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だ、誰ッ?

「――へッ? うわぁッ!」


 いったい「彼」は、いつからそこにいたのだろう?

 最初に目についたのは、炎を間近で見ているような、長く整髪されていない髪だった。身体の右半分は、頭の先から爪先まで完全に人化している《()(がみ)と差異はなかったが、もう左半分は皮膚のかわりに火炎を宝玉に閉じ込めたような赤い鱗でびっしりと覆われている。

 体躯はがっしりとしていて、一八五センチほどの背丈がある《地》神から見ても仰ぐほどの上背があった。


 ――お、大きいッ!

 ――《(ふう)(じん)くらいの背丈はありますね、これは……。


 腰もとから臀部にかけては、太く長い尾があった。表面は体半分を覆っている鱗が端まであって、髪の色とおなじ赤い鬣が尾の筋に沿ってなびいている。

 その尾の特徴は、言うまでもなく竜族の象徴のひとつだ。

「彼」は一見して半人半竜の姿をしている竜族の雄によく似た特徴をしているが、端正に整ったようすはほとんど人化に近く、竜族特有の――ヒトの感覚でいうと、爬虫類によく似ている――容姿とは異なるので、彼が一般的な雄ではないということは見てとれた。

 属性からしても、《()》族の雄ではない。他部族の雄だ。

 だから女官たちが驚愕し、どよめいて、なぜか色めき立つように興奮しているのだろう。


 ――だが、「彼」はいったい……?


 そもそも、竜族最高位の「(りゅう)五神(ごしん)」であり、《地》族の族長である《地》神の背後に気安く立てる者など、この世に存在などしない。

 それを差し引いても、自分に気配を悟らせずに立っているとは……。

 これにはさすがの《地》神も気焦りしてしまう。


「え、ええと、あなたはいったい……?」


 ずいぶんと厳しそうな性格を連想させる、目鼻立ち。

 とくに眉根がはっきりとしているのでその印象が深く、眼力も獰猛な獣を彷彿させる鋭さがある。

 けれども、


 ――……?


 眼の色だけは《地》神にとっては馴染みが深く、それは厳しさではなく優しさの紅蓮の色だと気がついて、ようやく「彼」の正体に理解が追いついた。

《地》神はまっすぐその瞳を覗きこむ。

「彼」の瞳は先ほどまで、可愛らしく自分を見ていたではないか。


「ああ……」


 ――どうして、すぐにわからなかったのだろう……。


 竜族が個々に持つ気配は、人化であれ、竜化であれ、姿がどちらに変じようと変わることはなかった。

 だから、か。

 どおりで「彼」が至近距離に立っていても、気づかなかったはずだ。


 ――「彼」の気配は、自分がこの世に誕生したときからずっとそばにある。


《地》神にとってそれは自分と他者を隔てるものではなかったし、「竜の五神」である大地神は、いわば表裏一体型。いうなれば、もうひとつの自分の気配でもあった。

 それほど近しい気配を、どうして他者と思えよう?


「まさか、――《()(がみ)だなんて……」


 でも、どうして?

 ほんの先ほどまでは、肩に乗るていどの小さな竜の姿をしていたというのに、どうしていきなり人化など?


「《火》神……?」


 名を呼ぶが、「彼」――《火》神はこれには無反応。

 表情はそのまま、紅蓮の眼球だけがわずかに動いて《地》神を見やる。


「《火》神……」


 もう一度名を呼ぶが、やはり表情に変化はなく、身体もぴくりとも動かない。

《地》神はそれに怪訝がるが、ひょっとすると……先ほどまで竜化だった《火》神は、自分でも気がつかないうちに何かのはずみで人化してしまい、いまはまだそれに気がついていないのかもしれない。――こちらの線が濃厚だろう。

 それを主軸に予測を立てて、《地》神は慎重にうなずく。


「――かまいませんよ、そのままで」


 もしかすると、何かがきっかけで意識が混乱し、急に暴れだしてしまうかもしれない。その事態はできるだけ避けなければ……。

 たとえそうなったとしても、自分は怪我には慣れているし、万が一のときでも力でねじ伏せられるが――たぶん――、すぐそばには多くの女官たちがいる。彼女たちも《地》族としての能力は充分に備わっているが、族長としてみすみす身の危険に晒すわけにもいかない。

《地》神は一度、深い呼吸をし、


「俺は、あなたが俺のことを認識するまでここを動きませんから。何事もゆっくりでかまいません」


《地》神は、《火》神が咄嗟に感情的にならないよう、優しく制する。

 そのとき、手振りで伝えようと無意識に手のひらを向けてはみたが、その肝心な手を……腕を自分は失ったまま。やはり肩から先は、何もない。


「だめですね、俺は。肝心なときは、いつもこれだ」


 小さく笑って、とにかく《火》神を安心させようとまっすぐ見やる。

 見やって、ちくり、と心が痛んだ。

 彼に人化を望む気配は、これまで一度だってなかった。


 ――もしかすると、俺が内心で彼の人化をひそかに望んでいたから?


 だから、それを悟った《火》神は主神の望みを叶えようとして、唐突に人化と変じたのだろうか。――まさか、彼にそれが可能だったとは。

 理由はどうあれ、自分にとって《火》神の人化は喜ばしかったが、それは自分の願望であって、彼が自ら望んだことではない。

 もし、無理に彼が変じたのなら、それは今後の彼に大きな影響を与えるかもしれない。そう思うと、どんどんと心が痛む。

 とにもかくにも。彼の意識が自分に集中している間に、周囲でいまも色めき立っているようすの女官たちに下がるよう伝えるが、彼女たちの足は一歩も動かなかった。

 もしかすると初めて人化した《火》族の族長を目前に、身を竦ませているのかもしれない。


「あくまでも念のためです。静かに下がって――」


 おなじ大地神である《地》族に、《火》神が何かをするとは思っていない。

 だが、万が一の事態を楽天的に考えることもできない。


「――早く」


 滅多なことでは強い口調を出すことはなかったが、《地》神は、下がれ、と口にする。

 それを受けては従うしかなかったが、そのじつ、女官たちは若き青年である族長――若さまと、先ほどまで竜化だった《火》族の族長が「彼」の正体だというそれに、互いに裸体のまま向かい合っているようすがたまらなくて、単に目を逸らすのが惜しいだけだった。

 普段は清楚でたおやかな女官たちだが、だからこそ、滅多にない遭遇には離れがたいものがある。これは雌にしかわからない、性、というものだ。

 そうとも知らずに《地》神は女官たちを気にかけるが、静寂を保とうとして、――自らうっかり破ってしまう。

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