雑記6 手ぬぐい、パーン
常々疑問に思っている事がある。偶に漫画で見掛ける「銭湯で手ぬぐいやタオルを股間にパーン! ってする老人」は、実在するのだろうか?
私は殆ど銭湯や温泉に行くことが無い。そして、その数少ない経験では、「パーン!」としているご老人に出会ったことが無いのだ。日頃から家の風呂で十分満足しているし、何なら湯舟にも浸からないので、当然、そういった場での作法もよく分からない。
彼、彼女達は本当に実在するのか。実在するとして、一体何故、かつ、どのタイミングで「パーン!」するのか。
ということで、公共浴場での振る舞いをイメージトレーニングしてみることにする。
まず、脱衣場で服を脱ぐ。脱いだ衣類は畳み、新しい下着類等と共にロッカーに仕舞う。
湯殿では、湯船に浸かる前に身体をよく洗い清める。これは、家の風呂だろうがパブリックな風呂だろうが変わらない筈だ。多分、正解だろう。
次は、湯船に浸かる前に、髪がお湯に着きそうな長さならばゴム等で括る。長髪時はもとより、短髪時も襟足辺りの毛は自分で思っているより伸びてたりするし、気を付けねば。
で、次……は、何をするべきか。ああ、身体を洗ったタオルなんかを湯船に入れるのはNGなんだっけ、じゃあ、畳んで、頭に乗せるか……乗せるの? この作法で合っているだろうか? だが、そこらに適当に置いておくのは迷惑であろうし、お湯に沈める訳にもいかない……となれば、やはり頭に乗せるのがベストだろう。冷水を含ませておけば、のぼせ防止にもなる筈だ。
それから、十分にお湯で温まった身体をお湯から引き揚げ、掛かり湯をする。うん、恐らく間違っていないだろう。泉質によっては掛かり湯は不要と聞くが、アレルギー体質の私は、念の為に浴びておくことにしよう。
さて、脱衣場に移動する前に、頭に乗せていたタオルを絞って身体を軽く拭う。びしゃびしゃのまま移動したら、床が水浸しになってしまうだろうから、これで正解の筈だ。そして、身体を拭ったタオルは再び絞る。絞ったタオルを広げ、余分な水分を払う。乱暴に振り回したりすると、周囲の人に水滴が飛んでしまうだろうし危険なので、出来る限り穏やかに行う。
で、だ。
締めに、タオルを股間に「パーン!」する。
何故なら、ここ以外のタイミングで「パーン!」出来る場面が無かったのだ。
絞る前のタオルで行うのは論外である。水気が飛んで迷惑なのは勿論のこと、水で重たくなった布を振り回せば、それなりに勢いがつく。自分の股間であればいくらでも好きに打ち付けたらいいが、何の罪もない人を打ち据えるような事態になったら、申し訳ないでは済まされない。当然、絞った布で行うべきだろう。
では、脱衣場に移動してから行ってみてはどうかとも思うが、いくら気を付けたとしても、タオルを振り回すには脱衣場は狭いかもしれないし、脱衣中の方の服に水が飛んでしまうことも考えられる。脱衣場にも飛沫が飛ぶ。良いことは無さそうである。濡れた布で空を叩くのは、洗濯で言えば布を干す直前、出来る限り水分を飛ばし、皺を伸ばす為にするものだ。叩くのが空だろうが自分だろうが、本質は同じだろう。
となれば、やはり湯殿を出る時点で行うのが最適と考えて差し支えないだろう。
……分からない。ここまでイメトレしてみたが、濡れた布で股間を打つ明確な理由はなかったように思う。もしかしたら、身体が硬くなったご老人が、手の届かない処の水滴を拭う為なのかとも考えたが、足先や背中なら兎も角、股間辺りなら多少身体が堅くても手が届きそうである。であればやはり、そこには実用的以上の何かがある筈ではないか。
ひょっとしたら、あの音を楽しむ行為なのではなかろうか。風呂場という、適度にエコーの聞いた場に響くあの音は、一丁締めのような気持ち良さがあるのかもしれない。そもそも、痛くはないのかも気になるところである。あ、もしかして、そういうプレイの一環なのか。音を立てることで周囲の注意をひき、風呂上がりの気持ち良さに、痛みと不特定多数の視線という気持ち良さを上乗せ……的な。では寧ろ、こちらも腰を据えて、見事な「パーン!」を拝見した方が良いという事なのだろうか。いや、そういうアレなら、こっそり盗み見るくらいの方が燃えるのか。どうなのだろう。
しかし、ここまで「何の為の行為か」を色々と考えてきたが、もう一つの謎「彼等が実在するのか」については更に不明である。何故なら、知人達の証言からも、一切の目撃情報を得ることが出来なかったのだ。まさか目撃者0名とは……幽霊の方がまだ見掛けそうではないか。にも拘らず、我々は、あの行為を行うのはご老人だと自然に認識している。実際に見たこともないその姿を、ある程度の共通認識の基に脳裏に浮かべることが出来るのは、何とも不思議な現象である。
ふと、一つの可能性に思い至った。布を振り回す行為は、現代ではマナー違反にあたるのかもしれない、という事だ。つまり、かつて多数存在していた彼等は、時代の変遷による常識の変化で、ほぼ絶滅してしまったのではなかろうか。だって、自分が子供の頃にあれを見掛けたとしたら、確実に真似したもん。そして、周囲に配慮もせず、自分勝手にあちこちで「パーン! パーン!」として、親にバチクソ怒られる羽目になっただろう。
であれば、私の様な困った子供のせいで、彼等は白い目で見られるようになってしまい、一人二人と姿を消してしまったのかもしれない。まさか(想像の中の)幼い頃の私の振る舞いが、一つの文化を終わらせてしまうとは!
その結果、あの行為は、現代ではフィクションの中だけの存在となり、江戸っ子の粋や下町情緒を表現する為のある種誇張表現として残ったという事なのかもしれない。
寂しい。
多分、私は憧れているのだろう。優しく温かな湯気の向こう、元気で楽し気にあの音を響かせるジーチャンバーチャン達の、私では到底なれそうもない粋でカッコイイ姿に。
温泉地にでも旅立てば、まだ彼等に会うことは出来るだろうか。そうであって欲しい。
彼等の幻影に想いを馳せつつ、私は今日もシャワーを浴びに浴室へと向かうのである。