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[短編]異世界転生系

ある令嬢の思考、もしくは盛大な皮肉

作者: 月森香苗

 六段くらいある本棚を思い浮かべて欲しい。その本棚には本が入っているけれども空白部分もたくさんある。そして一番上の段にはそれまで一冊も本が無かったのにある日突然そこに本がびっしりと並んでいた。

 その本は異国の言葉で書かれているものばかり。

 好奇心に駆られて一冊の本を抜き取って目を通したところ、異国の言葉なのにするりと理解出来た。その本にはある女性の生まれてから死ぬまでの記録がびっしりと書かれていた。

 それが、今の私の一つ前の人生を生きた女性の物語だという事を何故か私は理解した。読む私という人間は変わらない。だけど私の知識に前の人生、即ち前世の知識が少しばかり追加された。


 前世の私は五人家族の長女に生まれた。両親と妹と弟がいて、年の差は妹と三つ、弟と五つ違っていた。裕福でもなければ貧しくもない極平均的な家。中堅どころの企業に勤める父とパートタイマーで働く母。高校生になるとアルバイトをするものの、大学受験を控え三年生になる頃には辞める。

 志望大学は高望みをしないものの家から通える国立大学を受験して無事合格。大学では経済学部で勉強をしながら再びアルバイトをしたり、週に一度活動するサークルに入ったりしていた。大学生の頃は家から通学していたが、就職活動をした結果何とか内定をもらえたのは家から少し離れたところにある会社の事務職。

 少しずつ貯めていたアルバイト代を元に大学卒業後引っ越して一人暮らしを始めた。日々はあまり波乱もなく、普通に仕事をして休日はだらけるような日々。その中で友人に紹介された人と付き合い始めて結婚。仕事は継続したまま子供を一人産んだ。仕事をしながら子育ては難しくて実家に頼る事もあったけれども限界はあったので泣く泣く退職。

 子供がある程度育ったらかつての母のようにパートをするという話を夫としながら一人息子をのびのびと育てた。夫の両親との関係はよくも無ければ悪くもなく程よい感じで、友人たちからは羨ましがられた。

 絵に描いたようなありふれて平凡な日々というのは、実は早々ない事だという事を友人達から散々言われていた。

 子供が中学生になる頃に再びパートで働き出したけれども、仕事から離れてかなりの年数が経過していたのでブランクはすさまじかった。しかも勤めた所はあまりいい場所とは言えず、ノイローゼになりかけて結局長続きしなかった。その経験から次を選ぶ時は慎重にして、無難に働けた。

 子供は育ち、大学入学を機に一人暮らしをするようになり、夫と二人の生活。パートを辞めて家で家事をしながら随分と落ち着いた生活になった。夫は定年まで勤めあげ、定年退職後は二人で穏やかな日々を過ごした。

 先に亡くなったのは夫で、その頃には息子も結婚し孫も出来ていた。同居の話が出たけれど、息子の奥さんになる人にとって負担になるのは間違いないから程よい距離でそれぞれ暮らした方がいいと諭した。

 そうして平凡な前世の私は人生を終えた。

 その前世の私は子供の頃から本を読むのが好きで、色んな本を読み続けていた。スマホを手に入れるようになった頃には無料で読める投稿小説にも手を出していた。

 一冊目の本が人生に関する本ならば、二冊目以降は前世の私の知識に関するもの。例えば学生時代の授業で習ったものとか、大学で学んだ経済学の本。料理の知識やちょっとした雑学。それらは全部自分が経験した物しか分からなくて、それ以上の事は全く理解出来なかった。

 私が成長するにつれて前世の知識はするすると私の知識に吸収されていく。だけど本棚で区別された領域が変わる事も無ければ言語が統一されるわけでもない。

 あくまでも前世の記憶とか知識は独立して別に存在していた。


 私という人間は、この世界で生きて自分で経験して得られたあらゆる出来事や人間関係の上に成り立っている。前世の私が読んでいた小説のように、「ある日私は前世の記憶がよみがえった」みたいな感じで前世の人格に乗っ取られることもないし、「現代知識チート」みたいなことも出来ない。

 私が前世から得られる知識はあくまで断片的な情報でしかない。料理だって料理本や動画投稿サイトとかを参考にしたものが多くて、調理手順はわかる。でも調味料の作り方なんか分からない。塩だって海の水をどうにかすれば出来るんじゃなかなってくらいだけど、それをどうやってやるかなんてわからない。醤油の作り方もお酒の作り方も分からないし味噌も分からない。

 石鹸なんて手作りした事ないし、化粧品や乳液?さっぱり。シャンプーだってよくわからない。洗剤だって界面活性剤とか聞いたことあるけど、代用品があるとして作り方の知識はない。

 社長経験なんてないから経営のいろははわからないし、政策だってわからない。

 精々、子どもに食べさせるために作った離乳食とか、お菓子とか、日々の料理とかそのくらい。それも材料がそろってる状態じゃなければ無理。


 どうしてこんなことを思っているのかと言えば、もしかしたら今私が生きているこの世界が、何かの小説の世界に似たような世界かもしれないと思ったから。

 あまり気にしていなかったけれどこの世界の人と言うのはとてもカラフルな頭髪をしている。金髪、銀髪、赤髪、緑髪、青髪、紫髪、黒髪、白髪。赤銅色もあればピンクゴールドだってあるしブルネットもあれば茶髪だってある。目の色だってカラフル。カラーバリエーションは豊富で、組み合わせは自由自在。とは言ってもやはり家系によってカラーリングは固まっている。

 あの一族はあの色、この一族はこの色が出やすい、みたいな。

 王族であれば金髪青目。公爵家であれば銀髪紫目のような感じで特徴がある中、私が生まれた家は茶髪に緑の目というこの世界では割と多い色をしている。

 ただ、ちょっとだけ他と違うのは、私の一族の目の色である緑は絶妙にグラデーションがかっている。どういう仕組みかは分からないけれど、濃い緑から淡い黄緑色のグラデーションは早々ないので私の一族というのがよくわかる。ぱっと見はわかりにくいのだけれど。

 我が一族の事はおいておいて、なんで創作世界の世界に似ているのかって言われると、「貴族制度、王立学園、王子と婚約者の公爵令嬢、高位貴族の子息達、平民上がりの男爵令嬢」という、検索ワードに入力したら結果がそれなりに出るような状況で恋愛トラブルが起きているからだ。

 仮にもここが何らかの世界だからと言ってシナリオとか決められたストーリーなんてものは無い。私には自我があり思考があり選択して生きている。貴族としての意識というのは幼少期から叩き込まれているので、政略結婚は可哀想とか言われると眉間に皺を寄せてしまうし、口を大きく開いて笑うような行動はマナー知らずと言われるのはわかっている。


「アルノルド様、少々宜しいでしょうか」

「リズベスどうしたんだ?」

「家の事で。ここで話すのは憚られるのであちらに」

「わかった」

「えー、アル君行っちゃうのぉ?」


 学園の中庭では第二王子を中心とした王族や高位貴族の子息達が一人の男爵令嬢を取り囲んでいた。私の婚約者は第二王子の学友として傍に控えているのだけれども、彼に用事がある私は声を掛けざるを得なかった。

 アルノルド様は私の声掛けに反応して近付こうとしたのだが、それを止めようとする男爵令嬢にほんの少しだけ苛立ちを感じる。

 まず、人の婚約者の名前を愛称で妄りに呼ぶのは失礼にあたる。政略に基づく婚約というのは案外面倒な条件が存在している。特にアルノルド様は先代までは王族由来の公爵家だったけれども代替わりに伴い侯爵家に下がったが影響力のある家の嫡男だ。

 公爵家には三種類存在し、一つ目はアルノルド様の家のように王家の方が臣籍降下された際に作られるもので、三代は公爵家であるが四代目からは侯爵家になるもの。二つ目は建国時より続くもので、国にとって重要な土地を管理していて軍隊を有し、王家を守る為に存在しているもの。三つ目は他国に政略の関係上令嬢を嫁がせる必要があるが、爵位的に問題がある際に一時的に養子にする為の名目上の家。王家が管理している爵位であり、この家名を持つ者は実質王家の後ろ盾があるというものであり、諸国にも通達がなされている。滅多に使われる事のないものなので案外国民でも知らない人は多いと思われるし、貴族でも同様である。

 公爵家から一つ下がりはしたとは言えども王族の血の流れを汲んでいる上、アルノルド様の家は優秀な方が多いので政治的にも社交的にも発言権は強い。私はその家に嫁ぐ伯爵家の娘。我が家は政治的にも社交的にも特に優れたものを持っているわけではないが、ある分野においてはかなり強い力を持っている。それが植物管理についてだ。

 この国の農業事情は少々心許無い。特に災害が起きると真っ先にダメージを受けるのが食糧に関する部分だ。我が一族は「緑の手」と呼ばれる植物に関する特別な力を持つ女性が生まれる。男性でも使える人が生まれるが、女性は必ずその力を持っている。その為、我が一族は昔から多くの子供が生まれることを望まれる。幸いにして多産の家系でもあるので途切れたことは無い。

 私とアルノルド様の婚約も私の「緑の手」を目的としたものであり、かなり重要な意味を持つので解消されることは絶対にない。アルノルド様もそれをわかっているので私への対応はかなり丁寧で紳士的だ。

 王家とてこの婚約の重要性は嫌というほど理解しているはず。何せ、アルノルド様の家は穀倉地帯を有していて、災害が起きた時の対策を期待されているのだ。

 よって、第二王子は私を認識すると男爵令嬢の関心を引くような言葉を向ける。

 それにしても、この男爵令嬢に何故これだけの男性が侍っているのかが全く理解出来ない。知識も教養もマナーも無さそうで、ついでに言えば転生していそうな女性。この世界にはシナリオがあって、選択肢があって、自分の思うがまま自分が愛されるのは当たり前、というのが伝わってくるから困惑する。

 この世界にシナリオはないし彼女の為の世界でもないし皆自分の意思で選択するわけで、ゲームのように二つか三つある選択肢から選ぶだけなどという単純なものではない。もしかして、馬鹿なのだろうか。

 ついでに言えば、王子の婚約者の公爵令嬢も転生しているような気がする。あの人も中々におかしい人。だって「王子は男爵令嬢を選び自分は捨てられる」という思考の元で行動しているような気がするから。つまり、この人もありもしないシナリオが存在していると思い込んでいるわけ。

 私からしたらどちらもちょっとおかしい人。


 アルノルド様を連れて少し離れた場所でまずは父に言われた用件を告げる。それらをアルノルド様は頷きながらメモ帳に簡潔に書き記した後、それを上着の内ポケットにしまったのを確認して、私は問いかける。

「随分と面白い状況になっておりますが説明はございますか?」

「簡単に言えば、あの令嬢は問題行動が多いので被害を広げないように高位貴族で囲って下位貴族を保護している」

「それぞれの婚約者の皆様に説明は?」

「あの令嬢が無駄な行動力の元で説明に赴こうとしても邪魔をしてくる。どこで把握しているのか休日の行動すら筒抜けだ」

「手紙は無理ですの?」

「状況が状況なだけに迂闊なことを書けない。申し訳ないが君から他の令嬢に話を付けてもらえないだろうか」

「それは構いませんが、ハイデマリー様は無理ですよ。あの方とは出来れば関わりたくないです」

「珍しいな。君がそう言うなんて」

「あの方、ご自分では気づいていないようですが第二王子殿下への対応が不敬にもなりかねないのです。お声掛けいただいても上の空、もしくは逃げるような行動。何か分かりませんが変な画策をしている状態。私がアルノルド様にしたように第二王子殿下に直接お伺いすれば良いのにそれをしている気配もない。もしも問いかけをしていればきっと私達に話が通ったでしょう。今までの間にそれはございませんでした」

「なるほどな。わかった。とりあえず他の三名の令嬢は頼む」

「畏まりました」


 スカートを摘まんで一礼。そして私はそれまでの真面目な顔をほんの少しだけ緩めて、封筒を取り出す。


「二週間後のお茶会の招待状です。是非いらしてくださいね」

「ああ。勿論だ」


 ほんの少しだけ笑みを口に浮かべたアルノルド様は本当にかっこいい。こんな素敵な人が婚約者でいいのだろうか。赤髪に赤い目をした男前。儚さとは無縁で体格が良くて、抱きしめられると安心感が尋常ではないこの人と婚約出来ている事は私の人生で一番の幸運だと思う。

 それにしても、男爵令嬢からビシバシ感じる殺気混じりの視線がそろそろ鬱陶しいので撤退しよう。アルノルド様は私の婚約者であの令嬢の恋人でも何でもないのに。


「この茶会までには決着がつくだろう」

「畏まりました」


 令嬢方を安心させるようにという言外の言葉を確りと胸に刻み込んで私は教室に戻った。


 男爵令嬢を取り囲む子息の婚約者の皆様に急ぎメッセージカードを書く。内容は、授業後にサロンにてお茶会をしませんか、という事。

 そのカードを書き終わると急ぎ令嬢たちの元に赴く。私の立ち位置をご存じの方ばかりなのと、他に招待している方の名前を告げると、幸い皆様都合が宜しかったようで参加してくださることになった。

 カードを渡した後、直ぐにサロンのある受付に向かい予約を取る。四名でお茶とお菓子の給仕を頼む。予約をしておけば準備をしてくれるのだ。

 次の授業までの間に準備が出来て良かったと安堵しながら、私はしっかりと授業を受けた。

 授業が終了するとサロンへ向かう。私が招いたので私が先にいる必要がありマナー違反にならない程度の速さで歩く。あの男爵令嬢は好みの男子生徒に向かって全力疾走するので平民に戻った方がきっと平和だと思う。貴族社会には向いて無さ過ぎる。

 宛がわれた部屋で準備をして待っていると招いた三人の令嬢が次々入ってきたのでそれぞれに挨拶をする。そしてアルノルド様からお伺いした事を告げると、令嬢たちは目を丸くしていた。


「それは、説明したくとも出来ませんわね」

「休日を把握して行動を把握しているなど……恐ろしいわ」

「わたくし、あの方を信じ切れていなかったのね……申し訳ないわ……」

「仕方のない話です。私も本日は家の関係でアルノルド様にお声掛けしましたが、第二王子殿下の助力が無ければあの令嬢はアルノルド様にしがみ付いてついてきていた事でしょう」

「それで、わたくし達は何をすれば宜しいのかしら」

「二週間後までに決着を付けるそうですので、それまでは何もせず。あの男爵令嬢が何をしでかすかわかりませんので、ご友人方とは決して離れないで下さいませ。もしも一人になりそうであれば私にお声掛けくだされば人を手配いたします」

「それは心強いわ。ところで、ハイデマリー様には声をかけていらっしゃらないの?」


 聞かれるのも当然の話。だけど私は微笑みを浮かべて「呼んでおりません」と伝える。困惑している三人の令嬢に私は理由を説明した。


「この度のことは明らかに異常な状態です。私たちのように連絡を取ろうにもあの令嬢の異常な行動の所為でそれが制限されているのならばいざ知らず、ハイデマリー様は第二王子殿下と王宮で会う機会がありました。ですが、ハイデマリー様が殿下に真意をお伺いしているとは思えなかったのです。誰よりも立場が上のハイデマリー様が確認をして下さっていれば私達にもその話は来ていたでしょう。ですが本日私がアルノルド様にお伺いするまでにそのような事はございませんでした。伯爵家の私がハイデマリー様を差し置いてこのような行動をしていること自体おかしな話でございます。幸いにしてアルノルド様より皆様に説明をする役目を賜りましたのでこうして皆様にお声掛け出来ましたが、殿下とハイデマリー様に関しては私から申し上げが出来る立場にはございません」


 他の三名方は侯爵家や伯爵家の御令嬢で、婚約者の皆様はアルノルド様の家よりも家格的に下なのでアルノルド様の名代で私が説明するのは可能だけれど、王族と婚約している公爵令嬢を差し置いて行動している私がお呼び出しして説明は出来ない。何よりも、彼女の行動があまりにも殿下に対して失礼すぎるので説明する気力はこれっぽっちもない。

 男爵令嬢と殿下が婚約することは絶対に無理だしあり得ないけれど、このままだとハイデマリー様と殿下の婚約も怪しい。その理由は「王族に嫁ぐ資質に疑念あり」だ。

 ここでの正解は「ハイデマリー様が殿下に真意の問い掛けをする。そして男爵令嬢の周囲にいる子息達の婚約者に説明をする」のみ。断罪されたくないとか思っているのかもしれないけれど、断罪以前に資質を問われる羽目になったのは彼女自身の行動。シナリオも何もない普通に生きている世界なのだから、この世界の社会規範に従う必要があるのに、彼女は囚われて間違いばかりしている。男爵令嬢も。

 令嬢達には「家の関係で他の方に聞かれると困るので少し離れた場所で話したい」と声掛けることを推奨した。きっと殿下が抑えて下さることだろう。


 そうして時期を待っていると、男爵令嬢は退学し、ハイデマリー様と殿下の婚約は解消された。そしてハイデマリー様は隣国のもう一つ向こうの国の王の元へ側室として嫁いでいった。


「男爵令嬢はわかるけれど、ハイデマリー様はどうして?」


 問いかけたあの日から二週間後、約束のお茶会で私はアルノルド様に聞いてみた。侍女たちは声が聞こえないけれども姿が見える場所で待機している。天気がいいのでガゼボに私達は二人でいる。

 ここから見える薔薇の植木は綺麗に咲いていて見ごたえがある。この庭の手入れは庭師がしているけれども、植物に力を注いでいるのは私達姉妹。力加減の練習によく、この日の為に調整したおかげで最高の状態をお見せ出来ている。


「ハイデマリー嬢は殿下との交流を避け、王子妃教育もあまり上手くいっていなかった。何よりも言動が殿下に対して不敬である。そして今回の一件で王家はハイデマリー嬢を試した。殿下に真意を問い掛けるか。適切に対応を行えるか。そして何よりも、あの集団に殿下が混じっている以上王家に報告をしなければならない。当然だ、殿下があのような行動をしているのであればまずは王家に報告し指示を仰がねばならない。だが、そのいずれもハイデマリー嬢は行わなかった。君の方がよほどきちんと行動出来ていた。結果、王家に嫁ぐ資質はないと判断された」

「ある程度は想定していたけれど。それで何故、他国の王の側室に?」

「それが、ハイデマリー嬢の母君が見つけたのだが、どうやらハイデマリー嬢は隣国に逃げるつもりだったようだ。その準備がされていた。その為に隣国の者とやり取りしていたのだが……それはつまり、王子妃教育を受けた者が情報を持ったまま密偵になりかねないという事だな」

「確か、王子妃教育はそこまで王家の秘密に関わる部分は触れないでしょう?」

「しかし教育の仕方は元より、最低限の公務の仕方などは仕込まれる。王族に嫁ぐならばまだいいのだが、彼女は平民として逃げようとしている形跡があったようだ。だが、本人は理解せずとも淑女教育を受けている者であればその所作に貴族が現れる。万が一攫われて見知らぬ誰かとの間に子が生まれたならば。そして彼女の素性が判明したら。公爵家から除籍しても血は意味を持つ。だからと言って隣国の王族に嫁がせるのは彼女の希望に沿ってしまう可能性がある。何故ならその隣国を選んだのがハイデマリー嬢だからだ。よって、その更に一つ向こうの国の王が側室を求めていたので嫁がせた」

「まあ……確か、あちらの王の年齢は……」

「少なくとも公爵閣下よりは上だな」

「お可哀想に」


 側室は正妃ほどの力を持たない。彼女の場合は友好関係を結ぶための駒として送られることになったのだろう。それにしても、平民として生きるなんて……無理に決まっているのに。

 前世が普通の庶民で生きていたとしても、この世界で傅かれて全てを誰かにしてもらっていた人が平民生活なんて出来るわけがない。必ず不満が出てくるはず。

 お風呂に入るのだって服を着るのだって食事だって、高位貴族の令嬢であれば全て人にしてもらうもの。彼女は王家に嫁ぐ予定だったのだから更に徹底していたはずだ。そんな人が平民で生きるなんて無理。この世界の平民がどうやって生きているのかの知識もなく、経験もなく、周りが助けてくれると思っていたのだろうか。貴族だと分かるような訳あり女に近寄るのは親切面した悪人くらい。平民は面倒ごとに巻き込まれたくなくて避ける。小説とかでは心優しい人が拾ってくれるとかあるけれど、下心なく助けてあげられるのは余裕がある人で、隣国の国境付近の人たちにはそんな余裕はなかったはずだ。

 愛されることは無いだろうしお手がつく事もなく、ただ駒として側室に迎え入れられたハイデマリー様はきっと日々嘆くだろう。こんなことなら殿下の婚約者でそのまま結婚したほうが良かった、とかそう思っていそうだ。

 だけど、そう思っている時点で彼女は選ばれなかった。何故なら、彼女はどこまでもこの世界にはシナリオがあると思い込んでいたから。男爵令嬢はその命でもって罪を贖った。遡って爵位の授与を取り消した為、令嬢は犯罪を行った平民一家として厳しく処断された。

 どちらもシナリオがあると思い込んでいたから。可哀想に。だけど思い込まなければ幸せになる道は沢山あったの。そもそもの話、なんでここが創作物の世界だと思い込んでいるのか。

 カラフルな髪の毛と目の色をしているから?名前が登場人物と同じだったから?色んな言い訳はあるだろうけれど、それはあくまでも前の人生の常識に基づいているだけで、普通にこの世界で生きていると思っていればこの世界に生きる人として常識的な行動が出来たのに。


「何はともあれ無事に終わって良かった。君との婚姻にケチがつくのは嫌だからな」

「嬉しいわ。それにしても、あの女性、貴方を愛称で呼んでいたわね」

「名前呼びは止めて欲しいし愛称などもってのほかだと何度も言ったけどな。リズベスにすら言ってもらえないのに」

「お望みならば呼びますよ。恥ずかしいですけれど」

「何故恥ずかしがる。呼んでくれ」

「はい、アル様」

「うん、いいな。君は何と呼ばれているんだ?」

「そうですね……家族や親しい友人はリズですね」

「なら、俺はベスと呼ぼう。他と同じは嫌だ」

「どうぞ、お気に召すものでお呼びください」

「ベス」

「はい」

「卒業したらすぐに式を挙げる。準備はそろそろ始めることになるが、君は侯爵夫人として十分なマナーも教養もあると母も言っていた。安心して嫁いで来て欲しい」

「ええ」

「早く一緒に住みたい……」

「私もですよ。でもまだ二年我慢してください」


 確かに私たちは政略に基づく婚約をしているけれども、そこに愛だってちゃんとある。幼い頃から交流をして信頼関係を築き上げ、お互いに愛情を持つよう努力した。

 あの男爵令嬢は愛されるのが当たり前だと思い、だけど自分は誰も愛していなかった。

 ハイデマリー様は愛される為の努力をせずに愛する努力もしなかった。

 ゲームや小説の世界じゃないんだから、シナリオなんてないし人間関係を円滑にするには努力だって必要。そう言うのを怠った二人はそれぞれの方法で決着を付けさせられた。男爵令嬢はもうこの世界から退場してしまったけど、ハイデマリー様は生きているので、意識を変えてちゃんとこの世界で生きている事を受け入れて、国王陛下を誘惑するなりなんなりして自分の立ち位置を築き上げ自分から幸福になろうとすれば未来はあるだろう。そうしなければ不幸なまま他国でひっそり命を終えるだけ。

 アルノルド様が私を愛し気に見つめてくれる視線に、私も愛をもって返す。


 異世界に転生して前世の記憶がよみがえったら。

 知識チートなんて簡単に出来ない。人格を汚染されるほどともなると医者にかかる必要がある。創作物の中ならシナリオがあると思い込むなんて現実を見たほうがいい。努力を放棄すれば結果は最悪にしかならないのはわかりきっている。後は、何歳で前世知識がよみがえったかによるけれども、ある程度の年数が経過しているならそれまでの人格で振舞わないと周囲から異物として判断され排除されるようになる。

 正直、ハイデマリー様が他国に嫁いだのは公爵家の誰も反対しなかったからでしょう。親よりも年上の男にたとえ国王相手でも嫁がせるなんて余程の理由がある。きっと本来のハイデマリー様と全く変わってしまった我が子を遠くに追いやりたかったのでしょう。子供は彼女一人じゃないし。

 私の幸せは、前世の記憶はあくまでも記憶として別に隔離されていて、私という個人はそのままでいられたこと。

 おかげでアルノルド様という素敵な方と愛を伴う関係になれたし、きっと大変なこともあるけど幸せな日々を過ごせる自信がある。

別タイトル:なろうテンプレあるあるへの皮肉


・6/17の活動報告に裏話を載せております。

・6/18の活動報告に男爵令嬢と公爵令嬢視点の話を書いています。

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― 新着の感想 ―
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[一言] 年上との結婚が必ずしも嫌がられるわけでもないのですけどね。 私の初恋なんて、母の実兄(伯父)でしたし。 同年代に興味がない人なんてわんさかいると思います。 まあ、彼女がそうかはまた別の話です…
[一言] まぁ、ガチな対応というなら本来なら男爵令嬢には学院側が責任もって貴族観で重要な問題行動を起こした時点で注意勧告をし、それでも問題行動起こすようなら粛々と退学にするべきでしょうね。 今回の場合…
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