婚約破棄と家族からの虐げで居場所を失った悪役令嬢ですが、隣国皇太子の一目惚れと怒涛の溺愛、そして容赦ない復讐によって次期王妃へとのし上がるまでの物語
第一章 捨てられた令嬢
「——婚約は、破棄させてもらう」
それは、冬の冷たい空気よりも冷ややかな声だった。
私の婚約者、第一王子エドワードは、一片の情すら宿らぬ目でそう告げた。
背後には、私の姉セシリアが寄り添い、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「理由は……姉様、なのですね?」
「ええ。あなたよりセシリアの方が魅力的だ。彼女は社交界の花だし、君には足りないものが多すぎる」
足りない——。
生まれてからずっと、何百回も言われてきた言葉だった。
両親にとって私は、セシリアの引き立て役。姉は美貌と才知に恵まれ、愛され、求められた。私は、ただの比較対象。
母は私を抱きしめたことなど一度もなく、父は失敗や失態の責任を私に押しつけた。
姉は毎日のように私を嘲笑し、髪を引き、ドレスを破いた。
——そして今、唯一「私を必要としてくれるかもしれない」と思っていた婚約者すら、姉の手に落ちたのだ。
「……わかりました。婚約破棄を受け入れます」
声は震えていなかった。ただ、胸の奥が空洞のように冷えていくのを感じる。
その場を去るとき、背後から姉の小さな笑い声が追いかけてきた。
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第二章 家出
婚約破棄から数日後、私は屋敷の自室でただ窓の外を見ていた。
父も母も、この件について一言の慰めもない。むしろ「お前がもっと有能であれば、王家との縁を失わずに済んだ」と責められた。
姉は私の前でわざとエドワードとの仲睦まじい様子を見せつける。
——もう限界だった。
夜更け、私は屋敷を抜け出した。
わずかな衣服と、隠していた少額の金。これだけが、私に残されたすべて。
雪が降りしきる中、街道を歩き続けた。足は凍え、視界は白く霞む。
どこへ行くのかも決めていなかった。ただ、あの家から離れたかった。
やがて、国境沿いの森へ差し掛かった時——。
「危ない!」
誰かの声と同時に、馬上から伸びた腕が私を抱き寄せた。
勢いで雪の上に転がると、目の前に見たことのない美貌の青年がいた。
漆黒の髪、深い蒼の瞳。整った顔立ちには、どこか冷たい威厳が漂っている。
「……君、こんな雪の中で何をしている?」
「……家を、出てきたんです」
うまく説明もできず、ただ息を白くしながら答えると、青年は小さく息をついた。
「俺はルシアン。——アルビオン帝国の皇太子だ」
……皇太子。そんな人物が、なぜ国境近くの森に?
驚きに言葉を失う私を、ルシアンは抱き上げるようにして馬へ乗せた。
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第三章 一目惚れ
暖かな室内。暖炉の炎の前で、私はルシアンから毛布を掛けられていた。
差し出されたスープを口に運ぶと、凍えていた体がじんわりと解けていく。
「君の名は?」
「……アリシア・クロフォードです」
名を告げると、ルシアンはわずかに眉を動かした。
その表情の変化が何を意味するのかはわからないが、次に彼は微笑みを浮かべた。
「アリシア。君は美しい。俺と婚約しないか?」
「は、はいっ……?!」
思わずスープを吹きそうになった。
出会ってまだ数時間、相手は隣国の皇太子。あり得ない申し出だ。
「できません。……私は、価値のない人間ですから」
口にした瞬間、ルシアンの瞳が鋭く光った。
「それは誰が言った?」
「……家族、です」
「——なら、その家族は間違っている」
彼の声は低く、しかし強く響いた。
その瞳に映る私は、弱く惨めな女ではなく、何か大切な存在のように見えた。
けれど——。
「……申し訳ありません。私は、もう誰の隣にも立つつもりはありません」
そう告げると、ルシアンはそれ以上何も言わなかった。ただ、深く私を見つめ続けた。
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第四章 始まる影
ルシアンは私を帝都に連れて行き、しばらくの間、離宮での滞在を許してくれた。
衣食住には困らず、誰も私を罵らない。——それだけで涙が出そうだった。
しかし、数日後。
ルシアンの侍従から耳打ちされた言葉に、私は息を呑む。
「殿下は、クロフォード家と王太子エドワード殿下のことをお調べになっています」
「……なぜ?」
「おそらく——復讐をなさるおつもりでしょう」
胸がざわめく。
私は復讐など望んでいない……はずだった。
でも、もし彼らが罰を受けることになったら——。
心の奥で、何か黒いものが静かに目を覚ました。
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第五章 復讐の幕開け
ある朝、離宮の窓辺から見える街がざわついていた。
人々が広場に集まり、何やら大きな告知を読み上げられている。
そこへ、ルシアンが静かに部屋に入ってきた。
「アリシア。クロフォード家とお前の元婚約者——エドワード王太子のことだ」
低い声には、氷のような冷たさがあった。
「クロフォード家の不正取引、横領、そして平民への暴行。全て証拠が揃った。王家にも報告済みだ」
息が詰まる。
父と母の顔が浮かんだ。いつも私を無能扱いしてきた二人が、今度は公衆の面前で糾弾される……?
「そしてエドワード。外交の席で、婚約者を公然と侮辱した件が国際的な問題として取り上げられた。王国の面子は丸潰れだ」
ルシアンの唇が冷笑を形作った。
「俺は彼らを潰す。お前の代わりに」
「……なぜ、そこまで?」
「君を奪ったからだ。——そして、君を泣かせたからだ」
その言葉に胸が熱くなる。
でも同時に、私の中で何かが疼いた。
もし、彼らが罰を受けたら……私は、少しだけ報われるのだろうか。
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第六章 落ちていく者たち
復讐は驚くほど早く進んだ。
ルシアンは隣国との経済協定を一時停止し、その理由として「クロフォード家と王太子の非礼」を公式声明で発表した。王都の商人たちは激しく動揺し、父は取引先を失って資金繰りに追われる。
母は社交界で噂の的になり、招待状が激減した。
あの誇らしげな笑顔は消え、代わりにやつれた顔が新聞に載った。
そして——姉、セシリア。
エドワードの婚約者として社交界デビューするはずが、国際的な批判を受けた王太子との婚約は白紙になった。
それだけでなく、彼女自身が平民への暴行や虚偽の証言をしたことも明らかになり、貴族令嬢としての立場を失った。
「……これで、少しは気が晴れたか?」
ルシアンが問う。
私は答えられなかった。
心の奥では、確かに痛快だと感じている自分がいたから。
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第七章 揺れる心
復讐の渦中でも、ルシアンは私に穏やかに接した。
朝食を共にし、庭園を散歩し、夜は暖炉の前で静かに語らう。
「アリシア。君はまだ俺の婚約者になる気はないのか?」
またその問い。
私は目を伏せる。
「……怖いんです。人を信じることが」
「俺は裏切らない」
「そう言った人を、信じて裏切られたんです」
沈黙が落ちる。
けれどルシアンは、諦めたような表情は見せなかった。ただ優しく、しかし揺るぎない声で言った。
「なら、信じられるまで隣にいよう。何年でも」
——この人は、本気なのだろうか。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
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第八章 終焉と告白
復讐が最終段階に差し掛かった日。
クロフォード家は爵位剥奪、財産没収。父と母は地方へ追放され、二度と都には戻れない。
エドワード王太子は王位継承権を剥奪され、辺境領地への左遷が決まった。
セシリアは庶民として働くことを強いられ、あの傲慢な笑顔はもうない。
私は離宮のバルコニーで、その報せを聞いた。
「……終わったな」
ルシアンの声には達成感と、どこか安堵が混じっていた。
「これで、お前を縛るものは何もない」
「……本当に、全部……あなたが?」
「ああ。君のために」
その瞳は真剣そのものだった。
私は胸の奥から溢れ出す感情を抑えられず、ただ小さく頷いた。
「……婚約を、受けます」
ルシアンは一瞬、息を呑み——そして、子供のように笑った。
「必ず幸せにする。もう二度と、孤独にしない」
その言葉に、私は初めて心から微笑んだ。
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第九章 次期王妃として
婚約発表は帝都中の話題となった。
「雪の夜に救われた令嬢が、皇太子妃に」という物語は、人々に祝福され、羨望を集めた。
私は豪奢なドレスに身を包み、ルシアンの隣で人々の祝福を受けた。
その手はしっかりと私の手を握り、まるで「もう離さない」と誓っているかのようだった。
「アリシア、笑って」
「……はい」
ルシアンの隣で笑うことが、こんなにも自然だなんて思わなかった。
かつての私は、家族の影に怯え、誰にも必要とされない存在だと思っていた。
けれど今、私の居場所ははっきりしている。
——それは、彼の隣だ。
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エピローグ
雪が舞う夜、離宮の庭園で二人きり。
ルシアンは私の肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。
「君は、俺の運命だ」
その声は暖かく、真っ直ぐで、嘘のかけらもない。
私は微笑み、そっと彼の胸に額を預けた。
もう、あの冷たい屋敷には戻らない。
私は皇太子の婚約者、そして未来の王妃——。
愛と誇りを胸に、これからの人生を歩いていく。