雄弁な死体
「真教」のモスクの前では、いつものようにシスター・アオが竹箒を手に、石畳を掃き清めていた。フィンとクフィルは、非合法な任務で汚れた神経を休めるべく、彼女に軽く目配せをして礼拝堂へと歩を進める。しかし、その静寂は不自然な重みを持った足音によって破られた。
「……血の匂いだ。それも、かなりの量だ」
フィンの言葉が終わるより早く、クフィルのIANUSが事態を把握する。二人は無言の連携で即座に反転し、玄関へと引き返した。
「大丈夫ですか? 医務室はこちらです。急げば助かるかもしれません」
クフィルの平坦ながらも、迷いのない声が玄関ホールに響く。そこには、漆黒のコートをどす黒い血で染め、何かを背負った男と、呆然と立ち尽くすアオがいた。
男の顔を見て、フィンはわずかに眉を寄せた。児玉廉。暴力団「河渡組」の中堅構成員であり、かつては「人斬り(カタナ)」として界隈にその名を轟かせた男だ。フィンのような軍上がりにとって、その手の「専門職」は特有の殺気で判別がつく。
「ありがとう、アオさん。……こちらの兄さんが、ここのシスターに会いたいと言ってきかなくてな」
廉の掠れた声の先、彼が背負っていたのは、死の影に完全に飲み込まれた青年だった。クフィルのIANUSのアプリが、即座に彼の状態を弾き出す。火器による複数の貫通銃創。大量失血によるショック死寸前。いや、もはや心拍は砂時計の最後の一粒が落ちるのを待つばかりの状態だった。
「シスターは……いますか。……懐の、ポケットロン……。アドレス、入っ……コーデリア……」
青年は、肺に溜まった血を吐き出すようにそれだけを告げると、カクリと首を垂らした。生と死の境界線があっけなく消失し、玄関ホールには線香の煙のような沈黙が降りた。
数分後、形ばかりの通報を受けて企業警SSSが到着する。事務的な事情聴取が始まったが、集まった四人の口から、青年の「遺言」について語られることはなかった。
SSSの目を盗み、アオが淀みのない動きで青年の懐から千早電子製の「ポケットロン」を抜き取るのを、三人は見ていた。
それを見過ごし、隠蔽を助けることで、そこには言葉を超えた共犯者めいた連帯感が醸造されていった。
「私が彼を拾ったのは、ジョギング中の偶然です。墨田川に浮いているところを見つけて、ついお節介を焼いてしまった」
廉が薄い笑みを浮かべながら、警官に向かって嘘を吐く。かつての「人斬り」が語るにはあまりに似つかわしくない台詞だったが、誰もそれを指摘しない。
「袖すり合うも多生の縁……。彼は最後に、祈りたかったのでしょう」
アオは懐に隠したポケットロンの重みを感じながら、聖母のような慈愛に満ちた嘘を重ねた。
フィンとクフィルは、千早電子のロゴが入ったそのポケットロンが、何らかの火種であることを直感していた。だが、二人は顔を見合わせ、ただ沈黙を選んだ。定時を過ぎた後の彼らは、企業の忠実な歯車ではなく、一組の夫婦であり、この街(N◎VA)の住人に過ぎないのだから。
SSSのパトカーが去り、再び静寂が戻ったモスクの玄関で、四人はしばらくの間、動かなかった。手元にある謎のアドレス「コーデリア」(という名か?)がこれから彼らをどのような泥沼へ引きずり込むのか。その予感だけが、冷たい夜風と共に彼らの背中を撫でていった。




