第二話:メイドさんのような何か
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青い空、雲の海の上。そこに浮かぶ島のど真ん中。大樹と化した俺の枝には、一人のメイドさんがなっている。
俺は、念願の『メイドさんのなる木』になったのだ。
メイドさんとは一体……?
そもそも木になるものなのか?
……ともかく。
今は、ただ彼女の誕生を祝うことにしよう。
メイドさんは、黒い髪、黒い瞳の可愛い女の子だ。
クラシカルなロングスカートのメイド服を着ている。この服は、俺の細かい触手を編んで作ったもので、首筋のところにある分岐点で、メイドさん自身と繋がっている。彼女の分体、いわば『生きたメイド服』だ。今のところ、全部を脱がすことは出来ない。
そんなわけで、彼女は生まれた時からメイド服を着ている。
生粋のメイドさんなのだ。
ただ表情が無く、目が死んでいて、風で力無くぷらぷらと揺れていることを度外視してみれば、とても可愛らしいメイドさんである。
お嫁さんに来て欲しい。
両胸の果実も、たわわ……いや、普通なくらいに実っていらっしゃる。人間で言えば、十代の中頃の見た目だろうか。凝りに凝って作ったので、人体の外側の再現は完璧だ。
長いスカートの奥には、無限の神秘が広がっている。一見していやらしくないからこそ、メイドさんは良いのだと思う。
かくも素敵なメイドさんにご奉仕されるご主人様は、さぞや幸せな奴なのだろう。
……とは思うのだが、実は。
残念ながら、このメイドさんには、自我が存在していない。
俺は、自意識の生成に失敗したのだ。
その上、彼女はまばたきもしない。目も閉じないので、常に半目だ。いちいち俺本体から電気的な刺激を与えてまばたきをさせ、目を潤してやる必要がある。
それをサボると、只でさえ死んだような目が、さらに死んでしまう。
元々からして、首つり死体の見た目なのに……だ。
ご主人様である俺には、メイドさんを可愛く生活させる義務があるというのに、困ったものだ。
彼女の白い首筋に繋がっているこの蔓は、メイドさんを操作するためのコードだ。同時に、水や養分を与えるための命綱でもある。
切り離せば動かせなくなるどころか、彼女は干からびてしまう。
基本的に身体中が弛緩しているので、余分な水分も、スカートの中からだらーっと地面に流れ出してしまう。
ストレンジなフルートである。
そして、生まれたばかりのメイドさんのお世話をする俺。
俺とは一体……?
とにかく。今のメイドさんは、俺自身の一器官でしかない。手や足の指……いや、人類が使ったことのない器官。
ネコミミの筋肉や、尻尾の筋肉のようなものだ。地面に降ろしてもまだ安定して立てないし、ご奉仕もできない。蔓から切り離せば、すぐに枯れてしまうだろう。
なので、吊り下げたまま保存している。
これが俺たちの現状だ。
もう少し俺の技術が発展するまでは、有線式メイドさんとして使うしかないらしい。
今日も浮遊島の空は、風が強い。
雲の上なので、曇りや雨の日はない。
この島には季節の感覚もなく、日差しはいつも強烈だ。風に揺れるメイドさんも日焼けしそうになるし、俺の触手にしても、本体から遠い部分がよく劣化する。
島中を覆う触手ゴケについては、劣化した部分は、普通に枯れるに任せている。この地にはミミズも微生物も居ないので、別の新しい触手を使い、直ちに吸収と分解を行っている。島を作る成分が風に飛ばされないように、気を付けているのだ。
河口にも、目の細かいフィルター状の触手を張り巡らした。島から流れ出す砂を吸収し、島の内部へと還元する仕組みだ。
そうした活動の結果、この島の表面には、次第に『土』に似たものが作られてきている。
これは、触手をさらに育ち易くする。そんな好循環を生んでくれる、魔法の土なのである。
なお、詳しく分析をした結果、これらの土には、有機物のようなものが含まれていることが解った。俺が植物もどきとして『光合成』っぽいことに励んだ、努力の結果だろう。これらの合成プロセスにも、また何かの魔法のような、オカルト的な力が働いていると思われる。
『土魔法』と仮定して、研究を進めることにする。
俺の触手は、日々万能さを増している。今ではバネのようにも、ポンプやスプリンクラーにも成れるし、光合成みたいなことも出来るのだ。
俺自身への理解、すなわち俺という生き物自体への研究も進んできた。
全ての触手が脳のような働きをしており、俺という一つの意識を作り上げているらしい。
一部を切り離しても、『俺ではないもの』や、『もう一人の俺』は作れないのが不思議だ。
メイドさんに『自我』を与えてやれない理由が、それである。
……俺自身も、魔法的な存在なのだろうか?
その疑問は、さて置き。触手も、地球の動物の神経系統と似て、イオンや電気信号のような働きでもって、命令のやり取りをしている……と、俺は推測している。
今は、俺自身も意識せずに活用してはいるが。
この仕組みを詳しく調べてゆけば、いずれは『雷魔法』を発見出来るのではないか……という予想も立てている。
植物状の触手が成長すればするほどに、俺は思考の質と力を高めてゆける。
今は灌木を増やし、複雑な計算を行うための、集積回路に似たものを試作中だ。
なお、俺の視覚、触覚といった感覚は、この島の触手のおよぶ範囲、全てに飛ばすことが出来る。
もはや、島中をパトロールする必要も無いのだ。
いずれは、メイドさんに俺のお世話をしてもらい、魔法の研究でもしながら、ぐうたらに暮らしたいものである。
俺は蔓を伸ばし、最近の日課である、メイドさんを動かす練習を始めた。
メイドさん大地に立つ。
黒い編み上げブーツが、芝生型触手を踏みしめる。
風にロングスカートを棚引かせ、きちんとバランスを取って、いちに。いちに。と、歩くだけでも大変だ。
エプロンのフリルが、ひらひらと揺れる。
緑色の芝生もどきの上で、無意味に両手を突き出させ、顔をニコニコとさせてみる。
まるで花が咲いたようだ。
すごく可愛い。
けれども、目だけは死人のそれだ。
割と不気味でもある。
―――あっ、転んでしまった。
俺は、彼女を地面の触手で受け止めた。
ふに、ふにと、メイドさんの感触と、良い匂いが伝わってくる。
今は例え俺の一部に過ぎないとしても、俺の心は癒される。
メイドさんとの触れ合いは、実に良い。
この何もない場所に、可愛い女の子の外見をしたものが居てくれる。それだけでも、心から癒されるのだ。
おっさんとかが居ても困るだけだ。
しかし、触手である本体を操作する感覚に慣れ過ぎたせいだろうか。人間の体の五感や動作感覚が、不完全なもののように思えてしまう。
そもそも、メイドさんと俺の本体とでは、管制システムの性質が違っている。
触手は直立しないし、転ばない。痛みも感じない。
メイドさんの髪の毛や指の先は、気を抜けば触手に戻り、うにょうにょとしてしまう。これには困った。
部分的に触手を出せるのは、メイドさんのお仕事にも便利そうなので良い。だが、操作が複雑になりすぎる。このメイドさんという器官は、あくまでも、人間をエミュレートした操作を前提にして作ったものなのだ。
操作管制システムの進化が待たれる。
気分的に疲れたので、今日はもう操作練習を終えることにする。
俺は火照ったメイドさんを冷やすために、触手から水を散布した。
水魔法の出番だ。
目の前に、綺麗な虹がかかった。
座り込んだメイドさんを、再びニコニコとさせてみる。
実にメルヘンな光景だ。
夕方になると、メイドさんのご飯の時間がやってくる。俺の作った果物を食べさせてやるのだ。
本当なら、連結部分から送り込む水と栄養で十分なのだが、あえて口から食べさせている。手先の操作感覚と、消化器官のテストだ。
リンゴに似た偽の果物を両手で持って、あむっと噛みつくメイドさん。
もぐもぐ、と頬を動かす。愛らしい。
口内の筋肉を操作するのは、難しい。本当はこうして噛みくだくよりも、ぺろぺろと舐めさせて溶かすほうが楽だったりもする。
喉を詰まらせそうになったので、俺は触手の一本を伸ばし、メイドさんの口にくわえさせる。
この触手は、特別製だ。変質させた粘液で作った白い液体――ミルクに似た何かを分泌することが出来るのだ。栄養と水分の補給、味覚のテストでもある。
触手に両手を添えて目を閉じ、ちゅうちゅう、と吸い付くメイドさん。
こくん。とか、喉を鳴らす機能はついていない。そもそも彼女は呼吸をしていないのだし、肺と消化器を区切る仕組みもないのだ。
メイドさんの体内へと粘液が流れ込み、満たしてゆく。美味しいとも不味いともつかない、よく分からない味覚のデータが、首筋の蔓を通じて俺に送られてくる。
ちゅぽん。と口を離せば、メイドさんの形のよい唇の端からは、つるーっと白い粘液の筋が流れた。
こ、これは……。
……これが、授乳をするお母さんの気分なのだろうか?
いや。普通にえっちな光景だった。
目を細めるメイドさんを、愛おしく思う。いずれは彼女にも、『美味しさ』という感覚を知って貰いたいものである。
しかしながら。味覚とは、栄養や毒物を判別する必要があってこそ発達する感覚だ。一方の俺たちは、触手の塊である。たとえ石ころであっても美味しく吸収できてしまう。
そして現在のここ浮遊島には、俺たちにとって『毒物』と呼べるものが一切存在していない。人間だった頃とも勝手は違う。
判断基準がないので、味覚の洗練は困難を極めてしまうのだ。
もちろん、メイドさんは人間に見えるだけで、その全身は触手の塊で出来ている。体の内側には無数の触手が蠢いているのだ。なので、メイドさんもまた俺と同じように、あらゆるものを食べて消化吸収することができる。
かといって、その辺の石ころをそのまま食べさせるのは忍びない。
それゆえ俺は、本体を取り囲む灌木状の触手から、果物を生やす術を覚えたのである。
喉の詰まりも取れたので、俺は再び果物を食べさせた。今度はイチゴに似せた果実だ。
小さなイチゴも両手で持って食べるメイドさんが可愛い。
因みに、これらの果物については、俺の本体の大樹からは生やさない。今の俺はあくまで、『メイドさんのなる木』なのである。
メイドさんがメイドさんを食べる光景というのは、あれだ。どうなのだろう。
メイドさんとは一体……。
おっといけない。俺が意識を逸らした隙に、メイドさんはうっかり自分の指先を食べてしまっていた。まあ、直ぐに再生出来るので、安心といえば安心なのだが。
どじっ子メイドさんである。
夜になった。
俺は、メイドさんをトイレに行かせる。内部の劣化した体組織を排出して、新しいものと取り替える大事な作業だ。
本拠地の社の隣に石造りの洋式トイレを作ったので、メイドさんにはそこで快適に用を足してもらっている。
黒いロングスカートをたくしあげると、白いニーソックス、白くすべすべした太ももが現れる。ガーターベルト、白いパンツも見えてくる。これらの下着部分の生地は、彼女の髪の毛を作る時と同じくらいに、気を使って作ったものだ。上質なシルクのような感触を再現している。
パンツを降ろし、つるんとした白いお尻を石の便座に乗せる。
余談だが、彼女の前のほうの部分には……。
俺の趣味により、髪と同じ色の柔らかく細かい触手をほんの少しだけ生やしている。
メイドさん作成時のコンセプトが『普通の人間』なので、これも外見相応というやつだろう。
あくまで、『普通に』だ。
『メイドさん』はそもそも、エロキャラでも娼婦でもない。普通の女性がなるいち職業なのである。
『万能』『戦闘』『ロリ』『エロ』『ミニスカ』などは、全部副次的なもので、ただの属性に過ぎないと思う。
人間だった頃の俺はメイド喫茶に行くたびに、その辺を疑問に思っていたらしい。
その後は、泉で水浴びをしてもらう。メイド服は蔓で繋がっており、全部を脱がすことが出来ないので、慎重に剥けるところだけを剥く。
メイドさんの素肌はとても綺麗だ。
俺はこの奇跡の少女を、いったいどうやって作ったのだろう?
そんな疑問を覚えつつ、柔らかい触手やぬらぬらした粘液、および水魔法を全力で駆使し、色々なところを綺麗にしてやる。
それと平行して、メイドさんの体を新式の触手でもって作り直してゆく。
メイドさんはいっそう可愛らしく、見とれるくらいに綺麗になってゆく。
一日の終わり。
俺は、再びメイドさんを果物のように吊り上げた。
そのまま、眠りについてもらう。スリープモードだ。俺の本体は、魔法の研究と練習を始めようと思う。
平和な毎日である。