幕間2―1 あの日のぼくたち、わたしたち ~イナバ日常編~
「デュフフコポォオウフドプフォフォカヌポウ!」
『剣聖のイナバ』こと、稲葉浩侍は、いわゆるキモオタのレッテルを貼られている。
小さな頃からアニメとゲームが大好きで、気付けば15でキモオタだ。そして大学卒業後は、就職も進学もバイトもせずに、今では立派な引きニートだ。
そんな楽しくも哀しい引きニートライフを満喫しているイナバの目の前に、ある時、『勇者ゲーム』が現れた。
「ビジュアルショック! サウンドショック! キモオタショックッ!」
総プレイヤー数は全世界で100万人以上。全てがリアルタイムで、ラグもバグもまったく存在しない快適な通信システム。今までプレイしたどのゲームとも違う、リアルで美麗なビジュアルによって描き出される魅惑の異世界。
自分の行動が刻一刻と世界に影響を与えていく、壮大なサーガ的ストーリー。自立性のある思考を取る高性能AIによって動く、人間そっくりなNPC達が織りなす悲喜こもごもの群像劇。MMORPGながら、直感的な操作性によって得られるアクションゲームの様な刺激的なバトル――イナバはたちまち、彼の素敵な好奇心を満たしてくれる『勇者ゲーム』に夢中になったッ!
『勇者ゲーム』の虜になったイナバは、朝晩問わずゲームの世界にトリップし、ゲームが真の人生というほど、勇者ゲームにのめり込んだ。
そしてゲームで名を上げ、いつしか『剣聖のイナバ』の二つ名で呼び称えられるようになっていた。
「浩ちゃん! ゲームばっかりしてないで、たまには外に出なさいっ!」
「うるせー! 仲間達がネットの向こうで、この俺を待ってるんだよォォォーッ!」
だが、リアルでは、ネトゲ廃人の35歳無職童貞キモオタだ。
「浩ちゃん……。どうしてこんな事に……」
気が付けば、無職マスター。キングオブノージョブに成り果てていた。
「拙者は、剣聖のイナバ! 決して無職童貞のキモオタではござらんーっ!」
そんなしょっぱすぎる現実を忘れる為に、イナバはより一層、勇者ゲームにのめり込んだ。
そして今日も、長時間に渡る激戦で疲弊した心と体を癒す為、人里離れた美しい湖畔に来ていた。
「フヒヒ! 今日も巨乳エルフが水浴びに来ているでござるよっ!」
誤解無き様に記しておくが、イナバは美しい景色に心を癒される為に湖に来ているのであって、決して湖に水浴びに来る巨乳エルフの裸を覗きに来ている訳ではない。
「オウフ! 奮発してヘッドマウントディスプレイを買った甲斐があったでござるなぁ~! まるで、本物を見てるようでござるよ! フォカヌポゥ!」
勿論、この『本物』は、現実と見紛うばかりの美しい湖畔の景色であって、たゆんたゆんと巨乳を揺らして水浴びをするエルフの事ではない。
「ふぅ……」
賢者の様な眼差しのイナバが、美しい景色のついでに巨乳エルフを鑑賞していると、突然、湖畔で大爆発が起こった。
「はうあ!」
「うおおおーっ! 死にやがれぇ!」
怒声と共に湖畔に現れたのは、目つきの悪いヒーラーの少年だった。
どうやら、ヒーラーの少年は、湖畔に爆弾を投げ入れているみたいだ。
「ごらぁー、お主っ! 何をやっているでござるかーッ!? 巨乳エルフが驚いて逃げてしまったではないかァーッ!」
静かなる憩いのひと時を邪魔された事に立腹したイナバが、ヒーラーの少年に文句を言おうと、慌てて駆け寄る。
「出たァーッ!」
「出たァーッ! ではないでござる!」
イナバの姿を見るなり、ヒーラーの少年が化け物でも見たかのような仕草をした。
しかし、おかしい。
今のイナバは、リアルでの絶世のキモオタの姿ではなく、絶世の美剣士の姿なのだ。あんなに慌てる理由が無い。
「こっちに来やがったッ!」
何を思ったか、ヒーラーの少年がイナバに向かって、猛ダッシュで駆け寄って来た。
「むむっ! 拙者に挑むとは良い度胸でござるなッ!」
自分に向かって来たヒーラーの少年を警戒したイナバが、腰に下げていた刀を素早く抜刀する。
「いざ、尋常に勝負っ!」
と、意気込んだのはいいが、何故かヒーラーの少年は、そのままダッシュでイナバの脇を通り抜けていってしまった。
「おろ? どうゆう事でござるの?」
ヒーラーの少年の行動は、不可解だった。
人に迷惑をかけて喜ぶ地雷プレイヤーならば、自分が注意を言い次第、それをダシにして嬉々としてPKを仕掛けて来るはずだからだ。
だからこそ、あんな風な行動は不可解だった。
「何ボーっとしてんだっ! アンタも逃げろォォォーッ!」
イナバの脇を通り抜けたヒーラーの少年が、彼を抜き去ると同時にそう叫んだ。
すると、湖が大爆発し、火山の噴火の様な水しぶきが上がった。
それと同時に、大地を揺るがす咆哮が湖畔に轟く。
「グルオオオオオオオーッ!」
噴き上がった水しぶきが滝の様に降り注ぐ中、イナバの前に巨大な水龍が姿を現した。
「……え? ここって、モンスターいたでござるの?」
イナバの目の前に現れたのは、今まで見た事も聞いた事も無い未知のモンスターだった。
「こいつは隠しレイドボス、『忘れし湖畔の旧き主・水龍アビスサーペント』だ!」
逃げるヒーラーの少年が耳寄りな情報を教えてくれるなり、イナバが面白そうに口の端を吊り上げた。
「ほぅ、面白い……」
視界に収まりきらない程巨大な水龍を目の前にしたイナバが、おもむろに剣を構える。
不敵に笑うイナバが剣を構えるなり、眠りを妨げる愚か者に怒りを爆発させた水龍が、イナバを蹂躙せしめるべく巨大な咢を大きく開いて襲い掛かった。
刹那、イナバの剣がキラリと瞬いた。
「『秘剣・つばめ返し』ッ!」
次の瞬間、水龍の体がズバッと真っ二つに斬り裂かれる。
「嘘っ!? 水龍を一刀両断だとッ!?」
イナバに手によって水龍が一刀両断されるなり、ヒーラーの少年が目を大きく見開いて驚愕した。
「やれやれ。いきなり襲い掛かって来るとは、躾のなっていない蛇でござるな」
真っ二つに切り裂かれて地面に横たわる水龍を見下ろすイナバが、おもむろに刀を鞘にしまう。
すると、イナバの活躍を見ていたヒーラーの少年が、瞳を輝かせて駆け寄って来た。
「スゲーな! レイドボスを一撃で殺す奴とか、初めて見たぜッ!」
「何をそんなに驚いているのでござるか? 別にスゴくなんて無いでござるよ」
驚く少年に対して、イナバがきょとん顔で応じる。
「何言ってんの!? アンタ、かなりスゴイって! だって、レイドボスっていったら、複数パーティーを束ねたレイドチームでしか倒せねーんだぜ!?」
「拙者のユニークスキル『剣聖の極意』と『秘剣・つばめ返し』をもってすれば、低レベのレイドボスなら簡単に倒せるのでござるよ」
驚く少年に対して、イナバがどこまでもクールに告げる。
「マジかよッ!? お侍さん、ユニークスキル持ちかよ! つか、『剣聖の極意』と『秘剣・つばめ返し』って、剣士系職業の全職業と全スキルを一番最初にマスターしたプレイヤーしか手に入れられない伝説のチートスキルじゃん! アンタが持ち主だったのかよッ!?」
何やら事情通なヒーラーの少年が、イナバの話を聞いて更に驚愕する。
「大した事ではないでござるよ。それに、拙者がスゴイというよりも、この駄蛇が弱すぎるのでござるのでは? ちょっと刀で撫でてやっただけで、死んでしまったのでござるからな」
レイドボスをたった一人で瞬殺したにもかかわらず、イナバは顔色一つ変えずになんて事ない風に言う。
「大した事ないって……お侍さん、アンタ一体何者だよッ!?」
「拙者でござるか? 拙者はイナバ――」
そう言って絶世の美剣士イナバは、長い髪を揺らしてスカッと爽やかな侍スマイルで笑った。
『剣聖のイナバ』でござる」
「やだ! この人、カッコイイッ!」
美剣士イナバのクールなカッコよさに触れたヒーラーの少年が、思わず胸をときめかせる。
「ん? 今何か言ったでござるか? ところで、少年。君の名は?」
自分をまるで憧れのロックスターでも見る様な目つきで見つめて来るヒーラーの少年に、美剣士イナバが凛とした態度で爽やかに話しかける。
「あっ! お、俺はシンタローって言いますっ! 最近ゲームを始めたばっかの初心者ですっ!」
シンタローと名乗った少年は、高レベルプレイヤーであるイナバとの次元の違いを感じて緊張でもしているのか、少しどもってしまっていた。
そんな少年の緊張している様子を見たイナバは、彼の緊張を解くべく、フランクな態度で新しい話題を振ってあげた。
「シンタロー君か、いい名前でござるな。ところで、君はこんな所で何をしていたのでござるかな?」
自分と同じように美しい景色を楽しんでいたのだとすれば、ちょっとした馬鹿話に花を咲かせられると思ったイナバが、そんな話題を振る。
「あ、はい。この湖に隠しレイドボスがいるって情報を手に入れたので、大量に買い込んだ爆弾でダイナマイト漁をしていましたっ!」
イナバの問いかけに、ヒーラーの少年が、めっちゃいい笑顔で超物騒な答えを返した。
「ファッ!? 頭おかしいでござるよ!」
ヒーラーの少年のとんでもない答えに、思わず素でツッコんでしまうイナバだった。
「それじゃあ、お侍さん。アナタの超絶チートスキルで、追加であと八匹水龍を倒してくれませんか?」
ヒーラーの少年がそう言うなり、湖から八匹の水龍が一斉に飛び出して来た。
「……え? 嘘、八匹同時でござるか……?」
思ってもみなかった緊急事態に、イナバが思わず苦笑いする。
「なんでも、このレイドボスに殺されると、神様の生贄に捧げられたって事になって、キャラデリされちゃうらしいから、気を付けてくださいねーっ!」
水龍が現れるなり、ヒーラーの少年が猛ダッシュで逃げ出した。
「おいぃぃぃーっ! お主、とんでもない事に巻き込んでくれたなぁぁぁーッ!」
この珍妙な出会いが、後の相棒・シンタローとの初めての邂逅であった。




