裏衆しか入れない場所はあちこちにあったと聞いたことが・・・あ!これが・・・市庁舎襲撃計画の理由?」

かおるの顔色が変わった。

「先生、この本の作者と、ここに市庁舎設置を決めたときの状況を探るべきじゃないでしょうか?たぶんそこに解明糸口があると思いますよ。」

「白水さん、ことを急ぐべきなのは、こうしたことがあったからなんでしょうね。あなたがいなかったら、大変なことになっていたかもしれません。」

「あのー、我々が担当なんですが。もうちょっとわかるように説明していただけませんかね?」

山高とかおる2人だけしかわからない会話されては、大山にとってはストレスでしかない。

「確かにそうですね。刑事さん、わかりやすく言います。おそらくですけど、そういう場所には何かしらの財が蓄えられていると言うことです。犯人はそれを狙ったのでしょう。爆破予告してきたのはまず我々にそのありかを探させ、それ次第で自分たちが狙うつもりだったのでしょう。こういう連中は容赦しませんからね。私が来て調べていることなど、とっくの昔に知っていたことでしょう。だから急がないといけません。」

「そういうことか!わかりました、さっそく動きます!ケン、行くぞ!」

大山たちは2人を置いて出ていった。山高とかおるは顔を見合わせ、軽く頷いた。警察にはそう思わせておいた方がいい。

市庁舎爆破の本当の狙いは、艮から通って来る牛王、つまりシヴァの元来の姿である悪鬼の力であることがわかったからだ。


18 


「増岡勝蔵・・・そうか、シヴァ原理主義者だったのか、あいつら。」

尾加田剛と大山は、例の「ラ・クア・クチーナ」で会っていた。ここはほとんど警察関係者ばかりだったので、署内にいるよりも安心できた。ここで話す内容は、ある程度共有されるようなものなのだ。

「ああそうだ。どうやら、市庁舎敷地内に、連中が探している何かがありそうなんだ。金目のものかもしれないけど、どうもそのあたりがわからない。だからお前さんに頼ろうと思ったわけたい。」

「そういうことなら任せとけ。和製インディ・ジョーンズの俺にな・・・しかしここ、居心地悪いとこだな。県警のお偉いさんまでいるじゃねえか。俺ぁ別に何ともないけど・・・な。」

私服であろうが制服であろうが、警察関係者がゴロゴロしているところなのだ。無理もない。

「それでだ、カザフにまで出向いていくような原理主義が探すものってなんだ?」

「それなんだよなあ。いや俺もさ、なんでこいつら人を殺めるようなことまでして探してるんだろうって思ってたんだわ。全く想像もできない。」

「そうか・・・。」

当事者の尾加田ですら騙された経緯がある。そこまでするということは、常識的に考えて相当な財、もしくはそれを生み出す何かがあるとしか思えないのだ。

「カザフにあるものでねえ・・・なんらかの財宝?いやいや、そんなものならすぐ足がつく。んなわきゃねーか。カザフの経済?うーん・・・一応石油大国ではあるんだよなあ。」

「カザフって、石油出るんか?」

「・・・お前、馬鹿じゃねーの?カザフったら世界9位の産出国だぞ。ソ連から独立して以来、市場経済導入してすっげえんだぞ。まあしかしだ、産業が少ないんで日本ほど安定はしてない。」

「ということは、狙うとすれば石油以外は・・・。」

「ないと思うぜ。」

カザフスタンにはカシャガン油田などの膨大な埋蔵量を誇る油田がある。しかし大量の硫化水素が発生するので、非常に産出が難しい油田でもある。

「じゃあ他に財宝などがあるのかもしれんが、一応石油に絞って考えてみるとするか。しかし石油だぞ?油田でもない限り・・・。」

そこまで言って、大山は何か閃いた。

「おい・・・俺の間違いかもしれんが、前に聴いたこと思い出した。シヴァと大黒天が一緒だってことは知ってるけど、もうひとつあったよな。確かマハーカーラとか。」

マハーカーラとは、インド密教におけるシヴァの別名である。

「ああ、そうだよな。マハーってのは大きいって意味で、カーラってのは黒って意味だ。だから大黒天ってなったんだわ。」

「よし、これも間違いだったら訂正してくれ。古代の中東では石油のことを黒油と呼んでいた・・・どうだ?」

「まあな、燃える水とかも言われていたようだけどな。それがどうかしたのか?」

大山はコーヒーをぐいと飲み干した。

「もしも、もしもだ。大いなる黒ってのが、でっかい油田だと解釈したらどうだ?」

「え?」

「古代においては石油ってのは単なる武力のひとつにしかすぎなかった。いつでも敵を燃やすことができる、いわば神か悪魔の産物だった。これを操れるものが強い存在だった。つまりこれが大黒天、シヴァの元来の姿だったとしたら?」

「それじゃあ・・・その石油に関する何かが市庁舎の地下とか近所にあるとかってか?まさかだろ。」

大山は首を振った。

「いや、山高さんがモヘンジョダロで見たものが妙に気になっていたんだ。それでほら、高校の化学の先生覚えてるか?」

「ああ、あのハゲちゃんね。」

「先生に訊いてみたんだわ。そういうことって科学で照明できるんですかって。色々考えられるけど、硫化水素が発生したとすれば納得できるそうだ。」

「なに?硫化水素?それ、火山で出るやつ?」

「ああ、女性を気体のようなものが取り囲み、やがて苦しみだして燃えてしまった。モヘンジョダロのあの場所が、どこかにある油田から発生した硫化水素が漏れ出す場所だったとしたら?市庁舎にそれがあるかどうかはわからんが、何かがある可能性はあると思う。」

尾加田が何か言いかけたとき、大山のスマホが鳴った。

「おう、どうしたケン・・・なに?・・・何だって!」

大山はひとしきり話すと、スマホを切って尾加田に言った。

「悪い。ちょっと調べなきゃならんことができた。また後ほど。」

大山は尾加田を置いて、川北署に戻った。

「おい、ケン!さっきのは本当か?」

出迎えた羽間が挨拶する暇も与えなかった。

「はい。林田化学を調べてたら、出てきたんですよ。」

羽間が調べていたのは、例のロボットのデータ差し替えについてだった。当然ながらその犯人はシヴァ原理主義者だと思っての捜査だった。

「つまり、あのロボットって・・・?」

「そうです。自社開発には間違いないんですが、実は発注先があったんですよ。それがええと、『地質調査事業財団』で、その役員の中にいたんですよ。増岡勝蔵の名前が!」

「その地質調査事業財団って?」

「一応全国の、特に九州地方の地質を調査して結果を売る事業ってことになってます。だけど異常に多いんですよ、遺跡発掘結果が。」

「あのロボットで、何らかの調査してたってことなのか?」

「よく調べてみたら、超強力な反射分析センサーが内蔵されてました。地質にもよりますけど、地下20メートルくらいまでなら魚群レーダーのように分析できるそうです。長岡さんもなんでこんなのが必要なんですかと尋ねたそうですけど、無視されたと言ってました。そしてこれ、見てください。」

羽間が大山に見せたものは、その依頼書だった。

「ここに書いてあるでしょ。どう考えても不自然なんですよ。」

依頼目的の欄に書いてあった文字を見た大山は目を丸くした。

「可能な限りの深度調査ができること。強力なレーザー照射装置を内蔵していること。例として砂漠でも調査可能な・・・なんだこれは?」

「でしょ?さらにですね、このときにはまだ装備されてなかったんですけど、砂の上でも沈まずに100メートルくらいは移動できるようなアタッチメントも開発されていたそうです。しかもですよ、あのロボットの前にすでにもう一体発注されていて、あの事件の前に事業所に納入されています。」

「・・・よし。市庁舎爆破予告ってのは、おそらくカムフラージュだろう。林田化学に注目させるためにな。本質はその前に買い取ったやつだ。こいつは下手したら兵器にもなりかねん。ケン、事業所に行くぞ!」

大山はさっそく令状を取り、相手が危険なだけに機動隊の導入も依頼した。


19 


地質調査事業財団は、川北市の北部に位置する『つつじ山市』にあった。ここは平成の大合併で新たに誕生した市であり、多くの誘致企業が事務所や工場を構える一大産業都市でもあった。

ここにある『つつじ近代工業団地』の中に、地質調査事業財団はあった。比較的小さな工場と倉庫を持っていた。大山たちはいつでも機動隊が動けるように近所に待機させ、数名で財団の事務所に向かった。

「・・・静かだな。ここだけ稼働していないみたいだ。」

大山は玄関のドアを開けようとしたが、ドアは施錠されていた。誰もいないのかと思われたとき、羽間が大山の袖を軽く引いた。何かあるときの合図だった。大山が羽間を見ると、指で工場の方を指差していた。

「(先輩、あっちで何か動きました)」

羽間が小声で伝えてきた。大山はゆっくりと壁沿いに歩き、他の者たちも従った。工場に向かうにつれ、確かに何やら音がしてきた。大山たちはそっと近づき、音の源を探した。

「・・・いたぞ・・・。」

工場の扉がゆっくりと開こうとしていた。そしてそこから一台のトラックがゆっくりと出てこようとしていた。大山はすかさず機動隊長に連絡した。

「急ぎ、工場まで!」

大山は機動隊が来るまでの間の時間稼ぎで、トラックの前に出て行った。

「ちょ!せ、先輩!」

羽間が制止する間もない速さだった。

普通、人が行く手を遮るような場合、一旦停止はする。しかしトラックは一切スピードを落とすことなく、逆にスピードアップしてきた。明らかに意図があった。

大山はさすがに驚いた。慌てて避けようとしたが、運悪く飛んできた虫が目に入ってしまった。ほんの一瞬だったが、大山は立ち止まって瞬きした。

しかしトラックはさらに加速してきた。大山は無意識にトラックを見たのだが、その時にはもう運良くても足か腕はトラックに踏まれるか当たっていただろう。ほぼ確実に轢かれる状況だった。

「先輩!」

羽間が叫んだがすでに間に合わないところまで来ていた。この瞬間、大山は死が脳裏をよぎった。大山は無意識に左手を突き出した。するとトラックは急に左に向きを変え、横にある倉庫に突っ込んだ。そして横転し、倉庫は潰れてしまった。

「我々はどうしますか!」

機動隊長が大山に尋ねてきたが、当の大山は放心状態だった。

「トラックと建物を包囲!」

羽間が命じ、機動隊が業務遂行している間に、羽間は大山の肩を掴んで叫んだ。

「先輩!大丈夫ですか、先輩!」

大山は少しの間意識が戻らなかったが、すぐに回復した。

「お・・・おお。俺は・・・ああ、トラック!」

「大丈夫ですって!それよっかイケますか?」

大山は横で横転しているトラックに顔を動かし、そして驚いた。

「お、おい!なんでトラックが倒れてるんだ?」

「それは後で!先輩、我々はあっちに行かなくちゃ!」

ここでようやく大山は、地質調査事業財団の方を見た。すでに機動隊が包囲しており、トラックにも10名ほどが駆けつけていた。

「よし、行くぞ。」

大山は羽間と伴って財団の入口に向かった。事務所の入口間近にまで来たとき、後方に廃棄していた機動隊員が叫んだ。

「危ない!」

大山と羽間が振り向くのと、聞きたくはない音が鳴るのと同時だった。ズキュンという銃音が響き、事務所の窓が割れた。人が倒れる音がして、2階から人が落ちた。

「奴ら、武装!」

銃音の主は機動隊員だった。落ちた男はすでに死亡しており、横にライフルが落ちていた。大山と羽間は事務所まで駆け寄り、壁にくっついて中を伺った。中からは日本語と中国語が入り乱れた声がしていた。

大山は機動隊長に命じて、催涙弾を打ち込ませることにした。まず窓が適度な大きさになるまで銃撃し、その後に投入された。隊員から手渡されたマスクを装着した2人は、機動隊が突入した後に入っていった。

中では銃撃戦が行われていたが、いかんせん相手の人数が少なかった。結局確保された人数は5人。大山は確保された者たちの一人が、右耳が半分ないことに気がついた。

「おい、ちょっと待て!」

隊員に連行される男を止め、大山は男の前に立った。その男は真っ黒に日焼けしており、中国語らしい言葉で激しく罵った。だが大山は確信していた。


「おい、周!いや、増岡勝蔵!間違いないな。」

「何で、お前が知っている?」

男は驚いた様子で大山を見た。大山は男に近づき、スマホの画像を見せた。

「尾加田剛!・・・そうか、さすがだな、日本警察は。」

「まあ、そういうことだ。観念するんだな。」

増岡は連行されていった。

「先輩!やはりありました!」

羽間がトラックの中身を確認して伝えてきた。

「例のロボットです。だけど、えらく色んな装備がついてます。」

「そうか・・・とりあえず、これからが本当の捜査になるな。」

羽間は深くため息をついて、小さな声で大山に聞いてきた。

「で、先輩・・・気になるんですけど。」

「ん?なんだ?」

「先輩が手をトラックに突き出した時、俺には何か光みたいなものが先輩を包んだように見えたんですよ・・・覚えていませんか?」

「俺の周りを光が?いや、全然覚えてないぞ。」

「そうっすか・・・気のせいですね。すんまっせんでした。」

羽間は川北署に報告の電話をしていたが、大山は記憶を遡っていた。具体的には何も思い出せなかったが、唯一残っていたイメージは、恐怖にひきつったトラック運転手と助手席の男の顔だった。

(かおる・・・どういうことなんだ?)

大山はかおるが言ったことを思い出していた。

『今のところはこれで精一杯。タカちゃんの準備がもうちょっとできたら、もっとね。』

俺の準備って・・・どういうことなんだ・・・大山にはやることが山ほどあったので、そう思いながらも様々な処理に取り組んだ。


20 


川北市の市庁舎は小高い丘の中腹にあった。しかし丘自体が30Mくらいしかないので、中腹とは言っても麓から少しだけ上がった位置にあった。丘との間には塀があって、そこにあの駐車場と独鈷モニュメントがあった。

もうとっくに日は落ちていた。全ての業務が終わった市庁舎は、全員帰宅していた。その市庁舎駐車場を見下ろす、岡野頂上に山高とかおるが立っていた。大山らが増岡らを確保した後のことだった。

「山高さん、このあたりでしょうか?」

「はい、そう思います。ちょうど四方に杉があって、それぞれに地蔵がある。おそらく、ここでしょう。」

丘の頂上は藪となっていたのだが、山高が少し伐採してみると石畳が現れてきた。ここには四方地蔵と呼ばれている地蔵が東西南北に4体あり、対で見合うように並べられていた。

ただ他の地蔵と少し違うのは、通常の丸いツルツル頭のものではなく、髪は結い上げられていたことだ。左手には蓮華、右手には日輪を持っている。

「間違いなく密教曼荼羅の主尊でしょう。ここにこんな形で安置され、しかも全く気にも留められない。しかもここはあそこの鬼門だ。さすがですね。」

確かにこの丘は市庁舎の北東に位置していた。通常の地蔵は釈迦入滅後に復活するまでの間、仏教で言う六道全てに現れて衆生を救済守護すると言われる信仰の元に設置されるのだが、密教の場合はもっと深い意味がある。四親近菩薩と呼ばれ、如来の四方に位置して守護している。

「ここで、あそこを守っていたってわけね。」

「叡山が表の鬼門ならば、ここはまさに裏鬼門。艮密寺・・・牛王城を守るための要がここだってことになります。乗因による山王神道のひとつでしょう。」

乗因とは徳川政権において異端とされた天台の僧である。従来の山王神道に老子思想を取り入れようとしたため異端とされ、八丈島で流刑死したとされている。

だが乗因に傾倒する者も多くおり、彼らは密かに全国で乗因の意を継ぐ寺を建立していたとも伝えられている。

「なるほど、天台がここを認めないもうひとつの理由がこれということになるわね。裏衆がいつしかこうした裏天台の主役になっていたのかもね。でもここは・・・。」

山高が指を口の前に建てて、音を立てないようにと伝えてきた。

「我々が・・・いや、私がここに来たことを、奴らはすでにわかっているようです。動き出しました。」

山高が話し終える間もなく、丘の奥から不気味な地鳴りが聞こえてきた。しかし街中には誰も気に留める者はいないようだった。この音は山高とかおるにしか聴こえていないようだ。山高は着ていたコートを脱いだ。下に着ていたのは、かなり大きめの修験者装束だった。

「白水さん、手を出さないでください。これは私の戦いですから。金剛力士の性を持つ天台裏衆としてのね。」

山高は両手に両端が尖った金剛杵と両端が膨れている金剛杵を持ち、地蔵の視線が交わる点から少し離れた場所に立った。そして少しだけ微笑み、かおるを見て言った。

「いや・・・毘沙門天の化身たる北条の政子様・・・かな。」

かおるは頷いて、地蔵による結界の外に出た。

「言わずともとうの昔にわかっておられたでしょうに。本来なら私も二十八部衆の性。なれど大黒天は独鈷でしか封じることはできませぬ。元より手出しなどできぬこと・・・悔いなくおやりなされ!」

山高も軽く頷いて、また視線を元に戻した。地鳴りはますます強くなり、山高もかおるも激しく揺れた。そしていきなり地鳴りが止んだかと思ったとき、地蔵結界の中心からどす黒い気体が昇り始めた。

「瘴気!」

山高が構える前に、かおるの両手からほのかに黄色い光が飛び出して山高とかおるを包んだ。触れれば消滅するしかない瘴気から守ったのだ。

「私にできることはこれくらいです!」

「ありがとう!」

本来であれば、シヴァも仏教に取り入れられるべき神であったが、眷属のように守護たりうる存在ではなかったために外されたのかもしれない。限りない破壊と創造の力を持ったシヴァは、大日如来やアッラーが対峙すべき永遠の存在でもあった。

宗教の基本たる最上神は上位次元の存在だったが、シヴァはさらにその上のものでもある。どんなに対峙しようとも、決して勝利できないものでもあったのだ。ただひとつ、金剛力士のみ封じることができる。最上位存在が頻繁に下層次元に現れては、この世界そのものが消滅してしまう。金剛力士は、そのストッパーの存在だった。

山高は2つの独鈷を握りしめ、胸の前でクロスさせた。どす黒い瘴気は、やがて水牛の角のように鋭い2つの固形状へと変貌していった。そしてその間から強烈な光が生まれ、四方に拡散した。しかしそこには何かの意思が明らかに存在した。それは邪悪とか神々しいとかいうレベルではなかった。そういう人間が感じるものでは到底表現できないものだった。

ただ言えることは、それは明らかに『存在したがっていた』。さらに言えば「どう存在していいのか」戸惑っている様子が伝わってきていた。

山高は金剛杵を強く握りしめた。金剛杵の中央部には鬼目部という文様があり、これに触れると大日如来に通じるという意味で、金剛力士の武器となっていた。

「おん あびらうんけん ・・・」

山高は何度も真言を唱えた。

金剛力士の性を継承するには、裏衆として密教の修行も必要となる。若い頃モヘンジョダロでシヴァに遭遇した山高は、自分が金剛力士としての能力を継承していることに気がつき、後に比叡山で修行を行った。

山高は後に知ったことだが、父親も継承者だった。さらに言えば、恩師宮本源心も帝釈天の継承者だった。本来ならば親の遺伝子によって伝承されるのだが、時には継承者はその性の意味を伝えることができる。彼らは日常では人間なのだが、こうした時に神が姿を現し、明王となるのだ。

我々の次元にある肉体の中に高次元のエネルギーが満ちてくると、通常の肉体では到底その姿を維持できずに崩壊してしまう。裏衆にはそのエネルギーを肉体変化として転換できる遺伝子がある。それは代々継承されるものもあれば、突然変異として発生する場合もある。面白いことに、通常の遺伝は母方ミトコンドリアによってなされるのだが、能力自体は反対に父方ミトコンドリアから、もしくは父親代わりから裏衆の性として伝承される。その際には、父親代わりは死を以て伝えるのも裏衆の凄さである。

そのスイッチとなるものが真言などの呪文であった。真言を唱える山高の姿が徐々に大きくなり始めた。大きめの修験者装束を着ていたのは、このためだった。山高の目は赤くなり、筋肉がパンパンに膨張し、髪は逆立った。そして二本の巨大な角が生えてきていた。

山高が変貌するのと同時に、黒い角も成長し、中央部には暗黒の球体ができた。というよりも、暗黒の球体の様に感じられるものがそこにできたのだ。周囲には強烈な瘴気がうずまき、触れるものすべて消滅させていた。

それはまさに瘴気で囲まれたミニブラックホールだった。周囲にとっても致命的に有害な瘴気に遮られているが、瘴気がなくなればあらゆるものを吸収してしまうことだろう。

そして山高の動きも止まった。すでに服はちぎれてパンパンの肉体であり、胸は張り裂けんばかりの筋肉にぴったり張り付いていた。

目は憤怒のエネルギーが炎となって発せられていて、その姿はまさに金剛力士を具現化したように見えた。下顎の犬歯が伸び、盛り上がった筋肉に押されるように血管が盛り上がった。肌の色は青白がかっており、全身から白い気を発散させていた。巨人となった山高は、シヴァを睨みつけた。

そして山高の声とは思えない低い声が漏れてきた。

「ま た せ た な 」

山高の声に反応するように、シヴァも激しく揺れた。



21 


裏衆とは仏を守護する二十八の神々の力を行使することができ、また場合によっては忍のような活動、現代で言えばスパイのような活動をも行う人々のことを指す。仏とはこの宇宙における真理に関して『覚者』『悟った者』という意味であるが、大局的に言ってこの世界を構築する根源の力だと解釈して差し支えない。

あらゆるものにおいてこの力が作用しているのであるが、たまたま我々が人類であり、覚者が釈迦であったことから人偏がついているだけである。裏と称するからには、彼らの活動は決して人びとの目についてはならない。彼らは日常的には我々の世界で生きているし、人間の血統の流れの中にいるのであるが、彼らが相手にするのは人間の目には見えることのない存在である。

しかし今回は違う。大黒天、つまりシヴァは破壊の神でもあり、なおかつ石油という物質に憑依してこの世界で活動できるので、その破壊力は否応なく我々にも感じることができる。戦闘は山高、戦闘をシャットアウトするのはかおるの役目となった。

ここでは壮絶な戦いが起こっていたのであるが、それは川北市のみならず、あらゆる人類には何も感じられない戦いでもあった。巨人と化した山高や見守るかおるが目にしている風景は、普段の丘ではあったが周囲は黒い雲と激しい雷に覆われていた。

やがて黒い球体はふわりと浮き上がった。すると山高が握る金剛杵が激しく光りはじめた。その光は目の前で怪しく動き、生まれる前の胎児のようでもあるシヴァに向けられていた。シヴァはその光に惹かれるように動いたり、周囲を見渡そうとするかのように動いたりしていた。

『お前の相手はここだ!』

金剛力士から強烈なメッセージが発せられた。シヴァはそのメッセージに呼応するように激しく動き始めた。ミニブラックホールから発せられる強烈な電磁波と致命的な猛毒ガスが辺り一面に広がり、通常の空間ではありえない状態になっていた。

『ここは、どこだ。』

シヴァからもメッセージが発せられた。超高次元存在であるシヴァが低次元に降りてきた場合。その事実を認識した時点で世界は消滅してしまう。一瞬以下の短さで、世界は元々存在しなかったかのように消滅してしまうだろう。それを阻止しなければならない。金剛力士は独鈷に力を集中させた。

巨大化した肉体は、シヴァの放つメッセージや毒、瘴気、視点を全て吸収させるために必要な戦艦のようなものだったので、フル活動していた。金剛力士の肉体は激しく光り、反応していた。表面は崩壊しても瞬時に次の肉体が発生して毒を吸い込んでいった。

『どこでもない。ここはお前と俺の世界だ。』

金剛力士はメッセージを発しながら、金剛杵にも力を入れていった。右手に持った尖った金剛杵からは鋭い光の刃が生じており、シヴァから生じた様々な反物質生物を消滅させていた。

シヴァの創造物はあまりにも危険であり、瞬時に消滅させるしかなかった。金剛力士とシヴァのやりとりが無限とも感じられる時間行われていた。お互いが全神経を集中して認識と阻止を行い続けていた。

どれほどの時間が経過したのかわからなかったが、その間にもどんどん金剛力士の肉体は消滅していった。見守って、シールドを張り続けているかおるでさえ消耗していった。

しかし、ついにその時がやってきた。それまでずっと探索しようとしてきたシヴァが、ほんの少しだけ自己に疑問を持ったのだ。

『ここにいてはいけないのか?』

そういう認識がかすかに感じられたその瞬間、それまで筋肉の増殖がシヴァに押されていた金剛力士の姿が変形していた。もうすでに人間サイズに戻ってしまった金剛力士の目が強烈に光った。

両端が膨れている金剛杵を高く掲げ、そこに残ったエネルギーを集約させた。鋭利な金剛杵は守備用だが、この両端が膨れた金剛杵は唯一の攻撃用だった。シヴァ自身の存在が揺らぐ瞬間を待っていたのだ。金剛杵の両端が激しく光り、それはシヴァの視線を一気に集中させるものだった。

『ここに、戻れ』

金剛力士が徐々に念を集中させ、ミニブラックホールを誘った。

『そうか、そこに戻ればいいのか』

シヴァからは徐々にこのようなメッセージが感じられるようになっていった。そのメッセージが強くなり、やがて金剛杵に向かって動き始めた。

ここが勝機だった。山高は強い念を送った。山高の手から金剛杵がひとつなくなり、山高にのみ集中していたシヴァの背後に赤い影が発生し、巨大化して山高と同じような巨人となった。

肌の色が赤い以外は、全く同じ姿だった。もう1人の巨人も金剛杵を持っており、巨人は金剛杵を高く掲げた。

『来い!』

赤い巨人のメッセージに従うように、シヴァは山高と反対側に向きを変えた。山高と新たな巨人との間、つまりシヴァの上空に二つの金剛杵から発せられたクリーム色の空間に、黒いシヴァは吸い込まれていった。金剛力士の背後、市庁舎の上には塔が発生し、そこから柔らかな光が出てきて、シヴァが飛び込んだ光の球ごと吸収していった。

「艮密寺・・・。」

かおるが思わず口にしたこの密教寺院は、シヴァを高次元へ送り返すための機能を持っていたのだ。シヴァを吸収した塔は激しく揺れ、徐々にその姿を消していった。固形化した角も崩壊し、崩れていった。赤い巨人も徐々に小さくなり、そして消えた。

「山高さん!」

かおるの声が響いた。すでに人間サイズに戻っていた山高が倒れたのだ。かおるは急いで結界を解き、山高の元にかけつけた。かおるが山高を介抱する間も、何事もなかったかのように川北市は人々も車も動いていた。


22 


あの事件から1週間後、大山は尾加田と会っていた。例の『ラ・クア・クチーナ』でだ。

「何だって?油田があったってのか?」

「ああ、すっごく小さくて埋蔵量も少ないけどな。おかげで川北市の財政は一気に潤うことになったわけだ。」

増岡勝蔵らによる市庁舎爆破予告及び公的土地無断切削の計画が未然に防げた後、林田化学によってどのように企むつもりだったのか検証しているうちに、本当に油田が発見されてしまったのだ。

長岡らが市庁舎付近で探索していたところ、すぐ隣にある丘から反応があったのだ。

「お前すげーな。本当にオイルだったってことじゃねーか。そうか、連中の狙いは新たな油田を獲得することだったのか。」

「ああ、これから先は国際警察の出番になる。連中は世界規模で油田を違法発掘していた。すでに各国に通達されてるし、国内の柴塔会メンバーは全員逮捕されたさ。」

会話している2人のテーブルに、爆弾ラビオリが置かれた。小野道子がニヤニヤしながら持ってきたのだ。

「なんかねえ、尾加田さんもすっかり川北警察の職員みたいじゃない?この際入っちゃったら?」

「ジョーダンでしょ!俺ぁ、悪党でいる方が性に合ってるわ。」

「まあいいわ。これ、あたしの奢りね。全部食べてよ。嫌って言ったら・・・。」

「わかったよ!ここで嫌って言えねえだろ。全員・・・皆さま方がいらっしゃるんで。」

店内にいる全員が実は川北署の署員であり、尾加田を睨んでいた。そして大笑いとなり、拍手が起きた。

「全く・・・警察さんもある意味組織暴力だよなあ。いっただきまーす!」

尾加田はついさっき川北ラーメンを食べたばかりだったのだが、渋々食べ始めた。有力な情報源として、尾加田に表彰状が送られたのだが、尾加田は嫌がって辞退したので、大山が黙ってここに誘ってきていたのだった。となると、ぞろぞろとついてくる連中もいたのだ。

「お前がカザフでトラブルに巻き込まれなかったら、この事件は解決しなかった。当然だろ。情報が海渡って来てくれたんだし。そりゃあ表彰もんだろ。たとえ悪党でもな。」

「嫌味はやめろって!」

嫌味ではなく、それは大山の本音だった。この尾加田がもしカザフで事件に巻き込まれなかったら、そしてそれから発生して大山が山高を気にとめなかったら、今回の事件は解決しなかった。

「そういや、あの先生は良くなったのか?」

「ああ、もうそろそろ退院だろうな。何か悪くてなあ。俺がたまたまテレビ見てたせいでここまでやってきてくれて、それで心臓発作起こされちゃな。」

「見舞いは?」

「こないだ行ってきた。元気そうだったよ。今日は、かおるが行ってきてくれることになってる。」

「そっか。俺はあんまし関りなかったけどな。」

やっとのことで爆弾ラビオリを食べ終えた尾加田は、腹をさすりながら息を吐いた。

「くあー!食ったあ!もう入らねえぞ!逮捕されても食えんからな!」

余計なことを言ったなと気づいた尾加田は、慌てて荷物をまとめだした。

「おっと、もうこんな時間だ。もう戻らなきゃな。」

「そうか・・・今度はいつカザフから戻るんだ?」

「さあな。俺はやっぱり、ああいった世界の方が性に合ってる。日本は好きだけど、どっかセコセコしてるからな。俺みたいな英雄がいるところじゃないと思った次第さ。」

「・・・自分で英雄って言うか、普通?」

大山はそう言いながらも、尾加田の荷物を幾つか持った。

「今度は静かに、平穏に帰ってきてくれよ。」

「そりゃお前、俺もそうさ。」

店の前にタクシーが泊まるまではすぐだった。尾加田はこの後成田まで飛び、それからカザフに戻ることになっていた。

「じゃあな。かおるちゃんを大事にしろよ。あの子は俺もタイプなんだ。」

「ああ、伝えておくよ。またその減らず口、待ってるからな。」

大山は尾加田を見送り、すぐに林田化学に向かって捜査の続きに戻った。大山と尾加田が会っていた頃、かおるは川北総合病院にいた。山高の心臓発作も応急処置が早かったために、早期退院が可能となったのだ。

退院手続きを済ませた山高とかおるは、病院内にあるカフェで話した。

「何はともあれ、今回は良かったです。お世話になりました。」

「こちらこそ、先生。今回はあたしじゃあどうにもなりませんでした。タカちゃんが先生を見つけたのも、これはまさに大黒天・・・いや、シヴァを送り返すためのことだったんですね。」

山高はコーヒーを飲んで顔をしかめた。

「こりゃまずいな・・・あ、いや、ここでうまいコーヒーを期待してはいませんでしたけどね。」

山高はコーヒーを置いて、軽くため息をついた。

「いや本当です。裏衆としての引き寄せでしたね。正直、わたしは生きているうちにあの力を使うことになるとは思ってもいませんでした。」

「そうですよね。裏衆道場で使う以外、まずないです。それも、あたしたちは顔合わせることもないですしね。情報も入りませんし。」

かおるもコーヒーを一口飲んで、やはり顔をしかめた。

「ところで先生、あれはしばらく出てこないと思われますか?」

「あのシヴァはもうね。ただ私の仕事はまだ終わらないと思います。それよりも・・・。」

山高は、かおるの目をじっと見た。

「あなたには裏衆の他にもお役目がある。なにゆえ北条政子のままで現世に生きなさるのでしょうか?」

かおるは山高を見て、自分に言い聞かせるように頷いて下を見た。そして顔を上げたかおるの表情は、白水かおるのものではなく、別人のように厳しかった。

「わたしは・・・わたしには2つの人生があるのです。白水かおるという娘でもあり、北条政子としての人生もまた。そして政子としては・・・まだ終えていないのです。」

「・・・そうでしょうなあ・・・。」

「わたしには、さる方の怨念がのしかかっております。この御方の怨念は、それは恐ろしいものです。ゆえにわたしは成仏することなく彷徨っておりましたら、この世に転生しておりました。そしてこともあろうに、三郎様の御霊も同じように・・・これは偶然などではございません。わたしはいずれ、この御方と相対しなければならないのでしょう。そのときのために、三郎様も転生なさったと思うのです。」

山高は深く息をした。

「なるほど・・・あの御方ですか。そうなると私もどうすることでできませんし、他の裏衆もお助けすることはできますが・・・本質的にはあなたがやらねばなりませんからね。厄介なことです。」

「いえ、とんでもないことでございます。私が裏衆となったとき、政子も納得しておりました。これは宿命だと。そして、三郎さまとわたしが解決しなければならない問題なのです。どなたの御厄介にもなるつもりはありません。」

山高は頷き、コーヒーを飲み干して立ち上がった。

「ここは私が。出ましょう。」

2人は総合病院を出て、かおるの愛車、赤いロードスターに乗った。空港で山高は降り、かおると握手した。

「おそらく、しばらくはお会いすることはなかろうと思います。お元気で白水さん。そしてご武運を・・・政子様。」

「ありがとうございます。」

かおるは手を離すと、一瞥することもなく去っていった。山高はその姿を見送り、密かに九字を切った。かおるの背後にある、恐ろしい怨念を感じさせる影を振り払うように。





本作品から重要な登場人物の山高梅良が出てきます。今回は彼が主役です。そして少しずつ頼朝への回帰となっていきます。

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