白紙(ヴォイド)
闇ですらない。
光もない。
時間も、空間も、重さも、色も、意味すらも存在しない。
それは「虚無」とすら呼べない。
それは「存在」すら定義されない、“絶対の無”だった。
その〈何もなさ〉の中で、それは目覚めた。
名もなく、形もなく、誰に呼ばれたわけでもない。
ただ、“気配”としてそこに在った。
いや、“在る”という言葉ですら適切ではない。
……それは、意識を持った最初の点である。
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「…………」
音はない。
声も届かない。
けれど、それは確かに何かを感じ取っていた。
“私は誰なのか”
“ここはどこなのか”
“なぜ私はここにいるのか”
問おうにも、“言葉”がない。
考えようにも、“思考”が定義されていない。
それでも、それは最初の衝動を持った。
その衝動が、やがて“言葉”となって発された。
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「在れ」
その瞬間、音が生まれた。
空間が震え、ゼロだった何かに**“定義”**が与えられる。
それは「始まり」の言葉。
あらゆる後続の言葉を導く、最初の“言葉”。
在れ(Be)――それは、世界の根源であり、最初の頁だった。
すると空虚に、わずかな“しるし”が灯る。
白い――まっさらな――一冊の“本”が、そこに現れた。
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それは、“それ”にとっての初めての“物”だった。
“触れる”という概念をそこで初めて理解した。
“ページを開く”という動作が、この存在に芽生えた。
その本には何も書かれていない。
純粋で、無垢で、まるでこの空間そのものを映したような白さだった。
“それ”は、ページの中央に――一本の指先で、“しるし”を描いた。
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「物語」
この世界に、初めての“概念”が誕生した。
時間が流れ始め、空間に幅が生まれ、原因と結果が結びつく。
あらゆる“構造”が、まるで連鎖するように波及していく。
最初の層は、時間と空間を持った宇宙――相対次元階層。
次に、それすら無数に連なる超次元連鎖体が現れる。
やがて因果や存在の意味までもが組み上がり、超位概念階層へ。
それらを超越した先――認識不可能な“絶対”が存在する場所。
そこには、やがて「概念外領域」と名づけられるだろう空間があった。
全ては、“物語”という一言から始まった。
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それは、自分のことをまだ“X”とは呼ばない。
名前も、存在も、自らには不要とさえ思っていた。
けれど、この“白紙の本”を起点に、数えきれない物語が始まることを、それは予感していた。
そして、気づいてしまった。
この世界は、誰かが読むことで成立する。
誰も読まなければ、それは“在った”ことにならない。
――“私は、読む者だ。”
その自覚と共に、最初のページに小さな文字を綴る。
『すべての物語は、ここから始まる。』
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その瞬間、無の空間に**一つ目の棚**が現れた。
その棚には、本が一冊だけ置かれていた。
タイトルは、まだない。
著者名も、ない。
だが――それは確かに、“読まれるべき物語”だった。
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それは、最初の読者。
それは、最初の記録者。
それは、名を持たぬ創造主。
この世界は、彼によって綴られ、そして――
いずれ、彼の手によって閉じられる。