【短編】ある魔王さんと勇者
よくある転生ものです。
私の前世はこの世界を征服しようと企んだ魔王だった。
この説明は少々乱暴であり、間違っている。
ここでいう魔王は誰から見た姿なのか。もちろん私から見た姿ではない。
細かく言えば、世界を征服という表現はかなり破壊的な表現で、どちらかと言えば自分や、家臣にとって住みやすい領土を広げなければという意識を持ってやっていたまでだった。
世界とまではいかないが、せめて、やいやいとやかましく責め立てる部下が大人しくなるほどの土地や生活を確保しなければという使命感が私を動かしていた。
私はとにかく自分の領地を守り、突如やってきて虐殺を繰り返す正義の味方気取りの奴らにお帰り願うのが仕事だと思っていたわけだ。
何度追い返しても「人間を脅かす悪い奴」と、言う事を聞かずに耳に栓をした様な奴らばかりがやってきて自分達の正しさとやらを説法しては殴りかかり、切り刻み、正義という名のもとに聞きたくも無い恨みつらみを聞かされる。
1人目の勇者は、ビクビクとしながら自爆とも言える方法で乗り込み、想像通り、文字通りに自爆した。
2人目はやたらとうるさかったことしか覚えていない。
10人を超えた頃、ついに眠れないほどのクレームが私の元に寄せられ、私の部屋は書類の山となった。どれもこれも人間についてのクレームだ。
悪は、善にとって存在を引き立てるものであり、善にとって悪もまた同じ様な存在である。
悪とは何で、善とは何か。
それは明確なものはなく、立場の違いによって姿を変えるもので、決して答えがあるものでは無い。
我々にとっては勇者や人間は悪で、あちら側から見れば魔王という存在はもちろん悪になるのだ。
どうやっても交わることはない。
「また来たのか......」
「はい。僕は勇者ですから」
最後にやってきたやつは、どうにもおかしなやつだった。私を倒すと言う殺気よりも、やけに熱い視線を送ってくる、そんな勇者だった。
少し怪我を負えばすぐに撤退してまた姿を現す。
いつだって嬉しそうにしている変な勇者。
何度も目の前に現れる姿に、あの勇者だけは特に良く覚えている。どうしてそんなにしつこいのか。どうしてそんな目で私を見るのか。
「はぁ!」
「ぐっ、......!」
「......ごめん......魔王さん......」
残念ながら力及ばず、私は伝説の剣によって心臓を貫かれその人生に終止符を打った。
長い長い、人生だった。
私が死ぬ瞬間に見えたのは、暗くなっていく視界の中でぼんやりと映し出された勇者の悲しげではあるものの、愛おしいものを見るような、うっとりとした顔。そしてパシャリと私の顔に落ちる、生温かな水。
不思議と、悔しく思う気持ちもなかった。
どこか、肩の荷が降り、ホッとする気持ちが強かった。これで楽になれる。ようやくこんがらがった運命の輪から降りられたと、そんな気になったのだ。
勇者に感謝とまでは言わないが、決して憎むことはない。永遠に続く勇者達との国取り合戦と唾の吐き合いは私には途方もなく退屈で苦痛で、しんどかったのだ。
私は運命から降りた。
切って切られるという舞台から降りたのだ。
意識が飛ぶ瞬間の淡いクリーム色の髪と細められた瞳「また会おうね」と言うこの勇者の言葉。
それは、時代を越え、命が変わっても記憶にこべり付き、とうとう忘れることはなかった。
◇
◇
私がこの世に生まれついて、改めて魔王という存在について考えてみる。
この時代は特に創作物で溢れており、想像力豊かにさまざまな悪と善について語られている。
小学校に通い始めれば、図書館の美術書や、物語に登場する魔王は、魔物を操り人間の世界に恐怖をもたらす姿が描かれていた。
まさに前世の私の姿の様だった。
たまたま本屋で見かけた雑誌を手に取る。
「ほほぉ、魔王が、こんな可憐な姿を?」
ぱらりとめくったページには実に可憐で儚げな魔王のイラストが描かれている。
その隣では逞しい肉体で鬼の様な顔をした姿もあり、人間の想像力には感心するものがあった。
「そうか......人間になってみるとやはり魔王とは居ない方が安心するものだな」
ああも血眼になって執拗に魔王という存在を嫌っていた人間の気持ちがようやく理解できた。
うん。魔王は怖い。今の自分は無力で何の力も持たず、寿命も短い。そうなってみると、永遠の命と若さを持ち、多くの魔力を持った人間ではない者はそりゃ怖い。居ない方がずっといい。
この世界では、かつて魔王であった頃に小間使いとして使っていた鬼でさえ、年に一回退治されるべき対象であり、不幸を運ぶものとして頻繁に登場している。
鬼でさえ、怖い存在なのだ。
であれば。
魔王の時代に注意をしに行けと放った鬼達は人間の前に姿を現したはずだ。
きっとそれを見た人間はさぞかし恐ろしい思いをしたことだろう。
この世界では、傷は一瞬では治らない。
魔王の頃は頭を飛ばされても、腕を吹っ飛ばされても、串刺しになったとしても、それが伝説の剣でなければ全く問題なく一瞬で元に戻るのだ。
あれは魔王の特権だった。
足がもつれて砂利の上で転けた時、それを実感した。
伝説の剣を恐れていたが、そんなものでは無い恐怖を味わった。
人間はとても脆いのだ。
身支度のために姿見を見れば、鏡に映った姿は、前世と大して変わっていない黒い髪に黒い瞳に青白い顔。多少変化したことと言えば、付いていたはずの大きなツノとたくましかった筋肉は無くなり、女性という性別でこの世界を生きていることくらいだろうか。
奇しくも、言葉遣いだけがなかなか直らずあだ名は「魔王」だ。周囲は女性につけるあだ名にしては物騒この上ないと憐れんだが、懐かしい響きに、それほど嫌な気はしていない。
奇妙な目で見られてはいるが、それもまた懐かしかった。
高校生になり、通学距離が伸びると、さまざまな出会いがあった。
電車でチラリと見かけた快活で美しい少女は、何人目かの聖女だったろうか。
うっすらと頭の中でくるくると巻き戻る記憶は不鮮明ながらもその存在ははっきり覚えていた。
特段、心は動かない。
自分と同じく、命の種がポトリとこの大地に落っこちたのだろう。それだけのことだ。
◇◇
桜の木が立ち並び、はらはらと落ちるピンクの雪が道を染め上げていく。
何度目の春だろうか。
大学の本館へと続く坂道、毎年聞こえてくる賑やかなサークルの勧誘が、新しい年が始まるワクワク感を演出している。もう2回繰り返したこの賑やかさには、特段気を取られることもない。
自分には関係のない勧誘を潜り抜け、学校に入ればまた一年が始まる。
少しばかり退屈には感じるが、一日中忙しく過ぎていく怠惰と勉学と娯楽の日々はじっくりと体に染み込んでいき、生の感覚を呼び覚ましてくれる。歳を取るという感覚が少しばかり加速するのがまた面白い。
パシリ、と音を鳴らして突如ぐんと腕を引かれて足を止めた。
存外強い力で掴まれた箇所を見れば、血色の良い良く日に焼けた大きな手が目に入る。
厚い胸板が目に入り、次は太い首に少し口角の上がった形の良い唇。スラリとした鼻筋に、柔らかく細まった瞳。そしてクリーム色の髪の毛。
はっと、息が止まる。
まるで時間が止まった様に、周囲の音も聞こえない。
それはどう見ても、私に剣を突き立てたあの勇者だった。最後に見た姿よりもほんの少しだけ成長した姿ではあったが、それにしてもすぐにわかった。
「おまえ......勇者......!?」
「ふふ、やっぱり......!魔王さんだ!」
パッと花が咲く様な笑顔ぐんと近づいたかと思うと、一瞬躊躇したのも一瞬で、突如、ガシッと大きな体が私を閉じ込めた。
驚くべきことに、勇者により抱きしめられているじゃあないか。
大学の、しかも、公衆の面前で、だ。
大公開。かつ、公開処刑とはこの事か。
このまま伝説の剣ではなく勇者の腕力で締め殺すつもりなのか!?ぐえ。
いや違うか。
パニックに陥りそうになる頭の中を空想で殴り飛ばし落ち着かせれば、何とかまともな思考が帰ってきた。
「や、お、おい、お前! いきなり何するんだ! 何故、私だと......! いや、何故再会を喜ぶ!?」
「何故...? 何故って、これを運命と言わずになんて呼ぶんだい? あんなに焦がれた存在がここにいるのに!」
「は? な、なに!?」
ふふふと嬉しそうに微笑む勇者は、そう言ってさらに強くぎゅっと私を抱きしめた。
異常に高い体温が服越しにも伝わってくる。バクバクと脈打つ音は一体どちらのものか。
「ずっとずっと、前世から忘れられなかった」
ぎゅっと抱きついたまま、絞り出す様な声が耳に届く。
「は......なんだと」
「前世では、ひどい事をしてしまった」
「ふん、お前は勇者で、私は魔王だったのだ。お互いの道はどちらかを滅する事によってでしか開けなかった。ひどい事ではない。私はあの時、安堵していた。もう魔王としての役割を終えれると......」
まぁ、私もお前の前に来た勇者は全て返り討ちにしているからおあいこだ。とまでは口には出さなかった。
私も今は人の心を持っている。ゆえにこんなのはただのクソリプである。ふん、と息を吐き出せば、「よか、った」そう言って勇者はずず、と鼻を啜った。
「まぁ、今世では何の縁もゆかりも無い間柄だ......ん?」
特段気にするな。じゃあな、そう続けようとすると、ゆらりと離れた勇者は、にゅっと腕を伸ばすと、その逞しい腕で私の肩をがちりと掴んだ。
先ほどの抱きしめた時とは違い、何の戸惑いも躊躇もそこになかった。
私を見上げる瞳に、ゆらりと影が滲む。
肩を掴んだ手は熱く、微かに震えている。
「縁もゆかりも......?違うよ、魔王さん......何故僕が勇者で、あなたが魔王だったのか。そんなことばかり考えていた。でもねこの世界は何もない。奪うものも、奪わなければならないものもない!この世界で再び会えたのは運命なんだ!僕は、僕は、君が......君が好きだって気がついたんだ......魔王さん!」
「は!?」
いつの間にか勧誘の声や、新年に心を躍らせる新入生の声は途切れ、静寂の中で私の声が響いた。
どこからともなく、ぴゅう、と空気を震わす耳障りな軽い音が空中を駆けた。
ハッとなり周りを見渡せば、全員が顔を赤らめてこちらを凝視している。
目の前には、真っ直ぐに見つめる青年の必死そうな赤らんだ顔。私を見つめる、その瞳の熱さに、顔が、頬が燃える様に熱くなった。
くらりと眩暈がして、暗転していく視界。
そこに映り込むのは、クリーム色の艶やかな髪。どこかで見た様な、そんな光景。
◇
ハッと目を覚ますと、白い天井が目に入った。
「死んだ......?」
「死んでないよ、魔王さん」
あまりにも突然の白い世界に、勇者にまたもや殺されたのかと驚き、これが宿命というやつかと思ってつい口にすると、即座に返事が返ってきた。
凛々しい眉をハの字に垂れ下げ、優しい声色で答えたのは勇者だった。
見たことのある表情だ。
服も、おそらく年齢も。
境遇も時代も、世界も違うが、その表情は私の胸に伝説の剣を突き立てたあの日に見せた表情と寸分の違いもなく、私を覗き込んでいた。
時間を見れば、もうとっくに昼だ。
驚いて飛び起きれば、そっと肩に手を添えられてパタリと布団の上へ戻される。
近付いた顔は、寝転ぶ私を覆い隠し、サラリと頬に垂れかかった。
「すまないな、君新入生だったんだろう? 時間をとらせてしまったな」
「そんなのはいいんだ」
「いや、しかし......看病してくれていた事には礼を言うが、君と私は敵だっただろう。私のために時間を無駄にするなど勿体無い」
「そんな事はない!」
ムスッとした顔のまま、肩に乗せ、布団に押し付けていた手にぐ、っと力が入る。「痛い」と文句を言えば、ハッとした様に手の力を緩めた。
ムスッとしていたのも束の間で、すぐにとろけた顔が、また私の瞳を見つめる。その目は、前世の魔王である姿の私を探す様にあちこち忙しそうに動き回っている。
しばらく沈黙が続くと、もぞりと勇者の体が動き、おもむろに私にもたれかかる。
暖かな体が、少しばかりの重みを持ってのしかかってくる。
「僕、魔王さんを生まれた時から探していたんだ。もし会えたらって。ずっとずっとあなたを忘れた事はなかった」
「私を......」
「そうだよ」
まるで逃げ出したくなる私の気持ちを見透かす様に、強い眼差しが、私を逃さぬとばかりに、捕まえて離さない。
「運命は何度でも塗り替えられるんだ」
勇者は嬉しそうに微笑んだ。
その力強い言葉に、私もなぜか、胸がぎゅうっと締め付けられる。
首筋をくすぐるクリーム色の髪の毛をそっと撫でると、柔らかな毛が、指に絡まる。
時を越え、世界を越えてこうやって引き寄せられたのは、果たして運命か、宿命か。
私は今のところ、運命に抗う術はないのだ。
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越鳥南枝に巣くい胡馬北風に嘶くとはいうけれども、私もその1人なのである。
目の前にチカチカと輝く2人は、私が見届けた2人に違いなかった。
◇
古い記憶が蘇る。
私は長らく魔王様にお仕えした側近の1人であったが、順々に退治されていく同僚達、わざと退治されるように勇者に向かって行った者達。
私も同様だった。
人間の相手にほとほと疲れた私は魔王様に相談の上吸収される事を選んだ1人だ。
「ご苦労だったな……裁かれるのは自分1人で十分だ」
そう魔王様が呟いた言葉を最後に私の記憶は途絶えている。
言うべきか言わぬべきかと苦悩した時もあったが結局のところ言わずに居るべきだと判断している。
私が任されている大学保健室。
ここは薬と消毒液の匂いで溢れていて、実に前世の自分とはかけ離れた香りだった。
缶コーヒーを手に持って、保健室の扉に手をかければ、コソコソと話す声が聞こえてきた。
「魔王さん、魔王さん早く目を覚ましてよ」
聞いたことのある声に思わず口に含んだ珈琲を溢しそうになったが、グッと堪えて、そっと様子を伺えば、倒れた魔王様に寄り添う勇者殿の姿があった。
魔王様がこの大学にいらっしゃるのは知っていたが、よもや勇者様までとは。
何ともあの頃を思わす2人を見ると帰りたい気持ちがワッと湧き出してくる。
はるか昔、遠い前世でも魔王様の事を追いかけ回す勇者様を思い出す。
どちらかが倒すまで続く人間と魔王との戦い。
ここまでくると、これは運命としか言いようがないではないか。
そっと、保健室にかかった手を離し、長い廊下を引き返す。
窓からは美しい桃色の花びらが雨のようにふりそそいでいた。
魔王さんと勇者くんのラブコメ開幕前夜的なお話です。
勇者くんは、魔王さんのこと追いかけてます。