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作家画家  作者: 間楽面明
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タイトル未定

 

    プロローグ

 

 私は文章を愛する。

 そんな戯言は一度も言ったことが無い。いや、今はじめて言った。

 ちなみに私は作家ではない。

 画家だ。




























 第一生:タイトル未定


 生まれてすぐに職業が決まる。そんなSFみたいな世界が実在している。未来でも過去でもない。私がいる今この時だ。

 だれにでも分かるときが来る。いつだかは忘れた。二十歳にまもなくなるそんな時、私は小説家になっていた。ならされたと言うべきかもしれない。rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr



 ツツー。ツー。ツチィー。ピピピピピピピピピピピ――――


「くそう!」

 俺は目の前にある花瓶とペン立てを払いのけた。耳障りな音を立てて割れることを一瞬心のどこかで期待したのに、鈍い音だけをフローリングの床に響かせて花瓶は落ちた。

 机の上に散らばる資料もすべて舞うように払いのけるが、ホッチキスで止められており、舞わずに床に落ちる。

 でもやっぱり、さっきエラー音を出していたノートパソコンを壊す勇気までは無かった。

「すべて裏目かよ!」

 作家になって数年。私はまだ一度もヒット作というものを作っていない。それだけならまだいい。自分が大好きでやまない人間も、自分が大嫌いな人間模様も一切かけてないのだ。自画自賛も出来やしない。

 世界は苛立ちに満ちている。そんなことを描きたかったのに、気づけば口車に乗せられて少女が少年を好きになるなんて話を無理やり書かなければ金が入ってこない状況だった。

「うるせーよ!」

 同居人の荒鮫幸喜あらざめこうきが激怒をぶつけてきた。

 ルームシェアをすれば作品も見せ合えるし、家賃も安くなるからいいだろいう。

 なんて、馬鹿じゃないか。それを考えている人間にまず言いたい。そいつが常識人であるかをまず見極めろ。荒鮫は駄目だ、まずこいつは除外しろ!

「うるせーじゃねーよ! 描けないんだ!」

「あぁ!? 俺に関係ないだろ!」

「諦めた野郎が何言ってやがる」

「うるせぇ、夢見がちな夢子ちゃんなお前にいつまでたっても現実は見えねーよ」

「現実が見えないだ? 掃除も片付けも締め切りも何一つ完遂できないお前が何偉そうに言ってんだ。文句があるならまずやれ!」

「お前だっていま散らかしてんじゃねーかよ!」

「今だけだろ! てめーはコップの水をこぼした事が一度も無いって言うのかよ!」

「っはん、言ってろ!」

 そう言って荒鮫は出て行った。

 彼とは3DKの部屋を借りて一緒に住んでいる。五年ほど前のある夏、偶然通りかかった母校の前をこいつも歩いていた。作家になりたい、そういってお互い何年も苦悩する中だったためすぐに意気投合した。

 もう一人の同居人もいるが、彼はどうもコミュニケーションをとりたがらないし、まあ住んでるだけなら気にしないからいいとしよう。彼女もいないのにあえぎ声が聞こえてくるのはきっとアダルトでエッチなビデオを見てるからだろうしな。うん。そうに違いない。

 それはそうと、とにかく荒鮫はひどい。何がひどいって、さっきの会話にも出したが掃除をしないし、掃除をするといったら約束は破るし、俺たちが掃除をしてもあまり感謝した態度もとらなく当たり前のようにすごす。さらに言えば同じ小説家を目指す身として、絶対にやってはならないと自負している締め切りを破るなんてことを平気で行うし、俺のモチベーションを下げるような行為をいくらでもやってくる。そして、俺が小説家になれたときだって。

猫実ねこざねがそんなに時間かかったなら俺は一生なれないからいいや」

 などと言って投げ出した始末だ。まったく持ってふざけていやがる。

 どれぐらいふざけているかって言えば、そうだな。飛行機に冷凍マグロをくくりつけて飛ばします、なんて突拍子も無いことを述べるぐらいふざけてやがるんだ。

 しかも、部屋が汚いせいで、壁一枚でつながっている俺の部屋にゴキブリは沸く。

 あえて公言しておこう、俺は虫が大ッッッ嫌いだ。この世から消滅して、花粉の受粉作業は風がすべて行えばいいのに、と思うぐらいだ。花粉症だが、虫がいなくなるのであればそれぐらいの苦痛はいとわない所存である。

 そんな汚部屋に住んでいる荒鮫は現在コンビニの店長だ。店長といっても名ばかりで、昔俺がバイトで一緒であったこともあり意見を何回も求めてくる。いや、仕事を押し付けてくるの方が正しい表現なのかもしれないという程に何回も言ってくるのだ。

 ノックの音がする。

「忘れてた、猫鮫。この新商品だけどさ」

「五月蝿い。自分でやれ」

「無理だって、俺補助ないとできないし」

「あー、分かった分かった。一回コピーして自分でこんな感じかなってやってみろ。そしたら意見入れてやるからよ」

「めんどくさい」

「うぜー、やれ」

 そういうと、とぼとぼと荒鮫は出て行った。

 時々疑問に思うのだが、彼の喧嘩をして仲直りをするという行動が抜けているのはなぜだろう。毎回何事も無かったかのように俺に言ってくる。仕事とプライベートは分けているの、というOL女子三十路過ぎましたみたいな尼が言っている内容とは違い、完全にプライベートだろうが仕事だろうが喧嘩の後は仲直りしないのである。俺みたいな性格でなければきっと彼についてこれる人間は少ないだろう。アルバイトだって彼が店長になってから何人辞めた事か。

 戯言を考えている場合じゃない。今は小説の内容について考えねば。

 テキトウに走り書きをしてみたものの、勝手に職業が決まる世界って何よ? あれか、あれだろ、親の仕事を継いでますよ的な世界だろ。もしくはAIが勝手に決めてそれしかできましぇーんみたいな。糞だな。書き直し。

 しっかしまあ、すぐにネタが思いつかない。やっぱり俺はこの職業向いてなかったのかなぁ。

 ノオオォウ! ネガティブモード発動しちまったぜ。

 そうだよ、これがいけないんだ。荒鮫と一緒にいると俺がどうしもネガティブな発想を抱いちまう。だから小説が進まないんだ。俺のせいっちゃ俺のせいだけど、やっぱりちゃんと仕事として引き受けているのだから、前向きな心持でやりたいものですもの。

 そうだ、変なことを考えよう。

 厭らしい事じゃないよ。健全で爽快な変なこと。

 例えばドラム式洗濯機にレンガをぶち込んでぶっ壊すとか。なんかそんな動画があったな、YouTubeとかで掲載されていたのを偶然見た気がする。あんなのアメリカみたいな広い土地の国じゃなきゃ出来ない。日本でやったら騒音やら場所の確保やらが出来ない……しまった都会人的な考え方になっていた。そうだよ、田舎だったら全然出来るじゃないか。そりゃ、少しは弊害もあるけれど、広い庭付きの一戸建てを持ってる家庭がたくさんあるのだから日本でも出来るに決まってる。そうに違いない。そうだよ、そうであって。

 しかし、ドラム式洗濯機にレンガをぶち込む話なんて作ったところでウケるわけが無いものね。そうだよ、今や小説はネタ勝負の時代になってしまってるんですよ。

 たまにはまったく捻ってない超直球のネタもあっていいと思うんですよね。少年がバーンっと登場して、ドカーンと敵を倒して、ヒロインとズキューンみたいな。でもそれをやったって今はそんな作品満ち溢れてるから読者は満足しないし、俺たちだって作って満足できない。

 きっと作家には、作品を作って満足する人間と、作品を読まれて満足する人間と、作品を作ったお金で満足する人間の三種類がいて、一番ヒット作を作りやすいのは最後の人だと思うんだよ。お金で満足できるなら、どんな内容だって描けるし書ける。そうしたら時代の波に乗ってヒット作ざくざく作り上げれるものね。大ヒットまでは狙えないかもしれないけど、読者をあきさせない工夫がこなせるようになるだろうし。

 よーし、ネタに詰まった。こんなときは外に出よう。今十一月で真冬直前だけど、海にでも入ってこようかね。いや、絶対風邪引いて執筆どころじゃなくなるからやめよう。

 風邪で思い出した、荒鮫は自分のこと鋼鉄の胃袋とか言ってたな。実際賞味期限が二週間前の牛乳を飲んでるし、そんなに弱いわけじゃないだろうけど鋼鉄じゃないだろう。

 いや、ひょっとしたら人造人間になっているのかもしれない。人造人間ならすごいぞ、ネタになる。というか、人造人間店長って最高じゃないか。

 こうなってしまったら書くしかないな。人造人間店長。


 ☆☆☆


「おい! 貴様! 万引きをするな!」

「ッキー!」

「悪の軍団軽犯罪団か!」

「ッキー!」

「どこのショッカーなんだ! そんな著作権に触れるギリギリの掛け声で私を困らせるな! このコンビニでは取り扱うことが出来ないキャメーンライダーの著作物をまねするでない!」

「ッキー! ッキー!」

「やめろおぉおおぉぉおおう!!!」

「ッキー! ッキー!」

「やめてくれ、俺のクビが飛ぶ! やめろ、やめるんだ! 家族が養えなくなる! 八歳の娘がいるんだ、お前たちやめてくれ」

「っきぃ……」

「ありがとう、ありがとう」

「ッキー」

「分かった、レジの金も渡す。その万引きも見逃す。だらか、もう言わないでくれ」

「ッキー!」

 そうして、コンビニの平和は乱された……果たして、人造人間店長は今後どうすのか、悪の軍団軽犯罪軍団に立ち向かう気力をうしなってしまttttttttttttttttttttttttttt


 ☆☆☆


 ――――だめだ。こんなの無いよ。俺には書けない。

 書けない事もないけど、こんな社会の構造に弱い人造人間店長なんて嫌だよ!

 絶対雇われ店長だよ! オーナーか本社の重圧に負けて店長が屈服した後、人造人間になっちゃったけど生かせる場がないからなんとなくコンビニで戦うことになっちゃっただけだよ絶対。昔のドラマだったら許されるかもしれないけど、設定厨とか言われる人たちが読者にいるこの世の中ではヒットさせられないよ!

 まったくやりにくいぜこの世の中!

 くそー人造人間店長は駄目なのか。絶対新進気鋭で斬新な設定だと思ったのによう。

 こうなったら俺の趣味のフルスロットロルを解放するしかないのか。

 と思うものの何も無いのが現実なんだよな。無趣味が趣味みたいな生き方をしてきたせいで、趣味を持つという行為を完全に忘却していたんだった。無趣味だからこそ生み出せるものはないだろうか……生み出すきっかけも材料も資材も無いんだ。

 趣味は大切ですねー。これが仕事につながるんですもの、何でもやってみるモンです。

 あっ! そうだった、俺の趣味はこれじゃないか。分からないことがあったらなんでもとりあえずやってみる! これしかないっすよ!

 まず分からないことって何だろうね。そうだな、女の子の服装が分からないから女装してみようかな。女装ってどうすればいいんだろう、はじめに女の子の服を着るって言ったって俺の身長は百七十後半で、それなりにガタイもいいので普通に買いに行って入る服が見つかるとは思えない。しかも、普通の服を着るだけじゃ女装のレベルが低すぎる。化粧だって勉強しなければならないな。ほほの色を染める方法であったり、しわを隠す方法であったり。

 とにかく行動するしかない。まずはどこへ行く。そうだ、コンビニで化粧品を漁ろう。

 隣の部屋の扉を開ける。

「おい、荒鮫」

 やっぱこう言う時は、店長に言うのが一番早いな。

「あい?」

「化粧品で廃棄だしてくれ」

「無理」

「そこを何とか」

「だってそれ俺の買取とほとんどかわらねーもん。俺が責任とって給料天引きされちまうよ」

 うぐぁ、そうなのか。ずっとバイトだったから知らなかったぜ。

「まじかよ、人造人間店長ならなんとかなるだろ!」

「はぁ? 何言ってんだ?」

「何って、お前鋼鉄の胃袋だから改造人間になって人造人間になったそんな店長だろ?」

「人造人間って事は俺一回消えてなくなった上で、新たに作られたって事かよ」

「っは!!!」

「いまさら気づいてもおせーよ! つか、ギャグ言うならもっと笑えるギャグにしろって」

「ダレガ ウマイ コト ヲ」

「言ってない。というか今のどこに上手い要素があった」

「お前の次にいう言葉は、それも含めて冗談だろう! だ!」

「それも含めて冗談だろう! っは! って、ジョルノ・ジョースターにあこがれすぎなんだよ馬鹿野郎が!」

 こちらから話を振ったが無視しておこう。ひとまず彼の部屋の扉を、苦笑いをさらにしわくちゃにしたようなあたかも冗談を言ってますという顔をして、閉めることにした。当然のように相手もやってきた。

 扉を閉めて何かレスポンスがあるかもしれないと、五秒ほど立ち止まったが何もなかったので部屋に戻って次に何をするべきなのかを考えてみる。

 女装をするのには、まず化粧品や衣装のほかに何がいるのだろう。

 今まで女性を見る目は性的な目でばかりであったため、下着ぐらいしか想像がつかない。

「これはヤバイ」

 ついつい、そんなことを口にもらしてしまうほどだ。

 そんなことより忘れていた。外に出てアイディアを生み出さなければ。思いついたことがあると作りたくなるから他の事忘れちゃうんだよね。あれ、今のアイディア出てたって事だからもう外に出なくてもいいんじゃないか。

 いや、もう出るって決めたんだ、何かしらのこじ付けをつけよう。そうだ、女の子に直撃取材で女装をするには何をすればいいと思いますかって聞いてこよう。見知らぬ人に、通りすがりの人に、そんな風に聞く変態さんになってこよう。

 うわぁ、想像するなり痛い人だ。通報されませんように。

 服装だけはまともな服装に着替えて、そういった服装はもちろんスーツだけど。十一月にリクルートスーツだけで出て行くとなると、相当不憫な思いをしそうだ。かといって上に羽織るものもないので、Tシャツを二枚着けて出た。

「とうとう就活でもすんのかよ」

「いや、俺もう小説家やん?」

「店長の私が雇ってあげよう」

「いや、だから俺もう小説家やん?」

「自給は二十四時間どの時間も千円でいいな」

「いや、だからさ。もう俺小説家やねん」

「面接するから今から部屋に来なさい」

「いってきます」

「いってらっしゃい」

 スルーしてお出かけだ。

 家を出て数分歩くと駅前だ。時々テレビに出るような駅といえば聞こえが良いが、ただ事件やらなんやらでローカルテレビで取り上げやすい場所にあるってだけの駅だ。なので、電車に乗って少し街中まで行くことにした。

 電車に乗ると、それなりに人が居て座れなかった。もちろん日本人ならたいていこの場所に行きたがるという、扉の前のいすの横を占拠。周囲を見回してみる。

 するとどうだろうか。女性がいるではないか。ただ、ぱっとしない女性だ。スカートとヒールを履いていて、上はほのかに暖かそうなダウンを着ている。髪は長く黒髪。手にはアイフォン。よくある服装だからパッとしないのだろうか。

 いや待て、違う。色味だ。

 ダウンの色は茶色で落ち着いた良い色なのだが、隣に座っている中年の男性のコートとお揃いといってもいいかもしれないレベルの色の類似が起きている。つまり、女性を華やかに見せるためには多少ピーキーな色の使い方をするべきなのだろう。

 ふと思えば確かにそうだ。思い当たる節が多い。たとえば近年のライトノベルの表紙を一例としてあげるとすれば間違いなくそれが当てはまる。緑色の毛ってなんだ。実際いたら絶対気味が悪いに違いない。しかーし、しかしだ。普通に可愛い絵が描かれているじゃないか。陰毛まで緑色なのが見えるぐらいなのに、とても可憐で弱弱しいのに生きている感じがする絵が描かれているのだ!

 女装をするのにまた一歩近づいた。色合いを気をつける。ただし色相については未定ですが。

 ほかの女性を見ているとふと気がついたことがあった。電車の中の空間はとても気持ちが悪いということだ。人がこんなに居るのに話している人はいないし、かといってキチンとしているかと言われればそういうわけではない。

 寝ている、携帯を触っている、音楽を聴いて音漏れも気にせず回りをイラつかせている、それぐらいの人しか居ないのだ。俺が回りを見回してボーっとしているのは間違いなのだろうか。そう思ってしまうぐらいだ。

 話をまた脱線させてしまうが、そもそもその間違いという発想は日本人らしいと俺は思う。日本人は短命でないのが不思議なぐらい周りに気を使っているのだ。上司からの命令は絶対の世の中あったり、部下が正論を言えば押しつぶされる世の中であったり、教師が生徒に気を使わなければいけない世の中であったり、生徒が教師を品定めするような世の中であったり。

 俺の知るこの世界は一体どうなっていやがる。

 本当に歯車のように働く人間しか居ないので、とっても気味が悪い世の中なのだ。

 昔読んだ小説で歯車になる喜びとか、自分が必要とされていることがいいといったものがあったな。確かにそうかもしれない。でもそれで満足しているうちはきっと了見が狭いんだと思うんだ。歯車として回っているうちは全体像が見えないだろう。たとえばそれが時計であったとして、歯車は時間を知ることができないのだ。どうせなら俺は時計を見る側になりたいね。歯車で満足するような人間じゃないさ。

『次はー。大手町―。大手町―。足元ご注意『次は、大手町。お出口は右側です』』

 車内アナウンスをさえぎるように、自動のアナウンスが流れた。きっとボタンを押し間違えたのだろう。

 東京駅に隣接する駅である、大手町で降りる。

 地方から来た当初、東京駅と大手町駅が分からなくてどうやって家に帰ればいいか分からなくなり結局感を頼りに歩いて帰ったのが懐かしい思い出だ。あの時は足が棒になった。

「すみませんっ」

 駅を降りて人ごみから外れて歩いていたら何かぶつけられた。

 感触は結構軟らかい物だ。アイスか?

「あぁっ! 染みになっちゃうかも」

「え……?」

 よく見れば、筆があたっていた。

 パステルカラーな緑色の絵の具が俺のスーツを汚す。

「俺のスーツが森林浴しちまってるじゃねーか! 染みになるの確実じゃん!」

「すみません! すみません!」

 謝ってくる人を見ると、白のつなぎを着ているが、色とりどりな跳ね返りの絵の具がついていて、きっと高尚なデザイナーさんだろうとお見受けした。

 すると、ぶつけてきた女性はこちらをしたからなめるように全身を見てから突然気がついたようにこう言った。

「あの……モデルやりますか?」

「何がどうしてそうなった」

 そういった彼女の目は輝いていた。前髪に少し隠れているが間違いない。

 おいおい、自称小説家からデビューを果たしたばかりの俺は次にモデルデビューってか? 俺の人生晴れ模様でござんすなぁ!

「私、画家なんです!」

「いや、言葉のキャッチボール出来ないの?」

「つ!」

「つ! って何!? せめてッッとかじゃないの! 新しい!」

「私の編み出した驚き方です!」

「初対面の相手になんてピーキーな言葉使ってんの! ついついボケ専門の俺がツッコミに回らざるをえない状況になっているじゃあないか!」

「つ! 私としたことが!」

「つ!」

「つ! なんて事、一瞬で使いこなされてしまった!」

「使い道がここしかねーじゃねーか! つかアンタ誰だよ!」

「え?」

「使わねーのかよ!」

「私は三國川です。パステルちゃんとでも呼んで頂戴」

「なんでパステルなんだよ!」

「知らない。今思いついた」

「絶対忘れるよね! つか、もうあんたと会うこと無いと思うけど!」

「今からモデルやられるんでしょ?」

「いーつっ俺がやるっていったよ!」

「つ! 今!」

「今更ながら言うが、三重の県庁所在地なんて連呼されても困る! つかそんな揚げ足を取られてもハイ今から行きますってなるもんかよ!」

「なるもんです!」

「ならねーよ!」

 途中から熱が入って喋ってしまった。なんだか荒鮫と一緒に住み始めた頃のテンションが高い時代を思い出させる女だ。

「おっかしーなぁ、私の崇高なプランではこのままちょっと若くてカッコイイお兄さんが、アトリエに来て暴走してエローい展開になるかと思ってたのに。絶対私のお腹に赤ちゃん孕ませてくると思ったのに。おっかしーなぁ」

「孕ませねーよ!!! なんッッもおかしくない!」

 しまった、今ここが駅の構内だって事を忘れていた。次の電車待ちの人たちで賑わい出したプラットホームで孕むだどうだのって話は場違いだった。

「もういい、行くからな。シャツ代ぐらい気しないからお前も行け」

 そう言って去ることにした。

「あっと、手が滑ります」

 そう言って、彼女は俺の顔面いっぱいに絵の具を塗りたくった。

「手が滑ったのじゃなくて、自立思考的に滑らせたのね」

「まあ、タイヘン。こんなに汚れてしまって、ワタシのアトリエにおいでませ、直ぐ近くですの。ささ、こちらへ」

「……」

「ささ、こちらへ」

「……」

「おいでませ」

「行くしか、無いのかよ……」

 周りの視線が痛い。ここで行かないとなると、後々警察とかに通報されていろいろと迷惑な展開が待っている気がする。この女、やりおる。

「ありがとうございます!」

 そういうと、抱きつくモーションまでとっておいて寸前のところで止めた。

「そこまでやったら絵の具ぐらい気にしないで抱きつけよ」

「性的なサービスは行っておりません」

「なんでそこは真面目に答えるんだ馬鹿野郎!」

 涙チョチョ切れちまうぜ。こんな女に俺がヘーコラ着いていかなきゃいけないこの状況、世の中どうにかしてやがる!

 彼女についていくと、改札を出るはずが反対側のプラットホームに来た。

 丁度電車も着たみたいだ。

「ささ、どうぞ」

「なんでだよ」

 問いに答えず、彼女は俺の腕を引っ張って電車に乗った。

 確かにこれでは俺が乗らなければ電車が発車出来ない。電車に乗る以外の選択肢として彼女を引き摺り下ろすしかできないが、緑色の顔をした野郎がそんな事をしたら間違いなく駅員さんが飛んでくる。

 苦渋を飲んで電車に乗った。

 電車に乗ったら乗ったでこれもまた恐怖するね。みんなしてこちらを睨んでくる。きっと睨んでいるつもりは無いのだろうけれど、俺に対する目線は尋常じゃない。

「お、おい。パステルさん。どこまで行くんだ」

「浦安」

「マジかよ。近くねーよ」

「電車に乗れば十五分で着くわ。ところでパステルさんって誰?」

「つ!」

 やっぱり忘れてるじゃねーか。

 つか、こいつの名前なんだっけ。護国寺だっけ、四国だっけ、あぁ、三だ。三國川だ。

「三國川さん、貴女はこんなに辱めるのが趣味なのですか」

「貴方に孕まされるよりいいわ」

 このアマ、さっきから言ってることがコロコロ変わる。

「そんな民法放送で放送が出来ないような言葉をチョイスしないでください。今電車内でしゃべっているのが俺達だけで、尚且つこんなはしたない状態の格好をしているのですよ」

「緑の顔って魅力的じゃない」

「んなわけねーよ! おっと、言葉遣いが荒れてしまいましたね」

「さっきからそゆ言い方気持ち悪いよ」

「あんたに言われたかねーんだよ!」

 もう。なんかこの女にやられましたよって空気を出すのをやめよう。めんどくさくなった。俺が痛い子みたいに見られるし。

 浦安に着くまでの短時間で一体何枚写メを撮られたのだろう。いや、この場合は撮られたというよりも許可無く撮影されているので、盗られたと記載するべきかもしれない。

 こういった時間はとっても長く感じられる。拷問にかけられたらきっと一生分その時間で過ごしているような気持ちになるのだろうか。今まさに拷問の一種にかけられている気分だが。

 浦安に到着して降りると、ようやく改札を出た。

「あれ、あんた金額やけに少ないわね」

 改札に表示されるパスモの残高金額と運賃を見た三國川はそう言った。

「あぁ、そりゃ行徳から三駅の浦安だったらそうなりますわな」

「あらま、それならお得じゃない」

「何がだよ! 大手町まで行ってそのままとんぼ返りしたようなもんじゃねーか」

「とんぼ返り、いい響きね」

「もういいです」

 ちょっと諦めたくなってくる。彼女は一体俺に対して何を求めているのか分からない。あえてもう一度強調すれば、無論さっぱり分からない。

「アトリエすぐつくよ」

 いつの間にか彼女の口調が砕けてきている。友達感覚か!

 駅を出て左に曲がって、大型スーパーの前をとおり十字路をいくつか行ったところを左に曲がって、右に曲がって、また左に……意外と遠くね?

「あの、なんかずっと恥さらしな状態なのですが一体いつ着くんですか」

「すぐじゃない」

「そんな肯定されても分かりません」

「そこ」

 そう言ってコンビニを指差した。

「あの、三國川さん、あそこはコンビニです」

「なんで私の名前知ってるの? ストーカーだった?」

「いいかげんにしろよー! さっき自分から名乗ったじゃねーか!」

「そう、モデルさんって気が荒いのね」

「アンタが怒らせてんだろ! つか、俺の名前は猫実です」

「ふーん」

「覚えろよ! 俺がわざわざ三國川って名前を覚えたのが馬鹿みたいじゃねーか!」

「はいはい、猫ちゃんさんね」

「わざとだろ! つか、コンビニの件は!? アトリエはどこだよ!」

「だからそこだって。猫ちゃんさんかわいいね、そんな焦っちゃって」

 長い髪をふわりとなびかせて、ニヒルな微笑を浮かべながら上目遣いで胸に付着した絵の具をなぞってきた。

 しまった。俺の女遍歴がないことがここでバレてしまう。こんな女に見透かされてたまるものか、とか思いたいのだがそうにもいかない。

 近くで見るとかわいいじゃねーかよ。

 くそぅ。

「ほら、入って」

 そう言ってコンビニの前につれてこられた。まだ店外なのに店員さんの視線が痛い。

 仕方なく自動ドアに向かおうとすると。

「そっちじゃない、上に決まってるじゃない」

「え、あ。そ、そんなこと言われなくても分かってます!」

 彼女にちょっと見とれていた。危ない危ない。こんなえたいの知れない女、藪をつついたら蛇が出てきたってぐらい危ない匂いがする。つか、ここまで着いてなんだけれど、アトリエに入っていいのだろうか。

 入った瞬間黒いスーツに身を包んだ外国人の大男にHEYとか言われて奥の部屋で書類を書かされて多額の借金を背負わなければならないような状況になりかねない。

「あ、あの。中には誰がいらっしゃるのですか」

 階段を上って三階、つまり最上階まで来て言うことじゃなかった。

「誰もいないわよ。私の家でもあるもの」

 鍵を開けて彼女はそういった。

 家?

 つまり、俺は女の子の家に意味も分からずお邪魔するわけですか。

 えーと、つまり? つまり? つまり、これって逆ナンって奴だったりするわけですか?

「お、おじゃまします」

 今の状態に気づいてしまったら少し緊張してきた。

 はじめから家に上げてるって事は間違いなくアレだよね。うん、アレだ。

 部屋に入ると、刺すような異臭が鼻腔を刺激する。

 玄関がちゃんとある。それなりに大きい部屋を借りているのはそこで把握できた。そして、玄関から廊下に繋がるであろう扉を開けると、そこには廊下ではなくコンクリート作りの壁にフローリングの床で大きい空間が広がっている。まるで建設途中のようだ。コンクリートの壁にフローリングがあるっていうのも不思議な雰囲気だ。

「すげっ」

 思わず声が漏れる。

「2LDKの部屋をぶち抜いて柱と建物に必要な部分以外はなくしてもらったの」

「金持ち……なのか?」

「絵がちょっと高値で沢山売れたときに買っただけよ」

「え、絵?」

「私は画家だって言ったじゃない」

 なんと、そういえば言ってたような。モデルって言葉の印象が強すぎててっきり雑誌の関連の人だと思い込んでいた。普段かかわる可能性がある人って言えばそんな人たちぐらいだからな。固定概念って恐ろしい。

 彼女は靴下を脱いで、洗濯機に放り投げた。そこそこ距離があったのでバラけて両方とも入らなかった。つか、洗面所もむき出しですか。

 余談。女の子が立って靴下を脱ぐ後姿ってエロい。

「さ、脱いで」

「うっ」

 覚悟を決めろ、男・猫実弘。ここで脱がなければ結構後悔する気がするぞ。

 そうだよ、これをすませればマンマ小説にできんじゃん。駅のプラットホームで出会った女の子と、突然のラブロマンスが起きて部屋に入ると彼女から誘ってくる。そして、二人は熱く燃え上がる。そんな官能小説みたいな、ね!

 いや、ちょっとまて。

 この場合脱ぐと、ただモデルをやらされるだけって可能性はないか。女の子に見られておったってる俺のピザの斜塔は、辱められるだけなのじゃないだろうか。今日は普段使わない辱めるなんて言葉を多用する日になってしまっているけど。

「何してるの、早く」

 どちらにせよ、脱ぐことは確定事項のようだ。

「え、もしかして恥ずかしいの?」

「ぅっ」

「猫ちゃん何歳なの?」

 笑いながらたずねてくる。

「に……二十四だ」

「で、童貞なの。そう。この華の女子高生が脱げって言ってるのに脱げないの」

「は? 女子高生?」

 やばい相手に見込まれた。これじゃ犯罪になっちまうかもしれない。

「年齢的には」

「……いくつだよ」

「十九」

「女子高生年齢過ぎてるじゃねーかよ!」

「通信制ならまだ女子高生で通るもん!」

「言葉を放つたび新鮮な答えをありがとう!」

「どういたしまして!」

 何だこの女は失礼にも程があるだろう!

 女子高生だと嘘をついた上に歳までごまかしてやがる。

「うるさい! 歳は十九ってのは本当だ!」

「おっと心の声がちょっと漏れてしまったみたいだ」

「ふん、猫ちゃんは子猫ちゃんなんだもんね」

「猫ちゃんじゃない、猫実だ」

「どーせ猫ちゃんの子猫ちゃんは生まれたての小さいまんまだろうしね。あんたなんかとヤッたりしないわよ」

 ぬぐぁ。小さくは……ないはずだ!

 だけど、反論するにも比較サイズなんて知らないから何も言えない……。

 くそぉう。泣きそうだ。

「反論無いって事は本当に小さいの? 笑える」

「笑うな」

「笑うわよ」

「なんてこったい」

 何かを少し察したのか、彼女も黙った。

「えっと。まあ、早く脱いでよ。絵の具落ちなくなっちゃう」

「絵の具? あ……ああ!!!」

 完全に忘れていた。顔にどっぷり付いてても途中から人目がなくなったせいで、感覚が麻痺してきていた。慣れって本当に恐ろしい。

 本当にツボに入ったのか、彼女は腹を抱えて声を出さないように笑っている。確かに緑色の絵の具を顔に塗られたら……今更だけど今どんな顔してんの?

「鏡見せてくれ」

「ククッ、ぇへっ? ップ いいよ。そこ」

「改めてみると笑える顔かよ!」

 むき出しの洗面所に設置されている鏡を見た。

「おいおい、なんて様だ。これじゃあ山寺広一さんが声をやっていて、超速回転をしながら別人格へと変身する仮面のアレみたいじゃないか」

「少し乾いてシワも意外とリアルに出てるじゃない。これならハロウィンはばっちりね!」

「あと十ヶ月ちょいこのままでいろっていうのか」

「それもいいかも」

「いやん、肌荒れしちゃう」

「気持ち悪いわね」

「うるせーわい」

 こらえるのを諦めたのか、彼女は笑い転げていた。そんなに面白い顔でもないと思うんだけどなぁ。こういうのがこの子のツボか、覚えておいたらまた笑わせられる。

 ……んー。いつの間にか、これから付き合いがあるように考えてしまってるんじゃないか。まあ、何か話してて悪い奴ではないようなので別にいいっちゃいいが。

「はい、シンナー」

「俺を有機溶剤中毒にする気か」

「何それ」

「シンナー吸ったら頭くらーってなる奴の強いバージョンみたいな……簡単に説明するのって意外と難しいのな」

「ふーん、で?」

「顔に塗れねーっての、ド阿呆って事」

「私はアホじゃないよ! アホなのは顔に緑色のアクリル絵の具塗りたくって――ブゥ」

「ツボに入りすぎたろ。改めて笑うな!」

 笑いすぎたせいで、足をびっこ引きながら彼女は洗面台とは逆のほうの角にあるシンクとガスコンロに立った。

 給湯器を使ってお湯をなべに入れて火をかける。

「煮立たせたお湯だったら落ちるでしょ」

「それだと大やけどだ」

「文句が多いのね」

「そのままのお湯でいいじゃないか」

「そうね、猫ちゃんに使うガス代のほうがもったいないかもしれなわ」

「てめえで付けておいてよく言うぜ」

 洗面器に移し変えたお湯を持ってきてフローリングの上に座った。

 気づけば自分でも気づかない間に、リラックスして座っていた。

 そうか、コレが詐欺の手口なのね。末恐ろしい子。

「さっきからてめえとかお前とか言うけど、私にだって名前あるんだからね」

「おいおい、さっきパステルちゃんとか呼んでほしいとか言ってたのに、呼んだら否定したじゃねーか。俺はどうすりゃいいんだよ」

「何その作り話、笑えない。パステルちゃんとかありえないわよ。画家を画材の名前で呼んだら紛らわし言ったらありゃしないわ。しかも私パステル滅多に使わないし。基本油絵の具だし!」

 割と真剣な目で言っている。こいつ、自分に都合の悪いことは忘れるタイプか。

「てか、まだ脱いでなかったの?」

「お、おぅ」

 やっぱり女性の前で上半身とは言え裸になるのは恥ずかしい。

 そうだよ、童貞だからね。それでいいだろ、それでよぅ。そんなんでよく作家になれたなとか言われても、そんなの知らんがな。なれちまったもんは仕方ない。

「はよ脱げ!」

「心の準備が」

「初体験の高校生女子か!」

「三國川さーん、ちょっとそれは刺さるなぁ、俺の心がズバーって切り裂かれる音が――」

「早くして」

 ちょっと怒っているみたいだ。

 真面目に心の準備が出来ていないが仕方ない、脱ぐか。

 ワイシャツを脱いで、仲間で染みたTシャツ二枚を脱ぐ。

 彼女は服をシンナーに付けながら話し出す。

 俺は少しずつ顔をきれいにして話しに答える。

「そんなに着てるの? 寒がりなんだね」

「そうか? 普通だと思うんだけど、もう十一月だし」

「私なんてほら、下着も付けてないよ」

「ぶぁああ、があ、だ、め、だろ!」

 彼女はつなぎのジッパーを首もとから少し下げて胸元まで開けて肩を露出する。

 白くてやわらかく、キメの細かい肌がうっすらと輝く。そして、鎖骨や肩の筋肉の付き方まで本当に女子という感じだ。

 今の家で男しか住んでいない状況で見る鎖骨とは違う、細く弱弱しいのに、しっかりと生きていると主張するような骨がそこにはあった。

 そして、筋肉だって普段見たいような華奢な肉体だ。普段お目にかかることが絶対にない薄っすらとした筋肉の付き方、コレが女性というものか。

 AVを見ているのとはわけが違う。少しはだけただけで目線を確実に奪う何かが彼女の肩にはあるのだ。

「ん、エロい目で見てる?」

「あ、いや、その……」

「猫ちゃんは童貞の子猫ちゃんだもんね、仕方ないかー」

 ついつい口元に手を当てて右下に目線を動かしてしまう。やましいことがあるわけじゃないのに、なんだかこう、言葉に言い表せない感情が俺をそうさせる。

 そうだよ、俺には女遍歴なんてもんは存在しないさ。

 小中高でバレンタイン、ゴールデンウィーク、クリスマスは全部男と過ごしたよ!

 あっと、ゲイ発言じゃないからな。五、六人で集まってバカ騒ぎをしながらカップルの邪魔をするっていう恒例行事がありましてですな。

 こんなことを思ってる場合じゃないのに、何を言い返せばいいのかやっぱり分からない。

 くそ、こんなことならデリヘルでも呼んで一回「チェンジ」と叫んでおけばよかった。いや駄目だ、男三人の家にデリヘルなんて呼んだら馬鹿にされるどころじゃ済まされない。せ、せめてキャバクラぐらい行っておくべきだったぜ。

 そうか、猫ちゃんなんて呼んでくるんだからこう言ってやろう。

「猫ちゃんだって肉食動物だぜ、まずは三國川のその肩舐めてエロぉ~い気持ちにしてから、その後おいしく体全部をたいらげちまうぜ」

 予想なんて立てていなかったが、意外な反応を示す。

「――――ッッッ! だだ、駄目に決まってるでしょ!」

 はだけた肩を埃が立つほど勢いよく隠して、女性特有の身を守るポーズをとった。内股で太ももに力を入れ、ひざを立てて座って胸を隠しながら両手で腕とは逆の肩を持つ。

「あ、いや。冗談だよ」

「当たり前じゃない!」

 赤面して唇を指で押さえながら右のほうを気にしている。いや、たぶん目のやり場に困って右をしきりに見ている、のほうが正しいのかもしれない。

 彼女を見て、あれほど俺に対して童貞だと馬鹿にしておきながら、そんなに男性経験が多いわけじゃないのだろうなと心のすみで思った。

 いやはや、しかし。ここで自分が男であることが妬ましい。なんでこのタイミングで女の子の部屋で二人っきり、しかも誰にも見つかる心配が無いなんて事を思ってしまうんだ。

 邪念を捨てて話をしようとしても、どこか少し緊張してしまう。

「そ、そういえば三國川さんは高校はどちらの出身で?」

「な、何その聞き方……」

 二人ともしゃべり方がぎこちなくなった。

 彼女は続けてこう言う。

「こ……高校なんて、行ってないけど。ずっと、絵画描いてたから……」

 もう一度顔を見ると、相変わらず右を見たままだが、赤面した顔からどこか遠くの憧れの存在をみるような顔へと一変している。

 地雷を踏んでしまったか。

 高校なんて、って言葉はこの子に使ってはいけないと悟った。

「そうなんだ、ずっと絵画ねぇ。ところで描いた絵が全然みあたらないけど、どこにあるんだよ?」

 辺りを見回すと、確かに画材が床に転がっていて、部屋中に画材の臭いが立ち込めているのだが、一枚も絵が見当たらない。

「全部売ったわ」

 その言葉は彼女がちゃんと仕事として絵を描いていることの証明であり、失敗作までも手元に置いておかないというプライドも含まれているように感じた。

「今度描くの見せてくれよ」

 こんな女二度と会いにくるもんかとまで最初に思っていたのに、自然とその言葉が出てきた。

 すると、彼女の顔はまた一変してニタついた。

「へえ、じゃあモデルやってくれるんだね」

「うっ。忘れてた」

「ありがと」

「俺はまだやるとは言ってな、いぜ」

 ありがと、と言った彼女の笑顔が屈託が無く意外とかわいいじゃん、なんて思ってしまって一瞬言葉に詰まった。

「約束ね」

「くそ、いいように言いやがって」

 なんだか胸の奥がこそばゆくなったので、右手で自分の頬を撫でるように掻いた。心を指で掻けたら気持ちが抑えられるのに、逆にもぞがしくなる気もしなくもないけど。

「そんなことより早く絵の具全部おとしなよ。かっこよくキメてもそんな汚れた顔じゃしまらないぞ、猫ちゃん!」

「え、マジかよ。まだ付いてた?」

 立ち上がり、鏡で顔を見直す。

 言われたとおり結構な量の絵の具がまだ顔に付着している。

 急いでもとの位置に座りなおし洗面器で顔を洗った。

「あ、タオル渡し忘れてた」

 そう言ってタオルをつなぎの中から取り出して渡してくる。最初から渡せよ。

「そうだよ、さっきからぬれっぱなしで寒い……ん、そんなに寒くねーな」

「床暖房だもん」

「くそ、金持ちめ」

「自分で稼いだお金でかったんですぅー」

「つ!」

「何それ、変なの」

「さっき三國川さんがやったことだろ!」

「あ、三國川さんじゃなくて咲でいいよ。三國川咲って名前だから」

 ちょ、ちょ、ちょっとまったー!

 何コレ、俺が書いてるラブコメじゃねーんだからよ、そんな女の子の名前を呼んでいいよなんて現実で起こって良いわけ?

 童貞二十四年の俺がそんな女の子の名前を呼べるわけないじゃないですかー。

「あ、いや。三國川でいんじゃない?」

「私、その名前嫌いなの」

「え、そういわれてもな」

「名前で呼ぶぐらいいいじゃない、猫ちゃんって私も呼んでるんだし」

 ちょっとまて、女の子が言う名前と男がムサーく言ってしまう名前とでは意味がまったく違うんだ。男に猫ちゃんなんて言われたらぶち殺してやるレベルのもんだぜ。

「それなら……」

 言葉を出したが何も考えてない。

「それなら?」

 ちょっと待ってくれー。そんなに見つめて俺をせかさないで!

「ね、猫」

「猫?」

「俺のこと猫ちゃんって呼んでるからワンコな」

 なんてネーミングセンスだ。俺の感性は肝心のところで働かない。仕事しろこんにゃろ。

「わかった!」

「で、また次呼んだら忘れてるんじゃないか、ワンコ」

「無いね! 忘れないって決めたら忘れないのが私だもん!」

「そうだな、逆に自分に都合が悪いことは全部忘れるのがワンコだもんな」

「えー。ナイナイ」

「ナイナイってのがナイナイ」

 これを5回続けた。馬鹿か。

「まあ、認めないけどね!」

「認めざるをえないけどな、パステルちゃんって呼んでとか言ってたし」

「言ってないって!」

 膨れた様子で怒った。

「ちょ、馬鹿。シンナーの瓶投げてんじゃねえよ」

「ふん」

「彼氏にのろける女子か!」

「違うよ! んなわけないでしょ、この私が!」

「っはん、どうだかな」

「ナイナイ……もう続けないでいいからね」

「分かってらぁ」

「あ。まだそこに付いてる」

 ワンコは身を乗り出してお湯を少し手ですくってから、俺の顔についた絵の具指でふき取った後タオルでを拭った。

 ええ、お気づきの方は居られるでしょうが勿論心拍数半端無くあがっておりますよ。女子と話すのが出来ないシャイな大人では決して無いし、女の子に近寄られるのを慣れていないわけでもない。満員電車とかでよく密着するしね。

 だけど、この二人だけの空間でってシチュエーションがいけない。

 これだから男って奴は。

「これでオッケー。モデルは今度やってもらうから帰っていいよ」

「上半身裸のままでか?」

「あ、もう自然体になりすぎて忘れてたよ」

「そんな馬鹿な」

「デッザンやればそういう感覚が身につくって」

 そういうものなのか? 絵の世界って怖いね。まあ、知らないから勿論否定する。

「んなわけあるか」

 彼女はワイシャツを返してきた。シンナーは速乾性に優れているようで、もう乾いている。だが、Tシャツを見ると黒かったTシャツは白く色落ちをしていた。

「ちょ、色落ちしてる」

「ア、ホントーダーア」

 ワンコめ、絶対途中で気づいてた。ひょっとして今まで態度がぎこちなくなったのって全部これのせいだったりするのか。

 そうだ、そうに違いない。俺みたいな男がこんな女の子にちょっとでも好意をもたれる訳がないもんな。

「~~っ、まぁいいや。どうせシャツ代ぐらい気にしないつもりだったしな」

「ネクタイとかはまだシンナー使ってないけど……」

「いいよ、捨てて。ジャケットについてなかったから気にしないさ」

「うーん、ごめんね」

 意外と申し訳なさそうにしている。意外って言ったら失礼かもしれないけども。

 色落ちしたシャツとワイシャツを着てジャケットを羽織り玄関へと向かう。

「じゃあ、今度モデルやってね!」

「くそ、まだ忘れてなかったか」

「そりゃ勿論! モデル探しに大手町まで行ったんだし!」

「連れ込むの前提だったのかよ!」

「うん!」

 薄々は感づいていたが彼女はあんまりにも無用心だ。たぶんこれで断ったら危険な男を連れ込みかねない。

 何かの縁だし、少しは守ってやらなければ男が廃る。

「だー。分かったよ。他のモデル探すときは一回声かけるって言うならやってやらぁ」

「今のところいらないから大丈夫。ありがと!」

「今回だけだからな」

「へいへーい」

 そう言って、少しスネた顔をしながら笑顔を作るという高等技術をして広い部屋の中をくるくると回転している。

「じゃあなワンコ」

「バイバイ、猫ちゃん」

 そうして、俺は彼女の家を出た。





 第二生:


「おかえりあなた、ご飯にする? お風呂にする? 

 それともゆ・で・た・ま・ご?」

「何だよ! 坂東英二かよ!」

「じゃあ、風呂の中で、ご飯とゆで卵を食べる?」

「ご飯とゆで卵は別ジャンルですか」

「別ベクトルよ」

 扉を開くと相も変わらず調子の良い事を並べるワンコがいた。

「じゃ、入って。描くよ」

「いやまて。俺は日程を聞きに来ただけだっての。ワンコが連絡先教えないからわざわざ編集との打ち合わせの後こっちに寄ったんじゃねーか」

 そう、都内某所で打ち合わせをした後彼女の家に一度立ち寄ったのだ。携帯のアドレスも、電話番号も何も聞かずに返されてしまったので来る以外の選択肢が無かった。

 女のアドレス聞きたいんだったらがんばれよって言う友人もいるだろうが、この場合はあえて言おう、一切の責任はワンコにある。なぜならば彼女からお願いしたのだから連絡先を教えるなどは常識だろう。

 いやしかし、彼女に常識が無いのはもうすでに分かりきっていたことなのにそれを予想できなかった自分の実力不足ということも十二分に考えられる……。

 ってことで、廃った男じゃいられまいと来た次第だ。

「ところであなた誰だっけ……たしか、えーと」

「あの甘いひと時を忘れるとはいい度胸だなワンコ」

「あ! そうそう、グリフォンさんだ!」

「何をどうしてそいうなった! 猫ちゃん猫ちゃんって言ってて一つもその要素残さずに、鷹の上半身で下半身はライオンな男に見えるのか! そうか、そんなに俺に襲われたいのか、確かに男は百獣の――――」

「分かってるわよ猫ちゃん。前よりなんかくどい言い方になったね」

「わざとやったにしては、わざとらしすぎやしないか」

 もう一度追記して言うと。彼女はあいも変わらずの調子で、前回と同じ様子だ。

「じゃ、早く入って。モデルやるんでしょ?」

 強引なやり口だ。これじゃまるで二千円の絵を十五万で売りつける詐欺師みたいだ。

「今日はやらなに! あっと噛んだ。やらない!」

「猫ちゃんはやっぱり猫ちゃんね。いいから入って」

 そういうと部屋の奥のほうに構えてあるキャンパスのほうへ行ってしまう。

 今日はモデルなんてやる気なかったんだけどなぁ。それより原稿が……。

 玄関でぼやけていても仕方が無いので、入っていくことにした。

 部屋に入ると前回同様空間を仕切るはずの壁が無かった。そして、荷物は一箇所にまとめるようにして床の隅においておく。

 椅子が用意されていたので、ひとまず座る。

 彼女はキャンパスの前に立ったまま何か作業をしている。

「なあ、ワンコ。俺は脱ぐべきなのか?」

「何それ、露出癖があるの?」

「前回の言葉を察してさらにそこから推察するにだな、フルヌードモデルを探していると思ったのだが」

「……」

「そうか、沈黙は是なりだぜ」

「……」

「さて、脱ぐか」

「……」

「ごめんなさい俺が悪うござんした」

「……」

「だぁあぁあぁああ! すみません、ほんと調子乗ってました! 露出癖なんてないし、そんな脱ぐだなんて恥ずかしいこと出来ない! もうお嫁にいけない!」

「うん、猫ちゃんはそれでよし!」

 何故だか分からないけれど、彼女の中の俺の像がゆがんでいる気がする。いや、彼女の見る世界自体がゆがんでいるのだろう。

 しかし、その考えは後に間違っていたと訂正せざるをえない。

 しかしもう一つある。お嫁にいけないといったが、あれは嘘だ。嫁じゃない、婿に行けないというべきであった。混乱をお招きして申し訳ございません。

 何にせよ前衛的な嘘をついて、彼女のご機嫌を取れたようでなによりだ。

「ところで、あんまり時間がないのだがどれぐらいで出来上がる?」

「四十時間だね!」

「ば・か・か! そんなに出来ないっての!」

「えー。だからわざわざ探しに行ったのにー。なんでー」

「こっちにも都合ってものがあるんだよ。原稿がおわらねえ」

「そんなの超速で終わらせて来てよ。出来るでしょ?」

「無理言うなよ! ようやくプロットが通ってなんとか書けるぜって喜んでたのに、しかもこれがヒットしなきゃ追い込まれるって言うのによ!」

「ふーん。じゃああれ書きなよ、ドラエもん」

「著作権無視ですかーい! あんたも著作物作る身なんだから著作権とか考えて仕事しようよ! なんてそんな古典的なミスをしてんの!」

「猫ちゃんなんかやっぱり今日くどいよ」

「編集と打ち合わせでぼろくそ言われてて気が立ってるだなんて、ワンコには決して言えない。言ったら絶対そこをつついてくる」

「ふーん。じゃあ、編集って言葉言わないでおくよ」

「そうやってきっと俺を追い込む算段を立ててるに違いない」

「昨日のバンゴハンはサシミにしたんだケドさ、あれオイシイね」

「片言になっているのも間違いない。彼女は俺の心をえぐる計算中だ」

「ショーユがウマウマーよ。きっと神様がカンガエタ料理ネ」

「本当に気を使っているように魅せて、突き落とす陰謀が見え透いているはずだ!」

「何、本当にえぐってほしいの、童貞クン?」

 編集との打ち合わせで抉り取られた心の表層を貫通して、深層まで消し飛ばすように彼女は俺の心を木っ端微塵に粉砕した。

 自称でも他称でも確かに俺は童貞かもしれないが、しかしながら他の追随を許さないこの鉄壁のイケメンフェイスで女の子をめろめろにしてきた記憶が、夢の中ではある。

 つまり、モテ無いであることは言うまでもないということだ。

 何を考えているんだ俺は、とっても恥ずかしいことを赤裸々に発表している気分だ。脈略もへったくれもありゃしない。

「何さ、黙ってふさぎ込んじゃって。やっぱり童貞坊ね……ねこ……ねこじゃらし? 名前忘れちゃった」

「何やらかっこいいこと言おうとして失敗したパターンが耳に入ってきたのは気のせいだろうか。ちなみに俺の名前は猫実だ。覚えておけ」

「チクショーコノヤローウ。オボエテロー!」

「八十年代を代表する悪役か! つか覚えておけ、にその返しは斬新だ!」

 思わず立ち上がってしまうほどの勢いで彼女に突っ込みを入れた。

「で。ひとまずこんな感じで手慣らしかな」

 俺が一切気にしていなかったキャンパスから、何かを取り上げた。どうやらキャンパスに張った布の上に一枚紙か何かを置いていたらしい。

 そう、気づかない間にどうやら彼女は俺をモデルに絵を描いていたようだ。ずっと同じ調子で会話をしていたので、どうにも腑に落ちないがそうなのだから仕方がない。

 そこには写真があった。

 いや、絵だった。

 いや、写真かと思うようなリアルな絵だ。

 ちょっとまて、こんな絵をものの数分で……書き上げたというのか……?

 一時間は経っていないぞ。

 ここに来て座ってぼーっとしていたら出来上がってんじゃないか。四十時間かかるってのは一体なににかかるって言うんだ?

「……微妙……」

 そう呟くとその絵を破り始めた。

「え、あ。おい。勿体ない……」

 口に出した瞬間に後悔した。きっと今彼女がしているのは俺が先日何度も行った文章を走り書きしてすぐに消すと同じ行為だという事を理解したからだ。

 きっと、納得がいかないとかそう言った物より、根本的に何か違うと言った感情が生まれてしまったのだろう。

「あ、今の欲しかった? ごめんねー」

「いや、いいんだ。すまん」

「……? 何落ち込んでんの? やっぱり欲しかったんでしょ? また描くよ」

「いやいや、気にしなくて良いって。それより俺は原稿に移りたくて仕方がないんだよ」

「ふーん、自分勝手なだけだったんだー」

「ワンコに言われたくないわ!」

 心配した俺が馬鹿だった、そう思わせやがって。さっきの顔見たら自分にかなせて見えてしまうんだよ。こんな広い部屋で一人で苦しみを飲みこむなんて、きっと辛いだろうに。

 ……仕方ない。

「悪い、今日は原稿書かなきゃいけないからもう帰るな」

「えー。ここで書いてよー。ねこちゃ~ん」

「猫なで声で言われても仕事をこんな所で出来ないよ」

「夫婦の間に隠し事は無しよ」

「とことん突拍子もないボケをかますな」

 肩をくすめて俺は笑わざるをえなかった。勿論苦笑だ。

 このまま座ったままでは帰るタイミングを無くしてしまうと気付き、立ち上がって打ち合わせの際に使ったプロットや企画書が入った安物の鞄と、上着を手に取る。

「で、次はいつ来ればいいの?」

 彼女の方を荷物を取りながら横目で見て俺は訊いた。

「五分後に来て」

「全力で遠慮させて頂こう」

「えー。えー。えー」

「電話で舎弟に焼きそばパン買ってこいって言うレベルじゃないか。そんなパシリしみたいな事をしてられるか!」

「ならしょうがないなぁ。明後日でいいよ」

 明後日……か。まあ、原稿書いていても多少なら余裕があるだろう。後々キツくなるかもしれないけれど、最初の方は詰める期間も必要だしな。

 打ち合わせも明後日は入ってなかったはずだし。うん。

「良し分かった。時間は昼過ぎでいいか?」

「うん。猫ちゃん大好き! 目をえぐって食べちゃいたいぐらい」

「最後の一文はセルフカットしておきます」

 そうして、彼女の家を出た。彼女はマンションの下までついて来て、見送って切れた。前回もなんだかんだで見送ってくれたし、そう言うところは常識あるんだよな。

 家まで二駅隣程度なので、歩いて帰る事にした。

 夕日に染まる空を見上げると、電線は無かった。都市開発が進み地下に電線が走っていると昔バイトしたコンビニでお客さんから聞いた気がする。

 家々の間に広がるあの線も、風景として見るにはとても情緒があるものだと俺は思うのだけれど、変わっていくのが世界ってもんだよな。


 夕日に伸びる影を追っていくと家に着いた。

 夕方の時間と言うのはすぐに終わり、空は青白く光りに包まれた夜となった。関東の夜は明るい。

「……ただいま」

「YOOOOU」

 洋風の挨拶(現地に行ったことが無いので本当にそうなのか分からないけれど)で出迎えをしてくれたのは荒鮫だ。

「なんだ、帰ってたのか」

「んだよ。居ちゃいけないってのかよ。丁度夕方の少女向けアニメが始まる時間なんだ」

「仕事は?」

「バイトに任せてきた。ようやくまともに使える奴が入ってきてくれて良かったぜ。これで俺のアニメ生活が安定する」

 これがきっと彼が夢を挫折した原因。自分のやりたい事が視聴であって、描く事ではない事が大きい。そして、何より遅筆だったのも一つの要因だ。

 俺は一日一万文字程度を普通に書いている。言われて気が付いたが速筆らしい。調子がいい時なんて三万文字ぐらいは余裕で書ける。

 比較例として、彼の速さを挙げよう。彼は一日五千文字を書けばいい方だと言う。仕事をしている知り合いにもそれぐらいの速さで仕事をしている人は多いが、それを毎日続けて書いているのが成り立っている一番の理由だと言える。

 正直彼が諦めてしまったのは共に切磋琢磨した仲間として、切ない気持ちは隠せない。

 継続は力なり、身に染みる一言だ。

 自室に入り、散らかっている自分の部屋を気にせずパソコンに向かい電源を付ける。

「よし……書くか……」

 電源が付くまでの時間で切り替える。

 今まで見えていた視界が狭まり、画面のみが見えてきた――――























   一章 彼女といる時間


「どうよ? まだ途中だけど面白いと思わん?」

「うーん……これってなにが面白いの?」

 ワンコはそう言って俺のコツコツと書きためた小説の原稿を放り投げて言った。

 A4のコピー用紙印刷した小説原稿はバラけて、絵具の飛び散った跡の沢山あるブルーシートの上に広がった。

「なんていうか、リアリティに欠けるね。まず私はしゃべってる間に写真みたいな絵をかけるみたいな、そんなに速筆じゃないわ」

「最初にそこに視点を置くのはやっぱり画家なんだな」

「多分こう、捻くれたところで伸び悩んでるんだけれどね」

「ふぅん、そんなものなのかね。俺はワンコの絵は上手いと思うんだけれどな」

 キャンパスに描かれた彼女の絵をイーゼル……キャンパスを置く台から持ちあげて覗きこんでみる。未完成だと言われたその絵は素人目から見たら完璧な絵のようにもみえる。描かれた僕の肖像画はあまりにもそっくりで鏡を見ている気分になる。(ただ実際の鏡を見たところで反転をしているのでちょっと違って見えるのだが)

「猫ちゃんはさ、私に出合い頭にペンキを塗られて周知にさらされる性癖があるの?」

「そんなアヴァンギャルドな性癖はあいにく持ち合わせてないよ。あれは……俺から見た君の変態性を如実に表現しようと思って書いただけさ」

「それにしては会話が成り立ってない気がするけれど、私はそんなに突拍子もない事ばかり並べる女の子だったのかしら?」

「今だって微妙に同じ並行列のようで、少しずれた話題展開をしたろう。僕はこれが時々気になっていたんだと思うよ」

「そうなのかしら、私には悪意しか受け取れなかったわ」

 ニヒルな笑顔を浮かべてそういう彼女は丸い椅子に座って足を組んだ後にそう言った。

「第一、この作中では私があなたに気を使われているようだったけれど、実際に面倒見てあげたのはどっちだったかしら?」

「ぅ……」

 俺は作品中でルームシェアの問題もヒーローのように手際よく解決して、そのままワンコの面倒まで見て行くぜ、みたいな妄想をしていたのだけれど――――実際のところは彼女にお世話になりっぱなしだった。

 ルームシェアをしていた時類は友を呼ぶというのだろうか、塵屑のような人間が集まってしまって俺以外の人間が家賃滞納という事になり、身一つで自分の住所と不動産屋にある書類の籍を抜いて彼女の家に転がり込んだのだ。

 もちろん夢であった女の子との同棲だったのだが、お世話になる身として手を出してしまって追い出されるわけにはいかないので献身的に家事をこなした執事のような状態で暮らしていた。

「こんな下らない物描くぐらいだったらもっと妄想力溢れた物が読みたいわ」

「それは何だ、俺がワンコを襲って食べちゃうような話か?」

「そんなカニバリズムチックな性癖も露見したいなんて、やっぱり猫ちゃんは露出狂……いや、露見狂だったのかしらね。汚らわしい」

 この発言で、やはり彼女が少しずれた発想を持っている事を確信した。

「いや、これは世間的に強姦とかそういった意味だぜ、お嬢さん?」

「へっ……?」

 ああ、そうだった。

 彼女は自分から発する下ネタには問題がないくせに、人から自分にかかわる下ネタを言われた時は恥ずかしがるのだ。

「にゃにをいってるにょかしら?(何をいっているのかしら)」

「あ、いや。すまん。妄想力溢れたねぇ……何かいいアドバイスはあるかい?」

 話題を変えて気を逸らさなければ、何だか俺が悪い事をしてしまった気分になる。

「えーと、えっと。そうね。今の流行りに乗っかるのなら、女の子が中心の物語の方がいいんじゃないかしら?」

「女の子が中心……ねぇ」

 彼女の言う事も一理ある。やはり読者ウケするのは少女の赤裸々な姿だ。お風呂の入浴シーンであったり、不慮の事故による胸や恥部の下着の露見、もしくは接触。

 と、あらかた固く難しく考えてみたものの、目の前にいる女性。ワンコ、三國川の容姿がすべて悪い。

 こいつでエロイことを考えてしまうのだ。

 先ほどの例えだって、勿論こんな発想がよぎるような駄男の俺だから出てきたのだと自負してしまうほどだ。ごく自然に出てしまうぐらいに駄男だ。

 作中にも書いたが、もう一度彼女の容姿を表現するのであれば。

 孤高の天使とでもたとえようか。小顔な顔には少し切れ長の瞳には長い睫毛がその存在感を際立たせている。シャープな骨格、フェイスラインは左右対称。小さい小鼻はその全体を優しくするが遠慮がちについている。唇……口そのものが小さいが軟らかそうだ。

 その可憐な顔立ちに見合う小柄で低身長な身体で、腰はくびれている。

 小ぶりな手で頬杖をつき、組んだ足の膝の上に肘を置いてあるアンニュイな雰囲気を醸し出して窓の外を見つめている。

 腰まで伸びた髪は、太陽光に当てられブロンドと言うには赤く、赤髪と言うには薄すぎる髪質を持っていた。

 俺が向けていた視線に気づいたのか、こちらに顔を向けて優しくも真の通った声で言う。

「何よ、じっと見つめちゃって気持ち悪い」

「悪かったな、オタクみたいな目つきをしていてよ」

「その半端に伸びた髪切ったら?」

 そう言われて気づいたが、鼻頭に届く手前まで前髪が伸びていた。

「切りに行く金があったら貯金しておくよ」

「それもそうね、いつまでも私の家に居られても……」

 彼女は目を一度逸らして、周りを見てからもう一度こちらを見てから言う。

「家政婦が居なくなるぐらいで私は困る事は無いわね」

「いや、初日の事思い出してから言えよ」

「ちょっと掃除しただけ……だったっけ?」

 俺は溜息だけを付いて、返答とする。

 彼女の家にお世話になる初日。俺はそれこそ業者張りの働きを見せて掃除をした。掃除と言うには聊か度が過ぎたものだったような気もする。

 床には読んで字のごとく、足の踏み場は無かった。ゴミをどかすと虫が湧いてくるほどだったので思い出したくもない。

 唯一綺麗になっていた部屋は彼女の創作部屋。作画部屋と呼ばれているこの部屋だった。

 部屋中にブルーシートを張ってあり、唯一露見している元の内装は扉の取っ手ぐらいだった。いや、窓や天井も今思えば見えている範囲か。

「虫が湧くほどのゴミ屋敷にまた逆戻りするに決まってるから、俺が居なくなったらちゃんとハウスクリーニングを定期的に頼むんだぞ」

「そ、そんなの必要ないもん」

 口を尖らせて言ってから、座っていた丸い板の張ってあるだけのパイプ椅子から離れて、扉を開けたままキッチンへと向かった。

 冷蔵庫から飲み物を取り出して、恐らくお茶であろう液体をコップに注ぐ音が聞える。

「あ、猫ちゃん。この後私個展の打ち合わせに行ってくるから、晩ご飯は八時ぐらいに食べれるようにしておいてよ。具だくさんなポトフが食べたいな」

「あー。分かったよ。もうちょっと小説の構成直したら作っておく」

「たまには一緒に食べる?」

「結婚後三年目の夫婦みたいな会話だな」

「そうね、まだ一緒に暮らして二ヶ月ぐらいなのにね」

「折角だしたまには一緒に食うよ。腕によりをかけて用意する」

「楽しみにしておくわ」

 微かに鼻歌らしき声が聞えた。

 俺は持ってきたノートPCだけが置いてある自室(元はゴミ置き場)に戻り小説を書くことにした。


 三十分ほどして彼女は出掛けた。先ほど言っていた打ち合わせだろう。

 心の奥の方に燻る何かが不安になって、彼女が出た後を見に行くと。不安的中、お茶は出しっぱなし、服は脱ぎっぱなし、そんな状態が広がっていた。

「多分ワンコには悪気も何もないんだろうなぁ」

 そう呟きながら片付けていく。

 そういえば、片付けをしているときに一番驚いたのは洗濯機の使い方を知らなった事だ。

 買ったは良いが、一度も使っておらず主要な服はクリーニングという贅沢極まりない生活をしていたらしい。下着は風呂に入った時に手洗いをしていたらしいが、それもどうかとやはり思ったのは印象深かった。

 部屋中に散らかった衣服を拾い集めると、パンツもブラジャーも落ちていた。

「一応男なんだから気を付けろよな……はぁ」

 それらもなるべく手で触れないようにするのが紳士だろう。途中で拾ったズポンを一枚手と下着の間に挟んで拾い上げる。

 彼女の顔写真と共に売ったら多分高く売れるんだろうな、似たようなパンツを買っておいておけば多分ばれないし。なんて間の差すような発想を彷彿とさせる下着なのだ。

 具体的に説明してしまうと……誰に向けて説明しているのか分からないけれど、具体的に説明しよう。それは、両端を紐で結ぶものだった。布地はあまりにも薄く、光にかざすと透けてしまうのではないだろうかと思えるピンク色の下着だ。そして脱ぎたてだ。布地の部分は前方から後方にかけて細くなった後に、また太くなる。Tバックではないようだ。そして脱ぎたてだ。布地の部分の両端には遠慮げにフリルがついていて、そのつなぎ目は黒いラインで分けられている。そして脱ぎたてだ。ブラジャーは下着とちゃんとセットになったタイプの物だ。ブラのホックは2つ。つまり彼女はEカップ以下だろう。されど脱ぎたてだ。とは言った物の、明らかに男性目線で見るとBカップぐらいなのだろうからあってCカップじゃないかな。いや、Aとも見劣りするような……Aと見ても良いぐらい可愛らしい胸をしている。言い直したのは罪悪感からです。詰まる所脱ぎたてです。

 どうしてこれまでにも脱ぎたての下着である魔力は俺の心を蝕む物なのだろうか。

 おおよそ十行にもわたって説明(ほぼ脱ぎたてである事を主張)をしてし待ったが、それほどまでに彼女に魅力があったのだと一先ずここで結論付けて置く。

 勿論先にも言った通り、俺がこれをどうこうすることは無い。この家にいられなくなったら浮浪者街道まっしぐらだからだ。

 洗濯機を回して料理を作り始める。こう言った時に稀に思う事を口にする。

「小説だったら、○○を作った。で終わりでいいのになぁ……」

 ボヤキである。

 はあ、とため息を吐いてからポトフの野菜を細かく刻んでいく。二ヶ月も一緒に暮らすと、彼女がスープの具が大きめより小さ目に切ったと方が好きだという事も分かった。

 我ながら細かい所に気付いていると思う。

 それほどまでに魅力的なのだとやはり思った。先ほどから否定と肯定を繰り返しては彼女に何かやましい気持ちを抱くのは駄目だと芯の部分で確信づく。

 自分の発想に不毛さを抱きながらも刻んだ野菜を圧力鍋で調味料と一緒に煮込み、あとは彼女が帰ってくる少し前に温め直すだけにしておいた。


「よし」

 自室に戻り、PCに向かい一息を付いてワープロソフトを立ち上げた。

「さっき言われた通り女の子が中心の話しかー」

 口に出しながら文章を打つ。



・女の子中心

・読者層はオタク?

・ネタはキャッチーに

・もっと内容を分かりやすく

・何が面白いかをはっきりとする



 こんな所だろうか、先ほどの会話の内容から見直す点は。

 果たしてこのような改善点はどこから直していくべきだろう?

 やはり主格になるのはネタだろう。

「あー、くそっ。女の子中心という言葉に目がいって、ワンコの事を考えちまう」

 頭を掻きむしる。頭皮が少し赤くなったかなと思えるぐらいに爪を立てて音を出した。

「あいつが彼女になりゃぁ丸く収まるなぁ」

 彼女といえば、以前ルームシェアをしていた時に開かずの間のような部屋に住んでいた彼は結局ネットの関係で満足をして、無料通話のアプリケーションの音量を最大限に上げて通話をしていたらしい。

 友人伝いに聞いたことなので、真偽は不明だが童貞だという話も聞いたのでやはり通話エッチではなくてエロゲの音だと今でも思っている。はた迷惑な奴だった。

「そうか、彼女が家に来るような話があればいいのか」

 思い出した内容に追随してネタが思い浮かんだ。

「プロの彼女派遣なんてどうだろう? ちょっと文芸には軽すぎて、ライトノベルには重い内容かな? いや、これは書き方によってどうにでもなる気がする。ありふれたネタだけれど、これに何か足したらいけそうだぞ」

 腕をグルグルと回して発想をひねり出そうとする。

「女の子……女子高生……といえばオヤジクサイ……お父さん……あっ。正体はお父さ――いや、これはねぇや」

 不意に思いついた発想を没にする。

「ヴァンパイアなんてありきたりだし、インテリアが女の子だとかはアダルトビテオっぽい内容だしな……あっ、インテリアって普段目に当たらないモブキャラみたいなもんだよな。モブキャラ出張彼女なんてどうだろう? モブキャラだけどメインヒロイン。みたいな、そんな可愛らしい女の子を書こう!

 そうと決まればキャラクターを考えなきゃだ! 主人公は高校生の男が無難だろう!」




・主人公――――高校二年生男子。ヘタレ。ヒロインとは幼馴染でずっと思いを寄せているが伝えられていない。おばあちゃん子で、脚フェチ。服のセンスは黒系がおおい(内気のあらわれ)若干中二病。


・ヒロイン――――高校二年生女子。ちょいギャル。根はおとなしい。結構ぼーっとしていて勘違いされる。その流れで彼氏が出来たのが中学二年生(初)。


「ぁ、そうか。ヒロインは処女の方がウケがいいだろうな。ちょいギャルの処女って、いわゆる萌ポイントになるんじゃいかな」


・ヒロイン――――高校二年生女子。ちょいギャル。根はおとなしい。結構ぼーっとしていて勘違いされる。処女。おとなしい癖に、やる事は大胆。実はBLが好き。猫も大好き。


「こんなものかな?」

 俺はそうして殴り書きのように特徴をPCに打ち込んでいく。

 粗方打ち込んだところであらすじ(物語全体をオチまで)を書き始めることにした。

「ワンコが出張彼女って思うといいかもしれないな、それでヒロインの少女と主人公を取り合うって展開にしよう。オチは平和的にぼんやりと主人公がハーレム状態ってのが王道だろうか」

 ワンコに見せた小説は、まるでただの自伝だった。なので、オチが上手く定まっていなかったのだと思う。

 いや、しかしながらこれもオチが決まっているかと言われると聊か不明瞭な気がするが、どうなのだろう。少女の派遣期間が切れて、それでも傍に居たいと言うのまでは話の流れとして見えるのだけれど、突拍子もない何かが足りない気がする。いや、突拍子もない何かという言い方はあまりよろしくないと思うが「お?」と思わせる何かが足りてない気がするのだ。

 ああ。そうか、派遣されてくるヒロインの存在感が弱いのだ。

 派遣されてくる女の子と言ってすぐに思いついたのが、下世話な話デリヘルだ。

 そのまま俺はデリヘルの女の子のイメージを文章に落とすつもりだったのだけれど、それだとやはり接客をしているようにしか見えなくなって全体的に話の中で目立たなくなっていってしまうんだ。

 もっとこう……不思議な魅力がある何か……そう、何かが欲しい。

 よくある手段を引き合いに出して行こう。先ほども出したヴァンパイアなどだろうか。

 ヴァンパイア、獣人、ゾンビ、ツンデレ、アイドル……。

 どれもピンとこない。

「ぁあ! くそっ! じれったいなぁ。どうにか良い発想は思いつかない物か」

 そうだ、こうしてネタが出来ては没にしていく。

 こんな悶々とした出だしを繰り返している。

 ここまで何年も……もう、四年か。四年も毎日小説を書きつつ何も成功に繋がっていなかった日々は。

 そろそろ安定を求めて仕事をした方が良いのだろうか。そんな調子の狂う事も考えてしまう。

「しゃぁねぇ。気分転換にポトフ以外にもサラダスティックか何か作っておいてやるか……作ってあげよう」

 本人がいないのは分かっているのだけれど、住まわせてもらっている身なので上からの目線ではなく遜った言い方をしておかなければいけないと不意に思った。

 きっと自分の肝っ玉が小さいのだろうな、そのうち嫁さんの尻に敷かれるタイプだと思いつつ、三畳ほどの小さいキッチンにある冷蔵庫に残った野菜を物色した。

 きゅうり、にんじん、だいこん。すぐ手に取れた野菜はこの三つだった。

 野菜を細長く切り、透明なガラスのグラスを小さい棚から取り出して塩を少し入れたミネラルウォーターを注ぎ、その中に漬けた。

 六畳半のリビングは玄関も兼用している。そこにあるテーブルの真ん中にそのコップを置いた。入りきらなかった野菜を塩もみにしてリビングの椅子に座って食べる。

 パリ、ポリ。

「んー。しっかしどうするかなぁ」

 パリ、ポリ。

 パリ、ポリ。

「……あっ、そうだ。食べられる女の子。っていいんじゃないか!?」

 野菜を食べながらそんな事を思いついた。

 食べられる、という響きは淫靡な雰囲気も含みつつ、事実上食べられるという意味ではアンパンマンのような発想をオマージュしたと言えるかもしれない。そんな小説は無い訳ではないだろうが、俺は知らない。知らなければ書いていいだろう。

 俺は机を拭いて、使った皿などを片付けてまた自室に戻った。


 物語としては、やはり少し未来の方が良いだろう。もしくは別世界。

 この世界の意識として、全体的にそれが知れ渡っている物なのか、それともその子だけが特別そう言った『物』なのかで変わってくる。それによって、『者』と表記すべきなのか果たして難しい点である。

 構想例をいくつか挙げてみよう。

 ①未来

・食用人間が一般化していて、普通命令通りにしか動かないが偶然その女の子は意識を所有してしまった。

 ②別世界

・そもそも食用人間というものが文化として根付いている世界。少女はそのうちの一人。

 ③現在

・ひょんなことから主人公とその少女は出会う。しかし食用人間だった。


 書いてみて思うのは食用人間と言う言葉は残酷だ。

 イートヒューマンなどカタカナにする方がまだ印象は根深くないかもしれない。略語でイートマンなどの略称例も挙げることが出来る。

 大きくすぐに分けれるのはこれぐらいか。基本の現在、未来、別世界に分けてみた。過去に関しては……。

 出来ない事もないか。

 ④過去

・戦時中、ある禁断の化学が進められた。人が人を食べるという食糧難、籠城への対策だった。その実験台となった少女と、それを知った空軍兵。


 こんなネタにもなるな。

 だけれど一つ問題がある。④に上げた過去の場合戦時中という世界観を書くには俺自身の知識が乏しい物があるんだ。

 果たしてこれを書いていくとしたらどんな世界表現として表せばいいのだろう。

 戦争というテーマの中に入れるのか、それとも戦争と言う物があるが本人たちの会話などにちらつかせるべきなのか。

 いや、それをするよりも、①で例に挙げた未来の方が良いだろう。ライトSF小説という内容にはピッタリなのかもしれない。

 すでに常人の意識として定着してるというのは不意に思いついたものだったが、ロボット物のSFを参考にしてそれが一般化するまでの経緯で書くのもよいかもしれない。少女が食用人間として作られたが、意識を持ってしまったがために主人公に助けを求める。そんな形骸化されたストーリーでキャラクターたちの表情や心情を見せる……魅せるにはいい題材だと思う。

 その場合未来と現在が混同しているような状態で書けるので近未来として③と混同した考え方で良いともいえるだろう。

 ②で挙げた別世界に関しては、先に考えた例に明らかに見劣りする気がした。

 王政制度で人は食う者、食われる物に別れており、食う者の調理師が一人の食われる物と出会い変わっていく。

 題材としては恐らく悪くは無い。書く人が書けばとても面白い物になるのだろう。

 しかし、一番の問題は俺自身がそれに魅力を感じていない事なんだ。見劣りすると思ってしまった時点でこの題材は選ぶことが出来ないだろう。


 俺は結局、近未来の世界で考えたることにした。

 近未来の世界でこんな女の子を作る理由はなんだろう。食糧難? それとも他の理由?

 そんな事を考えていたら、先ほどワンコが脱ぎ捨ていていた下着の事を思い出した。

「ああっ、くそ。結局人間エロい事が念頭に置いて行動する気がするぜ!」

 頭をまた掻きむしってちょっぴり自身の不甲斐なさに苛立ちを覚えた。

 しかしながらそれが真理なのかもしれないと思う。果てしなく続いてきた人間の歴史上エロが完全に無かった時代なんてものは無いし、インターネットだってエロがあったから普及したと言われているぐらいだからな。

 でも露骨なエロは良くない。露骨な物は個人の見解でしかないけれど、あまり受け入れ難い物になる気がする。

 近未来の少年と少女。エロ事を念頭に少女が作られた。しかし、作る人間は確実にバカではないので、それに対する正当な理由を作っているだろう。少女を果たして人間として定義づけるべきなのか。エトセトラ…


 ぐるぐると頭の中を施行させて、紙に殴り書き。構成を練ってから、俺はPCの画面を見つめて徐にキーボードを打ち始めた。


■■■■■■■■■■■■

 ポツリ……水道の蛇口の締まりが悪く水滴が石造りの床に落ちた。


「お願い、助けて! 追われているの」

 最初に上目使いで少女が僕に映画の中の様なセリフを投げかけてきたのが事の発端だ。

 勿論僕は助けた。助けるに決まっている。

 銀髪美少女が突然に、こんな冴えない男子に向かって助けを求めるなんてよっぽどの事があるに決まっている。

 でも結果は見えていた。冴えない男子の僕には追ってくる謎の組織の一員から彼女を解き放つ事が出来なかったんだ。

「ごめん。本当に何も出来なくて……」

「いいんです。私こそ巻き込んでしまって……本当にすみません……」

 こんな会話を何度したか分からないけれど、何度でもしてしまう。石造りの牢獄、だろうか。この部屋は水道と、外から光が差し込んでくる以外の特徴は無く、銅だか鉄だかよく分からない金属で出来た分厚い扉は、僕達が放り込まれてから一度も開いていない。

 一枚大きな布を……シーツだろうか。身体に巻いて肌をあまり露出させないようにして恥らっている。最初に見た時から似たような状態だった。

「お腹……空いたね……」

「……」

 返事は無かった。彼女はいつも光が当たる場所にいて、時々水を飲むばかりだ。たまに、話し掛けると返事をくれるけれど、それ以外は俯いて申し訳なさそうにしている。

 閉じ込められて二日という日数が過ぎた。飲み水がこの場にはあった。それだけが唯一の救いだったおかもしれない。

 ここに閉じ込めた組織の人間は一体何者だったのだろう。二日も食料を持ってこないという事は僕らが絶命する事を厭わないと見て間違いないだろう。

「あの、さ」

 彼女が自分から話してくれるのを待っていたが、やはり耐え切れなくなって僕は訊く。

「君は何をしたの? 僕までこんな所に入っている理由が分かれば少しは気がまぎれると思うんだけれど……」

 言い訳をしつつ、聴く様はやはり女々しい物があると思う。でも、この状態でまっとうに聞こうなんて発想は僕にはなかった。

 しかし、そんな細やかな行動結果も空しく散った。

 無言で彼女はただ俯く事を続けていたのだ。

「なんだよ、もう」

 ふて腐れて僕はそれから丸一日彼女と向かい合うことは無かった。

 しかし、三日、四日と食べ物を一切口にしない生活が続くと僕は思考が単純になってしまう。この場に何故いるのか分からない憤りと、空腹の苦痛に対する苛立ちが四日目の夜ついに爆発した。

「何で何も言わないんだよ!」

「……」

「いい加減にしろよ! なんで僕がこんな所で閉じ込められなきゃいけないんだ! ただ君が突然助けを求めてきて巻き込まれただけじゃないかよ!」

「……」

「ああ! もう! なんで何も言わねぇんだよ!」

「ごめんなさい……」

「う、ぬぐ。あああ! くそっ」

 僕は踵を返して背を向けた。少し目眩がする。

 久々に聞いた彼女の声は透き通った、芯が抜けたようにか細い声で、ギリギリ残っていた僕の自尊心を取り戻させた。

 しかし空腹や苛立ちは変わらない。

 自分らしくもなく怒鳴ってしまったので、尚の事空腹の意識が強くなった気がする。

 僕はふて寝をして光が入ってくる外を見た。

 空が見えるわけでもなく、地面が見えるわけでもない。遠くに何かがあるのは見えるが、それ以外は何も分からないそんな岩の切れ目だ。

 最初はそこから脱出も考えたがそんな事は出来るわけがないとすぐに思い諦めた。

「あの……」

 今まで無かった事に背筋に寒気が走って震えた。

「へ?」

「本当に……ごめんなさい……私のせいで……」

 彼女はすり寄るようにこちらに近付いてきた。

 そうして言う。

「もし……もし、貴方がどうしようもなくなったら私を食べて」

 と言う。

 いや、まて。何て言った。

「今、何て?」

「私を……食べて……いい、よ……?」

 頬を朱色に染めてそう言う彼女は先ほどとは違う俯き方に見えた。

 銀髪の前髪が顔を隠しているが、それでも真っ赤に染まった顔が見ているような動きをしている。

 よく見ていなかったが、その銀髪は少し緑がかっている事に気付いた。そういえばこんなに近くに寄ってきたのは最初に助けを求めて来たとき以来だ。

 この場合で言う『食べて良い』と言うのはどう考えても性的な意味だろう。未経験のヴァージンボーイな僕を憂えてきっとそんな事を言っているのだろう。

 しかし人間とは難儀な物だ。腹が減ってしょうがない時に性的な初動を揺さぶられていてもよけい腹がへってしょうがなくなるだけなんだ。女として食い散らかしてやるというよりも、食という意味で食べてしまいたいと思うなんてどうにかしている。

「ふっ……ふふ……あはは……あはははははっ!」

 なんでだ、何が可笑しいんだろう。視界にはもう彼女の姿は無かった。

「くふふっ。いひひっ、ふふ」

 笑いが止まらない。どうにも止め方が分からない。

 ああ、そうか。僕はぶっ倒れてるんだ。

「はは……は……ひひひ……」

 最後の力を振り絞って、どうやら僕は笑っていたようだ。

 面白おかしく死ねるならそれでいいかもしれないな。

 視界の隅に捉えたのは名前も分からない、僕の運命をがらりと変えたその少女の姿だけだった。

 冷静な頭と、可笑しな体。そんな二つは意識をゆっくりと無くした。


 きっと僕は死んだんだと思う。

 口いっぱいに広がるほのかに甘くも厚みのある味わい。

 至福のひと時。そんな実感を得た。いや、死んだのだから実感と言うのもおかしな話である。実に愉快な気分だ。

 うっすら目を開けてみよう。きっとそこには天使がいるのだろう。

 少し暗い部屋の中で、目を開けるとやはり天使の姿があった。

 銀髪の綺麗な天使の様な寝顔。先ほどの彼女の顔だ。

「……ぅ、ぅぅん」

 僕は頭を抱えながら体を捩り起こした。

 自分の頭があった場所を見ると彼女の素足が折れ曲がり置いてあった。ひざまくらと言うには少し雑な状態ではあったが、彼女が寝ている事も考慮すると長い時間そこに僕の頭があった事を物語らせている。

 寝息も経てずに死んだように眠る彼女の姿はとても人間とは思えなかった。誤解を与えてしまう表現だったと後悔する。天使の様に美しいのだ。

 その寝顔に見とれていた僕は気が付く。

「……あれ? 何でだろう、腹が減ってない……?」

 そんな素朴な疑問が出てきた。先ほど何かを食べていた夢を見て腹が膨れたのか?

 いやいや、そんな獏みたいな高等技術は僕には無い。

 この寝ている彼女が僕に何かを食べさせたのだろうか? 口を無意識に拭って手を見ると、少し淡い赤色をした物がついた。臭いをかぐと甘い匂いがする。

「りんご……? でも赤いってどういう事だ」

 確かに赤いリンゴの印象はあったけれど一瞬で、中の果汁は白いと思いつく。

 困惑しつつ僕は手を出すべきか悩む場所に目を付けた。

 そう、目の前で寝ている少女の柔肌を隠す一枚の布の下がどうなっているかだ。勿論今考えているのはやましい意味ではない。彼女が何か、食べ物を隠しているのじゃないだろうかという疑いだ。

 一枚の布の下には、とある豊満な果実があるに違いない。そうだ。女性は秘め事が多いわけだからな。

 息を殺して彼女に近付く。といっても、それほど離れていたわけではなく、立ち上がってもいなかった僕は腕を伸ばすだけですぐ目の前に近付くことが出来た。

 手を伸ばし思う。そう、この布の下には豊満な果実が確実に二つあるわけだ。それどころか布切れ目から覗く足の先に神秘のベールに包まれた……おっと脱線しすぎた。

 布の下は裸になっていると勝手な先入観を持ってめくろうと思っていたけれど、どう考えても服は着ているよな。脚が見えている所から考えてホットパンツをはいているのだと思う。

 彼女の胸の辺りに見とれていて、冷静さを取り戻そうと彼女の顔を見ると目があった。

 潤いのある瞳は少し赤っぽい色をしていた。鼻頭の距離は十センチも無いかもしれない。

 何秒かの硬直の後に僕は飛び退いた。

「うわぁああ! ごめん! そんなつもりじゃ!」

■■■■■■■■■■■■

「ふぅー」

「で? どうなるの?」

「彼女は食用人間だったって所から組織の根源に辿り着いて、非力な主人公が彼女をいかに逃がすかを考えて……おおぉお!?」

「うわぁあ?」

 座っていた俺の顔の横にワンコの顔があった。耳に少し息がかかっていた。

 机をゴンと音を鳴らしながら蹴飛ばして、自分の書いた小説の主人公よろしく逃げるように飛び退いた。

「てめぇはラブコメのヒロインか!」

「何よ、ご飯作ってないから何してるかと思って様子見に来ただけなのに!」

「そうだった! ポトフ準備してそのまんまだよ」

「作ってくれたんだ! ハンバーグは!?」

 ……またか……無茶ブリ。

「ちょ、ちょっとまってろ? 今からすぐに焼くからよ」

「やった! 私も買い物行こうか?」

 やばい、やけに上機嫌だ。きっと打ち合わせがほとんど思い通りに行ったか、最後の最後でテンションの上がる事があったんだろう。

「い、いや、フライパンとか買わなきゃいけないから重たいだろう。俺一人で行くよ」

「そっか! 分かったよ! アトリエにいるねー」

 そう言って彼女は、朝話をしてた部屋。青いビニールシートで一面覆われた、アトリエに閉じこもってしまった。

「テンション上がり過ぎだろう、フライパン買いに行くって、自分も応用が利かない嘘を言ったもんだ。後で覚えてたらどうしよう」

 とりあえず俺は部屋を出て一枚上着を羽織り近くのコンビニへと向かった。

 小説の中では彼女の家がマンションで、そのマンションの一階部分にあると言ったが、割と妄想だったりする。浦安にあるのは間違いないのだが少し外れにあるのでコンビニまでは5分以上歩く距離がある。

 秋の風が頬をつたい表皮の毛穴を次々に引き締める。

「あー。どうすっかなぁ。買ってきたコンビニのハンバーグで毎回騙されてるあいつもアホだけど……そういえばポトフの時はいつもハンバーグが欲しいって言ってるな。次から買っておくか」

 コンビニまでそんな事を独りで考えながら歩いて行った。

 だが目的のハンバーグを買おうと店に入る直前で、俺は店を引き返した。

「なんであいついんだよ……荒鮫……」

 荒鮫、元々彼とはルームシェアをするほど仲は良かったが、いつしか彼が家賃を払わなくなり、俺が負担しきれなくなったので不動産屋に事情を説明して自分だけ逃がしてもらったのだ。

 今ワンコの家にいるのは家がない事を知って情を出してくれたのだと思う。その分このように晩ご飯を作ったり、買い出しに出たりとしているのだ。

 それはそうと、早くこの場を離れなければ。はす向かいにもう一件コンビニがあるので、そちらに行くことにしよう。

 家のすぐ近くにはないのに、コンビニの近くにコンビニがあるのはなんだか解せないな。そりゃあ、人が来るのはその場だとは分かるけど。

「あ! 猫実!」

「……」

「おい、猫実だろう?」

「……」

「何だよ。急に出ていって、お前の一人暮らししてた時の荷物捨てちまったぞ」

「……」

 やばい、もう関わりたくない人間に話し掛けられってしまった。

 コンビニと、コンビニの間の車通りの多い道の丁度中間あたりで、数人歩いている周りの通行者にも聞こえるぐらいの声で話し掛けてきた。

 本当にどう逃げよう。

「……お、おう」

「何だよ、お前体長悪いかのか?」

「……そう……だな」

 体調が急に悪くなったとすれば間違いなくてめぇのせいだ。そう言いたかったが、これ以上こいつと関わりたくなかった。

「悪い……風邪薬買わなきゃだから……」

 不意に彼の足元を見ると、靴は以前と同じものだった。良く見ると薄汚れているようにも見える。服装もどこかくすんでいた。

「おう、そうだな。またな!」

 俺はそう言って、一度は引き返したコンビニに入って行った。

 コンビニには風邪薬は無い。とりあえず、今の疲れを取り払うためにもリポDを買っておこう。ファイト一発だ。

 それを手に取り、ハンバーグの方に向かおうと思ったが、荒鮫が見ていると色々トラブルが起きると考えて外を見る。もう彼の姿は無かった。

 安心をしてハンバーグに手を伸ばしてから俺は買って帰る事が出来た。

 帰り道は何を考えていたか覚えていない。

「ただいま」

 ワンコからの返事は無い。本当に犬だったらケツを振り、口から涎を垂れ流しながら……おっと表現が適切じゃない。尻尾を振り満面の笑みで迎えに来てくれるものだろうに。

 あらぬ妄想を振り払った後、洗濯機が右隣りにある洗面所で手を洗い洗濯物を回しっぱなしだった事に気が付く。

 それは一度後回しにして、台所にもどってからハンバーグを温める。

 一度タレごと焼き直した時の方がウケたので、それ以来いそうしている。

 弱火でコトコトと煮込み直すだけの猿でも出来るハンバーグだ。猿だと毛が燃えて危ないかもしれないが。

「おーい、ワンコ」

 ある程度温まった事を目視で確認して、火を切って余熱で仲間で温める事にした。その間にワンコを呼びに行く。

「ったく。いつも通りとはいえ集中しすぎだろう」

 アトリエを開けるとそこにワンコの姿は無かった。

「あれ? 珍しいな」

 一度、台所に引き換えす。途中室内の構造上リビングを通る事になるのだが、最初全く気付かなかった。

 彼女が出掛け際に下着などを投げていたソファアに小さく小鳥の様に丸まって寝ていたのだ。

「ああ、待ちくたびれてたんかな。悪りぃ事しちまった」

 そうして一度自室に行き一枚薄手の布団を持ってきて彼女にかけた。もう秋だから風邪に気を付けろよ何て思いながらも彼女の無防備な笑顔に少し見とれた。

 気丈にしてはいたが、恐らく何日も徹夜続きだったのだろう。自分でも気づかないうちに口元が緩み笑顔になっている事に気付き、俺は洗濯物を干すことにした。

 一通り洗濯物を干し終えても彼女は起きる気配は無かった。これは多分本格的に熟睡モードなのだろう。

 仕方ないので特に何も考えずに彼女を寝室に運ぼうと思った。持ち上げた後に気がついたが子の持ち方はお姫様抱っこだった。

「顔、近っ……。」

 文体が乱れてるであろう言葉を口に出した。それほどに動揺する。しかし、持ち上げたからには運びきらなければ。ここで動揺したりすると落としかねない。

 彼女の重さはとても軽い。正直人を一人持ち上げているとは思えないほどだった。

 扉のノブを膝に裏に通した左手を使いまわす。

 廊下のアトリエとリビングの間にある彼女の寝室に入るのは、指で数えたぐらいしかないので散らかっていた。主に服で足の踏み場がない。

 彼女の部屋の位置関係としては借りている部屋の向かい側に位置する。自室の左手には洗面所があるので彼女が夜中に起きているとたまに、トイレを流す水の音などが聞えて目が覚めるのだ。

 ひとまず、数少ない服の隙間から見える床に足を慎重に降ろして彼女をベッドの上へと運び寝かせる。

 彼女と一緒に運んだ布団を掛けなおそうと思ったがこれは自分の布団だと思った。

「うーん、仕方ないな」

 こんなに気持ちよく寝ているのに布団を取り上げるのは可愛そうだと思ったので、そのまま掛け直して彼女の顔にかかった長い髪の毛を手の甲でどかして、少しやましい気持ちになりつつもそのまま部屋を出た。

 折角温めたポトフとハンバーグをどうするべきかと思ったが、とりあえずラップをかけて置いておくことにした。テーブルにはテーブルクロスなどはない質素な状態だ。この器にレンチンするだけのラップのかけられた夕食の風景は、親御さんが共働きの子供が一度は見たことがある光景なのかもしれない。

 ワンコが先ほどまで寝ていたソファに腰かけて落ち着こうとしたら、彼女のよだれがソファの染みになりそうであった。

 革製のオレンジがかった色をしたソファの一部に黒染みになるのは何だか解せないので、すぐに近くに合ったティッシュで拭きとる。

「見た目だけは可愛んだよな」

 そう言って、一メートルほど離れたスーパーの袋を付けたゴミ箱に向けてティッシュを投げて捨てた。

 リラックスをして腰を深くかけて天井を仰ぐ。目をつむってから今の現状を思う。

 これから何日か掛けて小説を仕上げて編集に見せるだけだ。それ次第でこれからの運命が決まる。そう思っていると心が踊った。

 先ほどからめまぐるしく自分の考えが変わるので、違和感を覚えた。

「あー。くそ、ワンコのせいだよ。くそぅ……」

 ソファの上で横に倒れ込むようにしてそう呟いた。

 足を投げ出して目をつむる。少し肌寒いがもう体は動かなかった。先ほどまでの巡るめく思考は眠気によるものだったのだろう。



「ぅうん……」

 目が覚めるとすりガラスの窓から電灯の光が差し込んで部屋をおぼろに照らしている。

 ソファアから落ちそうなギリギリの場所で横になって寝ていた。寝ぼけ眼をこすりつつ体を起こしてから頭を掻く。

 ハラり。

 先ほどまでかけていなかった自分お布団がそこにあった。

 寝起きで『あー、俺の布団だ』とだけ思ったが、少しぼーっとしてから気が付く。

「……あれ、ワンコ起きたのかな?」

「……ぅう~ん」

 独り言をつぶやくと、ソファアの背もたれ側のわずかな隙間にワンコが寝ていた。

「……」

 しばしの硬直。

「っ! っておい、おま、なんでこんな所で寝てんだよ!」

 ソファアから飛び退くように離れるつもりが、まだ血が体全体に、回りきっていなかったのか足をもつらせて転んだ。

 転んだ時に布団を引っ張り、ワンコも一緒に落ちてきた。

 布団で絡まりワンコと俺は絡まるようにしてもつれ合って絡まり合った。つまり言葉回しがおかしくなるぐらい密着した。

「へにゃぁ? ネコちゃんおはょぉ……」

 寝起きで現状に気付いていないらしく、横線でも入りそうな虚ろな目を上目使いで言う。

「お……おう……おは、よう」

「うぅ~ん、部屋くらいー」

「す、すぐ電気付けるな!」

 焦った俺は絡みつく布団の事はお構いなしに動こうとした。

 更に絡まった布団と、ワンコと俺の身体は体を起こそうとした勢いが別の点に作用して更にきつく絡め合わせた。

「んにゃひぃ」

 変な声。と言うよりもこの距離で聴くと盛りを迎えた猫の様な印象だ。

 部屋の暗さが、布団の上からでも彼女の魅力を書きたてているようなシルエットを出す。

 理性がどうにかしてしまいそうだ。

「んー……なに?」

「あ、えーと……」

「……」

「その……な?」

「……ひゃ……きゃあ! ちょっ、はな、いたっ、離れて!」

 ワンコが無理矢理に離れようとして腕を突き立てようと……ここから先は俺は言い表せない痛みを覚えたとだけにしておこう。



「なな、な、ななんで! なんで、この、私がこんな格好してあんたと一枚の布団で絡まってたんだよ!」

 錯乱して言葉遣いが荒れているワンコ。先ほどから暫く経ち、部屋の明かりを付けて痛みが少しやらわいできた頃。ワンコが下着姿だけで寝ていたことが判明した。

 男としての威厳を少しでも保とうと自然と頭を抱えて俺は答える。

「知らねぇよ……ワンコが一緒に寝て来たんだよ」

「一緒に寝た!? え。ええ!! ええええええ!!」

 体に巻いた布団を強く握りしめてそう言う。その手でボディラインが際立ち余計エロく見える事は多分本人は気づいていないのだろう。続けてこう言う。

「せ、せ……せきに……んとって……よね……」

 首から耳の先まで真っ赤にして、俯きどこを見ている訳でもなく逸らした目で言う。

 俺は椅子から立ち上がり、震えるワンコが座っているソファに歩み寄る。

「バカ野郎。俺がワンコにそんな事する訳ないだろう。それで問題が起きたらホームレスになっちまう」

 頭をぽんぽんと撫でてそう言った。

「……」

 頭を撫でたのが効いたのか、ワンコの震えは止まった。

 完全に頭を下げて、長い髪で顔は見えなくなっているが多分安心したのだと思う。

 俺は軽く息を吐いてから。

「ポトフとハンバーグ作ってあるんだ、食おうぜ」

「……うん」

 俺は台所の壁の所に身を隠すように移動した。いつまでも下着姿でははしたないので、服を着るタイミングを作ったつもりだ。

 あと痛みが引いたとはいえ、やはりじわじわと痛みが残っていたので何をするわけでもないが確認するのも兼ねていた。


 手を洗ってからハンバーグとポトフを温め直した。ポトフには少し水を足して、ハンバーグはレンチンをするだけにした。あまり焼きなおしたりは宜しくないと思ったからだ。


 ポトフを温め直しているとリビングの方から何かをぶつける音とワンコの痛がる声が聞えた。

「おい、大丈夫か?」

 顔だけ出して確認するとソファアの傍で蹲っていた。

「……大丈夫……小指ぶつけただけ……」

 両手で右足を挟み込むようにして押さえていた。

「そっか、もうすぐ出来るから座っときな」

「……うん」

 俺は火にかけたポトフを確認した。あと言った通り少しで出来るだろう、鍋の底から小さな気泡が上がってきていた。

 白い皿やお盆を準備している間に丁度良いぐらいまで温まったので、ご飯をお椀に掬ってから、ポトフを盛り付け、ハンバーグの皿のラップを外してお盆に置く。

「お待たせ」

「うん、待った」

 いつもの感じに少し戻っていた。先ほどまでの彼女の態度は当たり前の事だがおかしかった。俺だってやっぱりなんかおかしかった。特に痛み的な意味で。

「いただきます」

 二人で声を合わせて言い、食事をとる。

「なあ、なんで俺の隣で寝てたんだ?」

 格好については触れないようにしよう。さっきそう決めた。

「多分寝ぼけてたんだと思う。ネコちゃんが来るまではけっこうあそこで寝てたし」

「そうなのか。一度寝てたから部屋に運んだのによ」

「そう……だったんだ……そっか、そっか!」

 声が少し明るくなった。

「ん?」

「いや、ね。ネコちゃんの布団が部屋にあって、私の布団がソファにかかってたから何があったのか全く腑に落ちなかったのよ」

「あぁ。そっか、あれワンコの布団だったな。全く気付かなかった」

「多分ね、恥ずかしい話だけど寝ぼけながら服着替えようとして、ネコちゃんがそこで寝てたから布団かけて挙げようと思ったんだと思う。そんなんだった気がする……」

「そうだったのか。曖昧なのは何となくわかる。お前寝起きすげぇ寝ぼけ方してたもん」

「お前?」

「あっ。つい。わる――

「いいよ! 謝んなくて! 気を許してくれたと思っておくね」

「お、おう……?」

 何だか急に優しい。まるで何かあったみたいだ。

「そうだ! 個展の目処が立ったんだ!」

「! そういえば、このポトフもその祝いになればと思って作った面もあったんだっけな」

「そう! だからさっきもまた急にやる気出ちゃって、絵描いてたの。ずっと仮決定だったから不安でしょうがなかったし……とにかくね、すっごい嬉しいの」

 なんだか空元気に見えた。先ほどからポトフを見ながら喋りなんだかいつもの真っ直ぐな瞳が見えない事に不安を覚えた。

「……あの、さ」

「ん? なにー?」

「悪かったよ、さっきの」

「……いーよ! 気にしてないし!」

 声が一瞬止まってから言うって事は、多分これだな。前から分かっちゃいたが、分かりやすい奴だ。

「不可抗力とはいえ、ワンコの下着姿見ちまったのは本当に悪いと思ってるよ」

「ふぅん」

「あ、いや。食事時にする話じゃなかったな」

「いいよ、続けて」

 そう言って、彼女はもう一度スプーンでポトフを掬い食べる。

「続けてって言ってもなぁ。それ以上言う事って……」

「……そう、よね。私となんか、何かある訳ないもんね」

「え? ちょっとまってくれ」

 俺は漫画よろしく、眉間に手を当てて裏を向く。カメラはそこにない事を知った上での行動だ。

(ちょっとまて。俺の勘が正しければワンコの言っている事……つまり怒っている原因って俺が「ワンコと何かをしたら追い出されると思っている」と言う内容の事か?

 いや、でも更にまて、それだと思いここでその話をしたらどうなる。上手く行けばこいつの心を鷲掴みにして、初めての彼女が……

 それこそ待てよ! そんな欲望にまみれた考えを素直にぶつけてワンコが振り向かなければどうなる。俺の勘違いだったらどうなる。それこそ前から思っている通りホームレスじゃねーか?

 最低限今書いてる小説ぐらい仕上げてからホームレスになりてぇなぁ)

「で、考えはまとまった?」

「へ? あ? え、いや」

 こうなっちまったらもう行き当たりばったりでしかない。

「お、俺は、ワンコの事み、魅力的だと……思……ぅ」

 声が次第に小さくなって言ってしまう。いざ声に出そうと思うとあまりにも恥ずかしかった。

「え? 何て?」

「いや、だから、俺はワンコの事普通に、とびきり可愛いと――って何言ってんだ俺。い、今のなし!」

「えー? 無しにしちゃうの?」

 サディスティックな笑いを見ると、おちょくってるのは分かったが口走ってしまったので、焦ってまともな返しが出来ない。

「いや、アリです。三國川咲そのヒトは、とても魅力的で俺の物にしたいデス」

「へ?」

「はぇ?」

 二人してへんな声を出した。

「お、俺今なんて言った……?」

「……」

 ずっと悶々としていたせいか、本心が出てしまったのだろうか。っていうか、出してたよな、多分。数秒前の事なのにちゃんと覚えられていないぐらい焦っていた。多分小説にしたら一ページ以内にあった出来事だ。

「……ちゃんと、名前覚えてたんだね……」

「え、あ、ああ」

 どうやら俺は名前を言ったらしい。

 少し落ち着きを取り戻して顔を見ると耳の先まで真っ赤にしてさっきと同じように俯いてた。

「え、ほんと、俺なんて言った!? まじでテンパって覚えてないんだよ!」

「いいの! 私の中だけでとどめておくよ!」

「え? えぇ!? 何でだよ!」

「なんでもいいの! ほら、食べて!」

 机の反対側から、無理矢理手を伸ばしてフォークを俺の目の前にあるハンバーグに刺した。そのまま更に腕を持ち上げて俺の口に突っ込んだ。

 反射的に食べる。呑みこんでから言う。

「あぶねぇだろ! フォークが刺さったらどうすんだ!」

「ネコちゃんなら大丈夫だよ!」

「何が大丈夫なんだよ!」

「なんでもだょぉ……」

 そっぽを向いてフォークを加えて拗ねていた。椅子の上で体育座りをしている。

「お、おい。間接……」

「……!!」

 ぷるぷると震えてフォークを口から離し膝の中に顔を隠す。

 少しそのまま動かなかったが、突然机の上にフォークを置いて、関を切ったように動く。

「うわあああ!」

 こちらを見向きもせずに部屋を飛び出して、アトリエに彼女は逃げ込んだ。

 椅子も倒して、リビングの扉も開きっぱなしで文字通り逃げ出した。

「間接キスぐらいで……」

 とは言った物の、さっき俺も見た瞬間に「あっ」となってしまったので、彼女の反応が分からんこともない。その前のごたごたもこうなってしまう原因に違いない。


 この場合はどうするべきだろう。何かケアをした方が良いのだろうか。そんな事を思いながら、現状の収拾を図るためにその場の物を片付けた。食べかけになっていた食事は一旦ラップをかけておくことにした。

「はあ……多分イケメンって言われる人種は、ここで追いかけて抱きしめたりするんだろうなぁ」

 机を拭きながらぼやく。

「俺だって抱きしめたいさ……可愛いし……俺ワンコの事嫌いじゃないし……。って、つくづく俺って主役に向かないな」

 自分のヘタレっぷりに憔悴しつつ、台拭きや消毒用アルコールを片付けて自室に行った。

 部屋に戻る直前で彼女に声をかけるべきかなり悩んだが、やめてそのまま部屋に戻った。

 俺はとりあえず書き出した小説をプロットに起こす作業を行った。

「このやり方絶対非効率的なんだよなぁ」

 普段言わない独り言を言いつつ、プロットに物語の全体像を作り上げる。

 主格になるキャラクターを中心に描きだしてからプロットを書かないと話がまとまらない。纏まったとしても自分が納得いくできになった事は無かった。

 書き終えたプロットはメールで編集者にそのまま送る。残ったデータを整理していたらメールで返信が来た。携帯は電池が切れていたので、電話をかけても繋がらないという要件であった。

『もしもし、猫実くん? とりあえずこれで書いて来てよ』

「え? あ、はい」

 めずらしい。プロットの出来がそれほど良かったとは思わなかったが打ち合わせの前に書いて来てというのは初めてであった。

『じゃあ、書き終えたら連絡下さい。さようなら――』

 最近の携帯は切れた瞬間に、こちらの携帯の電話も終了するようになっているので昔風情がある『ツー、ツー』という音がならないのだな。と思いつつ今まとめた内容を書き始めた。


 書いている途中、何度かワンコの事を思い出さざるを得なかった。

 集中していたのでどれぐらい時間が経ったのか分からないが、恐らく半日は経っているだろう。空がまた暗くなってきていた。

 不意に思って電話の時間は何時だったか見てみると朝方に編集者との電話のやり取りの記録があった。申し訳ない事をしたなと思いつつ、時間でも起きていたことに驚いた。

 流石にそろそろ眠気も来て、喉も乾いてきたので飲み物を飲んでから寝ることにした。

 台所を見ると、ハンバーグとポトフが綺麗になくなっていた。多分食べたのだろう。丁寧に鍋ごともって行かれていた。

 水道水をコップに注いで飲む。使ったコップはその場で洗って食器立てにおく。ついでに食後の皿も一緒に洗ってから部屋に戻った。ここまではすでに一連の動作になっていた。

 自室にはPCと多少の荷物しかない。一人暮らしの時から生活雑貨以外はあまり持たない主義だったので、前の家の問題があった時も何も後悔する事なく荷物を捨ててこれた。

 その多少の荷物の中には携帯食がある。集中しているとき極力部屋から出たくなかったので少しばかり残ったお金でこう言った物をそろえておいたのだ。

 多分今回が最後のチャンスだ。お金的にも、環境的にも。

 最後のチャンスを生かすために、俺は小説の事以外を一切忘れることにした。

 そうして、どれぐらいの時間が掛かったか分からないが、寝る事も忘れて、十二万八千文字程度の小説を一気に完成させた。



新人賞の落選した作品です。人生で一番長く書く期間が長かった作品なのですが、その理由が内容と人生が若干リンクしていたのです。

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