表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

戦中の快楽殺人

作者: 仲村千夏
掲載日:2026/02/03

戦場は、いつも残酷だ。

それは比喩でも、誇張でもない。事実として、そこにある。


最前線と呼ばれる場所に立っていた。

地名など、もう誰も覚えていない。地図の上では意味を持っていたはずの丘や森は、砲撃で削り取られ、ただの凹凸になっていた。地面は泥と血と、名前のない肉片でぬかるみ、踏みしめるたびに湿った音を立てる。


無謀な突撃命令だった。

誰もがそう思っていたが、誰も口にはしない。命令は命令であり、疑問は許されない。


すでに一度、敵味方入り乱れてぶつかり合い、双方が引いた後だった。

その結果が、この光景だ。

死体が積み重なり、まだ息のある者が呻き、血が溝のように流れている。まるで川だ。赤黒い川が、戦線の中央に横たわっていた。


次の命令も、同じだった。


「突撃」


その一言が、すべてを決める。


私は無言で腰の銃剣を外し、小銃の先に取り付けた。

金属同士が噛み合う感触が、妙に現実的だった。

これから人を殺すための準備だというのに、手順はあまりにも機械的で、冷静で、感情が入り込む余地がない。


合図が鳴る。


同時に、私たちは走り出した。

叫び声が上がり、銃声が重なり、砲弾の余韻が空気を震わせる。


奇しくも、敵も同じタイミングで突撃してきた。

互いに引くことを許されず、両者は血の川を越えて正面から衝突した。


乱戦だった。

前も後ろも、敵も味方も、区別はすぐに意味を失う。

銃剣がぶつかり、銃床が振るわれ、倒れた者が踏みつけられる。誰が誰を殺したのかなど、誰にもわからない。


――戦場で、よそ見は命取りだ。


それは訓練で叩き込まれた鉄則だった。

視線を逸らした瞬間、背後から刺される。

迷えば死ぬ。考えれば死ぬ。


それでも。


それでも私は、見てしまった。


ほんの一瞬。

本来なら、視界の端で流れ去るはずの存在に、私は目を奪われた。


長い刃物を持つ人物がいた。


銃剣よりも、明らかに長い。

刀――そう呼ぶしかない形状の刃を、両手で扱っていた。


その動きが、異様だった。


上から下へ。

下からすくい上げるように。

左右へ、流れるように。


力任せではない。

必死さも、焦りもない。

まるで、最初からすべてが決まっているかのように、刃は描かれた軌道をなぞる。


対峙した兵士たちが、次々と倒れていく。

抵抗する間もなく。

恐怖を言葉にする暇もなく。


その人物は、笑っていた。


歯を食いしばるでもなく、叫ぶでもなく。

ただ、静かに、穏やかに、楽しげに。


美しい、と私は思ってしまった。


殺しの所作が、あまりにも無駄がなく、あまりにも整っていて。

戦場という現実から、そこだけ切り取られた舞台のようだった。


私は立ち止まっていた。

ほんの数秒だったのだろう。

だが、その数秒は、永遠のように感じられた。


――なぜ、笑っている?


疑問が、恐怖よりも先に浮かんだ。


その人物の周囲だけ、空気が違って見えた。

血の臭いも、硝煙も、悲鳴も、すべてが遠のいている。


次の瞬間、銃剣が私の視界に突き出された。


反射的に身を引き、刃を弾く。

現実が、無理やり引き戻される。


私は戦い、刺し、倒し、また進んだ。

だが、頭のどこかで、あの人物の動きが再生され続けていた。


再び視線を向けたとき、そこにその姿はなかった。


ただ、倒れ伏す兵士たちと、静かに広がる血溜まりだけが残っていた。


突撃は失敗だった。

双方ともに大きな損害を出し、結局、また膠着に戻った。


夜が来る。


負傷者の呻きが、闇の中で響く。

私は塹壕に座り込み、震える手で水筒を口に運んだ。


眠れなかった。


目を閉じると、あの笑顔が浮かぶ。

刃が描く軌跡が、何度も何度も再生される。


恐ろしかった。

だが、それ以上に――惹かれていた。


戦場で、あれほど自然に殺しを楽しめる人間がいる。

それを知ってしまったことが、何よりも私を壊していった。


翌日、死体を回収する中で、その人物の姿を探した。

だが、見つからなかった。


最初から、いなかったかのように。


ただ一つ、確かなことがある。


あの戦場で、私は知ってしまったのだ。

戦争は、人を狂わせるのではない。


人の中にあった狂気を、解き放つだけなのだ。


そして私は今も、あの笑顔を忘れられずにいる。

美しい殺しをする者の、あまりにも潔い笑いを。


戦場は、いつも残酷だ。

だが、時として――その残酷さは、息を呑むほど、美しい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ