身長儀
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
身長。
これもまた、天が個体に与えた特徴のひとつだと思うんです。
いかに背を伸ばすための方法、習慣を心がけたとしても、人間ならおおよそ20歳までにはほぼ背の高さは完成してしまうと聞いたことありますね。成長の早い女子などは10代半ばで伸びは止まり、そのまま安定するのだとか。
本気で身長を伸ばしたいと欲するなら、それこそ人生の早い段階で決意し、アクションを起こさないと、どんどん目がなくなっていくわけです。
早い時期に栄養、運動、睡眠……身体の調子をととのえる要素は成長期でも大いに有効ですが、その潜在能力は遺伝子によって左右されるところも大きいとされます。
高身長になれるポテンシャルを秘めた遺伝子ならば、のびしろもあるでしょうが、その逆だといかんともしがたい。
積み重ねが大事とはつねづねいわれますが、それは自分が誕生するより前。生きる時間よりはるか長く継がれたものを、改めるのは容易なことではありません。
なかば定められた運命。それを一代で覆そうというなら、尋常ならざる手段を用いるのもまた無理ないことかもしれませんね。
最近聞いた、低身長への抗いの話のひとつ。聞いてみませんか?
父がまだ学生のころだったといいます。
年が明けてからの新学期を迎えたクラスで、とある噂が流れ始めました。
「南橋の下に、赤ん坊を埋めている人がいる」と。
なんとも、物騒な字面ですよね。
南橋といえば、父の通っている学校の学区端にある、大きな橋。歩いて渡るに6,7分は要するほどの長さです。
話を持ってきた子がいうには、橋の中央あたりの真下。中州になっているあたりで、赤ん坊らしきものの姿を見たというのです。
その子の趣味は川釣りだったとのことで、少しまとまった時間ができると、くだんの川へ足を運んでいたのだとか。
最近のお気に入りポイントは話にも出てきた中州で、昨日もそこへ飛び石伝いに渡っていこうとしたのですが、途中で足を止めてしまいました。
赤ん坊の泣き声が、聞こえてきたんです。
近づくまでは、もともとの川のせせらぎにかき消されていて気付かなかったのですが、いざ中州に近づくと、まだ生まれたばかりのいとこに似た声が耳朶を打ったのだと。
飛び石の上へ立ったまま、その子は横長の中州を見つめます。目がよいので、20メートル前後はありそうな幅の隅々まで、視認することができました。
そうして、橋の真下。晴れ渡るその日の天気にあって、唯一暗い影を落とすその部分に赤ん坊が埋まっていたといいます。
遠目に見ただけですが、どこがまなこかも分からないほどクシャクシャに顔をゆがめて泣く赤ん坊ですが、地面より出ているのは首より上の部分だけ。
その時代錯誤な様子は、その子に「助けよう」という気持ちより「怖っ!」という気持ちを勝たせるに十分。すぐさまその場を逃げ出したうえで交番に駆け込み、おまわりさんを伴って川へ戻ったそうなんです。
ところが、取って返すまでの10分程度で赤ん坊の姿はなくなっていた。中州へじかに足を運び、橋の下の地面を入念に調べたのですが、埋まっていたあとさえ見当たらずに首をかしげてしまった……とのことでした。
見間違いだったにしても、想像してみれば異様な事態。
うわさを聞いた有志の子たちが、放課後に南橋へ向かったそうですが、埋められた赤ん坊を見つけることはできなかったそうです。
父は自称慎重派でしたので、みんなへついて行くようなことはせず、そのまま家に帰って家族にその話をして、心当たりを尋ねてみたんです。
すると、当時存命だった父の祖父。私の曽祖父がかつてこの地域で行われた「身長儀」にそっくりだと教えてくれたそうです。
身を長くする儀式。略して身長儀。
話を聞いてみて、父はよもやそのようなことをする輩などいないだろうと、直後は想っていたそうなんですね。
けれども数日後。自転車をこぎながら、たまたま南橋を通りかかったとき、目の当たりにしてしまいます。
橋の上の車道は、ようやく車たちがすれ違えるかという程度の幅で、自転車が走ればまず間違いなく交通の邪魔になるところ。やむなく歩道を走っていた父を、また一台の車が通り過ぎていきました。
その窓から、にわかに飛び出したものがあって、父はつい目を見張ってしまいます。
吸い殻なんてものじゃありません。もっとボールみたいな大きさで、歩道も欄干も飛び越えて、橋下へ落ちていってしまったんです。
――身長儀はな、赤子を橋の上から下へ投げ落とすことにより始まる。それによって赤子が生き残る確率はとほうもなく低いだろう。ゆえにまずやる奴はおらず、いるとしたら気が触れたか、のっぴきならないものを抱えているのだろう。
そう曽祖父はいっていたとなれば、いま投げ捨てて遠ざかっていく車の主は頭のねじが飛んでいるわけです。いやあ理解の及ばない人と普段どれくらいすれ違っているか、わかりませんね。
驚いた父は完全に車を見送ってしまいましたが、我に返って欄干から見下ろします。
落としたものらしいブツは判別しづらいですが、本当に橋の真下へ落ちたのならいささか見づらい。
橋を渡り切って、たもとに自転車を停めた父は、身長儀かどうかを確かめるべく橋の下へ急ぎます。
先ほど確かめた地点もやはり川の中州部分。
――赤子がうずまり、泣いているのを見たならな。そこより背後の流れを見ろ。儀がはかどらずば、ただの川。だが、かなってしまうなら……。
父はぴょんぴょんと石を伝い、中州へ到着。橋の真下の影の部分で、首より下がうずまりながら泣き続ける赤子を見ます。
たいてい、上から下へ落ちるなら重くなる頭こそが下へ行きがち。それがこうも足から着地するばかりか、きっちり地面へ埋まる時点でただ事ではないでしょう。
父は曽祖父に言われた通り、赤ん坊の脇を通って、その背後。中州の端へと向かいました。
そこの川の流れを見て、父は息を飲みます。
いつも見る清流の姿はありません。
代わりに、流れの中で身を広げているのは、人の肌を思わす皮だったといいます。
水面下に広がる、マットのごとき人皮の広がり。父は目を点にするばかりで、言葉を失ってしまいました。
どれくらいそうしていたか。やがて唐突に皮は引っ込んでしまいます。
流れに逆らう形で、中州を作る石たちの下へ。父の足下へ。ひいてはあの埋まった赤子の方向へ。
はっと父が振り返ったとき、あの埋まった赤子の姿はそこにありませんでした。
代わりに、裸足で中州の上へ立つ子供の姿を見たのです。いや、背の高さであるなら180センチをくだらない印象でした。しかし、変わらず赤子の鳴き声はそこから届いてくるのです。
そこから一足で横に飛ぶや、どぷんと大きな水柱を立てて、背の高いものは流れへ潜ってしまったようです。
父は川の中へ入ることこそしませんでしたが、それでも目を凝らして赤子の姿を探したとのこと。しかし、あの長身のゆくえは分かりませんでした。
曽祖父に報告をすると、その長身はほんのいっときのもの。
水へ潜るや消え失せて、おそらく今ごろはすでに放り捨てた者の腕の中へ戻っているだろう、とのことでした。
ことがうまく運ぶなど、天文学的に低い確率。しかし、それを抜いたのならばいかようにも都合よくことが進む。
かの子はやがて大きくなったら、先に見たような長身をもって姿を見せるだろうと、曽祖父は語ったそうです。