1話目 アバターエディット
チクタクと秒針が回る姿を眺めながら布団の上に置かれたフルフェイスヘルメット型のVR端末の表面を撫でる。もうすぐ【only yggdrasil online】の正式サービス開始の約一時間前だ。
右手が動かないため左手だけで四苦八苦しながら端末を被り、横のボタンを押す。端末内部のベルトが額を優しく締め付けて固定されると同時に顔の下半分を収納されていたマスクが顎の下までがっちりと覆い隠す。最後にバイザーが降りて目元を隠し僕の首から上はVP2の端末に覆い隠される。
起こしていた体を静かにベットに倒し開閉ボタンの横にある起動ボタンを押す。枕元に置かれた本体が静かな起動音を立てる。
「ヴァーチャルダイブ」
音声入力によるシステムの起動。バイザーにアトモック社のロゴが浮かび上がるのと同時に僕の意識が一瞬途絶えた。
目の前に広がる白い空間。VP2のホームの中で意識を取り戻した僕の前にはヴァーチャルネットに接続するための扉型アイコンが浮かび、その横には【only yggdrasil online】と掛かれた木製の扉型アイコンが浮かんでいるが、そちらのアイコンには大量のツタが絡みつき開くことができないようになっている。
意識を上へと向けてそこ浮かぶ時計を見ると【AM8:59】後数秒もすれば正式サービス開始時間である【AM10:00】の一時間前だ。
時計を凝視するように意識を集中すれば秒針が50秒を切る姿が浮かび上がる。
残り9秒。ホーム内で静かにカウントダウンを開始する。
8秒、7秒、6秒………………。
そしてついに秒針が時計の【12】の位置を通過し、それと同時に【only yggdrasil online】のアイコンに絡まっていたツタがその成長過程をビデオの逆再生で見ているかのように退いてゆき、木製の扉が完全に姿を現しどこか神秘的な輝きを発し始め、『ギィ』と軋む音を立てながら扉が開き、僕の意識は吸い込まれるように扉の中へと飛び込んでいった。
『only yggdrasil onlineへようこそ』
どこからともなく響いてくるガイド音声に導かれるように、僕の意識は遙か遠く天を貫かんばかりにその身を伸ばす巨大樹を視界に納める。
【宇宙樹】
ゲームのタイトルでもある巨大な樹。βテスト以来一月ぶりに見る壮大な姿に自然と笑みが浮かんだ、ような気がしたけど今の僕にはアバターが存在しないため本当に気がしただけだ。
『現在only yggdrasil online(以後oyo)正式サービス開始一時間前の為ログインすることはできません。正式サービス開始までもうしばらくお待ちください。
なおこの時間はあなたがoyoの世界を旅するための分身を作成することが可能です。アバターエディットを行いますか?
▽ ▽ ▽
→YES
NO
△ △ △』
音声の切れるのと同時に現れた選択肢は迷わずYESを選ぶ。先の音声ガイドの内容を表示していた字幕と選択しなかったNOの文字が薄れて消えてゆき、僕の意識はYESの文字の脇を通って眼下に広がる草原へと降りてゆく。
『βテスト時代のアバターデータが存在します。データを反映しますか?
データを反映するとキャラクターの外見、名前を引き継ぐことができます。その他ステータスは反映されませんのでご注意ください
▽ ▽ ▽
→YES
NO
△ △ △』
今度も迷わずにYESを選ぶ。今度はYESを含む全ての文字が弾けるように散らばりポリゴン片へと分解し、目の前に再び集まり一つの人型を組み上げる。それは顔の右半分を長く伸ばした前髪で隠し、後ろも背中まで髪を伸ばした見ようによっては少女のようにも見える黒髪の小柄な少年。身長は150あるかないかといったこの少年こそ僕がβテスト時代に使用していたアバターだ。名前はリアルネームと同じツバサ。一部を除きその容姿はリアルの僕と変わらないそのアバターは【右手】で前髪を掻き揚げ少し色白ではあるものの、僕とは違うきれいな顔を晒す。僕とは違う、何の変哲もないきれいな素顔を、白く濁っていない黒い瞳を…………。
『アバターネーム【ツバサ】
容姿、名前の変更を行いますか?
▽ ▽ ▽
→YES
NO
△ △ △』
選択肢が表示されてからもしばらくの間、僕は静かにそのアバターを眺めていた。小柄な、自分の2本の足でしっかりと大地に立つそのアバターの姿を。
どれくらいの間そうしていたのか、正式サービス開始のアナウンスなどは流れなかったことから一時間以上そうしていたということはないのだけれども、僕は何時間もそうしていたかのような錯覚を覚えながらYESを選択する。
一瞬の視界の暗転。
次視界が回復したとき、僕はツバサになっていた。
静かに持ち上げた右手を眺め、大きく深呼吸をする。
「あぁ、帰ってきたんだ。この身体に…………」
一月ぶりの自由に動ける身体。久しぶりの感覚にバランスをとるのに多少もたつき、ふらふらと身体を揺らしながらも僕は2本の足でたって草原を歩く。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
何の意味もない、ただ出したかったから、ただ今この感情の表し方が分からずとにかく出した叫び声が僕以外に誰もいない草原に響きわたった。
ひとしきり叫び終えて落ち着いた僕は、視界の右上にアイコンが点滅していることに気付いた。運営からメールが届いたことを知らせるアイコンだ。
意識をそれに向けるとアイコンが大きくなり、目の前にメールの内容が展開される。
『only yggdrasil onlineへようこそ
β版、そして正式版両方をプレイしていただきありがとうございます。このたび皆様方β版テストプレイヤー様方のご協力をいただきこの正式サービスを開始することができたこと運営部一同心よりお礼申し上げます。
このたび正式サービス開始に当たってβ版テストプレイヤーの皆様方のアバターステータスはゲームバランスを保つため初期化させていただいております。ご不満に思われる方もおられますと思いますが、なにとぞご理解いただけますようお願い申しあげます。
その代わりというわけではございませんが、β版テストプレイヤーの皆様方にはβ版プレイ時の行動に応じて複数の称号を贈らせていただきます。この称号は正式版から実装されたシステムで、称号ごとに様々な効果を与えるもので、今回贈られる称号はβ版テストプレイヤー様方のみ所得できる限定称号でございます。
どうぞステータス画面からご確認ください』
読み終えるのと同時にメールが閉じられる。
限定称号、つまりβ版テストプレイヤー専用の称号か…………。
うれしいプレゼントではあるけれど、β版時代の自分のプレイを思い出しため息をつく。
「僕モンスターと戦ってないし、武器も使ってなかったからなぁ。一つ二つあればいいけど、もしかしたら無い可能性もあるのかな?」
そう思いながらステータス画面を呼び出す。方法は『ステータス画面オープン』と口にするだけ。
目の前にホロウィンドウが開きそこにステータスが表示される。その右下にβ版には存在しなかった【称号】の項目を見つけそれをタップする。
『【βテストプレイヤー】の称号を手に入れました。
この称号はβ版のテストプレイヤー全員に贈られる称号です。
この称号の所持者は戦闘終了時EX+3%の補正を受けることができます』
「あ、最低一つは貰えるんだ…………っ?」
良かったと思い安堵した僕は、その称号の下にさらにたくさんの称号が並んでいることに気づき息を呑んだ。
「え、称号ってこんなに貰えるものなの?」
数えてみればその数は最初の予想を大幅に上回る12個という大量の称号達。称号の獲得条件を見れば確かに覚えのあるものばかりでなるほどと思ってしまうが、中にはマイナス効果を持つものが存在したり、【チキン】逃走時AGI+10などというプラス効果でも少しひどい名前のものもある。
他の称号について説明していると時間があっという間になくなってしまうのでとりあえず今は置いておいて、アバターの作成を進めてしまおう。
ステータス画面を閉じて視界の端に浮かぶNEXTの文字をタップする。するとちょうど僕の前の草の上に影が落ち、頭上から一つのプランターが落っこちてくる。さらに目の前にoyoに存在する職業の名前が並ぶリストが投影される。投影された画面に指を添えてリストをスライドさせてゆき目当ての職業を見つけてそれをタップする。
『job【アニマルブリーダー(動物使い)】を選択しています。メインジョブはゲーム開始しばらくは変更することができませんがよろしいですか?
▽ ▽ ▽
→YES
NO
△ △ △』
一応間違いがないかどうかを確認してYESを選ぶ。再度表示される確認画面を煩わしく思いながらもYESを選択。画面が消失し代わりに光を放つ種が宙に浮かんでいた。
『jobseedを手に入れました。jobseedをプランターに植えてください』
それに触れることで聞こえてくるアナウンスに従いプランターに種を植えると種は現実ではあり得ない速度で成長し、一瞬で芽吹く。
『job tree【アニマルブリーダー】成長値1』
その上に表示される文字を確認し、自然と笑みが浮かぶ。
このプランターにはジョブツリーの他にアビリティツリーを植えることができ、これがゲーム中でのプレイヤーの成長に影響を与えるoyoのメインシステムだ。
oyoの『あなただけの宇宙樹を育てよう』というキャッチフレーズを集約したようなシステムで、ジョブツリーとアビリティツリーの二種類のツリーを育てて行くことで、ゆくゆくは巨大な樹へと成長するらしい。
ゲーム開始時は目の前にあるプランターのみだが、進めていけば鉢が手に入り、鉢が三つでプランター、プランターが三つで畑となり一度に育てられるツリーの数が増えて行くことになるのだ。ちなみに鉢は1本、プランターは3本、畑は9以上のツリーを育てることができる。
まぁそれは当分先の話なのだけれども。
『アビリティを選択してください』
続いて表示されるリストから僕が選んだのは【フリーラン】と【隠密】の二つのアビリティだ。job seedの時と同じように手には入ったability seedをプランターに植え、プランターの上には3つの芽が並ぶ。
ちなみにこの二つのアビリティ【フリーラン】と【隠密】前者は木登りや壁登りなどの三次元機動に補正がかかり、隠密は気配を消したりといった行動に補正、またそういったスキルを修得できるようになるアビリティだ。
他にもアビリティには【剣術】【火属性魔法】【盾術】【回避術】のような戦闘用のものや【鍛冶】【裁縫】【料理】【調薬】等の生産用のものなど種類も豊富に存在している。これらゲーム開始時のリストに存在するものの他にも、アビリティツリーを育ててゆくことでそこから派生するものや、複数のアビリティが複合して新たに発生する場合もある。
アビリティの設定も終わりアバター作成もこれで終わり。新規のプレイヤーなどはアバターのグラフィックをいじったりなど時間がかかるのだろうが、β版のテストプレイヤーだった僕らはβ版時代のアバターデータを引き継げるため設定に時間がかからない。
正式サービスの開始まで40分。
僕は久しぶりの手足の感覚を確かめるようにプランター以外になにもないこの空間を歩いてその時間を待つことにした。