其の弐「電化」
「電気をね、通したいのですよ」
恰幅の良い町長が、冬だと言うのに滴る汗をハンカチで拭いながら言った。
「通せば良いでしょう」
手元の帳面から眼を離さずに禄郎は応じた。褒められた態度ではないが、町長は困り事がある度に、国家公務員上がりの禄朗を頼ってきた。多分に恩を売ったのだ、少々の恨みを買う位で丁度良いと禄朗は考え、実践していた。
「場所はね、なんと、君が生まれた村だ」
作業の手を止め、禄朗は町長に向き直る。
「難しいと思います。そもそも、他に優先すべき事業が山積しているでしょう」
一時とは言え、首都の電化を担った身である。あの僻地に電気を通すことがどれ程困難か、禄郎には容易に想像が付いた。費用対効果が少なすぎる。
「ですがね、真壁君。このままだと、最後になってしまうのですよ」
発言の意図を汲み取れず、禄郎は思わず町長を見つめた。町長は眼を合わせてくれて嬉しいとばかりに満面の笑みを浮かべて続けた。
「知っての通り、我が国の電化事業は佳境に来ています。本当に佳境です。どん詰まりです。知っていますか。今や誰もが気にしているのです。最後に電化されるのは何処か。何処のど田舎かと」
達磨の様な顔を真赤に染めて、町長は言った。
「私は町政を預かる身として、あの村を不名誉極まりない「最後の村」にしたくないのです。君だって同じ気持ちの筈だ。だって、あの村は――」
――君の生まれた村でしょう?
職を辞し、東京を出た禄郎は郷里に戻っていた。戦争を経て、様々な事情が重なった結果、現在の真壁家の事実上の当主は末妹・数となっていた。家を出た六男が実家に厄介になるのも外聞が悪いため、故郷に程近い町に居を構えた。さて、何をして働くかと思っていたところに、件の町長に三顧の礼で迎え入れられた。慢性的な人手不足のなか、国家公務員の経験がある禄郎という人材は喉から手が出る程欲しかったのだろう。
「国に灯りを、か」
一頻り騒いで満足した町長が去った後、禄郎は作業机に頬杖を付きながら独り言ちる。電化事業自体は嫌いではなかった。机上の計算通りに、ケーブルを電子が走り、光が齎される。その理屈を美しいと思った。村の電化を以て故郷に錦を飾るという気障な感傷とは無縁な質だったが、不思議な巡り合わせの様なものは感じていた。多分、それは「正しい」ことなのだと。
妻のため、過重労働はしないという条件の下、禄郎は電化事業の主任担当を拝命した。