第15話『ストレス解消にはアイケアが良い』
洞窟入って最大の危機とも言える、淫魔の陰湿なライフドレイン。危うく死ぬところだった。俺が。
ともあれ、淫魔なんつー野生動物じゃない、意志を持つ魔物の類が出てきているあたり、やはりこの洞窟が元ダンジョンだった残滓も濃くなっているのだろう。
魔力で変質する鉱石も多くなっている。朽ちかけた人工物のような柱や壁も、時々目にするようになった。
媚び売ってきた淫魔が無残に銃殺&解体されてから、センセイもエリザも気まずい無言で進んでいたのだが、やはり前日の疲れも残っているからその日は早めに新しい小屋を作ることにした。
それぐらい時間が経過すると雰囲気もだいぶ和んできて、俺も一安心だ。
二人共恥ずかしいことを淫魔の魅了で強制的にさせられてたからな。少しばかり落ち込んでいたのだろうが、立ち直って欲しい。
晩飯は肉の悪魔風ソテーだった。
使われた素材を俺は聞かないようにした。
スパイスの効いた肉は決してバサバサしておらず、しっとりとしながら酸味が効いていて美味い。
「にしてもよー」
俺は小屋の内装を見回して言う。
「随分と懲りすぎじゃね?」
そう、これまでの小屋は広間に風呂、トイレの三室で、岩を削った素材によって作られた壁床の簡素なものだったのだが。
今度は設営する場所を早めに決めて、広くスペースが取れたので小屋自体も大きく作られていた。
それだけではなく、壁床を焼いたレンガ(岩素材+土素材+窯)を使って綺麗に並べてあり、床には毛皮の絨毯が敷かれている。
高い天井にはシャンデリア(鉄素材+硝子素材+油素材)がぶら下がり、閉塞感が無いように強化ガラスの窓も設置されていた。
あちこちに分散していた水タンクは壁に囲まれて見えない小屋の中央に大きいのが一つあり、そこから蛇口と水道で流しや便所、風呂場に送られるようになっている。
扉も何やら豪奢な彫刻の施されているリッチ仕様で、何故か便所の扉の前にはピアノまで置かれていた。
"エリザにクラフトを教えるという意味もあるからな。時間も余っていたので、凝って作らせてみた"
「理想のマイハウスを目指して頑張ります! まあ出るときは内装や家具を解体するんですけど」
「それにしてもなあ。このピアノとかどうするんだ。洞窟の中で虫相手に演奏会でも開くのか?」
適当に鍵盤を押してみると、ポンと音が鳴った。調律がしっかりしているかどうかはわからん。
センセイ(外装脱衣済み)もよくわからないとばかりに、エリザの方を向く。
彼女は自慢気に腰に手を当てて、
「ふふん。仕掛けまで作ってみました。このピアノで[ゲッコー]を弾かないとトイレの扉が開かないんです!」
「センセイ、解体」
"わかった"
「あ゛ー! 酷いですー!」
センセイが問答無用で──ピアノではなく、そこから仕掛けに繋がっている動線を断ち切ってマテリアルに戻した。
ちなみにゲッコーとは有名な作曲家が作ったヤモリをイメージした曲である。聞いたことぐらいはある気がするが、勿論弾けない。
「つーか。便所行く度にピアノ弾くアホな設計があるかよ」
「だって、覚えた仕掛けって使いたくなるじゃないですか」
「便所に変なの仕掛けてないだろうな」
「ふふふ……聞いて驚いてください。いつもは陶器で作っているトイレですけど、今回はお肉素材で作っているので座り心地アップです!」
「なんでだよ!?」
これが本当の肉便器ってか?
自慢気に反り返りそうなぐらい胸を張っているエリザに軽いツッコミとして、蹴った。
「あうー! うえへへ」
謎の笑いが漏れたが俺はなるたけ気にしないようにして、センセイにトイレを直して貰った。
解体した肉ってひょっとして次のメシとかに出るの?
……いやまだ誰も使ってなかったんだけどさ。気分的にメシに再利用されるのかーと思うと。
「で、この広くなった風呂場。水道をつけたことでシャワーまで付けられているのはいいんだが」
"……浴槽の上にアイアンメイデンが。そして湯の色が赤い"
「美術品を近くに置いてみました! 赤ワイン風の入浴剤も入れてます!」
「ブラッドバスか!」
妙な趣味全開できやがって。
アイアンメイデンなんかは出るときに分解して回収するのだが、血染めのバスなんかは水を抜いただけで放置するわけで。
赤い液体の痕跡が有る風呂場がここに残されて、もし他人に発見されたらビビるだろうな。
「そんでもって……」
再び広間に戻って、俺は一角を指さし言う。
「なんでまだベッドは三人で一つなんだよ」
勢いで三人同じベッドで寝てたのは淫魔のエロパワーで行わされた無意識の選択じゃなかったのか。
エリザは両の拳を握って熱心に主張する。
「アルトくん、あたし達は淫魔に乱されるぐらいの弱いチームワークじゃ無いんです!」
「はあ」
「だから同じベッドで寝ても大丈夫だって信頼関係を確かめ合わないと!」
"そ……そういうものか?"
意味のわからん理屈だが……センセイは否定をするでもない。
「まあ俺としちゃあセンセイから突然襲われなければどうでも───」
迂闊な俺の一言が逆鱗に触れた。
"うあ゛ー! あ、あ、あれは違う! 淫魔にやられていなければ本来はもっと大人しく……だな!"
「へいへいー」
顔を真っ赤にして涙目で俺の肩をつかみ揺さぶってくるセンセイ。可愛い。
あと大人しくってなんだ。大人しく襲うって矛盾してねえ? 清純派娼婦ぐらい矛盾してねえ?
しかしあれだ。それこそ淫魔に頭をやられてトチ狂わなけりゃ、センセイだってあんな淫らなことはしねえし俺に対する恋愛感情なんざ一ミリも無いんだろうけどな。残念なことに。
「……で、なんかベッド小さくなってねえ?」
「そ、そうですか? ほら、小屋自体が大きくなったから錯覚じゃないですかね」
「そうかぁ~?」
俺は近づいてじろじろと眺め回す。
エリザが昨日まで作っていた三人用ベッドは、シングルベッド四つか四つ半ぐらいの幅があって三人寝てもゆったりと間が取れた。
しかし今日のは、シングルベッドを三つぴっちり並べたぐらいの幅にしか見えない。
寝相が悪けりゃ隣の陣地にはみ出すぐらいの個人スペースしか無さそうだ。
ベッドの作り自体はいつもより豪華なんだが。
「いや、やっぱ小せえって。寝返り打ったらベッドから落ちるだろこれ。俺ァベッドから落ちるのにいい思い出がねえんだよな」
"そうなのか?"
「前に傭兵仲間の女と狭いベッドで寝てたら蹴り落とされて骨折してな」
「なななな、なんで女の人と一緒に寝てるんですか! 不潔です!!」
「あれぇー?」
エリザが顔を真っ赤にして非難してくるのを、俺は首を大きく横に傾げた。
最近まさに女の君と同じベッドで寝てるんだが。
理不尽を感じる。
「護衛の仕事で、出先の宿の部屋が取れなかったんだよ」
「紳士なら床に寝るとか椅子に寝るとか」
「奴隷根性すぎるだろ。そんなん要求してくる女とか簀巻にして外に放り出すわ。で、相手がくじ引きによる抽選にも応じなかったクソだったから結局ベッドは二分割で使うことになったら、あのざまだ。治してはくれたが最悪だったな。あのオークレイパーめ」
オークを素手でねじ伏せる怪力と同じ布団で寝るとか、意地を張ったが凶暴なゴリラ以上に信用ならないことに俺は気づくべきだったぜ。
余談だが、素の腕力もクッソ強いオークレイパーの職業は[実践派武僧]だ。司祭の秘跡で自己強化したり回復したりする一人完結型戦闘傭兵という、仲間内でも色んな意味で有名なやつである。
エリザが何やら不安げな顔で聞いてくる。
「よ、よくアルトくんの話にオークレイパーさんって出てきますけど……ひょっとして仲が良かったりするんですか?」
非常に気分の良くない質問だった。
「んなわけねーだろ。むしろ俺が一番苦手とするタイプだ。正直顔も合わせたくねえ」
「ほっ……」
"……よかった"
「うん? なんか言ったか?」
ブルブルと二人して首を振っている。
ふむ。聞き返したが一応安心したような呟きが聞こえた。
察しが良くて鋭い俺の推理によればあれだな。洞窟出た後も俺が護衛として雇われることになってるわけで──そのときに俺が恋人や嫁を放置してたら色々面倒なことになりそうだからさり気なく確認が取れて安心した、というところか。
傭兵ってのは鈍感や難聴じゃ駄目だし勘違いなんぞしてたら生きていけねえから、これぐらいはヨユーでわかる。
「とにかく、寝相は大丈夫ですよ! あたし寝返り打たないです」
「あー、そういやそうだな。異様に寝付きもいいよなエリザ」
「先生だって外装着て寝ていたぐらいだから全然動きませんし」
"あれを着ながらだと寝相が矯正される気がする"
「ベッドをでかくすればいいだけだと思うがなあ」
そう手間でも無いはずなんだが。
エリザは親指を立てて、笑顔のまま「大丈夫です!」と再度保証した。
そして就寝時。
あまり広くないベッドで、何故か俺が真ん中で左右にエリザとセンセイがくっついて寝ている。
どうしてこうなった。
俺の寝相が心配ならばということで真ん中に配置されて──ここまではわかる。
ちょっとは離れろよ左右。あとなんでセンセイ、外装脱いで生身で寝てんだ。
あと二人共こっちに顔向けて寝るな。どっちも向けねえだろこれ。上見て寝るしかねえだろ。
明日はやっぱりベッド変えてもらおう。
やれやれ。ぼくはウォッカを飲んだ。寝る。
******
ある日の昼下がりにこの洞窟で初めて出くわすタイプの敵が居た。
「うげ。スライムかよ」
うじゅうじゅと目の前の通路を塞いでいる、ゼリー状の物体はこちらの音に反応してずりずりとゆっくりな動きで近寄ってきている。
大きさとしては、通路全体が足首まで床上浸水してる感じか。無視して進むのは無理だな。足首を取られて転ばされ、全身取り込まれるのがオチだ。あいつらの体の殆どを構成するのは消化液になってる。
暗いところだと水と見間違うが、光を当てると青白く反射するのがスライムの特徴でもある。魔力光の一種だったか。
スライムは苦手だ。武器を投げつけても効かねえから。
"この大きさでは、塩も勿体無いな……"
「砂とかじゃ駄目でしょうか。同じさらさらしてますし」
"駄目だ。塩はスライムの体液と化合して変質させるが、砂は染みこんでも変質しないからすぐに這い出てくる"
「砂漠スライムとか居るしなあ。夜中にだけでてくる厄介なやつ」
メジャーな生き物のスライムだが、弱点は塩とか融雪剤とか、準備してないと少し厄介だ。
魔法にもあれこれ耐性を持っていてまともに相手にすると魔力の損になる。精々、一時的に動きを止めてさっさと逃げる手段だ。まともに相手にしてもあんまり得しねえ。
"エリザ。溝を掘ってスライムを防ぐぞ。アルトは溝の上から脱出用のロープを準備していてくれ"
「はい!」
「リョーカイ」
二人はツルハシで道を横切るように、高速で穴を掘り出した。
やはりエリザの方が遅いが仕方ないものの、それでも普通人の土方作業ではあり得ない速度で大穴が出来上がっていく。
深さも広さも充分に寄ってくるスライムを閉じ込めれるぐらいだ。
「えーと、スライムが穴に到達するまであと三十秒ぐらい。そろそろ脱出しろよー」
目測で進行速度を測って注意を促す。センセイはともかく、エリザは余裕を持って上がった方がいいと思う。
そう考えていると、センセイに肩車──肩車でいいのか? ドラム缶に跨っているような感じでエリザはくっついてセンセイと同時にロープを上がってきた。
穴の縁からやや離れると、スライムの波が到達してびしゃびしゃと音を立て穴に落ちていく音が聞こえる。
「知能が無いってつらいねえ。次から次に落ちるのに歯止めが掛からねえ」
「スライムって何を基準に襲ってくるんですか?」
"振動だな。声や足踏みなどを感知しているようだ"
「じゃあ誘うためにお歌でも唄いましょうか! アルトくんあたし唄うね!」
「えー」
「お馬ーお馬ー♪ たくさんもたげたー♪ 羊ー羊ー♪ こっちももたげたー♪」
「何がもたげるんだよ」
"……お牛ーお牛ー♪"
「センセイ!?」
"あっ……いや……"
口ずさんで合わせていたセンセイが首を振った。可愛い。
謎の歌に誘われたってわけじゃなかろうが、ずるずるべたべたとスライムの行進は続いて最後まで落ちきったようだ。
「よし、一応向こう岸を確認してくるぜ」
俺はそう告げて華麗な二段ジャンプで溝を飛び越えて渡った。
横方向にも軽く十数メートルは跳べるみたいで結構楽しい。そう、使いたいからわざわざ跳んだのだ。
センセイの呆れ半分心配半分の視線が突き刺さったような気がしたが、しっかり渡れて松明でそこらを照らす。
「んー……隙間に引っかかってる小さいのが残ってるけど、大丈夫みたいだ」
"わかった"
返事をするとセンセイは、溝の上に被せる金属製の巨大な板をクラフトして、そのまま設置した。
エリザを前に行かせるのは、彼女が転んだ際に後ろから支えるためだろう。スライム地獄の下を覗きながら、おっかなびっくりエリザは渡り切る。
"そこらに僅かに残ったスライムはマテリアル化していこう"
「わかりました!」
二人は手分けして、地面の凸凹に残っているスライムの欠片を分解していく。
運動性自体は大したことがないから一発で分解できる技工士なら怖くないようだ。
スライムでヤバイのは、さっきみたいに量がとんでもない場合か、寝ているときに忍び寄られたりして気がついたら捕食されてたってパターンだ。
あとは上から振ってきて頭を覆われるとか……
ちょっと気になって、俺は松明を翳し天井付近に目を凝らした。
壁近くの天井から、ぽつぽつと青白く光る液体が滴っている。
その天井には傷のように隙間があって、ぶわりと血が滲むようにスライムの体が今にもはみ出しそうだった。
「おいやべえ。二人共、上からくるぞ! 気をつけろ!」
"……! 早く先に進もう!"
「は、はい……!」
三人集まってさっさと前進をし始めたのだが、後ろを振り返ると滲んでいたスライムは噴出、という勢いに変わっている。
一部の天井が落ちる音が聞こえたのはその直後だった。
真上にあったであろう巨大な地下水とスライム溜まりから、一気に大量のスライムが濁流のように流れこんできた。
"二人共捕まれ!"
指示を出されて俺は松明を投げ捨て、エリザと一緒にセンセイのドラム缶めいた体に捕まる。
センセイは射出式ワイヤーフックを取り出して天井に向け発射。俺ら三人の体はワイヤーの巻き上げ機能で、天井近くに持ち上げられた。
地面を濁流が洗い流していく。この水の量ならば、あのスライム地獄にした溝もすぐに埋めて溢れるだろう。
ランタンの明かりで水流を見ると、全てが全てスライムというわけではなく、ただの水にクラゲのごとくボールぐらいのスライム塊が混ざって流されていく。比重の重いスライムが底に溜まって染み出してきていたのだろう。
どちらにせよ泳ぎたくはないな。同時に、勢い良く流されていくので降りたところにスライムが滞留するのは無さそうな感じだ。
「ア、アルトくん! あっちの方を見てください!」
エリザの声に俺とセンセイが顔を向ける。センセイのヘッドライトが、決壊した天井の割れ目近くを照らした。
すると、その天井をずるりと粘度の高いスライムが張り付いて、こっちに何匹か這ってきているのが見えた。
水の流れに巻き込まれず、湖底を這いずってそのままこっちに来ているのだろう。
「ちっ。なんか投げつけるにも、天井だと面倒だ。重力死ね」
塩などをぶん投げてもそのまま下に落ちていくので、地を這うやつより効果が薄い。
"理不尽な怒りだな……アルト、私の腰にあるサイコブラスターを使え"
「それをか? わかった」
俺はセンセイの腰に下げられている銃を片手で取った。センセイはワイヤーフックとエリザを支えているので両手が使えないのだ。
俺にその銃が使えるのか?と一瞬思ったが馬鹿な考えだとすぐに否定する。使えない物を使え、と言う筈がないだろう。
ところで銃というのは、とても便利そうな武器だが全世界でさっぱり流行っていない。理由は簡単で、弾丸を飛ばすために必要な火薬っつーものが殆ど作れないからだ。材料が無い的な意味で。
火薬を使った爆弾なんて道具も同じ理由で殆ど使われていない。
じゃあなんでそんな道具が知られているかというと、センセイのような技工士ならば銃も火薬も爆弾も作れるからだ。
彼らが採掘などのために作った秘薬が火薬であり、技工士特有のクラフト技術で作られているので素材レベルで普通の人間には手が出ない。ごく一部で個人的に銃を作ってもらった者などが世界で使っている。
また、技工士の殆どは戦争に興味が無いので、国に頼まれて火薬を大量生産などすることもない。捕まえて無理やり、ということも考えられるがツール一つで大穴開けられる技工士を捉えられるわけもなく。
ちなみに、大砲という道具は筒と砲弾の間で魔法使いが爆発魔法を使ってぶっ飛ばす似て非なる道具である。
まあそれとは関係なくこのサイコブラスターは説明によると精神力を銃弾にして打ち込む武器らしいけどな。
センセイに片手でしがみついたまま、銃口を寄ってくるスライムに向ける。
「抜きな。どっちが早いか勝負しようぜ」
そう宣言して無抵抗なスライムに翡翠色に輝く銃弾を、雨のように浴びせてやる。
銃弾自体によるダメージはよくわからんが、無数に着弾する衝撃で大きく体を震わせて、天井と接地している部分を穿ってやれば床に落ちていく。
「はっはぁ~こいつはご機嫌だぜ~」
「アルトくんがサイコブラスターを使った途端に威力が上がったりした……わけでもなく普通ですね」
"改造しないと威力はなあ……"
ともあれ、こいつで近づいてくるスライム共を安定して蹴散らし──暫くすれば天井から漏れ出す水流は止まったようだった。
ワイヤーフックを調節してゆっくりと俺たちは地面に降りる。水が洗い流して、近くにスライムの姿は無かった。
──と、俺は軽く立ち眩みを感じて頭を押さえ、ふらつく。
「アルトくん!? 大丈夫ですか!?」
「あ、ああ。大したことはねえ。ちょっと疲れが来ただけでな。問題ない」
"サイコブラスターは使いすぎると疲労する。それだろう。無理をさせたな"
「いやいや、ほんと、ちょっとだけだからな。さっさと先に進もうぜ」
"……わかった。ただ、ここは少し危険だから進むが早めに野営場所を決めて休もう"
心配したようにセンセイはそう決めて、俺たちは先へ進むのであった。
*******
その日の宿泊小屋はさっきの洪水場所からやや進んだところで、水が流れた跡地とスライムが近寄るのを警戒して高床式に小屋が組み立てられた。
更に控えめながら出した俺の要望も受け入れられた作りが採用されて一安心だ。
それは──個室である。
ベッドを置いて小さな水差しなんかが置ける机と僅かなスペースしか無いが、小屋の中に俺専用の隔離された寝床を作って貰ったのだ。
疲れているから早く寝たいので、と理由を告げる俺に同情的な感じで二人は作ってくれた。
晩飯のあんかけチャーハン(穀物素材+油素材+卵素材+塩素材+スライム素材)にニンニクの芽と肉炒めを食った俺は軽く疲れたような素振りを見せて、心配する二人を諭して早めに個室に入り込んだ。
よっしゃ。
そう、個室だ。これが欲しかった。俺だけのプライベートスペース。俺だけのマイワールド。
疲れたなんてのは不意に思いついた嘘だ。立ち眩みをしたのは本当だが、あんなもん一発抜いた以下の疲れだ。何を抜いたって? ほら献血とかな。
他人との共同生活というのは少なからずストレスが掛かる。寝る場所も近くというのならばそれは尚更だ。
傭兵生活でも歯ぎしりがうるせえおっさんが同じテントだと戦場に行くまでにキレるだろう。
たとえそれが、傭兵生活じゃお目に掛かれねえ美女なセンセイや、まあやかましいが可愛いと認めなくもないエリザと一緒に寝ていてもストレスは掛かる。
ストレスとて、色んな種類がある。怒り、忍耐、緊張、恐怖、鬱憤。だから、二人と一緒に居るのがすげえ嫌ってわけじゃないんだが何らかに分類されるストレスが、地味ーに溜まっていくのだ。
溜まったストレスは発散しなければならない。
だが、そのストレス源──というと罪悪感が沸くが──の前で発散するのはよろしくない。
ストレスから離れられるのはこの冒険の間じゃあ、風呂か便所だが俺は風呂は大抵一番最後なぐらいで、なんかこー甘ったるい匂いが漂う中じゃあやはりストレスだ。
世界はストレス社会だ。
というわけで発散させるにはプライベートスペースが必要だったのだ。
だから軽く疲れたフリをして作ってもらった、やはりあの心配したような視線が少しつらかったが、それとてストレスじゃねーか!
同じ屋根の下に居るというのに気付かれないようにストレス発散するのは、リスクを伴うかもしれない。
だが今やらずにいつストレス発散するというのか。
この苛々を抱えて今後活動をしていて、ミスをしたり彼女らに辛くあたったりしないとどうして言えるだろう。
あらゆる条件が俺にストレス発散せよと告げている。
この道具も、その一つだ。
俺はごくりと唾を飲んでお手製のクラフトした道具を見下ろした。
技工士ではないが、人間の知恵として組み合わせたアイテムだ。
使用した道具は水筒+スライム+塩水。
スライムは塩に弱いといったが、生理食塩水程度の濃度の水につけるだけでスライム自体が死に、体液は無毒化してむしろ肌に有効成分に変化する。飲んだって問題無いぐらいで、砂漠スライムは捕まえれば貴重な水分として利用されるのだ。
それを、筒に入れてある。
ゼリーと寒天とクラゲを合わせたような感触の粘液を入れた縦長の筒。部屋にあるランタンの熱で人肌程度に温めてあった。
こいつが俺のクラフトアイテムよ!
ぷるぷるに固まったそれを軽く指先で突いて、よし、よしと何度か頷いた。
いざ──────!
扉が開く音。驚いた俺は咄嗟にベッドに仰向けに倒れて筒を顔に叩きつけた。
「アルトくん、疲れが取れるように蜂蜜ドリンクをセンセイと作って──何してるんです?」
「……眼精疲労治療中だ」
エリザの視点からは、俺が筒みたいな道具を顔面に突き立てている姿が見えるだろう。
ぬるぬるした無害な生暖かい物質が眼球の疲れを癒やす。売れる。売れるぞこれ。
エリザの声に、優しい色がこもった。
「お疲れ様です。アルトくんにいつも助けられて、とっても感謝してますよ」
「……そうか」
「だから……元気になってくださいね!」
俺の一部は凄く元気なんですけどねえ。
エリザが個室から出て行って暫く。
俺は周囲の物音に対して意識を集中し、己のコンディションを整えた。
やや時間を於いて、
やはりリスクがある。しかし、今更扉に鍵をつけてくれとは頼めない。
それになにより。
──止められるかよ!
俺は真剣な表情で筒を振りかぶった。
扉の開く音。俺は再度迷わずベッドに倒れた。
"アルト。大丈夫か? 目が疲れていると聞いて目薬を……それは?"
「アイケア用品」
反対側の目にホールを付けて心を鎮める。
入り口から心配顔でセンセイが、小瓶に入った薬を届けに来たようだ。
クソァ!
ストレス!
目に粘液を押し付けている俺は多分涙を流している。
そんな俺の様子を見て、センセイが近寄ってきた。
"すまない。サイコブラスターもあるが、例の件では私によって君の体力を多く奪ってしまったのだろう……"
申し訳無さそうに告げて、倒れている俺の枕元に座った。
確かにキスされる度に体力がダウンしていく恐るべき術で、センセイとの行為がクソヤバかったんだけど。
今はストレスでクソやばしです。
"償いにはならないかもしれないが……肩を揉ませてくれ。投擲で凝っていないかと気になっていた"
いや確かに。凝ってるけどね
今もっと別の場所も凝ってるけどね。
肩を揉んでもらって呻く。
「あーうー効くー」
"いつもありがとう。アルト"
それでも俺はセンセイのマッサージである程度体力的には癒されるのであった。
同時に、ストレス発散を行おうとした矢先にストレスな相手に密着されて俺のストレスは爆発しそうです。
背中にセンセイの体温があたってもうなんというか。
そういうお店?って錯覚さえ感じてくる。
ストレスを持て余す。
その後も何度か邪魔されながらどうにかこうにか俺は夜中にこっそり──アイケアに成功するのであった。
********
爽やかな朝が来た。
どれだけ洞窟を進んだかはわからないが、ここが星の中であるのならば地上とて誤差程度のはずさ。
何も問題なく仕事をこなせる。もし地上に戻ったときに世界平和になっていたとしたら、それは魅力的だと思うけどね。
「なんかアルトくんがやたら調子良さそうです……」
前日の疲労っぷりからの回復でエリザが驚いているようだ。
やはり個室はいいな色々あったが、ストレスは発散された。星は大きな密室というけれど、人には小さな密室が必要なのさ。
アイケアは最高だ。マスターアイケアとかそう呼ぶべきだ。自分を慰るとかそんな感じ。
「あ、そうだ。水筒をいつの間にか失くしちまってな。また新しいの作ってくれねえ?」
具体的には便所の中に容器ごと捨てた。汝の故郷、土に還れと祈りながら。
"そういえば……いつの間にか持っていないな。……はて? 昨日からだったか?"
「あたし作ります! 考えてたのがあるんです!」
センセイが何やら余計なことに考えを向けようとしたが、エリザの元気が良い雰囲気でそれはかき消された。あの水筒は役目を果たしたのだ。そう。アイケアで。証拠は捨てた。
ストレス解消にはアイケアが一番だよな!
それはさておき彼女は[瓶入りの水素材]+[紙素材]+[植物素材]をクラフトして──できたのは小さな紙製の箱であった。
その中には中指ぐらいの長さの、白い棒が十二本入っている。
紙巻きのタバコに見えるが。
「できました! 水筒タバコです! 先に火をつけると、燃え尽きるまで水が吸えるようになってます!」
「ほー。軽いし見た目もちょっといい感じじゃねえの?」
"オリジナルの魔法道具か。エリザもやるようになったな"
試しに一本吸ってみると、そこまで吸う力を入れなくともドバドバとフィルター部分から、質量以上の水が流れてきて少なくとも喉は乾かねえ感じ。
何よりそんな水入んねえだろって大きさと軽さがポイント高い。
俺はエリザの頭を撫でて褒めてやった。
「えへへ。タバコの煙は苦手ですけど、乱暴してくれるときは吸っていた方が雰囲気でますもんね!」
「……」
"……"
「火を押し付けるときは……その、初めてですから手とかからお願いします! 一応火傷痕とか出ないぐらいの温度にしてますけど……初心者向けで」
「……行こうか」
"ああ"
俺たちは聞かなかったことにした。これはただの便利な道具。それ以上でも以下でもプレイの道具でもない。




