聖女は今日もウソをつく
「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」
照れを隠さず、それでもはっきりと聞こえるように私は声を上げた。
次の瞬間、意味が解らないと目を丸くした視線が私に集中する。
無理もない、逆の立場なら私も同じ反応をしただろう。
とはいえ、私も考え無しではない。
一歩間違えばうっかり処刑されかねない発言をしたのには、それなりに意味がある。
……まあ、ウソとして語ったのだけれど。
……*
ことの始まりは数十分前に遡る。
勢いよく開かれた扉を前に、私は目を丸くする。そう、先に驚かされたのは私の方だ。
ギシギシと悲鳴を上げる扉をよそに、三人の男が私の元へと押し寄せた。
内訳はこうだ。
普段から苦労が絶え間なく供給されているであろう、初老の男性。
その背後には身なりの良い金髪の男性と、甲冑を身にまとった大柄な男が立っている。
一応、全員知っている人だったので恐怖はない。
むしろ見慣れた三人組。いや、一人は兜で顔は見えないのだけれども。
などとぼんやりしていると、一番年配の男性が徐に跪いた。
窓から差し込む光を彼の頭が捉える。とても既視感の強い光景。眩しいとか思っている場合じゃない。
経験則で知っている、これはロクでもない相談事だ。
「聖女様。どうか我らをお助けください!」
ほら、見た事か。
今日はどんな相談なのだろうかと想像しながら、私は天を仰いだ。
とはいえ、彼の素性も知ってしまっている。
彼の名はリオネル・ジスカール。この国の大臣であり、大貴族の一人なのだ。
そんな偉い人が藁にもすがる思いで私のような小娘に頭を下げている。
私もこの事実を無視できる程、分別のできない人間ではなかった。
「大丈夫ですよ、父上。聖女様は心お優しい方ですから。
きっと、何とかしてくれるはずです」
「そっ、そうだな!」
金髪の男がそう言うと、リオネルさんはほっとした表情を見せる。
勿論、彼の事も知っている。
リシャール・ジスカール。
リオネルさんの息子であり、今は父の下で跡を継ぐべく勉強中なのだとか。
他にも剣の腕が達者だと耳にした事はあるけれど、それはまた別の話。
というか、「何とか」って。
まだ話も聞いていないのに、どうしてそう言い切れるのか。
リオネルさんも可愛い息子の言葉とはいえ、根拠もなく鵜呑みにしないで欲しいものだ。
「ええと、まずは話を聞かないことには……」
「そっ、そうでしたな!」
兎にも角にも。内容を知らなくてはどうしようもない。
私がそう促すと、リオネルさんは縋るように私を見上げながら口を開いた。
「実は今年は不作で、満足な貢納が得られそうにないのです」
「貢納……ですか……」
はい、無理です。
リオネルさんにつられて神妙な顔つきをしてみせるものの、これはどうしようもない。
不作を一瞬で解決するような術を、私は持ち合わせていない。
一方で、ひとつの疑問が私の脳裏を過る。
私もそこそこの間この国で過ごしているけれど、特段食事の量が減ったとは感じなかった。
これはもしや、気を遣われていたのだろうか。
申し訳なさそうなのは、隠していた事実を結局話してしまったからなのだろうか。
そうだとすれば、ばつが悪いのはむしろ私だ。
作物が納められないという事は、みんながお腹を空かせている。
何も知らず、聖女と呼ばれちやほやされていた私を除いて。
「え、ええと」
ダメだ。気まずさから目が泳いでしまう。
向こうはそんなつもりで相談したわけではないだろうけれど、平然と会話を続けられるほど私の神経は図太くない。
「一部の領主は、自分たちの食い扶持を徴収するべく権力を振りかざしています。
それにより、困窮する民も少なくありません」
「うっ……」
リシャールさんの追い打ちにより、耳の痛くなる情報が増えてしまった。
徴収に待ったをかければいいのではないかとは思ったけれど、それで済む話なら私に相談は来ないはずだ。
聞く耳を持たないか、行動に移せない理由があるのだろう。
さすがに、そこまで訊く気にはなれなかった。だって、もう既に胃が痛いのだから。
「聖女様の御力で、どうにかならないでしょうか?」
ああ、そんなに懇願しないで欲しい……。
私はさほど深くも広くもない知恵をフル回転させ、リオネルさんへ提案する。
「り、隣国から足りない分を仕入れるというのはどうでしょうか?」
食料自給率が100%に届かないのなら、輸入に頼るしかない。
多少、値は張るかもしれないが仕方がない。まずは当面の食料を確保するのが先決だ。
「なりません。隣国に借りを作るなど、断じて認められません!」
「ええっ!?」
間髪入れずに首を横に振るリオネルさんを見て、私は思わず声を張り上げた。
これは「できない」のではなく「やりたくない」のだという意思が、これでもかと感じられた。
「借りとか貸しとか、そんなこと言ってる場合じゃ……」
「いくら聖女様のご提案でも、それだけはなりません!」
リオネルさんは、まるで茹でダコのように頭の先まで赤く染まっている。
背後ではリシャールさんが口元に拳を当てながら笑いをこらえていた。
ずるい。私は対面しているから、我慢しているというのに。
「聖女様はご存じないと思われますが、我が国は隣国との関係があまりよくないのです」
「そ、そうですか……」
金属で反響した声が、リオネルさんの背後から聞こえてくる。
甲冑の男性のものだった。中々に良い低音をお持ちのようだけれど、堪能している場合ではない。
隣国との仲が悪いというのは、珍しくもないだろう。
私の記憶でだって、いくつも覚えがある。
ただ、今の問題はそこではない。
二進も三進もいかない状態で、私は相談を受けているのだ。
段々と罪悪感が鳴りを潜め、怒りが込みあがってくるのを自覚する。
この人達の言う聖女は、無理難題をスパっと解決する存在を指すのだろうか。
だとすれば、人違いだ。いや、私が聖女というのがそもそもの誤りかもしれないけれど。
「奇跡の御力。もしくは、異界の知恵が頂ければと思うのですが」
さっきまで笑いを堪えていたのはどこへやら。リシャールさんの真剣な眼差しが私へと刺さる。
リシャールさんだけではない。リオネルさんも、ずっと私への期待を隠そうとしない。
兜で隠れて視線は見えないけれど、きっと甲冑の男性も。
要するに、彼らは欲しいのだ。自分達では持ちえない何かを。
私が何かを持っている事を、知っているが為に。
今更だけれど、私の名はサチ。この世界での姓はない。
先の会話にもある通り、この国。この世界の住人ではない。
この事実は、私が聖女などと呼ばれている理由にも起因している。
……*
かつて私は、野上紗知という名を持っていた。
作物を納めたり、領主や貴族に振り回される人生とは無縁の時代。21世紀の日本で。
幸福だったかどうかには疑問符がつくけれど。
社会の歯車としてただただ毎日を過ごす。裕福とは口が裂けても言えず、張り合いや潤いがあったとも思えない日々。
けれど、何かを変える勇気や行動力も持ち合わせてはいない。
こうして生きている。
その事実だけで、私は変化を嫌っていたのだ。
尤も。変化というのは何も能動的に起こすだけではない。
唐突に、強引に押し付けられる事だって珍しくはない。
私の場合は、非常に珍妙なケースだっただろうけど。
いつものように終電間際まで残業をこなし、電車の椅子に腰掛ける。
少し硬い。それでも休める事に感謝しながら、やや不規則に揺れるリズムを感じていると、忽ち視界が暗闇に呑まれてしまった。
それが野上紗知として生きた、最後の記憶。
次に私が目を覚ました時には、神秘的な情景だった。
水の透き通った美しい湖が視界に広がる。背後には、緑豊かな森林が聳え立っている。
大自然に囲まれていたところを驚くべきなのだろうが、身を預けていた草花が心地よくてそんな事はどうでもよかった。
あまりに現実から離れた光景を前に、夢か幻。もしくは、ひっそりとお迎えが来たのだと思っていた。
だからだろうか。私は解放感に浮かれていた。
良くて夢ならば、目いっぱい楽しんでやろうと思ったのだ。
会社と家の往復では考えられないほど軽快な足取りで、私は周囲を探索し始める。
草木を分け、大地を踏みしめる。空気がとても美味しいと感じたのは、初めてだった。
本当に長閑で素敵なところだ。
そう感じた矢先。小さな子供の泣き声が、森の中で響き渡る。
「どっ、どうしたの?」
泣き声に導かれるまま森の中を駆けると、少女がひとり座り込んでいる。
膝には擦り傷と、そこからにじみ出る赤い血。恐らくは木の根にでも足を取られ、こけてしまったのだろう。
それよりも驚いたのは、少女の風貌だ。
彼女の髪は鮮やかな赤を帯びており、瞳も琥珀のように美しい。
服装もスーツ姿の私とアンマッチしており、まるで人形のような可愛らしい娘の姿がそこにはあった。
彼女の存在は、私に強い衝撃を与えてしまう。
うーん。どうやら私は、相当に疲れていたらしい。
もしくは正真正銘お迎えが来て、最期の自由を満喫しているのかもしれない。
様々な考えが頭の中を巡りまわっているが、少女の泣き声で我に返った。
「大丈夫?」
私が近寄り声をかけると、少女は驚いた反応を見せる。
さすがに不審者が過ぎただろうか。まじまじを顔を見つめられている。
忌避されていなさそうなのは、幸いか。
「痛いの?」
「うん……」
めげずに再び尋ねると、少女の頭が縦に振られる。
運悪く、膝をついた箇所に小石でもあったのだろう。傷口は見えなくなるほど、真っ赤に染まっていた。
「ちょっと待ってね」
私はポケットからハンカチを取り出し、少女の膝へ巻き付ける。
治療とは言えないが、せめてもの止血だ。視覚的にも傷口を隠す事で、少しでも彼女の気が楽になれば。
そう思った矢先だった。
――祈って。
「え?」
不意に、頭に声が流れ込む。少女のものではない。
なんだかよく分からないにも関わらず、私はその声に従う。
彼女の傷が治りますようにと。
するとどうだろうか。
少女の傷口が、優しげな陽光に包まれ始めたではないか。
「え? ええ?」
思わずハンカチが手からすり抜ける。
するとどうだろう。血どころか傷跡ひとつもない少女の膝が私の瞳に映し出されたではないか。
少女と目が合う。
私は恐る恐る、彼女へと尋ねた。
「痛くない?」
「うん」
少女が満面の笑みを見せる傍らで、私は唖然とした。
意味が分からない。どんなドッキリだと困惑をする私をよそに、彼女は問う。
「おねえさんは、聖女さま?」
「…………はい?」
これが私、野上紗知が異世界で起こした最初の騒動。
この世界に奇跡を齎す存在である聖女としての生活が、産声を上げた瞬間だった。
……*
そこから紆余曲折あり、今に至る。
私にはこの世界の人には起こせない奇跡の力を持っているようだ。
その力と元の世界の知恵を求めて、様々な人が私の元へと訪れている。
余談だが、この世界に黒髪の人間は存在しないらしい。
つまり、私が人前に出た時点でアウト。もう異世界人だとバレる仕様だった。
前置きが長くなったが、リオネルさん達も私の持つ知恵か力を欲しがっているのだ。
でも、輸入は出来ないんだもんなあ……。
私はうんうんと頭を悩ませる。
聖女でも解決できないのかと顔が青ざめていくリオネルさん。
どこか面白そうに私を見ているリシャールさん。対照的に、微動だにしない甲冑の男性。
とりあえず判る事は、手ぶらで帰るつもりはないというところか。
ならば仕方がない。最終手段を使うとしよう。
「では、私達の世界に伝わるある格言をお教えしましょう……」
「おおっ!」
私がそう言うと、彼らの瞳に光が灯る。
とんでもない期待値を前にして、一瞬躊躇をするがもう逃げられない。
覚悟を決めた私は大きく息を吸い込むと、リオネルさん達へある言葉を告げた。
「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」
「……は?」
私達の世界では、悪い意味で有名なこの台詞。
けれど、やはり彼らには聞き覚えがないようだ。目を点にして、私の顔をまじまじと見ている。
それでいい。だって、意味を知っていてはいけないのだから。
この言葉は聖女である異界人が私一人だからこそ、ここから先の物語が成立する。
「聖女様、それはどういう……」
やはりというべきか。最初に意味を訪ねたのはリオネルさんだった。
少しでもこの言葉の意味を理解して、政治につなげたいのだろう。
涙ぐましい努力だからこそ、本当の意味は教えられない。
だから、私はウソをつく。
それが彼らにとっての真実になると知っていながら。
「言葉の通りです。裕福な暮らしをしている貴族は、パンに拘る必要がないでしょう。
彼らはお菓子を食べ、余った食料を民へ配分するべきです」
私はリオネルさん達へ、本来の意味とはかけ離れた解説を行う。
我ながら詭弁もいいところだ。お菓子は好きでも三食、しかも毎日は辛いだろう。
だから、私は即座に言葉を続けなければならない。
「民あってこその国家なのです。彼らが力を存分に発揮する環境を整えてこそ、真に強い国といえるでしょう。
彼らはこの危機を乗り越えれば、今以上に繁栄を齎します。貴族達は今、投資する機会を得ているのですよ。
徴収を決めた領主も、この事実に気付けば考えを改めるに違いありません。
そうでなくとも、この言葉に背けば自分は優雅な暮らしができていませんと宣言をしているようなものですから」
私は演説をするかの如く、次々と耳障りのいい言葉を交えていく。
実際は貴族に貢納を我慢しなさいと言っているだけなのだが、食料の絶対数が足りないのなら必ずどこかに歪みは生まれる。
ただ、それが弱者ではなく強者なら。あるいは耐えきれるのではないだろうか。
そんな望みを賭けた、保証なんて何もない詭弁だ。
「な、なるほど! では早速、議会に掛け合ってみましょう!」
「そ、そうですか……」
しかし、私の言葉はリオネルさんの心に響いたらしい。
ウソをついた私が言うのもなんだが、大丈夫だろうかと少し不安になる。
「こうしてはおれん! リシャール、行くぞ!」
「はっ」
完全に輝きを取り戻したリオネルさんが、意気揚々と踵を返す。
その様子を目の当たりにしたリシャールさんがクスリと笑みを零すのを、私は見逃さなかった。
「聖女様。本日も私どもへ導きを与えてくださったこと、心より感謝いたします」
「え、ええ。この国が繁栄することを、私も心より祈ってます」
去り際に一度、一行は私へ頭を下げた。
そのまっすぐな感謝に少し心を痛めながら、私は彼らを見送った。
……*
「さて、と……」
リオネルさん達が去ってから、小一時間は経っただろうか。
私は徐に、服を着替え始める。やらなくてはならない事ができたからだ。
目立たない色の服装。更にフードを深く被るのも忘れてはならない。
黒髪の私は、見られた瞬間に聖女だとバレてしまう。鴨が葱を背負っているようなものだ。
極力目立たないように。慎重かつ足早に、私は外へと足を運ぶ。
フードの効果が出ているからか。もしくは、人々の心に余裕がないからか。
聖女だとバレないまま、街の中を歩き続ける。
目的地はこの街を向けた向こう。私がこの世界で目覚めた、あの湖。
ここだけの話、私は聖女として自覚しているだけでもふたつの奇跡を授かっている。
ひとつは少女の怪我を治療した、癒しの力。
残るひとつは、あの湖でこそ真価を発揮する。それが今回の「やらなくてはならない事」だ。
運が良ければ、今回の不作も解決できるかもしれない。
リオネルさんは私の言葉で納得をしてくれたけれど、流石にお菓子ばかりというのは健康にもよくはない。
どうか解決できますようにと、聖女らしく祈って見せた。
「おや」
そんな最中である。
このどう見ても地味な風貌をした町娘を見て、足を止める人物がいたのは。
誰だと思いつつも、視線を向けることができない。
顔が……というより、髪が見えてしまっては聖女だとバレてしまう。
せめて勘違いだと思ってくれますようにと、私は歩く速度を早めた。
「お待ちください、サチ様」
「えっ」
不意に自分の名を呼ばれ、思わず振り返ってしまう。
視線の先には金髪で顔の整った男性が立っていた。
彼の姿には見覚えがある。というか、さっきまで会っていた。
リシャールさんだ。
「ああ、良かった。やはりサチ様だ」
彼は私の顔を確認するなり、笑みを浮かべる。
反対に私は、動揺のあまり彼の顔を直視できなかった。
「ど、どうしてこんなところに!? リオネルさん達はどうしたんですか!?
そっ、そもそも! どうして名前で呼ぶんですか!?」
どうしてバレたかも気になるけれど、問題は呼び名だ。
リシャールさんは私を「サチ」と呼んだ。いつもは聖女呼びなのに。
しかも、周囲にはリオネルさんや甲冑の男性がいない。
いろいろと勘ぐってしまっても、仕方がない。
「父は先の話を伝えるべく、奔走していますよ。
私は議会に出席致しませんので、街の様子を確認していたところ、貴女を見つけた次第です。
サチ様とお呼びしたのは、貴女の身分が知られないようにしたつもりでしたが」
彼は淀みなくスラスラと、私の問いに答えていく。
なるほど。リシャールさんは偶然私を見つけたと。
名前を呼んだのは、聖女とバレないように配慮してくれたと。
つまり、私が迂闊だったと。もう少し時間を置くべきだったと。
こういうのはタイミングの問題だからズラしたらズラしたで遭遇してそうな気もするけれど。
やらかしたかと思うと、急速に頭が冷えていく。
同時に、この状況はあまりよろしくない。どうしたものかと、私を悩ませた。
聖女の安全を保証する為。と言えば聞こえはいいが、私が自由に出歩く事を好ましく思っていない人は多い。
不用心に出歩いているところを攫われでもすれば一大事なのだから、その考え自体は理解できる。
ただの一般人だった私が、その扱いに耐えられるかどうかは別の話として。
だから私は、こうやってお忍びで街へ繰り出していた。
けれど、それも今日で終わりだ。リオネルさん辺りに知られれば、四六時中護衛でもつけられかねない。
さようなら、私の自由……。
「それで、どちらへ行かれるのですか?」
心の内で自由に別れを告げている一方で、リシャールさんの反応は意外なものだった。
嗜めるわけでも、連れ戻すわけでもない。単純に、私の行先を訪ねる。
もしかすると、これはお咎めなしで済むパターンなのだろうか。
「乙女にそんなこと、尋ねないでください」
「お答えできないような危険な場所へ行くのを、見過ごせはしませんね」
「ま、待ってください!」
ぎこちない笑顔とヘタクソなウインクを見せると、とても冷ややかな反応が返ってきた。
これはまずいと、私は慌てて取り繕う。
「湖に、ちょっと用事がありまして……」
「湖というと……。貴女が目覚めたという?」
私はコクンと頷いた。
フードに遮られ、リシャールさんの顔が見えなくなる。
「どうしても行かなくてはならないのですか?」
「出来れば、行っておきたいなというか……」
曖昧な返事をする私を、彼はどう思っているだろうか。
少なくとも、納得はしてもらえない。……と、思っていたのだが。
「わかりました。では、私がお供をしましょう」
「はえ?」
思わず、間の抜けた声が漏れ出てしまう。
意外や意外。なんとリシャールさんは、私を止めるどころか同行を申し出たではないか。
「ええと、私。肝心なことは何も話してないんですけど……。
本当に、いいんですか?」
「勿論。あんなウソをついた直後に何をしようとしているのか、確かめたいですから」
えっ。
唖然とした表情で、私は顔を上げる。
視線の先には、飛び切りの笑顔を見せるリシャールさんの姿があった。
「ふむ。やはり、ウソだったんですね。サチ様も人が悪い」
…………やられた。
彼も確信があった訳ではない。きっと、私の話す内容に違和感を覚えたのだ。
そこでカマをかけたところ、間抜けな私はまんまと掛かってしまったわけだ。
「サチ様の口はウソをつくようですが、表情は正直ですね」
「……褒められているのか、馬鹿にされているのかわかりません」
「人が良いとお伝えしているのですよ」
いや、これやっぱり馬鹿にしている!
そう思ったけれど、口に出すのはやめた。
……*
それから私達は湖までの道のりを歩く間、たくさんの言葉を交わしていく。
幸いだったのは、私のウソをリシャールさんは怒っていないという事だ。
曰く、彼の父であるリオネルさんは悲観的になりやすいという。
だから、あれぐらい大袈裟に言ってくれた方が気は休まるらしい。
ただ、根本的な解決には至っていない。
リシャールさんはそう気付いたからこそ、私にカマをかけたそうだ。
「聖女様がそのまま無責任に放置するなら、憤慨したかもしれませんけどね」
と、彼は言った。
私が動いている姿を確認した事で、彼は「嘘も方便」という認識をしてくれたようだ。
あの瞬間では解決できなくても、きっと何とかしてくれる。
私の言葉ではなく、聖女としての力を信じているにも見受けられた。
二人きりになったとたん、聖女呼びになっている事からも伺える。
きっと、この世界では聖女の齎す奇跡は絶対的なものなのだろう。
私がこの事実に苛立ちを感じたのは、また別の話となる。
湖のほとりで、私達は腰を下ろす。
澄んだ空気が肺へといきわたり、すっと心を落ち着かせてくれる。
「それで、聖女様は湖でどのような奇跡を見せてくれるのですか?」
一体何が起きるのか。
期待の眼差しを見せるリシャールさんに若干引きつつ、私は答える。
「……あまり面白くもなければ、確実とも言えない。
それでいてリシャール様にはつまらないものですよ」
「聖女様の奇跡がつまらないなんて、ありえます?」
「ありえるんですよね、これが」
リシャールさんの期待値が跳ね上がっていく中。
ある意味で、私は彼の期待を裏切る行動を起こす。
それこそがもうひとつの奇跡なのだから。
「ディーネちゃん、来たよ。あ、シル君やノムさんもいるね。イフ君はお休み中かな?」
「???」
私が読んだ名前の主を探して、リシャールさんは周囲を見渡す。
けれど、何もいない。彼にとっては、それが正解。
私にとっては、見えるのが正解。
その証拠に、私の耳には確かにこの子達の声が届いている。
――サチ、遊びに来てくれたの!?
ディーネちゃんが、水面を揺らす。
――何してあそぼっか!?
シル君は、元気いっぱいに私の周りを駆けまわっている。
――待て待て、他に人間もつれておるじゃろう。こいつはきっと、頼み事じゃて。
さすがはノムさん。話が早い。
彼らの声は、私にだけ聞こえている。
ディーネちゃんは水。シル君は風。ノムさんは土。
この世界の自然を司る、精霊達だ。
私に授かったもうひとつの奇跡は、この精霊達と対話ができるというものだった。
問題は、私にしか姿が認識できないという事。
リシャールさんから見た私は、虚空に話しかける危ない女にしか見えないだろう。
だから一人で来たかったのだけれど、背に腹は代えられない。
ある程度リシャールさんにも状況が把握できるよう配慮しながら、私は精霊との対話を続けた。
「最近、どうやら不作で農作物が育たないらしいの。
みんなの力で、どうにかならないかな?」
――土が痩せこけておるんじゃないのか?
――水はきちんと与えられているのかしら?
ノムさんとディーネちゃんが「ああでもない」「こうでもない」と、様々な意見を与えてくれる。
話に加われないシル君はそよ風を吹かせて遊んでいた。
「今日、明日で解決して欲しいってわけじゃないんだけれど。
出来れば、このまま不作っていうのは避けたいの」
――他ならぬサチの頼みだ。叶えてやりたいのだが。
ノムさんは前向きに検討してくれているが、どこか歯切れが悪い。
その理由を考えていると、ディーネちゃんの口から要望が持ち掛けられる。
――人間と一緒で、お仕事だけじゃ疲れちゃうから。サチがこまめに遊びに来てくれればなぁ。
――そうだな! 週に一回は来てくれなきゃな!
――お前さんは今回、何もしないじゃろがい。
尤も、その要望は非常に軽いものだった。
私とて、外を出歩く大義名分が得られるなら願ったり叶ったりだ。
「え? そんな事でいいの?
いいよいいよ、また遊びに来てあげる」
次の瞬間、精霊達が歓喜の声を上げる。
不意に起きた突風や水しぶきに驚くリシャールさんの姿は、どこか可愛らしかった。
……*
「それで聖女様が精霊と遊ぶことを担保に、実りを下さると?」
「はい。どこまで可能かはわかりませんが、じきに不作は解決するかと」
帰路につく中で、私はリシャールさんへ精霊とのやり取りを説明した。
精霊の恵みを受ける代わりに、私は定期的にこの湖へ足を運ぶという事も含めて。
「本当なら喜ばしい限りですが、ウソではありませんよね?」
とはいえ、私は一度ウソが暴かれた身だ。
外出する口実を作っているのではないかと、疑われてしまっている。
「違いますよ! 何なら、毎回リシャールさんが同行してくれればいいじゃないですか!」
「す、すみません」
心外だと憤慨する私に、彼は申し訳なさそうな表情を見せる。
私は好機とばかりに、手を緩めない。
「というより、精霊と話ができることを知っているのはリシャールさんだけです。
一人で行くのが危険だというのなら、是非とも同行をお願いしたいのですが」
「そうですね。聖女様が頻繁に外を出歩くとなれば、護衛は必須でしょう。
私で良ければ、お供させていただきます」
正直、この瞬間の自分がどんな表情をしていたか判らない。
ただ、今日一日で彼の色んな一面を知れた。今後はもっと知る機会が増えるに違いない。
そう思うと、自然と心が弾んでいる。
「ところで、頻度はどれぐらいなのですか?」
「いっ……」
リシャールさんの問いに、一度は答えようとした言葉を呑み込む。
「三日に一度は、顔を出してほしいと」
「それはまた、精霊達も結構な要求ですね……」
調整が大変そうだと、リシャールさんは天を仰ぐ。
ごめんなさい、最後にまたひとつウソをつきました。
どうかこのウソがバレませんように。
自分の感情を自覚しないまま、私はそう願っていた。