22 純愛の最期
あと少しで、ジン君を消し去るところだった。怒りを抑える。
相手を滅ぼす、禁忌の魔法を発動させなかった。
死神の衣装をまとった女神様は踵を返して、見えなくなる。周囲の暗さも晴れ、ジン君に絡められていた鎖も薄れていく。雨も止んだ。
「ジェイル」の呪文は解呪するまで効力が続くと、以前ゲームの説明で読んだ覚えがある。この世界でも適用されるなら……彼は、これからも魔法を使えない。
「くっ……! あの力が使えなくても……」
魔法を封じられて苛立っているのだろう。ジン君が吐き捨てるように言った。血走った目で、こっちを見てくる。
私の命に代えても……これ以上、兄を傷付けさせない!
ジン君を睨んだ時、誰かが私の背を叩いた。驚いて見上げる。負傷した筈のタクマ君が、横に立っている。尋ねた。
「怪我はっ?」
「掠っただけ。油断させて後ろから、どうにかしようと思ってたら……アンタが呪文を唱え出したから様子を見てた」
彼はジン君から視線を逸らさないまま、快活に答える。
タクマ君がジン君の方へ歩んで行く。
「おう、ジン。よくもやってくれたな?」
手の指を、ポキポキ鳴らしながら。
間近で凄まれたジン君の顔色が悪い。笑顔なのに……悲愴な色を帯びている。
彼は助けを乞う如く、こちらを見たけど。私は思い切り無視する。
ジン君の事は、タクマ君に任せよう。
それより先に、お兄ちゃんを――!
「今、救急車を呼ぶから……」
スマホを取り出そうと動かした手を、兄に掴まれる。
雨の上がった世界に、光が差す。私の一番、好きな輝きが兄の顔に映る。
「大丈夫だから。オレが死んでも……貯金は、そこそこしてあるから」
「…………あんなに節約が好きだったのは、私の為だったの?」
「ふはは……」
無理して笑っているだろう兄の表情が、歪んで滲む。目元が沁みる。
兄はピンチの時、助けてくれる。怪我をしていても、私を一番に案じてくれる。彼は私を進学させる為に、高卒できつい仕事を選んだ。お金も親も友達も全部なくても、私だけいればいいと言う。本当に変な人だ。
涙が伝う。
いつかどこかで聴いた兄の独り言が、ここに至って胸に落ちる。
「始めから、こうなるように仕組んだんでしょ? お兄ちゃんが意味もなく遠出するなんて、あり得ないもの! シナリオに沿って、ジン君を誘き寄せたの? 「魔術師」だって言ってたよね? あれも……この世界では魔法が使える事を、私に気付かせようとしたんじゃないの?」
兄は微笑むだけで、答えてくれない。
「オレ……バカだから……何の事でお前が泣いてんのか見当付かなくて……ごめん……」
「嘘つき」
「お前を悲しませるのは、分かってたけど……大丈夫だ。何とかなる」
押さえているパーカーの染みが拡がる。
「お前は……生きてくれよ。タイチは案外、一途な奴だ。認める。お前が幸せならいい」
「お兄ちゃんがいないと、幸せになれないよ!」
感情のままに訴える。兄がハッとしたように瞼を開く。
「もしかして。オレって結構、愛されてた? 家族愛の方? それとも……」
窺う雰囲気で見上げてくる。
「私、振られたよね?」
「お前……あの時、六歳だったじゃん。躱して待ってただけだよ」
「……っ」
嘘……。嘘だよね? お兄ちゃんと両想いだったって……今頃に知ったって。何もかも遅いよ……。
「兄が、救急車を呼ぼうとした私を止めたのは――残りの時間を、私と過ごしたかったからでは」という思考が、未来で待つだろう絶望の予感に思える。
唾を呑み込む。
彼の領域へ踏み込もうと、覚悟を決める。
「純愛が好きなんでしょ?」
確認する。兄の手を自分の頬に当てる。
「私……お兄ちゃんの理想とは程遠いよ?」
「いいよ」
兄が笑う。
「最初から、お前しか見てなかったから。やっと……オレを見てくれた」
バカなのは私だった。前の人生でも、今の人生でも。私が生きている内にしなきゃいけなかったのは、両想いになれなかった復讐じゃなくて……想いを寄せてくれる人を大切にする事だったんだ。
頬に当てていた兄の手が動いて、頭を引き寄せられる。
キスした。眼差しを向けられる。
僅かに生きていた、純愛を信じていた私は…………今、死んだ。
涙が溢れてくる。「私」の半分を奪われたように、心は混乱している。
私はタイチ君が好き。……でも。お兄ちゃんの手も、放せない。
泣きながら、兄の頬に触る。
彼の想いを受け入れる。
「ずっと、お前の名前を呼べなくて寂しかった。――紫織」
目を見開く。悔しくて顔を歪める。
やっぱり。さっき呼ばれたと思ったのは、幻覚じゃなかったんだ。
「嘘つき。七並べしてた時も、記憶力悪いって言ってたのに。悪くないじゃん。私の名前……覚えててくれた……!」
胸に縋って涙を零す。遠い日に口にした名前を呼ぶ。
「花織お兄ちゃん……!」
瞬間、前の人生での記憶を思い出した。
クリスマスイブの公園で……通りの向こう側の歩道にタイチ君と、るりちゃんらしき女性を見掛けた場面だ。
二人を見失ってしまう――!
走り出した際に転んで、頭をぶつけた。
意識が朦朧としている。薄く目を開く。
兄がどこかを見ている。
私が倒れた後、来てくれたのだろうか。
上半身を抱き起こされている。兄の腕の温かさに、ほっと安堵する。
呟きが聴こえる。
「妹は渡さない……!」
彼は誰かと喋っている。誰だろう。懐かしい気もする。
「オレは、この為に今まで……生きてたんだな」
再び薄れていく意識の中、兄の声を聴いていた。
「人生をリセットする。妹を手に入れる為に」
最後に見た兄は、涙を流しながらも微笑んでいた。初めて目にする表情に、凄く心配になる。
兄が……壊れてしまうんじゃないかと思った。
追記2025.12.10
「、」を追加しました。




