16 兄
列車を降り、駅から続く道路を暫く進んだ。
街中にあるビジネスホテルにチェックインした。
夕御飯が豪華だった。
「たらふく食っとけ!」
兄に言われるまでもなく、満腹になるまで食べた。
本当に、兄はどうしたのだろう。普段、節約を徹底している兄が……こんな何でもない日にお金を使っている。
もしかして。兄も「何でもない日」ではないと知っている……?
僅かな疑惑が心の隅に留まった。
食事の後、部屋へ戻った。
トイレとお風呂が付いた洋室にはベッドが二つ置いてある。
シャワーを済ませ、それぞれベッドに入って電気を消した。
何と切り出そうか考えていた。
お兄ちゃんと一緒の部屋で寝るのも久々な気がする。
幼少の頃……お化けが怖くて、よく兄の布団に潜り込んでいた。
思い出して小さく笑った。
「何だよ」
話し掛けられた。少し不機嫌そう。楽しくなって言い及んだ。
「フフ……私の初恋の人の話をしようかな」
兄が静かになった。追い討ちを掛けてみる。
「聞きたい?」
「オレ、もう寝るから」
兄は話題に触れたくないと言いたげに会話を終わらせようとしてきた。寝返りを打つような布団の擦れる音が聞こえてくる。私は構わず続けた。
「幼心にその人のお嫁さんになりたかった。だけど……振られたの」
「まだ根に持ってんの?」
「もちろん!」
言い切った。瞼を伏せる。懐かしくて胸が切ない。
兄とこんな風に語らう夜も最後かもしれないから、何か残したかったのかもしれない。
暗闇の向こうを見つめた。薄く微笑む。
「私、絶対にお兄ちゃんより幸せになってやるって……その時、決めたの」
「生意気」
呆れているような、少し面白がるような雰囲気の返事だった。
望みを唱える。
「お兄ちゃん、協力して」
間があった。
もう一度、心に刻み込むつもりで口にする。
「私が幸せになれるように協力してほしい」
暗闇に目が慣れてきた。身を起こして見つめる。お願いした。
「知っている事、全部教えて」
私の不思議過ぎる境遇同様……もしくはそれ以上に兄の辿って来た道程もファンタジー色が濃いものだった。
昔話をする如く語られる話に耳を傾けていた。
兄は何度も同じ人生を繰り返し経験したと言った。毎回どこか少し違っていて、中にはヘンテコなものもあったそうだ。
話の途中、彼は「違うかもしれない」と言い直した。
「オレの基準が狂っているのなら、ヘンテコが普通って事もありえたり……。いや、深く考えるのはよそう。頭が痛くなりそうだ」
頭を抱えて首を横に振る兄へ視線を送る。圧が届いたのかもしれない。続きを聞けた。
「一番……記憶に印象深く刻まれていた人生では、オレは養子で。別の家の子になっていた。元の親や兄弟の事も好きだったが、もらわれた先の親の事も気に入っていた。養母に子供ができにくい持病があって、親戚だった元の親と相談してオレを養子にしたらしい。けど、三年後に妹が生まれた。両親もオレも、凄く喜んだよ」
沈黙があった。
「それから?」
先を急かした。兄の声が返ってくる。
「幸せに暮らした」
「何で私に両親の記憶がないの?」
「……人生の繰り返しがあって、思い出との間に距離ができたのかもな。それに。オレたちは弾かれたんだ。この怪奇な人生のループから」
「ファンタジックだね」
「だよな。ははっ」
笑う兄の声が不意に、独り言めいた小さなものに変わった。
「……オレたちの両親は、その人生でしか子供を作らなかった」
「待って。じゃあ今……私はここにいない筈だよね?」
再び兄が黙った。
「お兄ちゃん?」
微かな息遣いが聞こえてくる。
「えっ? まさか。この流れで寝てる? 信じられない! 一体どういう事なのか知りたいよ。気になって眠れないよ……!」
酷く悩ましい。悶々とした夜を過ごした。
私の苦悩など気にも留めず、兄は朝まで起きなかった。
この時……兄が寝たフリをしていたなんて。考えもしなかった。




