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【小説】緑の玉石


この作品は、note、ステキブンゲイ、ノベルデイズ、エブリスタ、pixiv、アルファポリス、ツギクル、小説家になろう、ノベマ、ノベルアップ+、カクヨム、ノベリズム、魔法のiランド、ハーメルン、ノベルバ、ブログ、に掲載しています。


「これ、ちょっと面白い話なんですけど ───」

 彼女は唐突にホースを取って、花に水をやり始めた。

 なぜか、水道水をかけられた花が、瑞々(みずみず)しく色を鮮やかにして伸びていった。

 そして、僕の心臓は高鳴り始めた。

「壺の中に、岩を入れたらいっぱいになりました」

「でっかい岩ですね」

 他に言うことがないので、適当に答えたのだが彼女は口元を艶やかに弾くように言葉をつないだ。

「小石なら、まだ入りました」

「なるほど、限界はまだ先なんですね」

「またいっぱいになったので、砂を入れます」

「なるほど、(あきら)めてはいけませんよね」

 ホースを持ったまま両手を丸く壺の形に動かして、口を平らに()でるポーズで止まった。

「もしかして、最後は」

 人差し指をピンッと伸ばしてこちらに向けながら、ウインクした顔に、前髪がかかる。

 匂い立つような色気と、天使のような清らかさが同居した、奇跡の笑顔に心臓を射貫かれてしまった。

「ジャーッとね」

「植物も、うちのベランダにまだまだ植えられそうですね。

 なかなかの営業力だと思いますよ」

 ふっと笑いながら財布に手をやったが、火照(ほて)った顔から注意をそらそうとした照れ隠しだった。

「お客さん、毎度あり。

 でもね ───」

「何か、裏がありそうですね」

「あなたにとっての『岩』は、壺に入っていますか。

 もし、入っていなかったら、一度壺を空にして差し上げましょう」

「え ───」

 彼女は、僕の心に深く踏み込んできたのだ。

 なぜ、気づかなかったのだろう。

 ギュッと下唇を噛みしめ、俯いた僕は、

「いえ、それは僕の役割です。

 あなたの壺には、僕の岩を入れてください」

「あれ、ちょっと嫌らしいこと考えましたか」

 ポッと頬をピンクにした彼女の顔は、恥ずかしさに少女のようなあどけなさを感じさせた。


 春の温かい陽射しが、ガラス窓を通して降り注ぎウッドデッキを鮮やかに照らす。

 葉の先に大きな(しずく)を乗せて空へ向かって開き、生命を謳歌する草花。

 濃い影を作り、落ちた雫が宝石のようにきらめきを放つ。

 窓際のクローゼットから、緑のストライプに彩られたネクタイを抜き取って、クリーニングの(のり)が香るワイシャツの(えり)にかけた。

 しっかりとウインザーノットで結び目を作りながらベランダの花を眺める。

 鏡で寝癖(ねぐせ)をチェックしながら手櫛(てぐし)で整える視線の端には豊かな緑と燃えるような赤い花のコントラストが(まぶ)しい。

「今日は、良い天気だね。

 たくさん水を吸って、花を咲かせてね。

 行ってきます」

 顔が出るくらいに窓を開いた隙間(すきま)から花に声をかけるとカバンに手をかけた。

 商社マンの水野 智幸(みずの ともゆき)は、毎朝5時に起きてベランダの草花に水をあげて語りかける。

 仕事は忙しくて、退社が遅くなっても欠かさない。

 最寄り駅に着くと、ちょうど電車が入って来たところだった。

 走ってホームへの階段を駆け降りる人波に乗り、列の最後尾につけると電車のドアが開いた。

 重い機械音と共に左右から列を狭めてぽっかり口を開けた空間に、人がなだれ込む。

 水野の前の背中は、脇目も振らずに車内へと急ぐが席はなく、反対側のドア付近で止まった。

 座席に座った人々は、スマホを片手に視線を落としている。

 吊革に掴まっているスーツ姿の人々もスマホを手に首を曲げて釘付けだ。

 車窓には住宅街が左から右へ流れて行き、自転車や車で先を急ぐ人々もまた流れて行く。

 やがてビル街に入ると地下鉄に乗り換えた。

 ホームも車内も人が溢れ無機質なタイルと調和して、顔の表情はない。

 見慣れたサイネージに流れる広告が目に入ると、思わず視線を外した。

 小さくため息をついた彼の片手には、買い物袋に入った鉢植えの花が見え隠れしていた。

 満員電車に押しつぶされないように、腕を張って空間を作りながら視線を花に向けている。

 こうしていると雑踏の厳しい空気が和み、心に春風がそよぐのだった。


 水野の席は日当たりのいい窓際にあった。

 花や観葉植物を机の上に置いているので、課長の計らいで今の席に落ち着いたのだった。

「それは、何て花ですか」

 通りかかった女子社員が鼻をひくつかせて鉢に顔を近づけた。

 髪を掻き上げて、さも気分良さそうに香りを吸い込んで目を細める。

「イテアです。

 花が穂になって一気に開くのが特徴です」

「いい香りですね」

 こんなやりとりが、日に何度かある。

 この前などは、課長に呼び出された。

「水野さんがうちの課に来てから、体調不良者が減ったと言われてね、今度部長も話を聞きたいと仰っていたよ」

 などと言われた。

「これ、もしかしてイテアかい。

 昔良く行った、父の実家に植わっててさ、いい香りがするんだよな」

 近くの席から声がした。

 口角を上げ、笑顔を作って見せた水野に言葉を続けた。

「そう言えば、最近行ってないなあ。

 今度おばあちゃんに連絡とってみようかな」

 笑い返して、また書類に視線を落とした。

 息つこうと廊下に出ると、いくつか鉢植えの小振りな木が置いてある。

 数メートルごとに緑がある廊下は、白い壁に映えて気分を落ち着かせた。

 社内で観葉植物を置く話が持ち上がったとき、当然水野にも相談があった。

 あまり派手なものではなく、大振りの葉がつく「フィカス・ウンベラータ」を薦めた。

 愛らしいハート形の葉がつくことから「夫婦愛」や「永遠の幸せ」の象徴とされている。

 これを見た社員が結婚をしたとか、元気がない社員が前向きになったとか、自然と噂が広がっていったのだった。

「やあ、花部長」

 白鳥部長とは、水野が本社にやって来たときからの付き合いである。

 鉢植えの花を家に置きたいとか、他の課でも社員が落ち着いて仕事できるようにコーディネートして欲しい、と相談されたこともあった。

「どうも」

 立ち上がってペコリと頭を下げる水野に、声を落として耳打ちをした。

「実はね、ちょっとメンタルが落ち込んだ社員が増えている課があるのだけど ───」


 閑静な住宅街を歩いて行くと、車が一台通れる程度の道に面して、鮮やかな赤やピンク、白を織り交ぜた花束が外に出されている。

 ダークグレイの太い(はり)と柱が、まるでモダンな額縁(がくぶち)のように花々を収め、白くて長いバケツとその足は、植物の有機的なフォルムと対比して眩しく輝いて見える。

 大きく開放的なガラス越しに店内の暖かい照明が()れ、安らぎを求めて花を買う水野の心を優しく包む。

 ガラス窓の右上には細くてモダンな明朝体を斜めに倒した文字で、軽やかに「花の妖精 シシリイ」とあった。

 腰をかがめて花を抜き出し、水やりや水切りをしている女性は、水野よりも少し年下だろうか。

 スラリとしているが小柄で、この細腕で重たい水が入ったバケツを運ぶのは大変だろう、などと思いながら遠目に眺めていた。

「いらっしゃいませ」

 腰をかがめたまま、顔を向けてニッコリ微笑む彼女の仕草が、まるで花の妖精のようで、花束の一部になった様な輝きを放っていた。

 少しドギマギした水野は、視線を()らして花束の香りを楽しむ振りをした。

「いやあ、薔薇(ばら)の香りは濃厚ですね」

 深紅の薔薇を贅沢(ぜいたく)にあしらった花束は、見ているだけで鼓動が激しくなってくる。

 白い百合(ゆり)やマーガレットなど、白い花を中心にしたアレンジには、純潔な美しさがある。

 そして、色とりどりの鮮やかな花をちりばめた物などは、この世の幸せをすべて詰め合わせたような恍惚(こうこつ)をもたらした。

 生きている花々から、無限のエネルギーを心に注入して人間は生きている。

 ガーデニングができないマンション暮らしの水野にとって、鉢植えや切り花の世話をして、眺めることが何よりの(なぐさ)めだった。

 明るいリーフグリーンのエプロンの左胸につけたネームプレートには「森下 萌(もりした めぐむ)」と太いゴシック体で書かれていた。

 花屋の店員さんを名前で呼ぶことはないが、その名前と彼女の立ち姿を初めて見たときから、脳裏に焼き付いていた。

 棚に飾られた鉢植えに目を留めた水野は買い求めることにした。

「これを、お願いします」

 彼女と言葉を交わす瞬間は、心臓が飛び上がるほど刺激的なひとときだった。

「ありがとうございます」

 ビニールのフィルムで飾り付け、手提げ袋に収まった花は、さらに輝きを増す。

 (いろどり)にどうぞ、と緑の玉石をサービスしてくれた。

「この玉石は、軽石に天然の色がついた珍しい物です。

 植物の成長を助けるだけでなく、人も育てる、なんて言われてるんですよ」

 目を輝かせて話す彼女に、水野は目を奪われていた。


 持ち帰った鉢植えを窓際に置いて、リボンでラッピングされた箱を丁寧(ていねい)に開けていく。

 緑だった玉石は、まるで銀の糸を織り込んだお手玉であるかのように、ラメのような輝きを放っていた。

 天然物というから、(こけ)でも生えているのかと思っていたが、表面は小さな穴が空いた軽石のようだった。

 シャリシャリと、(こす)れて高い音のする石を、ベランダの鉢植えの中に数個置いてみた。

 すると、葉や茎もまたラメがかかったかのように輝き始めたのである。

「これは ───」

 陽の光を反射して、キラキラ輝く花壇と化した光景に、しらばく息を飲んで見とれていた。

 我に返った彼は、先ほど買ってきた鉢を玉石の近くに加えると、リビングに戻ってコーヒーを()れ始めた。

 袋から豆を取り出し、コーヒーミルにザラザラと流し込むと、その音がやけに心を(おど)らせた。

 自然と鼻歌交じりになり、カップソーサーとスプーンを取る手に、心地よい感触があった。

 いつものクラシック音楽をかけても、体が自然に揺れ始め、コーヒーカップを取ると心が弾む。

 たまらなく陽の光が恋しくなって、カーテンを全開にして陽だまりにあぐらをかいて座ってコーヒーを(すす)った。

 仕事のために読んでいる、雑誌の電子版を開いて視線を落とすと、文字が頭にスイスイ入ってきた。

 あっという間に読み終えて、英語のテキストを読み始めると、こちらも淀みなく進んで行く。

 何もかもが、うまくいくので面白くなって出掛ける支度をしてドアを開けた。

 玄関で靴を突っかけて足を入れると外に出て、鍵を取り出し閉めようとしたときである。

 輝くような風景が、急に色褪せたような気がした。

 そして気分が急に落ち着いてきたのである。

 なぜ、外出しようとしたのかも分からなくなった。

 廊下を見回すと、灰色の床とベージュの壁があるばかり。

 ベランダを眺めていた方がマシだった。


 翌日、出社した水野のスケジュール表に、白鳥部長との面談が組まれていた。

 指定の時間に会議室をノックする。

「やあ、水野さん。

 忙しいところ、済まないね」

 部長自らドアを開け、招き入れた室内には、もう一人若い女性が立っていた。

「部下の下村 乃々香(しもむら ののか)さんだ。

 実は、深刻な相談があってね、他言無用でお願いしたい」

 そう切り出すと、下村という女性社員は立ったまま座ろうとしなかった。

「私、横領なんてしていません。

 でも、疑いをかけられて辞めろと、ほのめかされるくらいなら辞表を提出指せていただきます」

 水野に、というよりも白鳥の方へ向かって言った。

 (うつむ)いて影になった顔に、ハンカチを当てて鼻を啜っている。

 髪を垂らして隠された顔は、ほとんど誰だか分からなかった。

「まあまあ、落ち着いて。

 まずは座って話しましょう」

 ポカンとして2人のやり取りを見ていた水野に、

「この通り、相当にショックを受けていてね。

 君なら年齢が近い、というのもあるが、ほら、あれだ」

 視線の先には、水野が先日発注したばかりの観葉植物が元気に葉を広げて窓へ向かって伸びていこうとしていた。

「はあ ───」

 イエス とも ノー ともつかない曖昧(あいまい)な返事をして腕組みをすると、胸の内ポケットに小さな箱の感触を認めてハッとした。

 立ち上がった水野は、決然として箱を取り出し彼女の方へと近づいていく。

 目の前に音もなく置いた箱を開き、例の石を取り出した。

「これは ───」

 彼女はわずかに顔を上げ、石に指先を触れた。

 指先から波動のような光が(ほとばし)り、輝きが増していく石が徐々に宙に浮いていく。

 3人の顔が、まばゆい光に照らしだされ、部屋全体が光に満たされた。

「これは、奇跡か」

 白鳥部長が呟いて、石に手を伸ばそうとした。

 すると()き物がとれたように、微笑(ほほえみ)を取り戻した下村の、晴れやかな横顔にぎょっとした。

「水野さん、この石は」

「人を育て、幸せにする『緑の玉石』です」

 春の日差しのような、暖かい光が心を包み、どんな困難も乗り越える力を与えるのを感じたのだった。


「本当かね、水野さん ───」

 ガランとした会議室の片隅に、豊かな葉をつけ天井近くまで伸びた鉢植えの木が、少し身を低くして無理に窓の方へと枝を伸ばそうとしていた。

 曇り空だった窓の外には、ポツリポツリと雨の雫が落ち始めた。

「はい、辞めようと思っています」

 テーブルに視線を落として、暗い声で水野は言った。

「君がいなくなると、困ったことになるなあ」

 白鳥部長は腕組みをして天井を仰いだ。

「そうですよ、あなたのお陰で私は自信をもって無実を証明できたのですよ」

 先日相談を受けた下村の語気は強かった。

「決心は硬いのか。

 せめて理由を聞かせてくれないか」

 水野の視線の先には、先日「緑の玉石」の力で倍以上に成長した「青年の木 ユッカ」が光を受けて室内に優しい木漏れ日を落としていた。

「実は ───」

 言い(よど)む水野の口元に、2人の視線は集まった。

「結婚します。

 妻と一緒に事業を起こすために辞めるのです」

 勢いをつけて席を立ち、窓際に歩いて行く水野の背中は晴れ間が差した陽射しを受けて、(まぶ)しかった。

 白鳥も、下村も立ち上がると表情をパッと明るくした。

「なんだ、そう言ってくれればこんな心配を ───」

「いえ、社内には、まだまだたくさんの問題があります。

 それを考えれば、門出を祝っていただく気分にはなれません」

 きっぱりと言った水野の目には、輝きが満ちていた。

「それに昨日、プロポーズしたばかりなのです。

 まだ実感がわかない、というのが本当のところです」

「これから、何をする気だね」

 ゆっくりと向き直った水野の手には、例の石が星屑のような(きら)めきを(たた)えていた。

「花屋をやります」

「ほう、それはそれは、君らしいな」

「栽培から流通まで、一貫した事業にして、この『緑の玉石』のように人を育て、幸せにする植物を世の中に送り出すのです」

 石の光が、一段と強くなって希望への道を示すかのように陽射しを集めて一筋の光を空へ向かって放つのだった。


 退職した水野は、「緑の玉石」の謎を追って日本中を旅していた。

 北海道へ(こけ)色の めのう「モスアゲート」を買い求めに行ったときには、新婚旅行を兼ねて(めぐむ)も一緒に行った。

 札幌、釧路など観光をしながらパワーストーンを集めていくうちに、宝石の原石に込められた様々な言い伝えと、植物を育てるガーデニングに関係性を見いだしていった。

 石が持つ神秘的な力と、花の香りが関連する記憶を呼び起こす「プルースト効果」、そして植物そのものが持つ癒し効果、空気を浄化する作用を組み合わせることによって、生活者がより質の高いくらしをして、オフィスの作業効率を上げる。

 そんなコンセプトで立ち上げた新事業が、社会から広く信用を集めた。

 水野が勤めていた商社での成功も、具体的な成功事例として取り上げられていた。

 「花の妖精 シシリイ」は相変わらず住宅街の一角に、おしゃれな(たたず)まいで花束を並べていた。

「いらっしゃいませ」

「ブッダナッツ・アレンジメントをくださるかしら」

 壁に設えた棚の一つに緑の小さなアレンジメントがカゴに収まっていた。

「幸せを呼ぶ『ブッダナッツ』を中心に、緑色でアレンジしました。

 ナッツの上に、心の平和をもたらし、人間関係を円滑にする『グリーンクオーツ』を散りばめてサービスさせていただきます」

 近所から来たお得意さんの主婦は、表情をほころばせて満足そうな声を出した。

「あら、素敵ね」

 アロマ効果のある植物と石、そして花の美しい彩りが心を癒していき、みるみる表情が明るくなり、肌が赤みを帯びていった。

 通信販売事業をオフィスを借りて立ち上げ、そちらも順調に成長していく。

 「花の妖精 シシリイ」は、店舗を増やして2号店、3号店を開店した。

 中でもパワーストーンの効果が評判で、さまざまなラインナップを揃えてモニターを集め、人を育て、成長させるストーリーを発信していった。

「夫婦共働きで、私立中学と高校生の子どもは塾に通っているので帰宅時間がバラバラで、会話もほとんどありませんでした」

「顔を合わせても『おはよう』と挨拶(あいさつ)しなくなったのはいつからだったかな ───」

「でも、『シシリイ』の幸せアレンジメントをリビングに置くようになってから変わりました」

「夫は明るい顔をして、早く帰るようになりました」

「私も近所の友人を呼んでお茶するようになったし、子どももたまに友達を連れて来て一緒に勉強したりしています」

「笑顔が笑顔を呼んで、外を歩いていても声をかけられるようになった気がするんです」


 水野は花卉栽培にも取り組み始める。

 稲作に比べて、若い世代が2倍以上いると言われるため、将来性がある分野だった。

 香りを放つ花を中心に、若者が手軽に買える商品を開発していった。

 家に生花を飾る習慣が徐々に定着し、ポジティブな気持ちにさせる効果が仕事の効率化、ワークライフバランスにも好影響を与えているというデータが話題になる。

 成果主義の殺伐としたオフィスでも、アレンジメントが暖かい雰囲気に変え、結果的に売り上げを倍増させたのである。

 そして草花と花粉媒介者であるポリネーターを守るSDGsの項目に、シシリイの取り組みが組み込まれて全国的なムーブメントを巻き起こすに至った。


 「緑の玉石」をあしらった、輝くアレンジメントに一匹のミツバチが潜り込むのを見て、萌は輝く春の日差しのような、屈託のない笑みを夫の智幸に向けた。

「僕の心の壺には、大きな『緑の玉石』が入っているみたいだね」

「えっ ───」

 彼女は目を丸くして、彼の顔をまじまじと見つめた。

「この石が、始まりだったね」

 ミツバチは、花粉を足と胸にたくさんつけて、羽音を高く鳴らして飛び立っていく。

「私の壺には、何が入るのかしら」

「人を育て、成長させるビジョンを、僕なりに入れたつもりだけどな」

 頭を掻いて、照れくさそうに智幸が笑った。

「違うわ」

 彼女は向き直って、真っ直ぐに眉間を射るような視線を向けた。

「あなたは、ミツバチになってくれたのよ」

 2人の顔には、暖かい春風のような笑顔が満ちていた。

 そして、その幸せが事業を成長させ、社会を成長させていったのだった。



この物語はフィクションです


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