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あなたに青い空と星降るシャンパンの月を

作者: jima

 その日の朝、僕は期待と不安で珍しいほどの早起きをした。

「いよいよプロポーズの日だ。彼女に受け入れてもらえるだろうか」


 アパートの2階、僕はベッドに寝転んだまま檜皮色(ひわだいろ)の天井を見る。

「しかし僕は貧乏で彼女は金持ち、何を贈っても惨めなものだ」


 テーブルの上にはなけなしの貯金をはたいて購入した指輪が置いてある。

「彼女は可愛くて優しくて美人で…それから可愛い。安物でも許してはくれるだろう」

 だけど僕はあんな素晴らしい彼女へのプロポーズに見合うだけのものが準備できない。それが悔しい。何か僕がプレゼントできるものは他にないだろうか。

 …思いつかない。「真心」なんて形には出来ないものだ。


 僕はため息をつく。

「空はこんなに綺麗なのに」

 ワンルームの小さな部屋から最近の東京には珍しいほどの美しい青空が見えた。

 ビル群の背景にある水浅葱色(みずあさぎいろ)から天頂に至る紺碧(こんぺき)のグラデーション、その向こう側に宇宙さえ透けて見えるかのような清らかさが眼に眩しい。遠くに赤銅色(しゃくどういろ)のタワーがアクセントを利かせるおまけ付きだ。


 僕は窓の借景が気に入ってこの部屋を借りた。値段のつけられない風景とはこのことだ。


「そうだ」

 僕はようやく彼女へのプレゼントを思いつく。


 ベッドから出て窓辺に近づき、一番いいアングルを探した。

「ここがいい。青い空と美しい街、そして東京タワー」


 その位置で僕は壁から窓を外してテーブルの上に置いた。

 ふわりと景色が切り取られ、勿忘草色(わすれなぐさいろ)の光の粒が少しだけ零れた。

「うん、やはりこの青がいい。これなら彼女も喜んでくれるだろう」


 僕は窓を丁寧に折りたたんでジーパンのポケットに入れた。








 あんなに綺麗に晴れていた朝だったのに、午後には瑠璃色(るりいろ)の雨が降り始めた。

 レストランでの夕食の後、僕は少しだけ気まずい思いで彼女と向かい合っている。

 プロポーズはうまくいった。

 …いや、予想通りだけれど彼女は指輪の値段などにこだわらない。薔薇色(ばらいろ)の笑顔を僕に向けてくれた。


「待って。もうひとつ、君に贈りたいものがあるんだ。僕のとっておきだ」

 僕は勿体をつけながらお尻のポケットから窓を取り出す。

 だが開いたその窓の色はすでに夜の(とばり)が降りた濡羽色(ぬればいろ)で、僕の見せたかった青空ではなかった。


 僕の様子を見て彼女が微笑む。

「綺麗な夜空だわ。この窓の中では雨が止んで山吹色(やまぶきいろ)の三日月も見えている」

 そして僕の手を取る。

「東京タワーが唐紅(からくれない)に輝いていて本当に綺麗。ありがとう」


「でも…僕が見せたかったのは」

 彼女の優しさに癒やされながらも僕は後悔する。青空が見せられなかった上に東京タワーには折り目が入っている。畳むときにもっと気をつければよかったのだけれど。



 その時レストランのフロアマスターがやってきて、僕たちのテーブルの横に立った。

「困ります。こんなところで夜空を広げられては…」

 しかし、テーブルの上に置かれた指輪を見て事情を察した彼は言い直した。

「…本日は特別です。サービスですよ」


 マスターは片手の前腕にかけていた純白のナフキンの裏側からシャンパングラスを取り出した。

 目を丸くする彼女に微笑みかけて、マスターはそのグラスで三日月ごと夜空をすくい取る。


「文字通りシャンパンゴールド、美しい上弦の月ですね」

 そう言ってグラスの夜空に今度は「キュヴェ・ブリュット」を注いだ。


 夜空の漆黒に黄金の月、そこにシャンパンの泡が立つグラスの中を彼女がうっとりと眺める。


「よろしかったら、そのクレセントムーンにお二人で座ってみてください」


 マスターの言葉に僕と彼女は顔を見合わせ、それから頷いた。

 僕からそっとシャンパングラスの縁をまたいで足を入れ、彼女の手を引く。





 それから二人三日月に並んで座り、眼下に広がる東京の夜景を眺めた。

 少しだけ月が揺れてスリルもあるけれど、その度僕の腕に回された彼女の腕がぎゅっとなるのは心地よい。それからマスターの注いでくれたキュヴェで乾杯した。

 僕はグラスを置き、もう一度あの安物の指輪を彼女に渡すために箱をパカリと開ける。


 指輪のケースから銀鼠色(ぎんねずみいろ)の光が溢れ、夜空に飛んでいった。

「求婚のための指輪が流れ星になって飛んでいってしまった」

 僕は呆然として呟いた。 


「まあ、何てこと」

 彼女もその方向に手を伸ばす。

 するとどうしたことか。その宙空の流れ星はひるがえって彼女の指に戻り、再び指輪の形となった。




「可愛くて…それでいて誠実な青…これがあなたの見せたかった空の色かしら」

 未完成な群青(ぐんじょう)の石が彼女の指に光っている。

 彼女はキラキラした鳶色(とびいろ)の瞳の前に指輪をかざして愛おしそうに眺める。

「あなた自身の色、あなたの真心の色ね」


 そして彼女はストロベリーソーダピンクのキスでプロポーズの答えをくれた。






読んでいただきありがとうございました。

好きな色の名前を書きたかったというのが第一です。ちなみに勿忘草色は英語でForget-me-not Blueだそうです。美しいですね。ですよね?

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