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「クラウスは、大変危険な状態だそうよ」
疲れた様子のクラウスの母パールがお茶を机に置いて大きなため息をついた。
早朝とは思えないほど完璧な化粧にしっかりと結われた黒い髪の毛を眺めながらアメリアは頭を下げた。
「ありがとう。パールおば様」
アメリアが城から医者をクラウスの屋敷へ連れてきたときはすでに部屋の大きなベッドに寝されていた。
心配そうに様子を見ていたパールが医者から話を聞いてアメリアに教えてくれる。
隣に座るアーサーも軽く頭を下げてパールが淹れてくれたお茶を飲んだ。
酒場の裏で倒れていたという状況を説明したアメリアにパールは首を傾げながら椅子に座る。
「昨晩はクラウス帰ってこなかったのよ。日勤だったはずだけれど……」
「どこかの女性とお楽しみ……ッ」
アメリアが言い終わる前にアーサーが強く足を踏む。
痛みで顔を顰めてながらアメリアは横に座るアーサーを睨みつけた。
「クラウスの浮いた話など聞いたことが無い」
静かに言うアーサーにパールも頷く。
「あの子、顔がいいから女性に人気だけれどあの性格でしょう?23歳にもなるのに恋人も居ないのよ。お見合いは何度かご令嬢とさせて頂いたけれど、あの性格でしょう?無理だったのよ」
「そうでしょうね。あの性格じゃ無理よ……っ」
言い終わる前にアーサーがアメリアの足を踏んだ。
「お前がクラウスの悪口を言う資格はないだろう。お見合いの話すら来ないくせに」
兄の言う言葉にアメリアは頷きそうになる。
引きこもりでだらしが無いと噂されているゴリラ男の妹に縁談はおろか男が寄ってくることは23年間の人生で一度も無い。
しかしクラウスほど性格も口も悪くないはずだとアメリアは不貞腐れながらお茶を飲んだ。
パールは苦笑しながら疲れたようにアメリアに頷く。
「アメリアちゃんならクラウスの性格をよくわかっていると思うけれど、本当、女性に容赦ないじゃない……。それでも仕事仲間と飲みに行くぐらいで帰ってこないなんて事は無かったのよ。誰に襲われたのかしら……」
「10年ぐらい話したことなかったけれど、性格変わってないのね……。昔は同じ年だからとよく遊ばされていたけれど、私の部屋を見るたびに片付けろってゴミを見るような目で言われていたわ」
「お前がだらしがないからだ。今でも片付けしないで家にグータラと居続けて……。俺と母は呆れて注意しないだけだからな」
低い声で言う兄の言葉を聞こえない振りをして、アメリアは思いついたように手を叩いた。
「解ったわ!クラウスって顔だけはいいじゃない。クラウスに恋心を持った女性が”こんなクラウスは嫌だ。私のクラウスを返して”って刺したんじゃない?あの顔で騎士だったら寡黙な人か優しい性格だって勘違いしちゃうわよね。見た目のイメージと違って性格が悪いってわかったら殺したくなるのもわかるわ」
あの性格が10年間で変わるはずが無いとアメリアが言うと、アーサーは肩をすくめた。
「クラウスはお前みたいに成長しないバカじゃないんだ。思ったことをすぐに言う事は一切しなくなったぞ。黙ってやり過ごす術を身に着けたんだ」
「えっ、でもお見合いがダメだったって。物語に出てきそうな美しい顔に職業が騎士だったら女性なら二つ返事でオーケー出すわよね」
不思議そうにしているアメリアにパールは苦笑する。
「それが、ただ”香水が臭いな”って呟いただけらしいのよね」
「それだけで?あぁ~でも、今巷で流行っている恋愛小説”騎士と姫”の登場人物にクラウスがそっくりなのよ!きっとあの騎士に憧れている女性ならその一言はがっかりするかもしれないわね」
力説するアメリアにアーサーは肩をすくめた。
「”騎士と姫か”あの小説のおかげで妙な女がクラウスの周りをウロウロしだしたのは知っている。クラウスは軽くあしらっていたがな」
「その線があるわね!きっとあの小説に出てくる騎士のような完璧な優しい性格を夢見て近づいたら、想像と違って冷たい男だった。そりゃ、殺したくもなるわ」
「そんな女にクラウスがやられるとは思えないがな」
城の騎士、それもビオナ姫の護衛ともなればかなりの実力も無ければなることが出来ない。
アメリアもアーサーが剣の稽古をして努力しているのを知っているだけに女一人にやられるとは確かに思えない。
「クラウスは大丈夫かしら。お医者様はかろうじて息をしている状態だっておっしゃっていて……」
不安そうにしているパールにアメリアとアーサーは顔を見合わせた。
一人息子が怪我をして意識不明の状態では心配だろう。
「パールおば様。私も何か手伝えることがあったら言ってね」
「俺は、誰が犯人か調査しよう」
「ありがとう。頼りにするわね」
薄く微笑んでいるパールの後ろに黒い人影が見えてアメリアは目を細めた。
この屋敷には、お手伝いの女性が数人と執事のおじいさんがいるが、今一瞬見えたのは騎士服だ。
ビオナ姫の護衛騎士仲間がお見舞いにでも来たのかとアメリアは隣に座る兄の腕を叩く。
「お兄様。騎士の方が来ているわ」
「今は誰も来るなと言っているが……」
開けたままのドアから見える廊下をじっと見つめているアメリアを不思議そうに見てアーサーとパールも視線を向ける。
廊下を黒い騎士服の男がウロウロしているのが見えてアメリアは立ち上がって声をかけた。
「あの!兄はここに居ますよ!騎士の方!」
アメリアが声を掛けるとウロウロしていた黒い騎士が部屋に入って来た。
黒い髪の毛に生気のない顔の騎士を見てアメリアは声を上げる。
「クラウス!意識が戻ったの?」
アメリアの言葉にパールとアーサーは不可解なものを見るような目を向けてきた。
不思議そうにしている二人にアメリアはクラウスを指さした。
「ほら、おば様!クラウスが元気に歩いていますよ!」
部屋の入口に不思議そうに立っているクラウスは顔色こそ悪いがしっかりと立っている。
「怪我は大丈夫なの?」
アメリアが聞くとクラウスは不思議そうな顔をしてゆっくりと歩いてきた。
「アメリアか?」
「そうよ。お久しぶりね。私があなたを見つけてあげたのよ!感謝してよね。元気そうで良かったわ!」
ぼんやりしているクラウスにアメリアは良かったと声をかける。
「お前は俺が見えるのか?」
ゆっくりと言うクラウスにアメリは首を傾げた。
「はぁ?何を言っているの?見えるわよ。フツーに立っているじゃない」
「誰に話しかけても俺に気づかないんだ……」
眉をひそめて言うクラウス。
どこからどう見てもちゃんとしたクラウスだ。
「クラウス?頭でも打ったの?それとも混乱していて記憶が可笑しくなったの?」
横に座っているアーサーを振り向くが、不思議そうな顔をしてアメリアを見つめている。
「アメリアの頭が可笑しくなったのだと俺は思うが。クラウスなど、どこにも居ないだろう」
冷めた声で言われてアメリアは助けを求めるようにパールを見た。
パールも不思議な顔をしてアメリアを見ている。
「おば様も見えないの?クラウスがここに立って話しているじゃない!」
「何も見えないわ……。アメリアちゃん大丈夫?少し疲れたのかしら」
「えぇぇぇぇ!?嘘でしょ!二人とも見えないなんて!私の頭が可笑しくなったってこと?」
驚いたアメリアの声が屋敷に響いた。