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電灯  作者: 瑠璃丸
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其の肆「夜」

 一つ目小僧との邂逅の後、禄郎の周囲では奇妙な出来事が頻発するようになった。


 最初に現れたのは、河童だった。現場の進捗を確認した禄郎が家路に着く際、小さな淵の脇を歩いていると「きゅう」「きゃあ」と言った声が聞こえた。声が聞こえる方に目を遣ると、何と河童が立っていた。禄郎は河童を見るのは初めてだったが、全身をぬめぬめとした粘液に覆われ、甲羅を背負い、皿を頂くそれは、河童という他は無かった。河童は震える手でビー玉程度の大きさの石を差し出し「きゅう」「きゃあ」と鳴いた。

「何だ、それは?」

 禄郎が声を掛けると、河童は大層慌てた様子で手を引っ込め「きょおお」と言う頓狂な鳴き声と共に淵に没した。暫く待ったが、再び浮かび上がってくることはなかった。


 以降、多種多様な物の怪が禄郎の前に立ち現れた。鬼、入道、雪女、しゃれこうべ、枚挙に暇がない。彼らは決まって、禄郎が一人きりの夜に現れ、意味不明な行為に及んだ。話し掛けてくるもの、怒鳴りつけてくるもの、着いて来るもの、良く分からない舞を舞うもの、様々だった。一つ目小僧の言うところの「邪魔」が何を指すのかは判然としなかったが、禄郎の集中は乱され、不具合が頻発した結果、工期は更に遅れた。

「嫌がらせが地味に過ぎる」

 現場に弁当を届けに来た理子に思わず愚痴をこぼす。工事の邪魔をするならするで、幾らでも方法が思い付く。尻を振って踊り狂うことで何を齎そうとしているのか、物の怪の意図が全く見えなかった。

「私はノイローゼが何かを患ったのだろうか」

 そもそも物の怪が見える、物の怪と話せるということが異常である。物の怪の真意を推し量るより、自らの正気を疑うべきかも知れないと禄郎は考えていた。

「まさか」

 理子は笑って応じ「正気を失った人に電線は繋げませんよ」と言って、禄郎に茶を差し出した。禄郎は熱い茶を一飲みすると「だよなぁ」と吐き出した。

「でも、少しだけ、羨ましい」

 不服そうな禄郎の様子を認めつつ、理子は鷹揚に言う。

「私も物の怪に遭ってみたい」

 周到なのか偶然なのか、物の怪は他の者の前には姿を現さなかった。徒党を組んで大々的に反対運動でも繰り広げてくれれば、町長への説明も楽なのだというのに。工期の遅れの理由を如何に「捻出」するかは、電化事業における禄郎の悩みの種だった。工期の遅れは、当初計画の半年に上っていた。「最後に電化された村」という不名誉な称号が現実味を帯びてきており、正直に言えば禄郎は焦っていた。猫の手でも借りたかった。

「なぁ、理子」

 思索に耽っている内に席を外した理子に声を掛ける。熱いお茶がもう一杯欲しかった。返事は無かった。

「理子?」

 やはり返事は無い。衝立の向こうで、理子が血を吐いて倒れていた。


 山道は暗い。電気が通っていないのだから当然だ。禄郎は理子を背負い、山道を歩む。村に医者は居ないから、手遅れになる前に理子を町の病院に運ばねばならない。吐く息は白いのに、汗が滝の様に流れた。碌に舗装されていない道を殆ど当てずっぽうに歩くと、忽ち足の皮が削げた。

「理子、大丈夫か?」

 禄郎は背中の理子に声を掛けるが、ぐったりとしていて返事は無かった。微かに呼吸音が聞こえることがせめてもの救いだった。泥濘に足を取られ、体勢を崩す。裂けた皮から血が吹き出すのが分かった。理子を背負い直し、歯を食いしばって歩を進めた。幼い頃を過ごし、見知った山道である。ほんの少しの灯りさえあれば、一時と経たぬ間に病院に辿り着くだろう。しかしながら、今は一寸先さえも見えぬ真純なる闇の只中だ。理子を庇いながら、道を急ぐのは自殺行為に等しかった。

「畜生」

 禄郎は心の底から夜を憎悪した。必ず電化を成し遂げると心に誓った。物の怪共の行く末など知ったことか、どうあっても人間には光が必要なのだと叫んだ。


 不意に、灯りが灯った。禄郎は遠くにぼんやりと光る青白い炎を認める。炎は一つ、また一つと数を増やし、山道は幻想的な光に包まれた。

 「幽霊火」とも称される自然発火現象は、科学的にはリンの低温発火によるものと言われている。科学の徒である禄郎もそうした知識を持ってはいたが、果たして彼はそれを「幽霊火」と認識した。禄郎は奇跡を信じない。都合の良い理屈を廃して生きてきた。自身が窮地に陥った時、都合良くリンが埋蔵された場所を通り、かつそれが低温発火を起こすなど、到底信じることが出来なかった。ここ最近の事情を鑑みれば、物の怪の類による現象とした方が理屈に合っていた。それなら、割り切れると思った。

 思索に耽っていたことに気付き、禄郎は山道を急いだ。灯りさえあれば勝手知ったる道である。道程は順調であった。幽霊火に混じり、町の灯りが見え始めたところで、ようやく安堵することが出来た。理子も落ち着いている。文字通り峠は越えたのだ。

「何故だ」

 安堵ともに禄郎の口をついたのは、疑問だった。禄郎は、言わば夜を奪う者であり、物の怪とはそもそもの立場を異とする。見殺すなり、惑わすなり、嘲笑うなりすれば良いものを、どうして彼とその妻を救うような真似をしたのだろうか。

 禄郎は背後の山を振り仰いだ。ぽつりぽつりと浮かぶ青白い炎に照らされて、あの小僧がこちらを見ているのに気が付いた。小僧は禄郎を認めると「そぜいこうか、そぜいこうか」と歌うような調子で言った。呆然としている禄郎に向けて、その単眼を見開き、

「山の物の怪一同。斯様に年貢は収めたぞ」

 朗々と叫び、自らの顔を一舐めした。同時に幽霊火が気炎を増し、辺りは花火が上がったような明るさとなった。怪しげな光の奔流の中、居住まいを正し、深々と一礼した。

「宜しく―――お頼み申す―――」

 幽霊火が消える。じわりと拡がる闇に溶けるように、小僧は姿を消した。


 辺りが再び夜闇に包まれる中、禄郎は暫し放心していた。我に返り、背なの理子の様子を確認すると、眼を開いていた。弱々しくはあるが、ニコリと笑みを浮かべるのを見て、禄郎は身体の力が抜けるような気がした。

「可愛らしい、小僧でしたね」

 背中から理子の声がした。「見えたのか」と問うと、微かに頷く気配があった。

「私はどうやら、物の怪から税を取ってしまったらしい」

 これからどうしようか――禄郎はカラカラと笑った。

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