其の伍「消灯」
今日、真壁禄郎は、本邦最遅の電化工事の主任担当者として、博覧記の片隅に名を残している。禄郎を良く知らぬものは、凡そ不名誉な称号だと言って彼を笑ったが、実地を見たことのあるものは、彼が推進した電化事業を偉業と称えている。猛威を振るう自然と上手く折り合いを付けながら、着実に電化を推進した禄郎の粘り強さは驚嘆に値すると。
幾度電線が千切れ、電灯が倒れようと、禄郎は鷹揚に対応したという。
「物の怪共がまた悪戯をしている」
そう言いながら、祠を建てるでもなく、祝詞を挙げるでもなく、類稀な科学的見地をもって諸問題を解決していった。今でも、禄郎が電化を施した地域においては、電灯や樹木の様な棒状の物体が倒れた時に、禄郎に倣って「一つ目小僧が舐めた」という特有の言回しが使われている。
故郷の電化を見届けた後、禄郎は八十八歳でこの世を去った。同年、禄郎の妻・理子も他界しており、心配性の禄郎が後を追ったのだろうと周囲は噂した。
電化事業最大の功労者である禄郎の葬儀は、光に溢れるきらびやかなものになるだろうという人々の期待とは裏腹に、粛々と、過不足無く、しめやかに営まれた。
たった一つ、故人の遺言に従い、通常の葬儀とは違ったことが行われた。
葬儀終了から一分間、村中の電灯を消して黙祷を捧げるというものだ。
誰に、何を祈れば良いのか禄郎は指定しなかった。他ならぬ禄郎が「電灯を消せ」などという珍妙な遺言を残した理由について、人々はこぞって首を傾げながらも、禄郎の功績を偲び、それに従った。
一分間の黙祷の後、禄郎の遺影の前には、色鮮やかな花々、変わった形の石、山菜薬草の類が山と積まれていたそうだ。(了)