《真実》《不可触》
クフィルが、スタンドアロンの中枢を物資搬入用エレベータの警備システムを経由して、電子的に制圧した。網膜を奔る情報の奔流を瞬時に捌き、論理回路の迷路を最短距離で駆け抜ける。物理的なロックが解放される重々しい音が、静まり返った通路に響いた。――無論、二秒でだ。常人には瞬き一つの時間に過ぎないが、彼にとってはシステムの心臓部を掌握し、その拍動を止めるには十分すぎる時間だった。
重厚な防熱扉が、溜め込まれた冷気とともにスライドする。
地下階層はすでに引き払われていた。かつてここを満たしていたであろうサーバーの駆動音や人の熱気は消え失せ、今はただ、冷却水の循環が止まった機械の残骸が放つ、刺すような金属臭と静寂だけがそこを支配している。
そこにはコーデリアらしい個体はいなかった。
部屋の中央に鎮座する巨大なアクリルケースだけが、かつての主の気配を微かに留めている。ケースの隅に押し込まれた毛布、飲みかけのまま放置されたビタミン剤のボトル、そして内装の樹脂にこびりついた、生身の人間がそこに存在したという確かな「生活臭」。それらの痕跡を残したまま、主を失った透明な箱は、ただ残酷なまでの空虚さを主張するのみだった。
「遅かったみたいですね。この後、どうしましょうか……」
アオが深い溜息とともに、力なく肩を落とす。彼の瞳に宿っていた微かな光が、地下室の闇に吸い込まれていくようだった。祈るように組まれた指先が微かに震えている。目的を目前にして、指の隙間から希望がこぼれ落ちてしまったような、その沈痛な面持ちは、この殺風景なラボの中で、ひどく場違いなほど鮮明な情景として浮かび上がっていた。
「探す。こういうのはクフィルに任せた」
と、フィンが短く、断定するように言った。彼の視線は、モニターや端末には一切目もくれず、ただ静かに「部屋の現状」を観察しているクフィルへと向けられている。
アイツはホームズ張りの名探偵だからな。コーデリアが何処にいるか割り出してくれる。
フィンの言葉には、一切の疑念がなかった。論理を超えたところにある、積み重ねてきた確信。その静かな信頼が、張り詰めた空気の中に一本の芯を通していた。
一方、廉は慣れた手つきでポケットロンを取り出し、耳に当てていた。
「……ああ、そうだ。例のラボだ。派手にやったが、ネズミ一匹出さないように掃除しとけ。いいな、徹底的にだ」
画面越しに響くのは、裏社会を揺るがす「河渡組」への冷徹な事務連絡だ。このラボで起きた襲撃事件を、公的な記録からも、ストリートの噂からも完全に揉み消すための指示。法と秩序が届かぬこの街においても、河渡組の持つ黒い影響力を使えば、隠蔽工作すら不可能ではない。廉の低い声は、この混沌とした状況下でも揺らぐことのない絶対的な暴力を背景にしていた。
その時、虚空を、あるいは「過去の幻影」を見つめていたクフィルの瞳が鋭く光った。彼はハッキングによるログの追跡などには頼らない。床に残された台車の擦過痕、電源プラグが引き抜かれた際の角度、換気ダクトに吸着した僅かな化学薬品の残臭、そしてアクリルケースの指紋の重なり。それら無数の「物理的な事実」を脳内でパズルのように組み上げていく。
「分かった。木更津湖の北082倉庫よ。その前にある廃船……あれ、内部を偽造したラボに作り替えてあるわ。そこにいる」
分析や、地道なデータマイニングといった過程を全て飛ばして、クフィルがコーデリアの居場所を突き止める。それは情報の断片から「真実」という像を彫り出すような、鮮烈な知能の跳躍だった。
N◎VAの名探偵にはまれに良くある事だ。
しかし、実際に当事者として、その神業めいた解答を伝えられると、それは暗闇を照らす灯火のように有り難いものである。
「まだ、希望はあるのですね……!」
アオの顔が、一転してパッと明るくなった。先ほどまでの湿っぽい落胆は霧散し、彼の全身に再び生命力が漲る。その切り替えの早さは、彼が持つ純粋な信仰心ゆえか、あるいは彼自身の特異な性質ゆえか。
「しかし、大した修行者だな、シスター」
廉が、ポケットロンをしまいながら、茶化すように言った。彼の脳裏には、先ほどこの場所へ至るまでの道中でアオが見せた、あの凄まじい技の数々が焼き付いている。
「よくぞまあ、あの包囲網を突破できたもんだ。普通の武闘家なら生涯かけて、あの域に達するかどうか……」
細腕の彼が、鋼の肉体を持つ強化人間たちを相手に、迷いなく必殺の打撃を叩き込んでいた姿。それは暴力の極致でありながら、同時にどこか神聖な儀式のようでもあった。その驚異的な練気の輝きを思い出し、廉は軽く肩をすくめる。
「ストリートは物騒なので……」
アオは少し困ったように頬をかき、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。自らの肉体で敵を撃破してきたことへの傲慢さなど微塵も感じさせない、いつも通りの、穏やかなシスターの顔で。
そういう事になった




