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短編集・散文集

作者: Berthe

 黄昏のベランダにもたれて束の間の詩情を貪っていると、道路をはさんで左手に聳える並木の梢が薫風にぱたぱた揺らめき傾ぎ、追って鳥声、なおおぼろな瞳を漂わせているうち買い物帰りとおぼしき若い女が袋を提げて通りかかる折から突風がその髪をさらい裾をなびかせる。


 立ち止まってしばしわが身を案じ再び歩き出した女が行き過ぎるのを見送ってなおぼんやりしているうち、『風そのものは決して映せない。映像においては、人は風にひらめく事物を通じて風が吹いていることを間接的に知るだけである』という某映画評論家の言をはしなくも思い出して、一瞥することすら叶わぬ風を平生身近に感じる不可思議さに微笑を禁じ得ぬほどもなく、今日と同じく俄の突風にブラウスの襟元はためき鬢の後れ毛がその白い頬をもてあそんでいた過ぎし夏の日の光景がよぎるまもなく、彼女と交わしたはずの会話についてはすでに記憶がおぼろであるのに心づく。


 わずか一年足らずの月日が流れただけにもかかわらず、私は彼女との会話を打ち忘れ、しかし共に動物園に寄った折、彼女は私を置いて独り手すりへ駆け寄り身をあずけるまま動物を手招いていざない、度々そっぽを向かれてもなお諦めず懸命においでおいでをするうちゆっくり近寄って来て彼女を見上げた小獣へ向けた恍惚可憐な表情は今もなおありありと私の心を潤す。


 目覚めてしばらく夢うつつのまま二人の温みにほだされて愚図愚図相戯れていた折から決然それを振り切り起き上がろうとした私の目をその物悲しげなしどけない瞳でつかまえたあの朝。


 冷やかした駅ビルを後に踵を接する雑踏へ紛れ込み、離れ離れになるのを恐れる如く軽く腕まくりした私のシャツの袖をつまみながらようやく人混みが晴れると共に指の力もゆるんで俄に心寂しくなったあの時。


 炎熱甚だしき夏の午後、喫茶店に一息ついたのち今度は趣向を変えて水辺に涼を取ろうと井の頭公園へ歩むうちたちまち汗噴き出し、暑い暑いと掛け合いながら影を見つけてはしばし隠れ青空を仰ぎ、勇を鼓して今一度歩を進めようやく辿り着くと折から陽光の照らす池のほとりは避けて、鬱蒼屹立と伸びて影をつくる木々の恩恵のもと有り合うベンチに腰かけて頻りに鳴く蝉と鳥の声に黙然と目を閉じたまま聞き入るふうの彼女の頬を指先で突こうとして、寸前で気づかれたあの刹那の見開いた瞳。


 ほんの二三日のささやかな情景に過ぎないとはいえ、私は最初から会うべき次の機会の到来しない事を予期していた。今回限りを独り望んでいた。


 事の始まりから思い出にすべく過ごし眺めた彼女には、未だ再会を希求したことはない。時折おぼろによぎる淡い恋情は軟風の如く正体のつかめぬうち早過ぎ去ってゆく。


 それでもその清楚可憐な種々の所作と、打ち解けた二人の記念だけは記憶と想像の力の存する限りこれからも私のうちを去らないだろうか。

読んでいただきありがとうございました。

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