冷徹妖かし夫の隠しごと
「おはよう、翡翠」
紅緑丸さまの優しい笑顔が起こしてくれる。
「おはようございます、紅緑丸さま」
穏やかで幸せな一日が始まる合図。
この暮らしにも慣れてきた。
布団を並べて寝て起きて。身支度をして。
御膳を挟んで向かい合って一緒にご飯を食べて。
お野菜と果物中心の食事。鳥肉は食べられないけど食べたくなくなったからよかった。
他は人間の夫婦生活と変わらないけど――
紅緑さまには、まだ慣れない。
人間の男の人とほとんど同じだけど。
目の周りに赤い縁取りがある綺麗な顔、金色の眼と青く長い髪もとても綺麗で見惚れてしまう。
今日の紅緑丸さまは雉の翼のような薄緑の広袖に茶色い袴を穿いていて色合いがまさに雉みたい。
雉一族の羽で織った着物はとても綺麗。羽を毟って織ったのかと心配したけど抜けた羽を使ってるから安心して私も着れる。
今日は、緑地に雉の茶色い尾羽が舞う裾模様にしよう。着心地は羽のように軽くて温かい。帯は黄色の花模様にしよう。
私も髪を長くして綺麗に梳かして。
紅で目元を縁取りなんかしてしまってる。
雉の妖怪の美しさには及ばないけど、少しでも紅緑丸さまの妻に見える気がして。
こんな姿を見て紅緑丸さまは微笑んでくれる。
「今日も可愛い、翡翠。野花の中にいる雉のようだ」
って。雉に見えたんですね!
「ありがとうございますっ」
「見回りが済んだら、花を見に出かけよう」
「はい!」
前にも行った花畑?
背中に乗せて空を飛んで、遠くに連れて行ってくれるかもしれない。
その前に、紅緑丸さまは一族の領地である山の見回りがある。
里の門までついて行って見送る。
「いってくる」
「いってらっしゃいませ」
無事で帰ってくるのを楽しみに待とう。
庭にある野菜や果物の世話をしながら。
そこらを雉が歩いてて可愛い。
「おはようございます、翡翠さま」
「あ、桃さん。おはようございます」
人間の先輩奥さま。
緑丸さんという紅緑丸さまの側近と結婚した人。
桃さんの見た目は四十代くらいだけど、緑丸さんと結婚したことで寿命が伸びてもう五十年結婚生活を送ってるという。私もそんなに長く紅緑丸さまといられるんだ――
「幸せそうですね」
「はい。暮らしにも慣れてきました」
「よかったです」
桃さんと縁側に座って話すのも楽しい。
「桃さんも、幸せそうですね」
「ええ。でも、私と緑丸は最初はぎくしゃくしてて打ち解けるのに時間がかかったんですよ」
「そうなんですか」
「はい。お二人は凄く相性がいいんですね。紅緑丸さまは翡翠さまが来てからニコニコしていらして、はた目にも凄く幸せそうですよ」
「そうですか。嬉しいです……」
もっと、幸せにしてあげたい。
「そうだ、桃さん。機織りを見ててくれますか? もう少しで生地が出来上がるんです!」
「気合いが入っていますね! 行きましょう!」
紅緑丸さまのためにできること。
初めての機織りで作った着物を贈る。
上手に織って喜んでもらいたい。
機織りの部屋にあるのは不思議な機織り機で、雉一族の羽を使って生地を作ることができる。
私も色とりどりの羽を使わせてもらって――
「雉の羽模様が、やっと綺麗にできるようになったんです」
「難しかったでしょう? 愛がこもっていますね」
「は、はいっ」
伝わりますように――
「翡翠さま!」
今の声は。
「緑丸だわ」
桃さんに用かしら?
「翡翠さま! いらっしゃいますか!?」
何か、声に緊迫感があるような。
「どうしたのかしら?」
桃さんも不安になってる。
「縁側のほうですね。行きましょう」
「はい」
何か、あったの!?
妖怪の世界の問題事にはまだ遭遇したことがない……
どんなことが起きたんだろう!?
紅緑丸さまは?
「紅緑丸さま!?」
緑丸さんに肩を支えられて、気絶してる!?
「紅緑丸さま! どうしたんですか!?」
「うっ……」
意識はあるけど、苦しそう。
怪我はないみたいだけど、頭をおさえてる。
頭に痛みがあるの!?
「何があったんですか!?」
「翡翠さま、落ち着いてください! 部屋に運んで寝かせましょう」
桃さんは冷静な態度。私も落ち着かなきゃ。
「はい――」
寝室に布団を敷いて、紅緑丸さまを寝かせる。
頭に怪我はない。体にも。
「このことを里の者に知らせてくる。桃もついて来てくれ」
「わかったわ。翡翠さま、待っていてください」
「はい」
緑丸さんと桃さんは行ってしまった。
「紅緑丸さまっ」
さっきより表情はやわらいでる。
意識はまだはっきりしないみたい。手を握ってみても反応しない。温かさはある……元通り元気になって!
「ん……誰だ」
「紅緑丸さま!」
私を見つめてる……
「そなたのような、雉の妖怪がいただろうか?」
「え?」
雉の妖怪?
目の赤い縁取りを見て言ってるの?
どうして……?
「翡翠さま、失礼いたします」
緑丸さんと桃さんが戻ってきた。
枕元に座った二人は深刻な表情をしてる……
そのまま、紅緑丸さまを見つめていた緑丸さんは私を見た。
「翡翠さま。紅緑丸さまの状態は命に関わりありません。しかし、記憶を失ってしまいました」
「記憶を?」
「はい。あなたとの記憶を」
「えっ?」
そんな――!
「紅緑丸さまには私からお話して、状況を理解していただきます。外でお待ちください」
「ここに――」
「翡翠さま、参りましょう」
「でも」
「桃と共に、お待ちください」
緑丸さんは有無を言わさない態度。
「わかりました……私の部屋で待ちます」
廊下に出ると、紅緑丸さまの側近の方や屋敷の家事を手伝ってくれる方がいて深刻な表情をしてる。
みんな何も言わず私も何も言えないまま、部屋についた。
「……桃さん、紅緑丸さまに何があったんですか?」
深刻な顔のまま黙り込んでしまった。
桃さんも、何も言ってくれないの?
「この事態は」
「な、なんですか?」
「翡翠さまと紅緑丸さまの問題ですので、私からお教えできることはありません」
「え?」
私と紅緑丸さまの問題?
「これからまた、一から夫婦の仲を築いていかなければなりません」
「あっ――」
そなたのような雉の妖怪がいただろうか?
私のこと忘れてしまったんだ。
夫婦として暮らしたことも――
「紅緑丸さまの記憶がいつ戻るかわかりませんから。それまでは、お辛いかもしれませんが」
辛い、けど――
紅緑丸さまは無事生きてる。
妻としてそばにいられる、それだけでいい。
覚悟はできた。
「大丈夫です。私は――」
紅緑丸さまは?
緑丸さんに呼ばれて寝室に行くと、紅緑丸さまは起き上がっていて枕元に座った私を見すえた。
「そなたは人で、私の妻だったか」
「はい……」
どんな風に見えてるんだろう?
さっきは雉の妖怪と思ってくれたけど。
人だとわかったら……
「私に何が起きたかは聞いた。驚かせてすまなかったな」
「いいえ……」
気づかってくれた。
けれど、瞳にも声音にもぎこちなさがある。
私もつられてしまいそう。
「紅緑丸さまが無事なら、それでいいんです。頭は痛くないですか?」
「大丈夫だ。まだぼんやりして妙な感じはするが」
頭に触れたいけど、やめておいたほうがいいかな……
「まだ、寝ていてください」
「あぁ。少し、休ませてもらう」
「では、私どもは失礼いたします」
「何かあったら、いつでも言ってきてください」
緑丸さんと桃さんは寝室を出ていった。
紅緑丸さまと二人きりになった。
沈黙が気まずいような……紅緑丸さまからしたら初めて二人きりになるのだし。
結婚して初めて二人きりになったときは、こんな空気じゃなかった。
私は好奇心いっぱいで紅緑丸さまを見つめて。
そんな私に紅緑丸さまは優しく笑いかけてくれて。
「名は翡翠といったな」
「は、はいっ」
「改めて、今日からよろしく頼む」
改めて――
その言葉はなかったけど。
同じことを言ってくれた。
笑顔もないけど……私から笑いかけよう。
「よろしく、お願いします」
じっと見つめてくる。笑顔がぎこちなかった?
「色々聞きたいことはあるが、全て一度聞いたことだろうな」
「構いません、もう一度聞いてください」
「そうか、ならば聞くが。なぜ、私と結婚した?」
やっぱり、気になりますよね……
「私はその、好奇心で。雉の妖怪と夫婦になって暮らすのどんなだろうと」
紅緑丸さまは少し目を見開いた。
初めて答えたときも驚かせたけど。
また、驚かせてしまった。
「そうか」
初めてのときと同じで、静かに納得してくれた。
「もう夫婦として暮らして日が経っているだろう? どんな風に感じている?」
「そうですね……」
前にも聞かれたけど。
慣れてきましたとしか答えてなかった。
紅緑丸さまとの暮らし――
「人との暮らしとあまり変わらなくて、思ったより楽しくて、なにより紅緑さまという特別な存在がいて。幸せです!」
予想外の答えだったのか、とても驚いてる。
「幸せだったなら安心だが……全て無にしてしまったな」
悲しそうに目を伏せてしまった。
「だ、大丈夫です。これからまた夫婦の暮らしを築いていきましょう?」
「そうだな」
笑顔はないけど、そう答えてくれただけでいい。
「他にも、何でも聞いてください」
「あぁ――」
私も、何があったのか聞きたいけど……
今はゆっくり、私に慣れてもらうことにしよう――
ここからまた初めての夫婦生活が始まった。
私まで全て初めての感覚になってる。
向かい合って一緒に食事するのも。
私が作ってよかったの? 味は?
紅緑丸さまは黙々と食べてる……
「味はどうですか?」
「おいしい」
「よかった」
笑顔がないからって、疑っちゃ駄目よね。
信じよう。
それにしても、何かぎくしゃくしてしまってる。
桃さんと緑丸さんもこんな風だったのかな?
夜になっても。
寝るときも、ぎくしゃくしてしまう。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
初めて一緒に寝たときは、紅緑丸さまはこっちを向いて片翼を出して私を包むようにしてくれた――
今はちょっと体が離れてるけど。
一緒に眠れるだけで幸せ。
背中向けたりされないだけいい……
「おはよう、翡翠」
やっぱり、笑顔がないけど。
穏やかな一日が始まりますよね?
私が笑顔を見せよう。
「おはよう、ございますっ」
また少し、ぎこちなかったかもしれない。
……紅緑丸さまは少し戸惑ったような無表情のまま。
このままなのかな。そういえば、他の雉一族もほとんど笑顔をみせたりしない。優しいというより穏やかな雰囲気で言動は冷静で……紅緑丸さまだけが特別優しかったけど記憶を失くして本来の雉妖怪になった? のかな。
寂しいけど。
私もそれに合わせたほうがいいのかな……
今日の着物は茶色地に黒の水玉がある雌雉そっくりな柄のこれにしよう。帯も薄茶で。少し地味かな。
お化粧は目の縁取りは無しにしよう。記憶を失くした紅緑丸さまに素顔をはっきり見せてない。薄化粧にしておこう。
支度を済ませて居間にいくと、紅緑丸さまがいた。
私の姿を見てる――
「今日は、目の周りが赤くないな」
「はい」
「その着物だと、まさに雉のようだぞ」
「ありがとうございます」
それだけで視線はそらされた。
顔をどう思うか言われなかったし、聞けなかった。
淡々としてる紅緑丸さまは――
夫な感じがしなくて寂しいけど。
雉一族の長という感じがして。
褒められるとなんだか、認められたみたいで嬉しい。
「紅緑丸さまも、赤い縁取りと青い髪に緑の着流し姿が雉みたいですよ」
雉の妖怪に、おかしなこと言った気がする。
「ありがとう」
紅緑丸さまも、ちょっと笑った気がする。
一緒に黙々と朝ご飯を食べて。
「おいしい」
紅緑丸さまから言ってくれた!?
「よかった」
雉一族のように淡々としてようかと思ったけど。
こらえられなくて、笑顔があふれてしまう。
穏やかで幸せな一日になりそうだけど……
「見回りに行くんですよね?」
紅緑丸さまはうなずいて、私を見すえた。
「もう、昨日のようなことはない」
「はい……」
「安心して、屋敷で待っていてくれ」
ついていきたい心を見透かされてしまった。
「はい」
里の門まで見送りに行くと緑丸さんが来て、ついて行ってくれることになり桃さんと一緒に見送った。
桃さんが気づかうような笑顔をくれた。ほっとする。
「心配でしょうけど、我慢してくださいね」
「緑丸さんが一緒に行ってくれて、安心しました」
「そう言ってくださると嬉しいです。それで、どうですか? 二人でいて」
「なんとか。ぎこちないけど、桃さんと緑丸さんも最初はそうでしたよね?」
「そうですね。徐々に距離が縮まって打ち解けると思います」
「はい……」
「元気だしてください! 機織りの続きをしましょうか?」
「はい!」
着物を贈れば、距離を縮められるかもしれない。
生地に使う羽――
機織りをするって言ったとき、紅緑丸さまが翼をバサバサさせて落としてくれた羽。
また、あんなことしてほしい。
綺麗に織れた生地。
仕立てをしているうちに、紅緑丸さまが帰ってきた。無事な様子で。
「おかえりなさい。ご無事でよかった」
「何事もなかった。翡翠は何をしていた?」
「機織りと生地の仕立てをしていました」
「続けてくれ。私は少し、部屋にいる」
「はい」
「決して、近づかないでくれ」
「え?」
「近づいてはならぬぞ」
冷酷な感じで念を押されて、何も聞けなくなった。
「はい……」
そのまま、紅緑丸さまは部屋に入り戸を締めて。
籠もってしまった……
どうしたんだろう?
距離が縮まるどころか開いたような。
その後しばらくして、いつの間にか紅緑丸さまは部屋から出ていた。
何事もない様子で食事も寝起きも一緒にして。
部屋で何をしてるか聞けないせいか、私まで笑顔が出せなくてぎくしゃくしたまま。
見回りに行く姿を見送って。
今日も部屋に籠もってしまった。
何をしてるんだろう?
覗いたら、この結婚生活が終わってしまう?
我慢しよう……寂しい……今日は桃さんもいないし広い屋敷で孤独。
見回りが済んだら、出かけよう――
紅緑丸さまの記憶からは消えてるんだ。
悲しい……
泣いてないで、着物を仕上げよう!
これをあげたら、幸せな気持ちを分かち合えるはず……
明日には、完成できそうなところまできた――
「おはよう、翡翠」
紅緑丸さまの笑顔……?
「おはようございます」
夢? 優しく微笑んでる。
「紅緑丸さま?」
「どうした?」
優しい声音――頬に触われた。
夢じゃない!
「紅緑丸さま! 記憶が戻ったんですね!?」
思わず、抱きしめていた。
「いや、記憶は戻っていない」
「え?」
優しく翼で抱きしめ返してくれてるのに?
「記憶もいずれ戻るだろう。心配ない。さぁ、起きよう」
「はい……」
とりあえず、起きよう――
「おいしい」
やっぱり、優しく微笑んでくれてる。
「今日は目の周りを赤くしてるな。似合っている。青い着物も私と揃いだな」
嬉しそうに着流しの袖を広げてくれて。
「今日は、見回りの後で出かけないか?」
出かける誘いまでしてくれた!
「紅緑丸さま、本当に記憶は戻っていないのですか?」
「あぁ、戻っていない」
笑顔が悲しそうになってしまった――
「そうですか……とてもそうは見えなくて。記憶を失くす前とそっくりだから」
「そうか、そっくりか――」
何か考えてるみたい。
「秘密にしようと思ったが話そう。見回りの後に部屋に閉じこもっていただろう」
「はい」
「そこで、そなたとの接し方の練習をしていたんだ」
「えっ?」
「笑顔や仕草や話し方やらを」
今、目の前でしてくれているみたいに?
微笑んだり、話しかけたり、袖を広げたり。
「鏡の前でな。とても見せられないし聞かせられないので部屋から遠ざけていたんだ」
鏡の前で――
想像すると可愛くて胸が、きゅーんとなる。
苦しいくらい。
「紅緑丸さま……」
「人はよく笑う、優しい生き物だと聞いているからな。それに寄せようと」
紅緑丸さまも――!
私も、雉一族の態度に寄せたほうがいいのか考えたように。
「実際、そなたはよく笑う。化粧も雉一族に似せたりして。作る食事も私に合わせてくれて、おいしいし。見回りから帰ると無事を喜んでくれる。機織りも熱心にしていて」
優しい瞳がじっと見つめてくる。
「愛おしい」
優しく翼で包んでくれた。
「だから、私からも歩み寄りたくなった」
「紅緑丸さま……私のために。優しくなってくれたんですね……もしかして、結婚したときも?」
桃さんが結婚してからニコニコしだしたって……
「そうかもな。考えることは同じだろうから。どうだろうか? 記憶を失う前の私達に戻れたか?」
「はい……紅緑丸さま、私も愛おしいです。記憶を失う前も今も」
長みたいな紅緑丸さまも、格好よかった。
「昨日までの紅緑丸さまも全部」
「ありがとう――」
翼と体が温かい。
幸せ……
「翡翠、そなたになら話そう。私が記憶を失った原因を」
紅緑丸さまの声音が厳しくなった。
「原因、聞きたかったです」
「青緑丸のしたことだ」
紅緑丸さまの弟の。
「旅に出てるって」
「記憶を失った日に帰ってきたんだ。見回りの最中に会ってな、翡翠と結婚したことを告げたら途端にやられた」
「えっ、そんなどうして、青緑丸さまがそんなことを?」
「あれは、人と雉一族が交わることに反対しているんだ」
「反対……してる雉一族がいるなんて思いませんでした」
しかも、弟さんがなんて――
「他は皆、賛成しているから心配しなくていい。青緑丸にもわかってもらおうとしているが――記憶を消す所業も私にしたのが初めてではない。緑丸と桃にも結婚したての頃にしでかした」
「二人にも! 紅緑丸さまが記憶を失った日に、桃さんに紅緑丸さまに何が起きたのかと聞いたら、これは翡翠さまと紅緑丸さまの問題だから私から教えることはできないと言われました。知っていて黙っていたんですね」
「ああ。私は緑丸から私と翡翠だけで解決するようにと言われた」
「私と紅緑丸さまで」
「今までは、そなたのこともよくわからず距離もあって話せなかった。だが、今は一緒に解決できると思っている。どうだ? 翡翠」
紅緑丸さまの真剣な瞳に答えたい。
でも――
「私、好奇心だけでお嫁に来て……青緑丸さまに反対されて記憶を消されて、そんな夫婦の問題が起こるなんて想像していなかったです。私、には、何もできることが」
何も言えなくなってしまった。
解決作どころか、紅緑丸さまの妻に相応しいかもわからなくなってきた……
紅緑丸さまは、優しく笑ってくれてる――?
「私も好奇心で来たと聞かされたときは驚いた。しかし、好奇心一つで来るとは勇敢さがある」
「勇敢?」
「ああ。その勇敢さで一緒に青緑丸から記憶を取り戻しに行ってくれるか? 私だけで行っていたんだがどうにもならなくてな」
青緑丸さまに会いに……紅緑丸さまと一緒なら大丈夫。
「はい!」
玄関に現れた青緑丸さまは私達に冷たい瞳を向けてきた。
その金色の瞳も、青く長い髪も、目元の赤い綺麗な顔つきも、緑の広袖に茶色の袴姿も紅緑丸さまに似てるのに。
雰囲気と表情は冷たい……
「青緑丸、今日は翡翠と一緒に来た」
「だから、記憶を返すとでも?」
青緑丸さまは、そっけなく。
腕を組むと、目を閉じて顔をそむけてしまった。
「ああ。記憶を返してもらうぞ」
紅緑丸さまの強い口調を聞いても――
青緑丸さまは忌々しそうに紅緑さまと私を睨んでくるだけ。身が縮むけど紅緑丸さまと一緒なら平気。
強気で見つめ返してみせる!
「返してください!」
青緑丸さまの視線は冷たいまま、そらされた。
「返す気はない。人間と夫婦でいるうちはな」
そんな――
離婚してから、あの幸せだった記憶を返すの?
ひどい……
そんなことさせない!
「今! 返してください!」
青緑丸さまは、こちらに向いた耳を手で塞いでしまった。
「うるさい人間だな」
「雉の鳴き声のようによく通る」
紅緑丸さま、雉に例えてくれるなんて。
青緑丸さまは不満げで納得できない顔してるけど……
私と紅緑丸さまは笑いあってしまった。
「余裕だな。さて、次はどうするんだ? 緑丸のように飛びかかってくるか?」
戦うということ?
「紅緑丸さま、やめてください」
「そうだな」
やっぱり、優しく笑ってくれた。
「無理に返してもらわなくともいいか。今の私と翡翠の仲は記憶を失くす前と同じだからな」
「それもそうですね」
返してくれる気になったときでいいかもしれない。
「ただ仲を見せつけに来たようになっているではないか。よくやる。人間は雉を殺し食らう残忍な生き物だと言ってるだろう?」
突き刺すように睨んでくる……
組んだ腕を掴む長く鋭い爪を、うごめかせてる。
「翡翠は違う。そんな人間ばかりではないとも言っているではないか」
「この辺りの人間だけだ。雉を大事にするのは」
青緑丸さまは遠くを睨んだ。
「青緑は昔からよく国中を旅していてな。その道中に記憶を消す術など知ったようだ」
紅緑丸さまが顔を寄せて教えてくれた。
「雉が殺されるところも沢山見たのだろう」
「そう、ですか……」
悲しい記憶が、私達を反対してるの……
「だから、領地から出るなと言っているのだ」
紅緑丸さまは長として命じているよう。
「そうだ、青緑丸こそ人間を嫁に迎えるべきではないか?」
「私の屋敷に人間を入れるなど、絶対にさせん」
「では、お前が人間の婿になり屋敷に入るのはどうだ? 少し、荒療治だが」
紅緑丸さまは青緑丸さまにも優しく笑いかけた。
「人は優しい、すぐ愛おしくなるぞ」
青緑丸さまは疑いの目で、私をじっと見てきた。
「そ、そうです」
笑顔、笑顔――
青緑丸さまの視線はすぐそらされて、
「見てくれだけは雉のようだが。騙されぬぞ」
そっけなく言われてしまった。
「騙していません」
必死に訴えるしかできない。
「そうだぞ。私達と一緒にいて確かめるといい」
紅緑丸さまの提案に青緑丸さまは無言。
少しあきれたような表情になって、小さくため息をついた。
「巻き込むな」
青緑丸さんの伸ばした手から光りが出てきた。
紅緑丸さまの頭を包んで消えた。
記憶?
「紅緑丸さま?」
「ああ、記憶が戻った」
「よかった!」
「心配かけたな」
優しく頭を撫でてくれた。私も撫で返そう。
「私の屋敷から出てからやれ」
青緑丸さまは厳しく命じて、奥に行ってしまった。
「出てからならしていいとは。認めてくれたということだろうか?」
「そうかもしれませんね」
私と紅緑丸さまは前向きに笑顔でうなずきあった。
「出ようか」
「はい」
外に出ると思わず、ほっと息をついた。
「ありがとう、翡翠。一緒ならやはり、記憶が取り戻せたな」
「はい!」
紅緑丸さまの片翼が優しく抱き寄せてくれた。
「青緑丸のこと、許してほしい。言い聞かせてもああで仕置しようにも飛び回って逃げるのでな。私に兄としての甘さもある……」
紅緑丸さまは根が優しいのかもしれない。
もう一度、頭を撫でてあげたくなった。
気持ちよさそうに目を閉じてくれるから、長めに撫でてしまう――
「青緑丸の問題は残ったが。私達の問題は解決だな」
「はい。もう、どんな問題が起こっても大丈夫です。青緑丸さまのことも一緒に解決しましょう?」
「そうしよう。頼もしい。やはり勇敢さもあったな。そなたは素晴らしい妻だ」
「ありがとうございます。紅緑丸さまも素晴らしい夫です」
「ありがとう。しかし、一つ心配なことが浮かんだ」
「なんでしょう?」
「好奇心で妻になってくれた翡翠よ。好奇心が満たされて、ある日突然いなくなったりしないか?」
「しません! ずっと一緒にいたいです!」
「よかった」
ぎゅっとしがみついて。
「どこまでも、ついていきます」
「どこまでもか」
紅緑丸さまは青い空を見上げてから、私を見た。
「そうだ、見回りが済んだら出かける約束をしていたな。花を見に行こうと」
やっと――おあずけ辛かった。
「はい! そうだ、紅緑丸さまの着物が出来上がりますから着て行ってください!」
「そうしよう。どんな出来か楽しみだ」
「……愛を込めました」
「ありがとう――」
優しく口づけしてくれた。
一日も途切れることなく。
紅緑丸さまとの穏やかで幸せな日々が続いていく合図――