15 遠出
とうとうこの日が来てしまった。
今日は平日。学校を休んだ。……兄の指示で。
昨日の夜、私の生い立ちについて兄に質問しようと思っていたのに。仕事を終えて帰宅した兄に言われたのだ。「玻璃。明日は学校を休め。遠出するから今日の内に準備しておけ。……お前の話は行った先で聞いてやる」……と。
指示された内容を訝しんでいた。
学校を休んでまで遠出……?
兄らしくない。学校を休む程の用事があるのだろうか?
眉をひそめる。壁に掛けてあったカレンダーを確認する。
七月、一日……?
口があんぐり開いてしまうのを自覚する。
七月一日って……確か!
「例のゲーム」で、エンディングの一つである「逃避行ルート」へ分岐する日だったよね? もう明日なの?
主人公に設定したキャラと意中の相手キャラが、手を取り合って遠くの町を旅する……駆け落ちめいた雰囲気のイベントだ。
「エンディング」のイベントになるか「エンディングの前にあるイベント」になるのかは、今の私には判断がつかない。逆ハーレムを完成できなかったから。
このイベントはとても厄介で……かなりの危険が近付いているのかもしれなかった。もし「エンディング」の方なら、待つのは大怪我か死……。「エンディングの前にあるイベント」の方であるなら、助かる見込みもある。
何故そんな危険が迫っているのかというと。「黒幕」であるキャラクターが動くから。遠出した先で出くわすのだ。
その人物は主人公に執着している。
この時点で逆ハーレムのメンバーたちの「主人公への好感度」が高ければ水面下で「黒幕」を妨害してくれる。「黒幕」を倒す事は無理でも足を引っ張ったり体力を削ってくれたりと、アシストを期待できるのだが……。
私の逆ハーレムは完成しなかった。メンバーはタイチ君一人だし。
そう言えばおかしいな。私……タイチ君に名前を明かした。お兄ちゃんには教えていないのに。相手役がお兄ちゃんになっている?
ハッと思い至った。
……そうか。
タイチ君は私を選ばなかったんだね……。
気持ちが暗く陰る。
……これでよかった。最後に、彼を巻き込まなくて済んだ。
越えられるのか分からない。でも越えなきゃ。「黒幕」に殺される訳にはいかない。兄が悲しむから。
ここで、このイベントから逃げたとしても多分……黒幕の脅威からは逃れられない。対決するしかない。
列車の窓硝子越しに外の景色を眺めていた。田舎町の山や畑が後方へ流れて行く。長閑な日和に目を細めた。
こんなに平和な場所なのに。向かう先で、生きるか死ぬかの戦いに臨まないといけないかもしれない。
兄にはこの件を伝えていない。予定を変更されると思ったから。黒幕には出て来てもらわないと困る。
今回の機会を逃したら更に厄介な事になる。黒幕が誰か分からないと、この先も怯えながら生活しないといけなくなる。
……「黒幕」は恐らく、私の知っている人だと思う。「登場人物」の内の一人だから。
窓から視線を外した。横のシートにいる兄へ顔を向けた。仕事で疲れていたのだろう。寝こけている。
腕組みして上半身をやや斜めにこちらへ傾けた姿勢で、口が少し開いている。無防備な兄の顔を見つめた。心が落ち着く。
…………もしも。兄が「黒幕」だったとしたら。
考えて背筋がヒヤリとした。
私はどうするのだろう。大人しく殺されるのだろうか。それとも止めようとするだろうか。
変な想像をしてしまった。首を横に振って不安を払いのける。
きっと「黒幕」は兄じゃない。「かまいたち」らしき現象は教室で起きた。
薄らと浮かぶ考えに顔をしかめた。
教室で花瓶が割れた時……花瓶があった場所の最も近くにいたのは、直前に私が逆ハーレムのメンバーに誘っていた子たちだ。ジン君、ミツヤ君、キョージ君、ケンゴ君。……そしてタイチ君。
友達を疑うなんてと思いつつ、考えてしまう。
あの時はるりちゃんとクラスメイトの女子たちが険悪な雰囲気で……まさかるりちゃんじゃないよね?
自分でも「ないない」と苦笑した。すぐに彼女じゃないと断じてしまう程に、あの日るりちゃんが怒ってくれた事は胸の深くに響いていた。
無闇に友達を疑うのはよそう。
そう言えば……以前ジン君が「噂はデマだって分かってる」と呟いていた。何の件だったのだろう?
噂……。記憶を辿った。タクマ君に屋上へ呼び出された際に「オレの言う通りにしないと悪い噂をばら撒く事になる」って言われたっけ。タクマ君が何か噂を流したって事……?
タクマ君は「黒幕」ではない……よね? 別のクラスだし。
列車がトンネルへ入る。外の景色が暗くなった。窓硝子に自分が映っている。とても辛気臭い顔をしていた。
胸に手を当て深呼吸する。
「黒幕」が誰であっても。万一、私が死んだとしても。
このイベントで「黒幕」の正体をあぶり出せる。
私の好きな人たちに生きていてもらえるなら。挑むよ。
その日、私たちはビジネスホテルで一泊した。
兄のせいで悩ましい夜を過ごすなどと、この時は思いもしなかった。
追記2025.7.13
「へん」を「変」に修正しました。
追記2025.8.20
「入った」を「入る」、「いる」を「いた」、「した」を「する」に修正しました。




