第16話 先生を誘ういけない教え子
食事の間、真太郎はアダーから、色々とこの世界の情報を仕入れた。
ここはゲームそっくりの世界だが、ゲームと違って食事が必要らしい。
そして、食事があるならば当然、排泄も必要だった。
だが、これはさほど問題にはならないだろう、勇者ゲームはやたらと作り込まれていて、家や街の公共施設に必ずトイレがあるぐらいだったのだから、この世界でもトイレは存在するだろう。万が一なくても、男の真太郎はどうとでもなる。
杞憂なのは、むしろ食事の方だ。
アダーの話によれば、この世界の食事はマズいらしい。
思い起こせば、先程の屋台で買った黒パンのサンドイッチは、やたらと味が薄くてお世辞にも美味いとは言えなかった。それに、味はともかくとして、この世界で食用になる食べ物が何かが、まだ全く分からない。
それはアダーも同じらしく、とりあえず現地の人間達が食べている物を食べながら色々と探っているようだ。
食事に続いて、睡眠が必要な事も判明した。
この世界でのプレイヤー達の肉体は、現実の肉体と違って、やたらと頑丈らしい。アダーの話によれば、戦闘系の職業ならば、一日中街を走り回っても全く疲れもしないとか。戦闘職に体力面で劣る魔法系や生産系の職業ですら、驚くほどタフになっているという。
しかも物の話によれば、生まれてからこの方、箸以外の重いものを持った事の無い様なお嬢様が、アスリート並みの体力になっているとかいないとか。
勿論、タフになったからといって、疲労やそれに伴う睡眠と無縁かといえば、全くそんな事はないようだ。そこら辺は従来通り、動き回って疲れれば、しっかりと眠くなるらしい。
現に真太郎は、ゲームの世界に異世界転移なんていう発狂寸前の状況下での連戦によって心身共に疲れ切っており、かなり眠くなってきていた。
「真太郎、今日は疲れただろう。宿屋をとってある、今日はもう休みたまえ」
真太郎の瞼が重くなって来た事に気付いたアダーが、弟思いの姉の様に優しく声をかける。
「……宿屋?」
食後のまったりとした雰囲気の中、ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れた真太郎が、半分うとうとしながら尋ねる。
「この店の向かいの宿屋に四つ部屋を取ってあるから、今日はそこに泊りなよ」
真太郎が来る事を見越して先に宿屋を手配していたアダーは、出来る女だった。
「……手間をかけるね」
アダーに礼を言った真太郎が、ボーっとした目でうつらうつらと天井を見つめる。完全に眠気にやられているようだ。
「気にするな、キミは教え子だ。教え子の面倒を見るぐらいどうって事ないよ」
「食事に宿まで……いたせりつくせりで、感謝の極みでござるっ!」
この世界に来て初めて触れた人の優しさに、イナバが思わず感涙にむせぶ。
「ギルマスは、この世界でも面倒見がいいんだな。俺は、面倒をかけてばかりだ……」
ゲーム時代からずっとアダーの世話になっていた刹那が、不甲斐ない自分を思ってしゅんとする。
「二人とも気にしなくていいよ、ボクはキミたちのギルマスなんだ。ギルメンの面倒を見るのは当然だよ」
「ギルメンじゃない赤の他人の癖に、いきなり押しかけちゃって、やっぱり迷惑だったですよね……?」
アダーの言葉を勘違いしたみこが、申し訳なさそうに上目遣いで尋ねる。
「おっと、誤解させるような事を言ってしまったね。みこちゃん、気にしなくていいよ。困った時はお互い様さ」
アダーは王子様の様に爽やかに笑ってそう言うと、椅子からすっと立ち上がり店のドアを開けた。
「皆、色々と大変な目に遭って、今日はとっても疲れただろう、宿屋で休むといい。予約を取った宿屋は、ボクの所有物だから、ここと一緒で安全な場所だよ。安心してゆっくりと休みたまえ――って、真太郎はもう寝ているのか。まったくしょうがない奴だな」
睡魔の誘惑に負けた真太郎が机に突っ伏して寝ているのを発見したアダーが、呆れて肩をすくめる。
「真太郎は、ボクが後で宿屋に連れていくから、三人は先に行っていてくれ」
アダーがそう言うと、イナバと刹那とみこは、真太郎を残して宿屋に向かった。
三人とも真太郎と同じく疲れ切っていたのだから、当然だろう。
「明日の朝、また連絡するよ、今後の事を話そう。それじゃあ、また明日」
イナバと刹那とみこは、アダーの言葉にうなずき返すと、眠たげな顔で宿屋に入っていった。
「さて、と。手のかかる教え子を送って行ってあげようかな」
二人を見送ったアダーは店に戻ると、居眠りしている真太郎の肩に手を伸ばした。
すると、彼女の手が触れる寸での所で、真太郎がむくりと顔を上げた。
「なんだい、真太郎。起きていたのかい?」
「……アダー。これから、俺と一緒に街の外に来てくれないか?」
何を思ったか、真太郎が急に真顔で妙な事を言い出す。
「ん? なんだいそれは? みんながいなくなった瞬間、どうしたんだい? ボクにエッチな事でもするつもりかい?」
切れ長の目を細めたアダーが、からかう様な目つきで大人な振舞いをする。
「それもいいね。だけど、それとは別にやりたい事があるんだ」
「やりたい事っていうのは何かな? あまりアブノーマルなのはごめんだよ?」
「さっきの『宿題の答え』の答え合わせだよ」
冗談に一切付き合わない真太郎の真剣な目つきから、アダーは彼の妙な言葉が冗談やセクハラではない事を瞬時に悟って、おちゃらけを止めた。
「本当は詳しい事を話して聞かせて、そしてアダーが納得した上で、一緒に来てほしいけど……。それをここでする事は、俺の計画がダメになるので、残念ながら出来ないんだ。ごめんよ」
「なんだいそれは? 要領を得ないにも程があるよ」
妙な事を言う真太郎に呆れたアダーが、困り顔で肩をすくめる。
「俺はアダーと『二人っきり』で話がしたいんだ。だから、『ここ』では出来ないんだよ」
真太郎はアダーの顔をじっと見ながらそう言うと、おもむろに天井を指さした。
「……気付いていたのかい?」
隠し事がバレたかの様に苦笑いしたアダーが、目を細めて真太郎に尋ねる。
「俺の座ってる場所から厨房が見えるんだけど、シチューの鍋がデカ過ぎ、あれ何十人分なの? それに、天井から数人分の足音とヒソヒソ声が聞こえるよ」
自分達以外にも複数の人間がこの店の中にいるという事実を、特に感情を込めずにただ淡々とアダーに告げる真太郎だった。
「真太郎の気のせいじゃないのかな? きっと疲れているんだよ」
「この事については、別に何も言うつもりはないよ。俺はアダー……いや、なつき先生の事を、この世界でも現実と変わらず信頼しているからね。たとえ、なつき先生が、俺の事を本当は信頼なんてしていなくて、『本当の仲間』に陰ながら身を守らせていたとしてもね」
何も言わないとかいいつつも、遠回しに責めるいやらしい真太郎だった。
そんな真太郎の敵対的な態度を見たアダーが、気まずそうな顔で黙り込む。
「お互いの事をよく理解していて、相手に余計な気遣いをせずに本音が語れて、喧嘩の後の沈黙も苦にならない。そんななつき先生だからこそ、俺は全てを話せるんだよねぇ。それ以外は、ダメ。ゲームでいくら仲良かった師匠でもダメ、チュウなんてもっての他。知り合ったばかりのみこちゃんならば猶の事――俺にはなつき先生しかいないんだよ、俺が本音で語れるなつき先生はさ」
「ボクの本名を連呼する時は、ボクをおちょっくている時だったよね?」
肝心な所で話をはぐらかした真太郎に、アダーが冷静にツッコミを入れる。
「どうだったかな? さて、俺は先に行ってるよ。あっ、行先を言ってなかったね。行先は、街の正門からちょっと歩くと廃屋があるでしょ、あそこ」
真太郎はそう告げると、すっかり目が覚めた様子でしゃきしゃきと歩き始めた。
「こら! 一方的に話を決めるんじゃないっ!」
真太郎に振り回されるアダーが、思わず声を荒げて彼を引き留める。
「可愛い教え子の頼みなんだから、優しいなつき先生は、勿論聞いてくれるよね? んじゃ、待ってるよ」
ニコリと笑ってそう言った真太郎は、それ以上は何も言わずに立ち去ってしまった。
真太郎の姿が店から消えるなり、二階から剣や弓などの物騒な獲物を持った女の子達がぞろぞろと姿を現した。
「皆、心配しなくてもいいよ。問題は何もない、状況はボクの支配下だ」
アダーは、不安げな顔で自分を見つめて来る女の子達を、涼やかな声で素早く落ち着かせた。
彼女達が静まるなり、アダーが嬉しそうにクスリと微笑む。
「……ふっ。このボクをたぶらかそうだなんて、まったく真太郎は可愛い奴だなぁ。てっきり出来損ないだと思っていたけれど、なかなかボク好みに育ってきたじゃあないか」




