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勝負は勝負前から

 

「……おはよ……ヒロ……」


 翌日の朝。駅で待ち合わせをしていた楠木と合流すると、顔色を悪くし、フラフラな状態で俺と菜摘が来るのを待っていた。


「大丈夫か?」

「大丈夫……ヒロの顔見たら……凄く安心した……」


 確かに、若干だけ顔色が良くなった気がする。だが、今にも倒れそうなのは変わらない。


「お腹空いているなら、私のパンを分けてあげるね~」


 顔色が悪いのは、今日の勝負の緊張ではなく、ただ単にご飯を食べていないからと思ったからか、菜摘は制服のポケットから、パンを取り出そうとしていた。


「べ、別にお腹空いていな――」


 体は正直だ。否定すると、楠木の腹の虫が鳴っていた。この様子だと、勝負の事が不安で、ご飯もまともに喉を通らなかったようだ。


「はい。抹茶チーズクリームパンをあげるね~」

「……あ、ありがと」


 未知の味のパンを菜摘から貰った楠木は、苦笑いしながら、パンにかぶりついていた。

 抹茶とチーズの異様な組み合わせの味のパンをおすそ分けをした菜摘。こんなパン、一体どこで買っているのだろうか。


「……あいつの事よ。……絶対に何か企んでる」


 楠木はパンを食べながら、俺に不安気にそう話した。

 渡邊は楠木のせいで、渡邊は不登校になったようなものだ。恨んでいると渡邊に聞いたら、即答で恨んでいると答えそうだ。


「……勝負にも、卑怯な手で勝ってくる可能性もある。……事前に工作をしてくる可能性もある」


 ありえない話でもない。勝負の前に事前工作するのも、作戦と言ったら作戦だ。何としても楠木に勝とうとするなら、楠木に何かをしてくる可能性は大だ。


「お願い、ヒロっ! 今日の勝負まで、ずっと私の傍にいてっ!」


 上目遣いで、楠木は俺にそうお願いしてきた。この潤んだ瞳、楠木が働くメイド喫茶で上位の人気がある楠木が、俺を頼ってお願いして来たら、俺も断れない。俺の答えは一つだ。


「勿論。全力で守らせてもらう――」

「体育の時はどうするの?」


 菜摘は空気を読まずに、俺にそう聞いてきた。そんな事、菜摘に言われなくても分かっている……。

 そう言えば、今日は体育がある。菜摘は自分のクラスの時間割は覚えていないが、俺のクラスの時間割はしっかりと覚えている。移動教室の時でも俺に会いに来る。男子が体操服を教室で着替えている時でも、菜摘は平気に教室に入って来て、俺に会いに来る。本当にどうでもいい事だけは、しっかりと覚えている。


「……ど、どどどどどどうしよう」


 そして体育は男女に分かれて授業をするので、着替えの時、体育の授業の時は楠木を守る事は不可能だ。その事実に気付いてしまった楠木は、狼狽え始めていた。


「そこは木村か、紫苑に任せるしかない」

「……まあ、そこは仕方ないわよね。……木村と高村なら、事情話せば、分かってくれるはず」


 俺と離れるとなると、楠木はしょげた顔をしていた。せっかく俺の傍にいる口実が出来たのに、少しだけ離れるとなると、ショックなのだろう。


「そうなると、私とヒロ君は二人きりになれるね~。楠木さんは知ってる? ヒロ君って、実は細マッチョなんだよ~」


 小悪魔的な表情をして、楠木を羨ましくさせようとしていた。


「……今日だけヒロの傍で着替えてもいい?」

「男子全員、誰も体育の時間にいないだろうし、戻って来たら、教室は血の海だな……」


 楠木が、男子の中で着替えるとなったら、男子全員、楠木に注目している。そして教室は血に染まっているだろう。




 そして学校に着き、楠木と共に教室に入ると、今日、楠木と勝負する相手、渡邊がいきなり楠木に突っかかっていた。


「クズの木~。これ、前に悪くしたお詫び~。私が作ってきたんだ~」


 渡邊が楠木に差し出してきたのは、可愛くラッピングされた袋。その中にはクッキーが入っていた。


「そう。あんたに反省している意思があるなら、ありがたくいただくわ」


 楠木がクッキーを受け取ると、渡邊は不気味な微笑みをして、そして教室に出て行った。あの微笑みが凄く怪しい。


「塚本~。女子の手作りクッキーがあるんだが~」


 楠木と共にいる俺を羨ましそうに見ていた塚本は、俺に呼ばれると、尻尾を振ってやって来る犬のような感じで、塚本はやって来た。


「某にくれると言うのなら、ありがたくいただこう」

「何かは言っているかもしれんが、食うか?」

「女子が作ってくれたものであろう? 王水や青酸カリが入っていようが、喜んで食おう」


 劇物が入っていようがお構いなしに、塚本は嬉しそうにクッキーを一つ食べた。


「ふむ。実に美味だ」


 普通に美味しそうに渡邊のクッキーを食べる塚本。意外だ、クッキーに何か仕掛けでもしてあると思った。普通に美味そうに食っているので、この幸せな時間を壊さないように、そのまま渡邊のクッキーを塚本に譲った。




 それから、渡邊は楠木に絡むことが無く時間が進み、そして体育の時間になった。

 楠木は木村、紫苑に付き添いをお願いし、そしてSPに守られるような大臣のように、木村と紫苑に守られて楠木は更衣室に向かった。


「今の所、無事なんだね~」


 そして、マイペースに菜摘は男子が着替えている中でも、俺の所にやって来た。


「嵐の前の静けさ、と言うぐらいに、渡邊は静かだ――」

「ま、松原氏……」


 菜摘と話していると、青白い顔をした塚本が、俺に手を差し伸べて助けを求めていた。


「ど、どうしたっ!? 親にラノベでも捨てられたのか?」

「そ、それは……よくある話だが……」


 よくあるのか。塚本も色々と大変のようだ。


「は、腹が……痛い……」

「それなら、早くトイレに行ってこいっ!」

「……痛すぎて……動く事も……ままならぬ」


 この塚本の様子だと、塚本に強烈な腹痛が襲っているようだ。この汗が止まらないぐらいの痛さのようなので、本当に渡邊がくれたクッキーは、何か良くない物が入っていた。


 やはり渡邊は事前工作をしてきた。


「……も、もう……出てしまう」

「菜摘っ! お前も塚本の肩を担いでくれ! 即行でトイレに駆け込むっ!」

「は~い」


 このままだと、塚本は教室でヤバい事をしてしまうだろう。クソ野郎と不名誉なあだ名を付けられそうなので、俺は菜摘と共に塚本をトイレに連れて行った。

 塚本の腹痛の原因。それは渡邊のクッキーだろう。

 腐った物、もしくは下剤でも入れ、それを楠木に食わせて、腹痛で苦しませ、本調子ではない、楠木と勝負する気だったのだろう。今回は塚本に食べさせて良かった。




 本日の体育は、グラウンドで行う長距離走。その長距離走の順番待ちをしている中、俺は女子の方を見ていた。

 女子は、陸上競技であるハードル走をやるようだ。

 どうも楠木が心配だ。木村と紫苑がいるから、そう簡単に渡邊は楠木に近づけないと思うが。


「松原。女子の方ばっかり見て、どうしたんだ?」


 事情を知らない3軍の村田が、俺と一緒になって女子の方を見ていた。


「いや。何でもない」

「何の理由もないで、女子を見るか? そもそもお前、松宮さんと言う可愛い彼女がいるのに、まだ女子と仲良くなりたいのか?」

「彼女じゃない。ただの幼なじみだ」


 何か懐かしい否定の台詞を言った気がするが、俺は村田を気にせず、再び女子の方を見ようとすると。


「今のところは、異常は無いようだね~」


 俺の隣には、平然と菜摘が体育座りをして、俺にそう話しかけていた。菜摘のクラスは、普通に教室で授業をしているはずなんだが……。


「菜摘。お前は何をやっているんだ?」

「授業が暇だったので、こっそりと抜け出してきました~。気配を消して抜けて来たから、バレてはいないと思うよ?」

「なるほどな……と言うと思ったかっ!?」


 このままだと、俺が勝手に菜摘を連れ出してきたと先生が思い込むか、それとも俺の事が嫌いな、安藤か佐村が菜摘の存在をチクりそうなので、俺は早く菜摘に教室に戻れと言おうとした時だった。


 楠木がハードル走をしている時、渡邊が楠木が入っているレーンに、サッカーボールを投げ込んで、そして楠木を転倒させようとしていた。


 このままだと、楠木はサッカーボールに躓き、ハードルに顔をぶつけ、そして重大な事故を招く可能性がある。


「あの野郎……っ!」


 流石にこの場面では、木村と紫苑は楠木を護衛できない。そのタイミングを狙って、渡邊は楠木に新たな事前工作をしかけたのだろう。

 渡邊の奴、楠木を亡き者にさせてまで、そんなに下剋上勝負に勝ちたいのか。この場合だと、渡邊は不戦勝で勝ちになり、何もしていない楠木は、降格させられてしまう――


「こらーっ!! 松宮ー!! どうしてお前がここにいるんだー!!」


 気が付くと、菜摘は楠木が走るレーンの所に侵入し、先生を大声で怒鳴らせていた。

 菜摘は、渡邊がワザと楠木の走るレーンにサッカーボールを投げつけたことに、俺よりもいち早く気付き、そして楠木を転倒させないようにと、ワザと楠木の前に立ちはだかったのだろう。


「……今回は、菜摘がサボったから助かったか」


 体育の先生に怒鳴られながらも、菜摘は先生の怒号を全く気にせず、ふらっと歩きながら、そして俺に向けてだと思うが、俺たちの方に手を振って校舎の中に戻っていった。


 もし、菜摘がいなかったら、楠木は大怪我をしていただろう。今回は菜摘のファインプレーだ。


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