画家の夢
画家の男は、悩んでいた。
自らの感情を叩きつけるように、キャンバス上に表現するこの画家の絵は、大ヒットとまではいかないがそこそこ人気がある。
しかし、最近はとんと筆が進まない。いわゆるスランプというやつである。
筆を持ってみても、何も浮かばない。いや、構図は見えているのである。ただ、それを表現する線が出てこない。描くことが出来ないのだ。
こんなときは寝てしまうに限る。画家はふて寝してしまった。
不思議な夢を見た。
今よりも昔。江戸時代とかだろうか。とにかく昔。そんなところに、画家はふよふよと浮いている。まるで幽霊みたいだ。どんな壁でも、ゆらゆらふわっと通り抜ける。それでいて、想像したことは大抵が実現できる。
これは明晰夢というやつだな、ちょうど良い。絵のアイデアになりそうなのを探してみよう。人の家にだって入ってしまうぞ。これはどうせ俺の夢だから、俺が何をしても大丈夫だろう。
宙に浮いている俺に驚く住人。リアルなその行動にご満悦な画家。一通り、現地民を驚かせて気付くと、もう夜である。時間経過まであるのか。リアルもここまでいくと、俺の夢もまんざら捨てたもんじゃないな。
さて、夜になると早々に寝てしまう時代である。やることがなくなってしまった画家は、ひとつどこかに絵を描いてみようと思い立つ。壁などはありきたりだし、どうしたものか。
そうだ。天井に描いて、住人が起きたとき、驚くようにしてみよう。これは見ものだ。幸い、これは夢。絵の道具は自由に出てくる。画家はある家に入り込み、天井に絵を描いた。
今まで描けなかったのが嘘のようだ。むしろ、描けなかった欲求不満が堰を切って溢れ出るように、次から次へとアイデアが浮かんでくる。ここぞとばかりに、自分の感情を天井というキャンバスに叩き込んでやった。
描ききった瞬間、眼が覚めた。非常に寝覚めが良い。寝ている住人の驚く顔が見られなかったのは残念だが、スランプを抜けきった、清々しい気分だ。
それからは、スラスラと作品が描けた。そして描けた作品は、今までよりも出来が良く、今までよりも高値で売れた。そこそこ売れていた画家から、売れっ子になった瞬間だった。
金銭的にも、精神的にも余裕が出来て、今まで苦労をかけていたであろう恋人と、旅行に行くことにした。しばしの休息である。
宿泊先の宿で、近くに観光名所があると聞いた。なんでも昔から残っている家屋で、妖怪が出て住人が迷惑した昔話が残っている場所だという。
面白そうなので行ってみると、結構な人気スポットらしく、多少の行列が出来ていた。出てきた人々が、口々に「怖かったね」「本物かな」と話していたので、期待が出来そうだ。
順番を待ち、中に入り、件の部屋に到着すると、天井に広がる絵。間違いない、これは俺が夢の中で描いた絵だ。傍らに置かれた説明板にはこう書かれている。
「江戸の昔、突如この界隈に不思議な出で立ちをし、空を駆ける異形が現れ、騒動となった。その姿を見たあるものは恐怖で昏倒し、あるものは転び強く腰を打った。さらに異形が描いたと思われるこの絵は、見たものの気を狂わせてしまったという。後に、その妖怪は『天井嘗め』と呼ばれるようになった」