《地》族の女官たちと若さま
《地》族の女官たちは、《地》神が浸かっていた露天の湯よりすこし離れた場所で待機しており、すぐに休むことができるように天幕を張っていた。
腹が減ったと言えば提供できる料理は整っているし、湯上りの喉を潤す飲み物も用意している。
族長から、身体を拭いてほしい、と声がかかると同時に数人の女官たちが向かった。天幕でも、御前に差し出す料理を並べる女官たちが動いている。
いくつもの杯に、冷たい飲み物が注がれていく。
見た目こそしなやかで爽やかな若き青年の《地》族族長なのだが、彼は食べ盛りなのか、よく食べる。
どれほど大きなテーブルに品数、皿数多くの料理を並べても、作法正しく、見ていて気持ちがいいほど丁寧に食べきってしまうのだ。
その姿を思い浮かべるだけで、女官たちは微笑ましくてたまらなくなる。
――ただ……。
いまの族長に料理を楽しみながら食べることができるのか、と思うと、きっとそれはできないだろう。
――族長を出迎える《地》族はいま、女官しかいない。
雄の半人半竜である竜騎兵や竜騎士たちは、先の戦争の大敗北によってそのほとんどが姿を失って、本性である自然へと回帰してしまっている――ヒトの感覚でいえば、残念ながら戦死し、大地に返ったという表現に近いだろうか――。
やむを得ないとはいえ、戦争がはじまり、大敗北をすれば、《地》族は恐ろしいほどその数を減らしてしまう。いずれ新たに誕生する雄たちが姿を見せるだろうが、それも長くつづくかどうか……。
それもあって、どの部族も族長の身の回りの世話は女官だけの務めであって、兵士の役割である雄は平時、族長のそばには現れない。
雌や女官、言葉だけなら何やら弱さを感じるかもしれないが、彼女たちも竜族だ。血染めを必要としない護衛であれば、充分に務めることができるのだ。
「あら……?」
女官たちは若き族長である「若さま」の気配に、すこし首をかしげる。
普段であれば、沈鬱しきった心は簡単には晴れず、感じる気配はいつも重苦しいというのに、いまの族長の気配はどうだろう。
戦争で大敗北をして、身体中に傷を負って両の腕まで失ったというのに、いつもの重苦しい気配を纏いつづけているようすが感じられない。
――いつもなら、簡単に晴れることがないというのに。
それを不思議に思いながら、族長が座る席を念入りに拭きあげていた女官のひとりが、反対の方向にもう一度首をかしげる。
――珍しく、若さまが深く沈まれていない……?
どういうことだろうか。
族長が現れる前に、そばにいる女官たちと話をしてみようか。そう思ったときだった。
「――きゃああああッ!」
突然、族長の湯上りの世話をしに向かったはずの女官たちの方角から複数の悲鳴が上がった。
天幕付近に残っていた女官たちは一瞬にして凍りつき、何事か、と表情を険しくする。
《水》族の族長と領域問題で戦争を起こさないかぎり、この大地……地上において《地》族族長に危険や害を与えるものは一切存在などしない。
なのに、その御身を迎えに行った女官たちが悲鳴を上げるとは、いったい何事だろうか。
――もしや、若さまの身に何かッ?
それは一瞬で肌が、ぞわり、と泡立つ感覚に見舞われたが、いまも聞こえる女官たちの悲鳴はどこか奇妙にも思われた。
恐怖や緊張、怒気がまったく含まれていないのだ。
どちらかと言えば、妙に浮ついているというか、雌特有の高揚に堪えきれない声とでもいうか……。
――そう、どよめき、という表現に聞こえが近いかもしれない。
ただ、その声を発するだけの正体がここにいては判然しない。
天幕に残っていた女官たちは気になり、若さまの御身を確かめなくては、とたがいに目配せし、うなずいたときだった。族長のそばに行ったはずの女官のひとりがこちらを目指し、駆け戻ってくる。
「み、みなさまッ」
体力において息を切らす女官など《地》族にはいないというのに、その女官は明らかに息を切らせていた。普段のたおやかさはなく、何かに興奮めいて頬を紅潮させている。
「みなさま、早くこちらにッ! 大変なことになっておりますの!」
「大変なこと?」
いったい、何が彼女をそうまで興奮させているのだろう。
「若さまの身に、何か?」
複数の女官たちが異口同音で尋ねると、駆けてきた女官が頭を振って否定する。
「若さまはご無事です。ただ……」
「……?」
「見ていただければ、わかります。早く、こちらへ!」
女官たちにおいて、自身の族長以外に尊い存在などありはしない。
なのに、その族長以外のことで興奮冷めやらぬようすになるとは、いったい何があったというのだろうか。
□ □
露天の湯から上がった《地》神の数歩先では、すでに濡れた身体を丁重に拭うため、布を広げて用意している女官たちが複数と控えていた。
――身体を拭ってもらったら何か適当に食べて、ひと寝入りでもしようかな。
そう思っていた矢先、
「きゃああああッ!」
などと、いきなり女官たちがこちらを見て悲鳴を上げたものだから、《地》神は一瞬びっくりしてしまい、何事か、と身構えた。
周囲には自分に害を与える気配……彼女たちにまで被害を及ぼすような敵意、悪意は感じられない。
そばに危険がないのであれば、いまの自分の姿だろうか?
たしかにいまは両腕がなく、身体中いたるところに傷を負っているが、これはむしろ日常茶飯事の姿なのだから、見慣れている女官たちがいまさら悲鳴を上げて驚愕する必要はないというのに。――なのに、女官たちの悲鳴は止まらない。
でもそれは、悲鳴、というよりは何かに興奮めいてしまい、頬を染め、あるいは歓喜に身を震わせて熱を帯びて叫んでいるという、それに近い。
いまの自分を見て、何がそうさせているのだろう。
「あ、あの……?」
女官たちを見ているだけではわけがわからず、《地》神は尋ねるが、
「わ、わわ、若さまッ、そちらの殿方はいったいッ?」
「ずいぶんと長湯でしたが、そ、そそ、そういうご事情で?」
「――は?」
いきなり堰を切ったようにあちらこちらから尋ねてくるが、主旨が何なのかまったく理解できず、ただ眉根を寄せて小首をかしげていると、女官たちがさらに興奮めいた質問攻めをしてくる。
「若さま、後ろですッ、後ろ!」
「そちらの殿方はいったい、どちらの部族の方なのですかッ?」
「――はい?」
――後ろ?
そう言われてみれば、女官たちの視線はすべて、自分の頭上よりも高いほうを熱心に見やっている。
ただ、後ろ、と騒がれても、この背面に何があるというのだろうか。
殿方、と女官たちは口にするが、自分以外の雄がここに存在するはずもないし、湯場で誰かと一緒にいたということもない。
それでも女官たちの視線は頭上より外れるようすがないので、何だろう、と思って《地》神はふり返り、そして驚愕する。
背後至近に立っていたのは、裸体の「彼」――。