第十八話:メイドさんと天体観測
七月がやってきた。
短冊に願いごとを書いて吊るすというのを、この浮遊島でもやってみようかと思った。
もうすでに本体のてっぺんに笹の葉を生やし、樹脂製の短冊を用意してある。
とはいえ。
……日本人だったころのあやふやな記憶では、自分で笹や短冊を飾るほど、俺自身『七夕』に興味を持ってはいなかった気がする。
イベントに参加した記憶もない。
たぶん商店街のフェア、カレンダーや検索サイトで笹や短冊のイラストを見ては、ああ夏が来たのか、と思っていたくらいだろう。
七夕とは、アジアの多くの地域で祝われる日。日本の風情においても、五本の指に入るもの―――大昔からある季節の大きな節目のひとつであり、大切な神事を行う日だ。
旧暦の七月七日は、梅雨が完全に終わったタイミングである。
その日は晴れる確率が高く、天の川や織姫彦星(夏の大三角に含まれる星)も、一年で一番綺麗に見えていた……。
らしい、のだが。
新暦のこの日付は、まさに梅雨のさなか。逆に雨や曇りになる可能性が高いそうだ。
夜空なんか見ずに、足元の水溜まりや泥に注意しながら歩くことになる。
いったいこの日の何がめでたいのか、笹飾りに短冊を吊るしそうめんを食べる以外に何をしたらいいのか。その辺、いまいち分からない人も多いんじゃないかな。
昔は『お盆』とくっついてたから、お墓参りとかの用事があったけど、今はそうじゃないみたいだし。
さらに。
織姫と彦星の『七夕伝説』についても、一見ロマンチックな物語に見せかけて、実際は『仕事を怠けてはいけないよ』という教訓のお話のようだし。
ということは。
願い事を書く―――七夕とは、農民たちに己の不足している何かを自覚させ、梅雨明けの気の緩みを防止する行事、なのだろうか。
一年中気が緩んでいる俺たちにとっては、あんまり関係ないところである。
とどめに、この浮遊島には梅雨がない!
そんなわけで。
普段から『風情、風情』と言っている俺でも、こと『七夕』に関しては、そこまで乗り気でもないのである。
……本気を出さないとは言ってないが。
なお、すでに『メイドさん付き』という銀河レベルの超絶勝ち組人外生を送っている俺にとって、星に願うことは特にない。
お願いしたらスカートの中を見せてくれるメイドさんがいるんだぞ。
これ以上、何を望めというのか……。
かといって、何も書かないのは少し寂しいので―――
赤い短冊に、『あかよろし』と書いてみる。
……。
……まあ一応、『俺とメイドさんが元気に暮らせますように』とも、別の短冊に書いておく。
こっちは願いである以上に、誓いだ。
ご主人様の俺が油断をしていたら、何らかの脅威がこの島の外からやってくる……という可能性だってなきにしもあらず、だからね。
いや、むしろ。
『メイドさんが頑丈になりますように』
という願いごともありなのか?
俺は、境内の石畳をごしごしとブラシでお掃除しているメイドさんを見る。
腕まくりをしている彼女の、白くすべすべの前腕に目を奪われる。
夏用メイド服の肩口の黒とのコントラストが、とても綺麗だ。
ちなみに、お胸のサイズは元に戻しているらしい。
お仕事の邪魔になるからね。
「ご主人様、揺れるおっぱいが見たいですか」
と、メイドさんが聞いてくる。
ちょっと見たい。
「かしこまりました。大きくします―――」
メイドさんは両方の胸を物理的に膨らませ、その二つを背中側へと回した。
お仕事の邪魔になるからね。
使用人の仕事とはおっぱいを見せることではないので、当然の判断である。
それでも背中? ……を揺らして見せてくれるメイドさんは、とても優しい。
たゆん、たゆん。
ありがとうございます。
「どういたしまして、ご主人様」
他のお仕事は手早く終わらせてしまうが、俺の本体に近いところ―――ここのお掃除だけはゆっくりとやるそうだ。
なんて贅沢な時間なんだろう。
音声だけの蝉しぐれのなか、死んだ人のような目をしながら、楽しそうに働くメイドさん。
その光景を至近距離で見られる俺にとって、至福の時間がここにある。
たゆん、たゆん。
ようし、俺も木の仕事を頑張ろう!
さて。
せっかくなので、日本の七夕の良さそうな情景を想像してみようか。
メイドさんと七夕。
小さなぼっちゃまが、いっぱい練習した字で短冊を書く。
バイオリンでいっとうしょうをとれますように。
まあ、お上手に書けましたね。
と、にこにこと見守っていたメイドさんがぼっちゃまを褒める。
そして、せがまれて、七夕飾りの前に小さな踏み台を持ってくる。
ぼっちゃまは最初は自分で吊るそうとするが、やっぱりもっと高いところが良いという。
頼まれたメイドさんは、踏み台に乗り、その短冊を危なげなく高いところに吊るしてあげるのだ。
窓の外には夕焼け雲がみえる。赤く染まる部屋のなか、二人は笹の葉を見上げる。
ぼっちゃまは、すぐに興味をなくし、テレビを見るために去ってしまう。
メイドさんは、夕食の下ごしらえにとりかかる前に、しばし残って七夕飾りを眺める。
その立派な笹の葉には、一家の人びとの書いた短冊に混じって、メイドさん自身の書いた短冊も飾られている。
皆さまが、お健やかにお過ごしくださいますように。
と。
ふむ、だいぶん風情が出てきたかな?
ぶっちゃけ何でもない日常の話だ。だが、どこにでもある平凡な風景、というわけではない。
『メイドさんのいる家庭』だからだ。
なお、曇り空についての心配が二人の会話に出ないのも、大事なポイントだ。
一緒に時を過ごす二人なので、天気の話などは朝にでも済ませているにちがいない。あるいは、口に出すまでもないことなのだ。
家族に限りなく近い他人が、ごく自然にそこにいる。メイドさんとは、つまるところ幸せのシンボルなのである。
「ご主人様。それは、家族愛ですか」
と、うちのメイドさんが顔を上げて聞いてくる。
そうかもしれないね。
赤の他人とでも、共に過ごすうちに生まれてくる家族愛的なもの、とか。
「私は、ご主人様を愛しております」
唐突に、メイドさんが棒読みでそう言った。
ありがとう。俺もメイドさんを愛してる。
お仕事と願いごとと、愛のある七夕。
七夕、意外と悪くないのかもしれない。
……あとは、翌日のお昼ご飯までに俺がそうめんを開発すれば、行事としては成功なのだろう。
†
翌日の夜である。
笹の葉は前日から飾ってあり、今日こそがメイドさん歴の七月七日。浮遊島の雲ひとつない夜空には、満天の星が広がっている。
「ところで、ご主人様。ベガおよびアルタイルとは、どちらのお星さまのことを指すのでしょう」
夜なので厚手のメイド服に身を包んだメイドさんが、基本的なことを訊いてくる。
そうだった。
この世界に、織姫彦星は存在しなかった……。
じゃあ、適当に設定しましょうか。と、俺は気を取り直して『うにょっ』と触手を伸ばす。
天の川、どばどばミルキーウェイ……横向きの銀河を挟んであっちの星がペガ、ということにしておこう。
で、反対のがアノレタイノレ。
「記憶しました。お星さまにお願いごとをします」
と、そう言ったメイドさんは、ふわりとスムーズに浮かび上がる。
地表からも星は見えるが、どうせなら俺の本体の上からがいいだろう。
さあ、いらっしゃい。
「はい。ご主人様、お上に失礼します」
ふよふよ、と浮遊して、巨大な樹である俺のてっぺんへとやってくるメイドさん。
黒い髪の毛がたなびき、スカートがびゅんびゅんと捲れている。
上空の風は強いが、吹き飛ばされる心配はない。『浮遊魔法』は、魔力を込めれば込めるほどに安定性を増してくれるのだ。
俺は触手を伸ばして腰かけをつくり、彼女にお尻を乗せてもらう。
メイドさんのお尻ってなんでこんなに柔らかいんだろう。
すぐそばの笹飾りは、強い風の中でも『さらさら』と揺れている。
適度な『しなり』を演出するために、わりと硬めの触手で作ってあるのだ。
その特製の笹の葉には、五色の短冊だけでなく、さまざまな飾りを吊るしてある。……十三種の知識が俺にないので、適当なものを生やしているだけだが。
なお、短冊は風で飛ばないように、きちんと魔法で防護してある。
静かな夜の星明かりの中、俺は浮遊島全域に広がる触手的超感覚でもって、果てしない星空を観察する。
同時に、メイドさんの虚無を映す深翠の瞳が、無限の銀河へと向けられる。
天体望遠モードだ。
BGMに、カエルの声でも流してみようか。
―――くゎん、わん、くゎくゎくゎ……
浮遊島じゅうの触手から澄んだ音の大合唱を放ち、空間を満たしてゆく。
時期的にカエルで合っているのかはわからないが、いい雰囲気が出てきたと思う。
女の子のいい匂いもするし。
「ご主人様、星が綺麗です」
―――くゎ、くゎぁ、くゎくゎくゎ……
メイドさんも綺麗だが、星空も綺麗だ。
暗黒の中にちらちらとまたたく星の大群は、大迫力の一言。浮遊島一の大樹の俺でさえ、ちっぽけな存在に思えてしまう。
地球のそれとはまったく模様の違う月、数の違う惑星……改めてここは地球ではないんだなぁ、とつくづく思う俺に、寄り添ってくれるメイドさんが一人。
彼女の首の後ろから繋がる蔓を通じて、俺たちは感覚と感情とを共有してゆく。
ほら、ごらん。あれが『白色わい星』だよ……。
彼女の人間型ボディにとって、俺の本体の触手的感覚とリンクする瞬間は、ある意味『神秘体験』のようなものだろう。
世界そのものと繋がるような、不思議な時間を過ごせるのだという。
俺が書いた赤い一枚の短冊が、ひらひらと誇らしげに揺れている。
『あかよろし』―――とは、『実に素晴らしい』という意味である。
「北方のあれが、メイドさん座ですね」
そうだ。覚えていてくれてありがとう。
そのまま俺たちは戯れに、浮遊島文化の星座たちへと名前をつけていく―――甘食座、タコ座、銀行口座、カツオノエボシ座。
俺たちは今、お互いを見るのではなく、毎日普通に見られる贅沢な星空を一緒に見つめている。
『星を見に行く』という言葉を、『若い男女が夜間に外出するための口実』……という、少々ずれた意味から解放してやるのだ。
さて。
俺の書いた短冊は三枚だが、メイドさんの書いたものは、五色それぞれの計五枚があった。
そのうち一枚を見てみると、綺麗なゴシック体が書いてある。
『甘食を食べられますように』
オッケー、ご主人様が全力で叶えてあげよう。
俺が密かに行動を起こしていると、メイドさんが空の彼方を指差した。
「ご主人様。あちらに、突出した速さで動く星があります」
それは、月が動くよりもずっと速く進んでいる光点だった。
「データベースを検索しています。―――あれは、人工衛星。……では、ありませんね」
そう、違う。
メイドさんはツヤのない瞳孔を全開にして、その光の粒を観察し、嬉しそうに訂正した。
「人外工衛星です」
はい、その通り。
触手生命体である俺が制作し、ついさっき打ち上げたものだ。
……いや、『打ち上げた』というのは少し違う。新しい魔法の力で直接軌道へと放り込んだので、ロケットは使わなかったし、派手な光や音も出なかった。
魔道具でもあるあの多目的衛星を、俺は『カメノテ一号』と名付けている。
何年か前に雲の海の中を探査したときに見つけた、『空間魔法』の結晶の解析が進んだので、それを活用したものだ。
そう、『空間魔法』―――とうとう手に入れた、今後絶対に役に立つだろう新技術。
まだ開発途中で制限も多いが、探査触手の先端を空間の向こうの衛星に送り、さまざまな実験や調査ができるようになっている。
そして。
試作機にすぎない『カメノテ一号』であるが、『探査』とは別の使命を持っている。
それは―――
―――ひゅうん。
と、遠い夜空の『カメノテ一号』から、唐突に何かが投下された。
浮遊島全域を埋め尽くす触手頭脳により計算されつくした位置、角度から、精密な結晶システムと魔法付与技術の粋を尽くして。
あらかじめ定めた通りの手順で、俺本体から遠く離れたところで、強力な魔法が発動してゆく。
頑丈な水と風の魔法バリアが光の軌跡をのばし、鉱物さえもが燃え尽きる摩擦熱を遮断し、大気圏へと突入し。
的確な浮遊魔法、風魔法のアシストで落下コースを修正し、惑星地表にある空間の断層を何ごともなく飛び越えて、こちらに向けて突き進んでくる……。
「ご主人様、甘食が落ちてきます」
と、メイドさんが起伏のない声で言った。
……あちゃあ、もうバレてしまったのか。驚かせようと思ってたのに。
まあ、彼女の動体視力だと、衛星軌道からの飛来物の正体を確かめるくらい、ごく簡単なことなのだろう。
……いや、それだけ甘食が好きなのか?
ともかく。
天から飛来する甘食は、流れ星のようにきらりと光りながら、ぐんぐんと迫り……空中で急激にふわりと減速して、俺の本体のところへと到達した。
大樹のてっぺんに座るメイドさんの触手の束の先、伸ばした大きな手のひらの中に、すっぽりと収まってゆく。
ナイスキャッチ。
触手をしゅるると縮めた彼女は、手に入れたそれを大きな胸の近くへと引き寄せた。
そして、にこにことした笑顔になり、形のよい唇を近づけて―――
あむ、と食べた。
「ありがとうございます、ご主人様」
うん。どういたしまして。
「宇宙から来た甘食も、美味しいです」
良かったね、メイドさん。
なんか試してみたくなるよね、宇宙食とか。




