月の光、言葉の刃
数多の権謀術数が渦巻く平安京。
そこでは、一首の和歌が恋の使いではなく、時に「暗殺の指令書」として機能していました。
もしも、現代の外交官がその「言葉の罠」に気づいたら?
もしも、若き日の安倍晴明が、その異質な知性に惹かれたら?
令和のインテリジェンスと、平安の呪術が交差する。
誰も見たことのない「藤原道長」の物語、開幕です。
月の光が、白砂を静かに照らしていた。
その光の中で、男はゆっくりと目を開ける。
藤原道長──
だが、その胸の奥には、千年後の記憶があった。
「……ここが、平安京か」
開け放たれた几帳の向こう、初夏の月が東山を白く焼いている。
手にあるのはスマホではなく、墨の香りが残る料紙と扇。
(死んだはずだった。紛争地の調停に向かう機内で、あの爆音とともに……)
静かに息を吐き、料紙を凝視する。
そこには流麗な草書で一首の和歌が記されていた。
あふことも なみだにのみぞ しづみぬる
恋の嘆き──
平安の貴族なら、そう読むだろう。
だが、現代の外交官として“言葉の裏”を読み続けた雅信には、
この歌はまったく別の姿をしていた。
「……これは、情報の暴力だ」
第一層、折句。
頭文字は意味をなさない。素人ではない。
第二層、掛詞。
「なみだ」は“波だ”。
「しづみぬる」は“沈める”。
恋歌の皮を被った“作戦指令”。
そして──
決定的なのは第三層、母音配列暗号。
a-u-o-o-o
a-i-a-i-o-i-o
i-u-i-u-u
不自然なほど「i」と「u」が偏っている。
五十音の母音を方位と時刻に対応させる外交官の解析では──
「北……陰陽寮の裏門。時刻は子の刻」
今夜だ。
「恋文ではない。これは“実行命令”だ」
その瞬間、白砂を踏む足音がした。
振り返ると、白銀の髪を束ねた青年が立っていた。
白と薄紫の装束。琥珀色の瞳には、淡い幾何学模様。
「藤原の三男坊が、これほど早く“言葉の歪み”に気づくとは。
……妙な気配ですね。道長殿、貴方は本当に、あの道長様か?」
安倍晴明──
後に伝説となる若き陰陽師。
道長は料紙を差し出した。
「この歌には“欠落”がある。“あ”の音が一つもない」
晴明の瞳が細くなる。
「あ……生命の始まりを欠く歌。呪詛の構造ですね」
「今夜、誰かが消える。
この都を、言葉の罠で終わらせはしない」
道長は扇を閉じ、静かに立ち上がった。
月光が白砂を照らし、
その影が揺れる。
平安京の夜に、最初の“歪み”が生まれた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
細川雅堂と申します。
本作は、平安時代の象徴ともいえる藤原道長を、「現代外交官」という視点から再構築した歴史IFミステリです。
第一話で道長が見抜いた「母音配列」と「あ(生)の欠落」。
次話、子の刻の陰陽寮で、彼は一体何を目撃するのか――。
若き日の安倍晴明、そして清少納言。
史実の英雄たちが、新しい解釈で次々と登場します。
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次回の更新も、どうぞお楽しみに。




