大阪の姉
4限目が終わり、英語の先生が出て行くと、いきなり渡邊が大きく手を叩いて、注目を集めていた。
「今から、2軍の渡辺君をやっつけるんで~、みんなも、私の華麗な勝負を見に来てね~」
大袈裟に宣言をする渡邊だが、誰もこの勝負には興味を持たず、何事も無かったように昼食を鞄から取り出していた。
今回の下剋上勝負をする相手は、2軍の人らしい。きっと同姓だったのが目に留まり、渡邊の下剋上に巻き込まれたのだろう。
「……ちっ」
誰も反応しないのが気に入らないのか、ワザと大きな舌打ちをして、そして教室を出て行った。
あいつの目的は、恐らくスクールカースト制度のトップ、葛城を倒して、自らトップになり、悪政をしようと企んでいるのだろう。俺たち4軍は、更なる過酷な事を強いられるだろうと思っている。
「……メールか」
スマホを確認すると、メールが届いていた。スマホを持ち込み自体はオッケーだが、授業中にスマホで遊ぶ、着信音が鳴ると、没収されてしまう。そうなる事を恐れているため、日頃マナーモードにしておいて正解だった。
だが、こんな日中に誰が送ったんだ? おふくろが帰る途中で、買い物して来いと言うメールか、それとも授業で暇を持て余した菜摘が、暇つぶしに送ってきたか。その二つのどちらかだろう――
『今日、家に帰ります。17時40分、東京駅の丸の内南口に、お迎えをよろしくお願いします』
俺のスマホに届いたメールを読んだ瞬間、俺は表情が固まった。それは、遠く大阪で働いている、俺の姉貴からの荷物持ちを依頼するメールだった。
「ヒロ~。今日の放課後、一緒に帰らない……って、大仏みたいな顔になっているけど、大丈夫?」
俺の机に寄せて、俺と昼食を食べようとしている楠木が、俺の無表情な顔を見て、そうツッコんだ。
「……こうなるんだったら、日頃からアニメを欠かさず見ておくべきだった」
俺は机に突っ伏して、大きな溜息をついた。
「どうしたのよ? お昼忘れたなら、私の分を分けるけど?」
楠木は、俺が昼飯を忘れて落ち込んでいると思ってか、俺の背中をさすって、俺を慰めようとしていた。
「……大阪にいる姉貴が帰って来るんだよ」
「ヒロ、お姉さんがいたの?」
俺に姉貴がいるなんて、昔から俺と関わっている菜摘と田辺ぐらいしか知らないだろう。
「けど、遠く住んでいるお姉さんが帰って来るなら、ヒロも嬉しいんじゃないの?」
「真逆だ。俺は、実の姉が苦手なんだよ」
俺が姉貴を苦手とする理由。それは、例え実の弟でも、些細な事でも許容しない、あらゆる面で厳しすぎるからだ。
「今日は、楠木とは付き合えなくなった。すまん」
「別にいいけど……」
楠木が、そんなしょげた顔をすると、凄く申し訳ないと思ってしまう。もし、姉貴の命令が無ければ、俺だって楠木と付き合っていた。
「憂鬱だ……」
会うのは、いつ以来だろうか。去年は、俺が会いたくなかったので、姉貴がいる間だけ、田辺の家に泊めてもらったんだ。
だが、逆らうと姉貴に何時間説教されるか分からない。無視すると、今度は電話越しで説教されそうだ。そうなるのは俺も勘弁なので放課後、苦手な姉貴を迎えに行くことにした。
「今日の掃除当番、松原と楠木でやってくれる?」
放課後。俺はすぐに帰ろうとしたら、1軍の猪俣にそう命令された。
「あんたらが当番なんだから、ちゃんと責任は果たしなさいよ」
「今から、洋服を買いに行くと言う、とっても大切な用事があるの。どうせ暇なんだから、あんたたちが代わりにやっておいてよね。それじゃ、よろしく~」
自分が早く楽したいからと言って、俺たちに仕事を押し付けたようだ。俺だって、凄く大切な用事があるんだが。
「ヒロ。私と木村、高村でやっておくから、さっさとお迎えしなさいな」
猪俣たちの態度に腹立っていると、楠木は胸をポンと叩いて、俺を抜けさせようとしていた。本当は行きたくないのだが、ここまで親切にされてしまったら、行かないといけない。
「……事情は聴いている……任せて」
「用事はちゃんと守らないといけませんからね~。急ぐのですよ~」
木村と紫苑も胸を張り、俺の仕事を代わりに引き受けてくれた。
猪俣たちとは違い、本当に俺のクラスの4軍は優しい奴ばかりだ……!
「……恩に着る」
楠木たちに頭を下げ、俺は即行で約束の東京駅に向かった。決まり事には凄く厳しい姉貴だ。もし約束を破ったら、1時間は説教だろうと思い、スマホの時計をじっと見つめながら、改札口から姉貴を出てくるのを待っていた。
東京駅は、多くの人が利用する駅だ。まだ17時になる前なのに、南口の広場は多くの人で行き交っている。こんな状況で、自分の姉貴を見つけることが出来るだろうか。
「東京駅に来るなんて、珍しいね~」
さっきまでいなかったはずの菜摘が、俺の横で土産用のカステラ生地のお菓子を食べていた。どうやら、箱ごと買ったらしく、一人でもぐもぐと食べていた。
「ヒロ君も食べる?」
「……ありがとな」
小腹が空いていたので、俺は菜摘から一つ貰った。バナナ風味のクリームと、柔らかいカステラ生地が凄く美味しく感じた。
「姉貴が帰ってくる」
飲み込んだ後、菜摘に姉貴の事を言うと、菜摘の手が止まった。
「それで、東京駅まで迎えに来てと言われたの?」
「ああ」
菜摘も姉貴の事はよく知っている。例え姉貴に説教されようが、菜摘はぼーっとしているので、尚更姉貴の怒りを買い、一日中説教されていたこともあった。
「私も一緒に、ヒロ君のお供をさせていただくね~」
「勝手にしろ」
広場にある柱に寄りかかり、そして普段通りにお菓子を食べ始めた菜摘。
「……あんまり食うと、太るぞ」
菜摘は、いつも何かを食べている。菓子パンや、コンビニのから揚げなど。色んなものを食べているが、菜摘のスタイルは、高校入学してから、一切変わっていない。
「ここだけの話なんだけど、ヒロ君に嫌われないように、そして太らないように。毎日欠かさず、ヒロ君と別れた後には、ちゃんとランニングしているんだよね~」
いつも菜摘は帰った後は何をしているのかと思ったが、まさかそんな努力をしていたのか。凄く意外だ。
「それでお風呂に入ってから、ご飯を食べて、そして胸が大きくなるようにマッサージを~」
菜摘も葛城と同じことをしていたのか……。菜摘が自分の胸をマッサージしている光景を想像したら、鼻血が出そうになったので、今度は女装した村田を想像して、邪念を消した。
「ヒロ君。今、私で想像したね~」
久しぶりにやられた、ずっと菜摘のターン。俺の唇に菜摘の細くて綺麗な指が置かれた。
「いいんだよ~。ヒロ君は、少し大きめな、私みたいな胸。そして女子のボトムスとニーソで出来る絶対領域が大好きな男の子。そんな変態さんになったヒロ君を見たら、ヒロ君のお姉さんは何を言うのかな~?」
菜摘の追及に、俺は頭を抱えて真剣に悩んだ。
姉貴がいなかった数年間、俺は一体何をしていたか、必ず聞いてくるはずだ。真面目に勉強していたと、言い訳しよう。
「確かヒロ君のお姉さんって、ヒロ君が見ているアニメを凄く嫌っていたような……?」
俺の姉貴は、あの生徒会長と同じく、深夜に入っている、お色気物、女の子ばかり出てくる、主人公が異様に女子にモテまくる漫画やアニメを凄く嫌っている。肌の露出の多い美少女キャラを見た瞬間、姉貴は怒り出す。
「そして更にヒロ君の部屋には、エロ本が10冊。とっておきとして、リビングのDVDプレイヤーの下に1冊隠してあるよね~」
「どうしてすべて把握しているんだっ!?」
全て菜摘には見つかりそうにない場所に、大人の本を隠しておいたのだが、やはり菜摘に隠すのは不可能のようだ。こうなったら、田辺に保管してもらうしかないようだ。
「お姉さんにビンタされて、燃やされるのが嫌なら、私が保管しておいてあげようか~?」
「誰がエロ本を、幼なじみに預ける奴がいるんだ」
菜摘の事だ。俺の大切にしているエロ本を、スナック片手に、漫画を読むように読みそうだ。
俺の性癖を知ってしまう可能性もある、菜摘では全く安心できないので、菜摘の頭をチョップした後、スマホで時間を確認すると、あと10分前だった。
「菜摘も、挨拶はしっかりしろよ。姉貴は、礼儀作法はうるさいからな」
「いい感じでやっておくね~」
「やっぱり、何もしゃべるな」
菜摘が何を言い出すのかも分からないので、菜摘にはずっとお菓子を食べていてもらって、黙ってもらおう。菜摘の発言次第では、姉貴が説教を始める可能性がある。
そして俺は南口の改札口をじっと見つめた。今から偉い人がやって来るような、そのような感覚になり、俺は緊張しながら、改札から出てくる人を、一人も見逃さず、見張っていると、俺の背後から空き缶で頭を叩かれた。
誰だ……? こんな時間から、サラリーマンの酔っぱらいか?
「正義~! おっひさ~!」
サラリーマンの酔っぱらいではなく、俺の知人の酔っぱらいだった。
片手はビールの空き缶で、もう片方は、大きなキャリーバック。そして俺の頭を叩いたのは、紛れもない俺の実の姉、妃芽姉さんだった。




