第8話 死にたくて、異世界
真太郎は現在、オリエンスの街の三大ギルドの最後の一つである『魔術結社JMA』のギルドハウスを訪れていた。
「――と、まぁそんな感じで、この街を安心して暮らせる場所にするべく、有力ギルドを回って会談にお誘いしている訳なんですけど、板垣さんも参加してくれませんか?」
真太郎が参加を呼びかけるのは、『魔術結社JMA』のギルドマスター・板垣。七三分けに黒縁眼鏡が特徴的な、一昔前の典型的サラリーマンの様な見た目の優男だ。
「……死にたい」
その板垣は、会社を首になったサラリーマンの様に悲しげな顔をしており、今にも死にそうな様子だ。心なしか、かけている眼鏡も、どんよりと曇って見える。
「暗っ! 板垣さん、出会って早々、テンション低すぎですよっ!」
何があったか知らないが、『魔術結社JMA』のギルドマスター板垣は、今にも自殺しそうなほど、テンションが低かった。
「物心ついた頃から禄に遊びもしないで、一生懸命に勉強して東大に入って、晴れて国家公務員第一種試験に合格し、念願かなって花の東京は霞が関にお勤めの官僚になったのに……いきなり、こんな訳の分からない異世界に送り込まれちゃって、私の人生、全てがパー。そりゃ鬱にもなるよ……」
「この人、本当の意味で、ゲームで人生棒に振ってるーッ!」
ネトゲのせいでリアル人生をマジで台無しにしていた板垣に、真太郎が普通に驚愕する。
「しっかりしてください、板垣さん! 死んじゃダメです、生きていればなんとかなりますよ!」
「……ならないよ。……そもそも、親も学校も社会も、『いい学校にいって、いい会社に入れ』とばかり言うけれど、そこからはみ出した時にどうしたらいいか、誰も教えてはくれないんだよね……。だから、私は『はみ出した』状況の今、どうしていいかわからないんだよ……だから、もうダメ。死にしたい……」
板垣の悩みは、真面目に人生を歩んできた生粋のエリートだからこその悩みなのかもしれなかった。
「子供の頃、自分は人生の主人公だと信じてたし、自分は馬鹿な大衆とは違う選ばれた特別な人間で、将来大物になると思ってた。実際、エリートだし、政治家の娘と婚約してたし、庶民共とは違う選ばれし特別な存在だって確信してたし……」
(……あれ? なんかムカついてきたぞ?)
とうとうと語り始めた板垣の自虐風自慢話に、真太郎が軽くイラつきを覚える。
「あともう少しで課長だったし、このまま行けば事務次官だったし、義父のコネを利用して政界進出も出来たのに……。そーいえば、大人になれば幽霊は怖くなくなると思ってたし、大人になればお金持ちになって美人の奥さんと結婚して都内の高級住宅地に一戸建てを建てて、週末は可愛い子供を連れて高級外車でドライブだと思っていたのに……私は早く、そんな大人になりたかったのに……何でこんなゲームそっくりの異世界に転移しちゃうような大人になっちゃったんだろう……。私はどこで道を誤ったのだろう……あのスナックのママとの浮気が原因なのか……?」
「さっきまでムカつく自慢話だったのに、気付いたらなんか変な話になっちゃってるっ!?」
板垣のネガティブトークに翻弄された真太郎は、得てせずツッコミに回っていた。
「なんだろう? 鬱が酷過ぎて自殺願望まで出てきたせいなのか、シンタロー君の後ろに落武者が見えるよ。彼は、死の世界に私を誘いに来たのだろうか……?」
真太郎の背後に陣取るイナバに気付いた板垣が、微かに怯える。
「その落武者は、俺の仲間の『剣聖のイナバ』です。落武者に酷似していますが、悪霊の類ではなく、生きた人間ですよ」
真太郎がそう言うなり、板垣が目を見開いて驚いた。
「……人間!? アレが人間だと言うのかいっ!? 生物学的にいってあり得ない造形だぞッ! この世界の化け物ではないのかいッ!?」
「いえ、彼はれっきとしたホモ・サピエンス・サピエンスです。故に、言語によるコミュニケーションも取れますし、我々に対して友愛の感情も抱いてくれます。だから、恐れる必要はありませんよ。クリーチャー的な見た目に惑わされないでください。さぁ、眼鏡を拭いて彼をよく見て下さい、きっと心が通じますよ」
イナバが化け物扱いされるのにもいい加減慣れて来た真太郎は、一切の感情を込めず淡々と事務的に誤解を解いていく。
「オウフ……! 男の人にまで怖がられる拙者って、一体何者でござるの……?」
真太郎が板垣を説得する陰で、イナバが人知れず自分の存在意義に涙する。
「それはともかくとして、板垣さん。俺の様な人間の言葉では慰めにすらならないと思いますけど、元気を出してください。俺はゲームでの『大魔導師・板垣』が大好きなんです。ゲームでの笑顔をここでもまた見たいな」
このままでは埒が明かないと思った真太郎が、今にも自殺しそうな板垣を元気づける。
「……こんな私を励ましてくれているのかい? シンタロー君は優しいね」
「つか、さっき板垣さん、自分の事『官僚』って言ってましたけど、本当なんですか?」
板垣が少し立ち直るなり、真太郎は彼の暗い気分を紛らわせようと、すぐさま話題を変えた。
「おいおい、失敬だな。この私の威厳ある佇まいを見て、分からないのかい?」
特徴の無い冴えない顔、ダサい七三ヘアーとあか抜けない黒縁眼鏡、そして、くたびれたスーツという出で立ちの板垣は、田舎の小役人には見えても、とてもエリート官僚には見えなかった。
(……どー見ても、ただの役所のおっちゃんだ。つか、何故スーツ? お遊び装備だから、防御力とか無いだろ?)
しょっぱなから板垣の本気か冗談か分からないトークに、振り回される真太郎だった。
すると不意に、板垣が眼鏡を指でクイッとさせた。
「こんな事になってから、もう一週間だ。そろそろ誰かが、何かをやり出すと思っていたよ。シンタロー君、実に良いタイミングで来てくれた」
理知的な眼差しの板垣が、大人の余裕を見せながらほほ笑む。
「それは、俺の誘いへの答えが、『イエス』って事ですか?」
「そう考えてくれて構わない」
板垣があっさり肯定するなり、真太郎はいささか驚いた風な顔をする。
「驚いたな。慎重な板垣さんの事だから、そう簡単に話に乗ってこないと思ってたのに」
「ある状況での勝者が、ある状況では敗者という事はよくある。この勇者ゲームにそっくりな世界では、ライトユーザーな私よりも、ヘビーユーザーである君らに分がある。話に乗るには十分な理由だよ。むしろ、シンタロー君の方から誘いをかけて来てくれて感謝しているぐらいだ。この状況では、君らと敵対する事は一番避けたい事態だったからね」
板垣は実に理路整然と、真太郎の話に乗った理由を語ってくれた。
その落ち着いた板垣の語り口は実に心地よく、真太郎は思わず交渉の緊張を忘れて世間話を始めてしまう。




