7
クラウスの気配も姿も見えない。
急に静かになった部屋をクラウスが居ないか注意深く探るがどこにも彼の姿は見えない。
「うるさいやつが居なくなって良かった……のかしら」
掃除をしろと煩く言うやつが居なくなり少しホッとしながら呟くと頭の中にクラウスの声が響いた。
『お前は!俺が死んだかもしれないのに嬉しそうにするな!』
「えっ?クラウス?姿は見えないけれど」
すぐ傍で声がするが、姿は見えない。
死んでいなかったかと少しホッとしたが、掃除をしろとまた言われるのが面倒だなという気持ちを押し隠して周りを見回す。
『どうやらお前の中に入っているようだな』
「はいぃぃ?」
意味が解らないとアメリアは首を傾げるが視界がブレて見え始め勝手に手が動き始めた。
自分の意志ではなく、何者かに動かされている気持ちの悪い感覚に反抗したいが声が出なくなった。
「俺はお前の中に居るようだ。こうやって体を動かすことが出来る」
アメリアの口が勝手に動き話し出す。
自分の体なのに全くいうことがきかない気持ちが悪い感覚にアメリアは悲鳴を上げる。
『いやぁ。クラウス早く出て行ってよ!』
「お前の声はなぜか頭の中で聞こえるな」
アメリアの体を使ってクラウスは言いながら立ち上がった。
手のひらを握ったり開いたりを繰り返してクラウスの意志でアメリアの体が動かせることを確認している。
アメリアの意志では何もできずされるがままだ。
クラウスはアメリアの体を動かし部屋を見回した。
「ちょうどいい。部屋を片付けるか」
そう言うと、てきぱきと床の上に置かれていた洋服や寝具を手に取りクローゼットを開く。
クローゼットの中は以外にも物は無く衣類がかかっていないハンガーがぶら下がっている。
「お前、もう少し洋服を新調したらどうだ?2・3枚しかないじゃないか」
『いいのよ。あまり外に行かないから。お母さまも毎日の様に洋服を買いに行こうと言ってくるけれど、断っているのよ』
23歳の女性とは思えない発言にクラウスは頭が痛くなってくる。
「さすがに幼馴染がこんな暮らしをしていると思うと情けなくなるな。服がこれだけだと生活に不自由がでてくるだろう。ゴリラ男ももう少し女らしくしろと言った方がいいんじゃないのか?……あのゴリラじゃ無理か」
『うるさいわねぇー。早く体から出て行って』
体はすっかりクラウスに乗っ取られてしまったため文句だけをアメリアは言う。
「部屋を片付けてからだな!」
クラウスはそう言うと、てきぱきとクローゼットに服をしまう。
机の上に積み重なっていた本を本棚に入れていく。
本の下に埃があるのを見てクラウスは眉をひそめた。
「汚い机だな。信じられない、ここまで汚い机は初めて見た」
『全部使うの!小説書くときに調べ物がはかどるから置いてあるの!本棚に入れたら出すのが面倒でしょ』
「小説を書くだぁ?お前、1回でも小説を書き終わったことがあるのか?」
机の上に広げたままの書きかけの原稿を手でたたいてクラウスは言う。
原稿を叩くたびに小さな埃が舞い顔を顰めるクラウスにアメリアは返答に詰まった。
確かに一度も小説を書き終えたことが無い。
「それに、この原稿用紙を見て思ったが3ページ以降書かれていない。どれも書きかけじゃないか」
『……物語が上手く進まないんだもの。どれを書いても”騎士と姫”と一緒になってしまうのよ。あの本が好きすぎて』
「あんな糞みたいな小説どこがいいんだか。あんな男はいない」
クラウスは小説の中身を思い出しながら鼻で笑う。
『そんなことは分かっているわよ!』
アメリアは自分の体が勝手に動いて部屋を片付けていく不思議な光景を見ながら悪態をついた。
居ないとは分かっているが、目の前に見た目だけは物語にそっくりな男が居る。
絶対に居ないとは言い切れないとアメリアは思う。
クラウスは黙ってしまったアメリアにお構いなしに部屋の窓を開けた。
冬の寒い空気が部屋に入り、舞い上がっていた埃が外に出て行く。
「こうなったら徹底的に掃除するか」
クラウスはそう呟くとアメリアの体を使って部屋から出た。
長い廊下を歩き階段を降りて行くと、アメリアの母エマと鉢合わせする。
アメリアと同じく茶色い髪の毛に華奢な体をしている。
とてもゴリラのようなアーサーを生んだとは思えないほど上品な女性だ。
「エマおばさん……じゃなかった。お母さま、部屋の掃除をしているのだけれど掃除道具はどこだったかしら」
クラウスはアメリアらしく言うとエマは驚いたように目を見開いてアメリアの体を上から下まで眺める。
「アメリアが掃除をするですって?頭でも打ったの?変なものでも食べたの?それとも、幼馴染のクラウス君が瀕死の重体だからってショックで可笑しくなったの?」
震えるぐらい驚いているエマを見てアメリアの体に入ってクラウスは口の端を上げて微笑んだ。
「そうね。クラウスを見ていたら私もいつ死んじゃうかわからないからね。部屋ぐらい片付けようかと思って」
「そうなの?!クラウス君の事がよっぽどショックだったのね。幼馴染だものそれはショックよね」
エマは感動しながら頷くと、廊下の奥からバケツと雑巾を手に戻って来た。
「ありがとう」
クラウスが受け取るとエマは涙を流さんばかりに喜びながら頷いた。
「頑張って掃除してね。もし大変だったら、手伝うからね。いつでも声をかけてね」
水の入れたバケツを持って部屋に戻りクラウスはため息をつく。
「よっぽど掃除をしていなかったんだな。だらしがない子を持っておばさんもかわいそうに」
水の入れたバケツで雑巾を洗いながら呟くクラウスにアメリアは反抗をする。
『仕方ないじゃない。人に掃除されるとどこに何があるか分からないから嫌だし』
「普通は自分で掃除するんだよ」
アメリアが頭の中でごちゃごちゃと言っているのを聞きながらクラウスはてきぱきと掃除をしていく。
乱雑に置かれていた紙や洋服は綺麗にしまわれ、いらないと思ったものはゴミ箱へと入れていく。
そのたびにアメリアが文句を言うがクラウスはお構いなしに捨てて行った。
ある程度綺麗になったところで、部屋のドアからアーサーが顔を出した。
「アメリアが掃除をしているっていうから見に来たが。本当だったか」
いつも無表情のアーサーは珍しく驚いた様子で綺麗になったアメリアの部屋を見回す。
「お兄様、私も心を入れ替えたの」
クラウスはアメリアの体を操って言うとアーサーは表情を変えずに大きく息を吐いた。
「お前はクラウスだろう。アメリアに取り憑いたのか……」
「よくわかったね」
『本当、流石お兄様だわ。妹への愛ね』
アメリアも頷くが、アーサーはアメリアを上から下まで眺めた。
「アメリアを装っているが、立ち振る舞いがそこまで上品ではない。しかも掃除など死んでもしないだろう。埃とゴミと一緒に死んでいくぐらい、だらしがない女だからな」
「なんて女だ」
アメリアの姿でクラウスが呟くとアーサーは頷いた。
「全くだ。こうなったら一生クラウスにとりついて貰えれば嫁の行く当てができるかもしれないな」
「それは勘弁してほしい。俺だって早く元に戻りたい。この部屋に居たら霊体であっても俺が病気になりそうだったから掃除したんだ」
嫌そうに部屋を見回して言うクラウスにアーサーはもっともだと頷く。
「ちなみに、お前を刺したらしき人は検討がつかなかったな。クラウス本人が思い出す以外ないんじゃないのか?」
「全く思い出せない。日勤の帰りに具合が悪くなってフラフラとしていた。歩いている最中も何度か記憶が無くなっている。薬を誰かに盛られたのかもしれない」
クラウスが言うとアーサーは呆れたような視線を向けてきた。
「誰か女に薬でも盛られたんじゃないのか?」
「兄妹揃って同じことを言うな!俺に気がある女性が多くて検討もつかないが、俺は手を出していないからな!」
「どうだか。そうだ、アメリアが姫様の秘密を知ってしまったことだけは報告済みだ。クラウスが霊体になったことは言っていない」
『なんですって!私は関係ないのに。大丈夫よ、秘密は守るわ』
アメリアの声を聞いてクラウスは肩をすくめた。
「仕事の性質上報告は仕方ないか。ビオナ姫はかなり自分の恋愛に敏感になっているからな。情報が漏洩したと知ったら不安で夜も眠れないかもしれないって……俺が漏らしたことになっているわけじゃないだろうな」
クラウスは焦りながらアーサに言うと珍しくゴリラ男はニヤリと笑った。
「俺が漏らすはずがないだろう。お前が漏らしたのは事実だからな」
「それなら霊体ってことも言ってくれればいいだろう!」
「見えもしないお前の事を誰が信じるか。アメリアにとり憑いたとしても俺以外は信じないだろうな。アメリアの頭が可笑しくなったとしか思われない」
「クソッ。真面目な俺の印象が悪くなる」
『印象なんて初めから悪いわよ。とにかく早く私の体から出て行って!』
舌打ちをして言うクラウスにアメリアは言った。
自分の体なのに自由に動かすことが出来ない気持ちの悪い感覚が限界に近づいている。
金切声を上げて言うアメリアにクラウスは首を傾げた。
「どうやったらいいかわからん」
『信じられない!これは私の体よ!』
アメリアが力いっぱい叫ぶと視界がブレて一瞬目の前が暗くなった。
重い瞼を開くと目の前にクラウスが立っている。
「体を取り戻した?」
アメリアは自分の意志で体が動くかどか何度か手足を動かして確かめる。
自分の意志で動かせることを確認して前に立っているクラウスを睨みつけた。
「ちょっと!いい加減にしてよ!」
『部屋が綺麗になって良かったじゃないか。しかしどうやったら体に入って出られるのか分からないなぁ』
クラウスはそう呟くと、アーサの前に立って何度も体に入ろうとするが上手くできず首を傾げている。
アメリアにとっては至極どうでもいい事で、とにかく二度と体を奪われてなるものかと決意を硬くした。