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夜明けはまだか


視力0.2の侍女の周りには変態が集う







――――豊穣と栄華の国、レンガルド王国。




 栄養豊富な土壌は農業に最適で、恩恵に預かった国民は穏やかな気候の中勤勉に田畑を耕し、その結果かここ百数十年飢えも知らずに長閑な生活を続けている。

平原広がる王国南東部では豊かな牧草地帯に多くの家畜が放牧され、特にレンガルド王国ハルフェン地方の牛などは国内外の王侯貴族がこぞって買い求める高級ブランド牛としても知られているのだ。

さらに、国の西側は海に面しており港のある都市から王都まで移送用魔導馬車でも一週間はかかるが、魔道具の進歩により鮮度を保ったまま魚が運べるようになったため近年は食料自給率がさらにあがったという。


 さて、レンガルド王国はエルノート大陸の南西側、海に面した温暖な気候の恵まれた土地であることはご理解いただけたであろうが、“大陸”というからには他の国が存在しててもおかしくはない。


 王国の北にはシュルツェンディア帝国、東にはアルノークス皇国、海上には島が点在しており数多の小国は議決制の連合を結成しグルノーブル連合国家と名乗っていた。

西側のグルノーブル連合国家は諸島国故に農地も少ないため、レンガルド王国との小麦を主とした貿易協定もあり比較的友好的な関係を続けているが、問題は北と東だ。


シュルツェンディア帝国とアルノークス皇国。この二国は元々アルフェディア神皇国という一つの巨大な国だった。


 アルフェディア神皇国の第一継承権を持つ皇太子が病弱な為に若くして亡くなり、その後を追うように皇帝が崩御した。

当時18歳だった第二継承権のハーフェス皇子が順当に即位の儀を執り行おうとしたとき、待ったをかけたのが当時執政官であった第三継承権をもつユリシス皇弟である。

―――ユリシス皇弟は兄を憎んでいた。

 正室の子であり母の身分も高い自分が第一継承権なのが当たり前で、何故兄だというだけで奴が皇帝位に就いたのか!本来の皇帝の血統は我であるのに、不当なる皇帝の血族が継承されていくのは悪しきことであり正されなければならない!

ユリシス皇弟は気づいていなかったのだ。その本人の質故に父から継承順位を下げられたことに。

だが、皇帝たるに相応しくない、そう判断されたのはなにもユリシス皇弟だけではない。

第二継承権のハーフェス皇子も“問題あり”のレッテルを貼られた皇子だった。

それでも兄が亡くなり()()()()()通り自分が継ぐのは、何一つおかしいことではない。だというのに、叔父に邪魔をされるとは。

これが、神皇国を分裂させる程に亀裂をいれた継承権問題だ。

端から見れば横槍をいれてきたユリシス皇弟が駄々をこねてるようにしか見えないが、あながち血統的には的を外していない事がアルフェディア神皇国臣下達を二分化させ国に終幕を迎えさせた原因だった。――――まぁ、それだけではなかったようだが。

互いに国名を改め、国を二分させる戦いが始まったのがおよそ20年前。それ以来、お互いに憎くて仕方ないのか、何かと大小の競り合いを続けている。それはもう脳の一部や血の流れにお互いを嫌悪する成分が組み込まれているいるんじゃないかとすら思われるほど険悪だ。巻き込まれた国民は堪ったものではないというのに。

 二年に一度は大規模な侵攻戦、その他小競り合いならば日常茶飯事ともいえる行いをそんな期間を続けていれば、国庫が疲弊していくのも当たり前である。


 ここで、レンガルド王国だ。


 自国の荒廃した大地と隣国の豊かな畑。豊かなのは王都の一角と貴族だけで、多くの民が飢えにあえぎ重税に生活すらままならず貧民や奴隷のような生活をしているのに比べ、レンガルド王国は地方都市まできちんとした馬車道が整備され交易も盛んで王都に止まらず国境沿いの辺境までもが石造りの美しい町並みを誇る。貧富の差はもちろんあるが、平民の生活水準は近隣諸国の中でも随一であり、生活困窮者への支援活動も行われているという。

それは穏やかな国民性と王家の努力の賜物であるというのに、民の幸せなどよりも目先の戦に明け暮れていた両国はレンガルド王国が繁栄しているのが気に食わない。だったらお互いにとっとと不可侵条約でも仲直りでもして戦の替わりに土地の開墾でも命じればよいのに、そんな考えは己の地位に執着しどちらが正統であるかをこだわり続ける、与えられ望めば手に入らないものがない世界で生きてきた皇達の思考にはない。思い付くのは――――ないのなら奪えばいいということだけ。

 そんな自己中心的で年頃の貴族子女よりも我が儘な国家元首達は、ただただ大人しく自国民を豊かにしたいと願って過ごしてきた王国に対し侵略戦争をはじめる。

 はじめは豊かな土地と食料を目当てにしていたが、同時に王国への侵攻を開始した帝国と皇国は次第にどちらが先に王国の領土を手にいれるかを競いあうようになっていった。

 とんだ迷惑をこうむったレンガルド王国、シェハール=ウルノス=レンガルド国王はそんな両国に対して愚か者と謗ることもなく毅然とした態度を崩さずにいい放つ。


『我が国は戦を望まぬが、そなたらが一歩でもレンガルド王国の領土に踏みいれれば、民を国土を守るための剣を手に取ることは厭わぬ』


その言葉に帝国も皇国も怒りを顕にした。

畑を耕すだけの田舎者集団の長ごときが何を抜かすか、と。 

戦の作法すら知らぬであろう貴殿らに実地で教えてやろうではないか。

嘲笑と共に向けられた剣は大陸端ににある片田舎の王国ごとき軽々と凌駕する、そう信じて疑わずに2国はほぼ同時に王国へと進軍を開始した。

……だが、自分の地位にしか興味のなかった彼らは知る由もなかった。

豊かに安定した国が、次に求めるのはなんだろうか。

芸術や技術、魔術の発展―――それもあるだろう。

しかし、豊かさはいずれ諸刃の剣となって自国へ向かうのだろうと、安定した後のレンガルド国王が代々してきたことは自衛の為の騎士団の育成だった。



シュルツェンディア帝国に面した北には“ルードフェン北方騎士団”。

アルノークス皇国に面した東には“タングルト東方騎士団”。

レンガルド王国の王都には最後の要“レンガルド近衛騎士団”。



 このレンガルド王国三大騎士団は完全なる実力制であり、特に団長・副団長・大隊長クラスは少し…………いや、一騎士と比べるとかなり強さの桁が違う。少なくとも百桁くらい違う。

だからといって一般的な騎士が弱いわけではない。騎士団に入るだけでも過酷な入団試験があるのだから、それを突破できるだけの猛者たちだ。

ただちょっと、いやかなり、団長まで上り詰める者達があまりにも強すぎるだけである。

そんなが率いる騎士団と隣国との衝突は、もうすぐそこに……。





 北―――ルードフェン北方騎士団は王命によりルードフェン辺境伯の元に設立され、山脈の多い過酷な地形を利用して鍛えぬかれた騎士団だ。

ルードフェン辺境伯の領地にはシュルツェンディア帝国との国境を含んだローメルシェ山脈があり、その山中には毛足の長い馬のようなニールスという獣がいる。人になかなか慣れず凶暴ではあるが、一度主人と認めた者にはそれこそ命懸けで尽くしてくれる利口な獣だ。

普通の平原にいる馬よりも太い足は筋肉質で岩場や崖を軽々と翔ぶように登っていける、そう、たとえば屈強な軍人を乗せてても。

旨味の少ない荒れた山などに興味のなかったシュルツェンディア帝国はニールスの存在を知っていたが、あまりの飼育の難しさに早々に軍用獣への採用を打ち切った。

何せニールスは強いものに従う習性があるのだが、馬に似ているとはいえその存在は魔獣とされている。食糧は山に自生しているルル草だが己の縄張りを荒らさせるのを嫌い、無遠慮に踏み込んでくる生き物はその強靭な脚力で蹴り殺させる。

そんな物騒な生物を手懐け、軍用に用いたのがルードフェン北方騎士団の団長だといわれている。

どうやって懐けたのかは軍事機密として秘匿されてるのでわかりはしないが、団員達から恐れられつつも慕われているという人柄を伝え聞く限りもしかしたら主を慮る魔獣にもそれが通じたのかもしれない。

 そして、山での機動力を手に入れた北方騎士団は強かった。

日頃から山の険しい道での訓練をしている彼らには、ほぼ歩兵で編成されたシュルツェンディア帝国軍の歩みは鈍く、ルートを予想することも容易い。

手の内など読みきられているとも知らず、シュルツェンディア帝国軍は登山訓練のような気楽な気配で進軍していた。

『呑気なものですね、まるでピクニックだ』

行軍するシュルツェンディア軍を()()()()()()()深緑色の切れ長な眼を細めて一人の男が呟いた。

その言葉を向けられた隣の男はその端整な顔に浮かべた呆れたような表情も隠さずに、後ろに控えた部下達に告げる。

『観光には向かないと思うがな。さっさとお帰り願おう』

すっ、と無言で了解の姿勢を取った者達は、皆一様に軽鎧を見に纏っていた。胸元にはルードフェン北方騎士団のエンブレムが刻まれており、無駄の少ない行動は練度の高さを物語っている。

彼らが騎乗しているのはニールス。この程度の崖であれば、問題なく()()()()()ことができるだろう。

『団長、始めますか』

『あぁ……』 

団長と呼ばれた男は、その整った顔を不機嫌そうに歪めた。

少し延びた前髪を強い風が煽っていく。山の強い日差しを受けて輝く金色は外での訓練が多いせいかくすんだような色をしているが、それが粗雑ではなく彼に似合った雄々しさに変換されているようだ。

『……気が進みませんか』

『……そうだな』

心配そうに伺う己の副官に少しだけ声のトーンを変えて、団長ことクラウシェンド=アルト=ルードフェンは口端にいたずらな笑みを浮かべて言う。

『弱いものイジメは嫌いだからな』

次の瞬間その笑みは酷薄なものにとって変わる。

そして何の躊躇もなく挙げられた左手が合図となり、転がり落ちた複数の岩石が青天の霹靂となってシュルツェンディア軍に降り注ぐ。突然の状況に慌てふためいた兵士達を落ち着けようと声を張上げている人物に目を止めたクラウシェンドは、獰猛な視線を向けて剣を抜き放つ。

やけに装飾過多な鎧、腰に履いた剣はレイピアと思われるがその膨張した体躯からは扱えるだけの技量があるようには到底見てとれない。口元に蓄えられた髭だけがやけに立派だ。

最終的に部下に押し付けるように不様に喚き散らして後退しようとしている男に内心毒づきながら、ニールスに掛けられた鐙でその身体を叩く。主の意を汲み駆け出した魔獣は僅かな足場を飛翔するように急降下し、猛禽類の狩猟を彷彿とさせ優雅ですらあった。

―――ルードフェン北方騎士団長に狙われた獲物は逃げることは出来ない。

そう彼が言われている事を知るよしもない敵将は、知ることもないままに体験させられることとなる。

風切り音とともに瞬時に鎧ごと将を切り伏せられ、ようやく兵士達は気がついた。逃げることしか出来ないことを。


―――未明、王城に知らせが届いた。


鋭く険しい峰の多い地形を活かしての奇襲の前にシュルツェンディア軍が瓦解し、いつの間にか後方へと回り込んだ別動隊により本陣はすぐさま壊滅状態。

恐慌状態に陥った兵士達は散り散りに逃走し、侵略してきた帝国兵三千に対し、北方騎士わずか八百という数の差をシュルツェンディア軍は知らないまま戦は幕を閉じた。






 そして同時期の東―――タングルト東方騎士団は平原に堂々と侵入して来ようとしているアルノークス皇国軍に対して警告を発する。


『我が王の言葉を違えるならば、貴殿らは二度と祖国の地を踏むことはなかろう』


そう言い放ったタングルト東方騎士団団長、アルフォンス=ノイシュは魔術で大地に一条の線を引いた。

 そこはレンガルド王国とアルノークス皇国の境界線。

今までは明確な線引きなどはなかったが、警告と共に引かれた国境はそれ以後“ノイシュの蕀”の異名と共に国境線として後世へと語り継がれていく事になる。


『“ノイシュの蕀”に関わるな』


アルノークス皇国に伝わる格言として残されたその言葉は、いくつかの意味がある。

曰く、レンガルド王国東方国境線を侵略してはならない、という警告。

曰く、侵略をした者は“ノイシュの蕀”に阻まれ、絡めとられ、二度と祖国の地を踏むことは出来ない、という教訓。

 そして、“タングルト東方騎士団”は騎士団と名乗ってはいるが、アルフォンス=ノイシュを筆頭に、その3割は魔術師で構成されていることをアルノークス皇国軍はしらない。

騎士としては細身なアルフォンスの警告を鼻で嘲笑った皇国軍のニルカナス=カンザス将軍は挑発するように境界線の一歩手前に陣を敷いた。

陣幕は丁寧に線を踏み越えないように張られ、警戒する東方騎士団の前で野営の準備をすすめていく。

その間、東方騎士団は何もしない。大人しく陣地から皇国軍を見張っているだけだ。

そんな東方騎士団に『腑抜けどもめ』とカンザス将軍は吐き捨てるように言った。

このようなもの戦ではない。シュルツェンディア帝国と身を削りあうような戦の中に生きてきた自分には温すぎて退屈なほどだ。

……だから、彼は甘く見ていた。


レンガルド国王の言葉を。

『我が国は戦を望まぬが、そなたらが一歩でもレンガルド王国の領土に踏みいれれば、民を国土を守るための剣を手に取ることは厭わぬ』


アルフォンスの言葉を。

『我が王の言葉を違えるならば、貴殿らは二度と祖国の地を踏むことはなかろう』


そして、腹立ち紛れにそれを踏みにじる。

『ふん、たかが線を引いたところで、何の意味がある』

ジャリッ、と乾いた音を立てて鉄靴に擦られた大地の焦げ跡は、踏まれると同時に鈍く蒼い光を放った。

『なっ……!!』

不気味な光にその場を飛び退いたカンザス将軍だが、己の愚かさを悔やむには時既に遅かった。

アルフォンスの魔術により引かれた境界線から無数の緑の蛇がカンザス将軍に飛び掛かる。

『ひぃっ!』

悲鳴をあげて慌てて振り払ったカンザス将軍はその手にぶつかった感触の軽さに一瞬視線をそちらへ向ける。腕には千切れた蔦が絡まっているだけだった。

『こ、こけおどしか』

ふんっ、と安堵したように全身から力を抜いて腕から蔦を落とし、その落とした先、地面が視界に入り込んだ瞬間カンザス将軍は再び短い悲鳴をあげる。

自分に飛びかかってきた蔦がまるで意思を持つかのように足元から這いより、鎧の隙間から入り込もうとしていた。慌ててその場から飛び退こうとするが、足首に絡み付いた蔦がそれを許さず次々とカンザス将軍の身体にまとわりついてくる。

『くそっ!鬱陶しっ……ぐぁっ!!』

じたばたと暴れまわる様は他から見れば滑稽ですらあるが、本人は突然身体に走った痛みに狂ったように手足を振り回す。引き剥がそうと懸命に振り払えば、その腕に巻き付いている蔦に無数の棘が生えていることに漸く気がついたが、むしろ気がついたせいで痛みの鋭さが増したように感じるだけだった。

無数の棘が体を這い回る。

全身を鑢にかけられるような痛みがカンザス将軍を襲う。

『ぐっ、ぎぁぁぁぁああっ……!』

剣で切られた傷とも魔術で灼かれた熱さとも違う痛み。

ざりざりと自分の体が少しずつ()()()()()()感触に猛獣のような雄叫びをあげることしか出来ない。

身動ぎすらできない程にギリギリと締め上げる力を強められて棘が傷口に深く突き刺さる。

蔦に絡めとられ倒れることすら許されないカンザス将軍の鎧は流れ出た血で赤く染まり、ひきつるように痙攣している足元へびしゃびしゃと染みを拡げていく。

もはや声ひとつ身動ぎひとつしなくなった()カンザス将軍は、棘に磔られたまま事切れた。

ものの数分の間に起きた凄惨な光景に、呆気にとられるだけだったアルノークス軍の兵士達は最初の一人が悲鳴をあげて逃走を始めると、国境近くにいた者から順に互いを押し退けるようにして安全地帯を求めるように逃げていった。

――――それを遠くから見つめる輝く翠の双眸。

温度の感じさせない金属のような銀色の長髪は柔らかに風に揺らぐ。

中肉中背というにはやや細身の身体を包むのは鎧ではなく、夜を紡いだような紫がかった濃紺のローブ。

抜けるような白い肌は不健康なほどに青白く、陽の光の下では消えてしまいそうな儚さを伴っているが、その美貌との相乗効果は計り知れない。

『兄貴、もういいだろ』

性別不明な見た目にそぐわない砕けた呼ばれ方など気にも止めず、ただ真っ直ぐと国境線を見つめる瞳はひとつのまばたきの後に翠から蒼へと変わり、そっと自分の肩に置かれた手を見た。

『まだ戦は終わってないぞ、ルーク』

涼やかな声に呼ばれた青年は短く整えられた銀灰色の髪をぐしゃぐしゃと掻き上げて、兄と同じ蒼い瞳でじとっと睨む。

『へーへー、アルフォンス=ノイシュ団長殿。だけど、これ以上は向こうが退くタイミングがなくなるから止めろよ。決死隊なんてお断りだ』

『わかっている』

弟ことルーカス=ノイシュは兄が見た目の儚さと反比例するように頑固なのを知っているが、実力主義の騎士団の団長を務めてるのが伊達でないことも同時に知っていた。

兄がわざわざ動いたからには終わりが見えて(始まる前から終わって)いる。たとえ相手がいかなる策を巡らそうとも、アルフォンス=ノイシュの前では無意味なのだ。

敵兵が完全に退くまではその場から動かないだろう兄は放っておくことにし、ルーカスはとっとと砦へと引き上げることにする。

『ま、ものぐさな兄貴が珍しくやる気だからな。俺は大人しくしておくか』

日頃は実質的な団の取りまとめをしている苦労人な弟、タングルト東方騎士団副団長は頭の後ろで両手を組み、戦場とも思えない気楽さで鼻歌を歌いながらその場を立ち去るのであった。







そして、北と東で王国が勝利を納めたすぐ後、帝国と皇国は互いの国境での戦線激化の為に戦力を引き上げる、と声明を出した。

穏便な草食獣のような農業国に隠されていた鋭い牙に噛みつかれ、驚愕が隠せなかったのだろう。

ただ、兵は引き上げたが国境線より馬で半日ほどの距離に一部兵士を残した上で人足を雇い、砦の建設を始めたという。

懲りないというかなんというか……だがこれで暫くは手出ししてこないだろう、と満足げな表情で頷いたレンガルド国王は各騎士団の貢献者を呼び寄せ、祝勝会と褒賞式を王城で開催した。


 そして、第二王子付きの侍女である私は祝勝会のパーティー会場で仕事を終え、王子に夜の寝酒を用意して王城近くにある侍女の寮へと戻る最中だった。

……………………だったんだけど。

「頼む」

 夜の帷も下りきった暗闇の中にあってもなお爛々と輝く榛色の瞳は、彼が冗談で言っているわけではないことを如実に語っていた。

「いや、ちょ……」

「頼む」

人の話聞く気なしか。

 呆れたように溜め息をつき、相手の顔をしっかり覚えて不審者届けを近衛に出してやろうとぼやける視界に目を細めれば、一瞬大きく目を見開いて次の瞬間街灯の薄暗い灯りでもわかるほどに顔を真っ赤にした美丈夫がそこにいた。

―――なんか見たことある気がする。

それでなくても普段は世話のやけるあの方のお世話をしてくたくたなのに、王家主催の祝勝会に褒章式などの準備でさらにここ数日寝る間も惜しんで働いていた頭脳がそこで止まる。

…………いたな、祝勝会に。

じいっ、と不躾なまでに見つめればうっすらと開いた唇から熱い吐息が溢れる。

実地で鍛えられた無駄のない見事な体躯の男性が頬を赤らめ潤んだ瞳で艶っぽくこちらを見つめている。……解せぬ。なぜこうなった。

 あまりに不穏な空気に腰が引けるが背後は巨木が立ち塞がっている。相手はその長い脚を折り片膝をついて私の腰元を囲うように腕を伸ばし、逞しい腕は木の幹に縫い付けられたように微動だにしない。

そして、熱を含んだ掠れた低音が乞うように願う。


「あぁ、俺をもっとその目で見てくれ……!」


 うっとりと呟いたその男は今日の祝勝会の主役の一人、ルードフェン北方騎士団“団長”、クラウシェンド=アルト=ルードフェン。

少しくすんだ金の髪は短く整えられ清潔感があり、凛々しい眉の下にある榛色の瞳は力強い意志があり近付きがたいが、仲の良い知人であろう騎士と話しているときの屈託ない笑顔はその瞳を柔らかくし少しだけ幼さを混じらせる。そのギャップに心を撃ち抜かれたもの多数。

鍛え上げられた長身を包む祝勝会に合わせた上品な濃紺の衣装で露になった、普段は鎧で隠されているその広い背中に守られたいと願う乙女は後を絶たないだろう。実際に祝勝会に参加した貴族女性や侍女から熱い視線を注がれていた。

しかも“ルードフェン”の名の通り、この方はルードフェン辺境伯のご子息。辺境伯の継承権は三番目だったはずだが、騎士団長まで上り詰めた上に今回の功績によりクラウシェンド様には個別に子爵としての爵位が与えられたので、結婚相手を探しているご令嬢たちからのアピールは凄まじかった。笑顔が非常にひきつっておられたが色男の宿命として諦めて頂こう、と心の中で合掌をしたのは記憶に新しい。

 すべての業務を終え残った体力でぐずる王子様(がきんちょ)を寝所に放り込み深夜を回ったが、その分明日はお休みを頂けたのでゆっくりと惰眠を貪ることが出来ると意気揚々としていたのに……。

 夜陰から突如として伸ばされた手に何かと認識する前に、道から外れたこの樹の根本へ浚われるように囲われた私は叫ぶ前に口を塞がれ、『あ、詰んだこれ』と思ったがせめてと思い睨み付ける。

すると一瞬息を飲むような気配を感じた次の瞬間、私の口許を押さえたまま相手は崩れ落ちるように膝をついた。

『あぁ……理想的だ……』

恍惚とした声音とともに手のひらから伝わる震えに、冷や汗しか出ないが少し力が緩んだ今がチャンスだと思った―――それが最適解だと思ったその時の自分をぶん殴ってやりたい。

首を振って相手の手のひらをずらし、ちょうど口許にきた小指を全力で噛む。怯んでくれれば恩の字!

『っ……ぁ……!』

しかし私の淡い期待を裏切り、押し殺したような声は情事の際の色を含んでいる。それに慌てて口を離せば名残惜しそうな吐息が夜の静けさの中に溶けいるように響いていった。

『アルテミア嬢』

『……!?』

名前を知っているということは通り魔的な変質者じゃない。

私を狙って……?

『貴女を害する意思はない、…………ないのだが、一つ頼みがある』

―――――その冬の空色のような凍える瞳で、俺を睨んではもらえないだろうか。


 そして、状況は先程に戻るのだが、私は相手を見ようと目を細めただけだというのに恥じらうように頬を上気させ潤んだ瞳で見られるというのはこれ何故如何に。

 いつも誤解されるが睨んでるわけじゃない、視力が弱いので目を細めなければ見えないだけなんだ。普段は視力自動補正付きの魔導眼鏡をかけてるし、どっかの馬鹿王子のイタズラのせいでメンテナンスに出した為に技師に預けてる最中なだけだったのに、なんでそんなときに限ってこんな変態を引き当てなきゃいけないんだ。

 経緯を反芻してもう一つ溜め息をつくと、立派な体躯を屈めたクラウシェンド様はすがるように私を見上げる。

「アルテミア嬢、どうやら俺は貴女に一目惚れをしたようなのです…………これ程までに心臓が跳ね上がる程焦がれるような気持ちは初めてで。貴女の瞳に俺を映して欲しいと乞わずにはにいられない」

悩ましげに眉根を寄せる仕草は凄絶な色気を放つ。

普通の令嬢ならばころっといってるところだろうが、私は色気の耐性値がカンストしている。余裕余裕。

だが、クラウシェンド様の様子はどうしたことか。日頃のこの方を知りはしないが、様子がおかしいことだけはわかる。もしかしたら被虐趣味の方かもしれないが、それならば捨て置けばいい。もし違ったとしたらこれは……もしや。

「盛られましたか」

 警備の抜けがあったか、もしくは困ったご令嬢でもいたか、と嘆息しながらそっと熱を持つ頬に触れれば、一瞬驚いたように目を見開いてその触れた手に自分の手を重ねてきた。手も熱い。

「俺は毒の類いは一通り耐性があります」

「毒ではありませんでしょう……少々お待ちください」

「なにを……」

「お静かに」

 触れていた手を引き抜こうとしたが重ねられていた手が逃がすまいと力を込めたので、空いていたもう片方の手をクラウシェンド様の唇の前にかざした。触れるぎりぎりの距離にあたる吐息は熱を加速させたようで、私の冷えた手のひらを溶かしてしまいそうだ。

そのまま顔を近づけ、蕩けるように潤んだ瞳を覗きこむ。

魔術の発動条件は整った。抱き寄せるようにそっと背にまわされた手はこの際無視を決め込むが、夜風で冷えた身体にはほかほかしてて意外とありがたいかもしれない。

「カラファ、解析」

視線を合わせたまま宙に声をかければ、闇夜から滲むように声が響く。姿はない。ただ夜を具現化したような声は珍しそうに呟いた。

《おや、今日は大盤振る舞いだね》

意外なことが起きてさも面白いと言わんばかりの声音に、私は淡々と告げる。

「疲れてるから早くね」

《それは大変、後でよく寝れるおまじないをかけてあげよう》

「ありがとう、でも永遠にのはやめてね」

《ふふ、魂だけになったら僕が貰ってあげる》

軽口を叩きあってると背に回された腕に少しだけ力が込められた。

合わせたままの視線が詰るようにすがめられ、その剣呑さにまるで恋人に浮気を責められているような感覚に陥る。

ちょっと仰け反ってしまったのは許してほしい。というか、なんで私が責められなきゃならないんだ。

「【夜】に貰っていただくなんて恐れ多いわ、遠慮する。ほら、早くして」

カラファを急かせば姿の見えない彼はくすくすと笑って、残念、と楽しげに溢した。

その何かの声は聴こえているだろうに、それでもクラウシェンド様の瞳はただ私だけを見つめている。

とろりとした榛色には情欲が混ざりはじめ、武骨な指が私の背を上へと撫で上げはじめた。反応を返すな、知らないふりをしろ私。

くすぐったさに身を捩りたくなるが、ここで均衡を崩せば彼の意識は薬に飲み込まれる。

「アルテミア……」

名を愛しそうに呼び、震える吐息と共に掌に薄い唇が触れる。

視線を合わせたまま触れた唇から無意識に手を離そうとすれば、ふと手首を掴まれ口づけられた。

「アルテミア、逃げないでくれ」

詰るように、拗ねるように、すがるように。

低く艶やかな男らしい声でひざまづいて懇願する様は、愛を乞うているようにしか聞こえない。

熱を閉じ込めている瞳は今にも決壊してしまいそう、なんて思っていたら引き寄せた手の冷たさが気持ちいいのか、数瞬その燻る瞳を閉じた。

じりじりと視線に灼かれずに済んだ、僅かに安堵の息を吐いたその時。

ゆるり、と金に縁取られた瞼が持ち上がる。

「……っ」

榛色はかわらず蕩けるように甘やかな色をたたえている、なのに。

私を見つめる双眸に獰猛な獣の気配をみつけた……見つけてしまった。

あるいは気づかなければ見逃されたか?いや、この獲物を捕らえようと潜む優美な獣はみすみすご馳走を見逃したりなんてしないだろう。

ひたり、と背を這う指に力が込められる。

(あぁ……、間に合わな……)

《完成したよ》

「……!薬師の旅は今終える……!」

呪文(ワード)と共に両目が熱くなる。その熱と共に視線の先では動揺と驚きを隠せない表情のクラウシェンド様が映りこむ。

もう疲れたし眠いから、とっとと普通に戻って(変態から脱却して)くれ!

「《ニュクスの水薬》」

重なった私とカラファの声がクラウシェンド様の耳に届いた瞬間、僅かに見開かれていた瞼は落ちゆっくりとその榛色を閉じ込める。

私の背に触れていた腕は脱力しするりと滑り落ち、そのまま上体が崩れ落ちて。

「えっ、ちょっ……!」

慌てて倒れ込んできた身体を受け止めるが力の抜けきった身体は重く、樹の幹に寄りかかってなおずるずると地面へと座り込むように沈められてしまう。そりゃそうだ、実地で鍛えてる騎士様を支えられるような筋肉なんて持ち合わせてない。

結局座り込んだ私の脚の上へ倒れ伏すように乗っかった逞しい身体を退かすこともできず、健やかな寝息を立て始めた意外とあどけない寝顔に溜め息を溢す。もう、このままクラウシェンド様が起きるまでは身動きがとれなさそうだ。唯一の救いは鍛練にて磨かれた肉体は温かく、風邪を引かずに済みそうだということくらいか。 

空を仰ぎ見れば月の位置は雲に隠れ見えなくなっており、外灯の頼りない灯りだけでは見回りの衛兵に見つけてもらうことも難しいだろう。しかも、この体勢では見て見ぬふりをされる可能性の方が高い……むしろ変な噂をたてられるぐらいなら見つからない方がましだ。

「あぁ、ねむたい……」

()()()カラファを呼ぶ羽目になった代償は眠気となって私の瞼を重くする。

高位魔術の使用による魔力の減少は、疲れきって睡眠不足だった私に抗いきれない睡魔となって具現化したようだ。もしくは、カラファの“おまじない”が効いたのかもしれない。

噛み殺しきれないあくびに頬を一筋の涙が伝う。ただの生理現象だがそれを拭う為に腕をあげることすらできない。

(明日が休みで良かった……)

こんなふざけた薬を祝勝会で盛った奴を見つけ出し、捕らえるのは近衛に振って私は寝るのみだ。ざまぁみろ。あれらの警備に穴があるのがいけないのだ。地方に防衛を任せて肝心の王宮に抜けがあるなんて、腑抜けてるとしか思えない。

滔々と心中で毒づくが、それすらも次第に意識の深淵に飲み込まれていく。




――――落ちていく意識のなか、ふと誰かが楽しげな吐息を溢したのが聴こえた気がした。






拙い文及び長文を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

書き貯めたらまた投稿します。

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