第三話:メイドさんのいる日常
また数ヵ月の時が経つ。
浮遊島の毎日は平穏だ。
メイドさんの居る日常というのは素晴らしい。
とは言っても、彼女に自我が無いのは変わらない。まだまだ青い果実のお年頃。ご奉仕が出来るようになるのも、当分先のことだろう。
しかし、彼女はこの島でただ一人、人間の女の子の外見をしている。そこに居るだけで俺を癒してくれるのだ。
俺はじいーっと見つめる。
自我のないメイドさんは、半目でぼーっとしている。
まったく照れたりしないのも寂しい気はするが、どれだけ見つめていても怒られないのは、良いことだと思う。
彼女の髪形は、俺の気分で色々と変えている。長くしたり、短くしたりは自由自在だ。
うにょうにょと動かして、編み込んでみたりも出来る。肩口で長さを揃えた今の髪形も、とてもよく似合っている。
俺は触手を櫛のようにして、彼女の黒い髪の毛を解かしてやる。
今のところはこう、俺のほうからメイドさんにご奉仕するのも悪くない。
夢は広がってゆく。
俺の触手も日々グレードアップしている。
思うところがあって、触手の頑丈さを上げることに力を注いでみたのだ。もう風にも太陽の暑さにも負けぬ、丈夫な触手をもつ俺だ。
地上の制覇は終えたので、次は浮遊島の地下への進出を狙う。島の内部の調査も兼ねて、日々根を張り巡らしているところだ。
いつかは、この浮遊島自体を自由に動かせるようになっておきたい。
と言うのも、安全面の問題があるからだ。
この島の外、雲の海に覆われた世界のことを、俺は全く知らない。万が一、危険なところに島ごと突っ込んで行ったりしたら困る。
メイドさんの安全のためにも、である。
俺の自宅は俺が護るのだ。
島の内部に問題はない。地表は緑色に、豊かになった。灌木も増え、コケを造り直した芝生の範囲も広がってきている。
最初に作った植物式触手、『触手ゴケ』自体も進化した。頑丈になっただけでなく、今では小さな黄色い花を咲かせることも出来るようになった。
ここの島には季節感が無いので、周期的に現れる黄色い花畑には、それを補完する効果を期待していたりする。
灌木のないところ。一面の緑のじゅうたん、スポットライトのように存在する黄色い花畑の中に、メイドさんを座らせる。
さながら花の妖精のようだ。
バオバブの樹にも似た俺の本体が枝葉を伸ばし、ピクニックにちょうど良い木陰を作る。
小鳥や蝶々は居ないが、和む光景だ。
なお、最近になって俺は触手を葉っぱ状に形成する技術を会得した。これで、俺は自分の外見をさらに自然な植物へと近付けることが可能になったのだ。
順調に『植物のように生きたい』という夢を叶えつつある俺である。
やはり俺自身は、厳密に言うと触手の塊なのであって、『不定形生物』ではない。つまるところ、形状の変化には一定の制約があったのだ。
その制約の中で、上手に効果的な造形を行うこと。これもまた研究のし甲斐であり、腕の見せどころなのだろう。
昔は、シダ植物的なもの一択だったのだ。
外見にもバリエーションを持たせて行きたいと思う。
桜やヒマワリ、紅葉など。植物だけでも四季を作ってみるとかも良い。
いずれは野菜や穀物を生産してみたい。
全てはメイドさんのためである。
食べ物と言えば、灌木が生やせる果物の種類も増えた。リンゴとイチゴの他にも、みかんや桃のような何かを実らせることに成功している。
味のほうも、あくまで現在の味覚を基準にした話だが、可能なかぎり本物に似せられたと判断している。
まあ無機物しか無かった大地から触手で合成した謎フルーツなので、本当にそういう味なのかどうかは知らないが。
これをメイドさんに食べさせると、一応は『美味しい』という信号が発生するようになっている。
まだ感情も自我もない筈のメイドさんであっても、本体である俺の気持ちを反映しているのか、何となく嬉しそうに見えてくる。
幸せになれる時間である。
メイドさんの操作にも慣れてきた。
身長や体形こそ変わらないが、改造や操作プログラムの追加などで、彼女も日々進化を続けている。
筋肉や骨格の部分を、新式の触手に。つまりはバネのように強くしなやかな素材へと取り替えた。メイドさんは、走ったりジャンプしたりすることが出来るようになったのだ。
スカートの両端を軽く摘まんで走る。
メイドさんが走ると、黒くさらさらの髪や、黒いロングスカートの裾が揺れる。
胸の部分は揺れない。普通サイズである。
メイドさんには汗腺がないので、汗はかかず、呼吸器がないので息も乱れない。
おしとやかだ。
……いや、待てよ。
『汗に濡れるメイドさん』というのも捨てがたい気がする。発汗による、気化冷却機能の導入も研究してみるべきか。
あれも、かなり効率的な体温調節システムだと今になっては思う。別に、俺がメイドさんの汗をくんかくんかしてみたいとか考えている訳ではない。
ただし、である。
それを実装すれば、別の問題も出てくるだろう。
ここは、年中強い日射しの照りつける島だ。
いずれはメイドさんも、汗の染みたメイド服のべたべたや、匂いを気にするようになるかも知れない。
乙女としてはナシの可能性が高い。
……このアイデアは凍結しておくべきか。
因みに。
汗はかかなくとも、メイドさんには粘液を出せる部分が存在している。
どことは言わない。
そんなメイドさんに、日々の運動は欠かせない。
人間的動作を管制するプログラムの効率化に、必要だからだ。動けば動くほどに、彼女は人間らしい仕草を身に付けて、乙女らしさ、可愛らしさを増してゆくことが出来る。
俺は、今日もメイドさんの改造を頑張っている。
まだ有線式なので、蔓が絡まらないように注意しなければならない。
さて。
こうしてバージョンアップしたメイドさんには、簡単な作業を任せられるようにもなった。
なんと、果物の収穫が出来るくらいの器用さを手に入れたのだ。
お昼寝タイムを終えたメイドさんが、再び大地に立つ。
以前のような、バランスの不安定さは見られない。スカートの裾を抑えてしゃがみ込ませる。滑らかな動作だ。
細い指先でイチゴの実をちょこんとつまみ、くりくりっとやって収穫してもらう。可愛らしい仕草である。
惚れ惚れする。
一方、俺の本体は、石や砂を弄くり回している。金属的な物資を抽出し固めて作ったのは、一本の『クワ』だ。
本日はこれをメイドさんに持たせて、地面を耕して畑を作ってもらうのだ。
ヘッドドレス――ホワイトプリムを変化させて、『麦わら帽子』を作って被せてみる。
黒い髪は熱を溜めやすいので、こっちのほうが良いだろう。
何を被せてもよく似合う。
イメージは、『貴族の奥さまのピクニックに付いてきたメイドさん』である。藤のバスケットでも持たせたら完璧だろう。
淑女。
ならば、ついでに手袋も作るべきか。と考えた俺は、メイドさんの袖口を操った。生きているメイド服が、細い触手を伸ばす。
すると白い上品なデザインの手袋が形成され、彼女の手をすっぽりと覆い隠した。
……因みに、これらも脱げない。今後の改良が待たれるところだ。
メイドさんは、お洒落な手袋をした手でクワを握る。
勢いよく振り上げて落とせば、さくっ、と音がした。良い感じだ。
畝をひとつ耕し終えたら、俺はメイドさんの向きを変えてやる。この方向転換の時には、細心の注意を払わなければならない。
もしもメイドさんの首筋と繋がっている蔓を巻き込んで切断してしまえば、大変なことになるからだ。
今作ってもらっている畑には、新しい種類の触手を生やしてゆく予定だ。つまり、今後の浮遊島生活を豊かにするための実験植物を植える場所なのである。
メイドさんはお仕事をするのが良いと思う。
にしても、やっとだ。メイドさんを造り始めてから苦節二年、やっとご奉仕らしきものをしてもらえるようになってきたぞ……。
大いに喜んだ俺は、ふと思い付いて、鉱物的な素材で『じょうろ』を作ってみた。
すぐさま、魔法で水を満たす。そして溢さないように、メイドさんに持たせる。大樹である俺の本体の根元へと歩み寄らせ、ゆっくりと注いでもらうのだ。
手袋は触手へと戻して縮め、袖口へと収納しておく。ここは素手でやってもらうのが良いだろう。
……まあ、これも必要のない行為ではあるのだが。
水だって、俺は普通に自力で得られるのだが。
しかし、しかしである。
気分は『あーん』と言ったところか。
俺は期待に触手を震わせて、メイドさんの首筋に繋がる蔓を通じて、その信号を送った。
メイドさんカムヒア!
ご奉仕して下さいお願いします!
すると、……死んだような目でニコニコと微笑むメイドさんがやってくる。
彼女には言語がないし、肺や声帯もないので、声は出せない。けれども、彼女は確かに『あーん』と言う時のようにして、口をぱくぱくと動かしてくれる。
思えば感慨深い。これが初めての直接的な『ご奉仕』だ。
俺は触手を全開にして迎え入れる。
メイドさんのたおやかな手で、静かに『じょうろ』が傾けられた。
すると、次の瞬間。
至福の時がやってきた。
俺は、俺自身が物理的にも精神的にも、なみなみと潤ってゆくのを実感する。
ああ、お世話されてる……!
俺は感謝する。
メイドさんに感謝を……。
可愛らしいメイドさん。
畑を耕すメイドさん。
果物の収穫をするメイドさん。
麦わら帽子姿で植物に水をやるメイドさん。
俺は思った。
……農家じゃね?
これ、やってること全然メイドさんっぽくないじゃん……!
ただメイド服を着てるだけの『農家の娘さん』になってるじゃないか……。
俺はメイドさんを見た。
思わず操作を止めてしまっていたのだ。
俺からの操作信号の途絶えたメイドさんは、空になった『じょうろ』を傾けた姿勢のままで、ただ固まっていた。
……まあ、これはこれで絵になる光景だと思う。
イメージは、あれだ。
――『お嬢さまがワガママを言ってバラ園を作ったけれど、全然お世話をしてくれない。仕方なくメイドさんがお世話を始めたところ、やっているうちにメイドさんもだんだん楽しくなってきてしまった』
と、言ったところか。
無意味にニコニコとさせてみる。
うむ。実にそれっぽい感じで良い。
とにかく良し、と結論付ける俺なのだった。
大樹の俺は、本体の枝から柔らかい触手を伸ばした。メイドさんの頭をそっと撫でてやる。
撫で心地は一級品だと思う。
麦わら帽子を元に戻せば、ホワイトプリムがふにゃりと歪む。黒くつやつやと光る髪の毛は、絹糸のようにさらさらだ。
風に揺れるだけの首つり死体よりかは、ずっとマシな現状がここにある。
素晴らしい進歩。
そうに違いないのである。
夢は広がり続ける……。