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短編

少し

作者: 水月美ツ夜

 立ち入り禁止の屋上に、そいつはいた。

 夏らしい爽やかな青空に、風の一つ吹きやしない屋外。汗はだらだら垂れてくるのに中々冷えなくて、白いブラウスはべたりと体に張り付いている。

 ただ、授業がダルくてサボりに来ただけだった。

 けれどもそいつが奇妙なことに、屋上で靴なんか脱いでるから、なにしてんだろと興味を持っただけだ。

「お前、何やってんの?」

 声をかけると、驚いたような気配をまとって、振り向いた。

 少し口を開けていて、目を少し見開いていた。少し前髪が目にかかりそうで、見てるだけでうっとうしい。死んだ、少しだけ茶色い目がごわごわと張り付いてきそうで、でもなぜか、なにも写さない無関心な目に見えた。

「別に、なんでもないってことに、してくれないかな」

 ふっと、少し笑って、少し呟いた。

 だから、あたしは、こいつは『少し』が好きなんだな、と思った。

「ってことは、やっぱなにかしてたんだろ。なにやってたんだ?」

 なんとなく、興味を引かれただけだ。意味はない。そいつは静かにフェンスの下を眺めて、それからあたしに答えた。きちんと目を合わせて、だ。

「自殺をしようと」

 いきなり物騒な話になったな、と驚いた。

 自分の金髪をいじる。いつのまにかできた癖だった。

「なんで授業中に?」

 確かこいつは、優等生とか言われてた人間だった気がする。興味なくて忘れたけど、教師がよくあたしの説教をするときに持ち出してくるやつだ。多分。

「さあ。今日、空がきれいだったのと、あとは、苦手な英語と数学があったから、かな」

「お前にも、苦手な教科あるんだ」

「……僕は、勉強なんてできないよ。ただ、態度がいいだけ。そうしようという気が、少し優れているだけ」

「お前、少しがほんとに好きだな」

 あたしが少し笑ってとか、そう思っただけで、本人にその気はないかもしれないが、言わずにはいられなかった。

「そうかな。初めていわれた」

 変わらず微笑んでいるそいつに、あたしは多分、きっと、怪訝な目を返した。

「なんで、笑ってんのに自殺しようなんて思うんだよ」

 苛立ちのにじんだ声で、あたし今こいつに怒ってんだなって自覚した。

「全部、どうでもよくなったから」

「どーゆーことだよ、それ」

「疲れると、全部投げ出して寝たいと思うでしょ。そういうこと」

「だから、それがどーゆーことか聞いてんだよ」

「ごめん、もう頭が回らないや。じゃあ、僕は死ぬから、君も少しは授業を受けた方がいいよ。生きるなら」

 靴を綺麗にそろえて、フェンスの上のとこに足をかけて、ホントに飛び降りそうだ、と思った。

 別にそいつが死んだところであたしにはなんの影響もないし、無視すりゃ、むしろ注意されることも少なくなるだろうって思ったんだ。

 でも、なんでか、気付いたらそいつの腕つかんでた。ネイルとか付け爪とか、そーゆーのでカワイクなってる手が、そいつの腕に食い込んでた。

「なんで、止めるのか、聞いていい?」

「今死んだら、あたしが突き落としたみたいだろ。靴くらいそろえりゃいいんだから。だからせめて、明日にしろ」

「靴の中に自殺ですって紙を入れてあるから、大丈夫だよ」

「わかんねーだろ」

 誤魔化さなくたっていいのに、なぜか誤魔化してしまった。いや、なぜか、じゃないな。目の前で人が死ぬのを見たくない、なんてダサいと思ったからだ。

 どうでもいいやつの死なんて、どうでもいい。

 だが残念。もうすでにあたしは、目の前のこいつに興味を持ってしまった。

「……分かった。いいよ。明日は屋上に来ないでね」

 少しじゃなくて、にっこりと笑って、そいつは言った。絶望したような目をしていた。

 次の日、あたしは立ち入り禁止の屋上に、また来ていた。今度は昼休みだ。昼休みである理由は、あいつが授業をそう何度も抜け出せるわけがないと分かっていたからだ。あたしには一生理解できないだろうが、あーゆー奴は罪悪感や真面目さで、授業をサボることができない。

 そういえば死ぬ理由をきいてなかったと思った。結局あいまいな答えしか返ってこないから、意味がない気がするが、それでも気になったもんをそのままなにもしないでおくのは気持ち悪い。

 だから、あいつが自殺するのを止めることにした。もう一回くらい、優等生サンなら許してくれるだろと思ったってのもある。

 やっぱりそいつは来た。胡坐をかいて座っているあたしを見ると、少し眉を寄せた。

「なんで、いるの」

 声が震えている。そんなに絶望するもんなのかと思った。

「自殺する理由が気になったからな。死んじゃったら知れないだろ」

「だから、昨日も言った。疲れたって」

「それだけじゃわかんねーよ」

「もっと詳しくって? なんで僕が言わなきゃいけないんだよ」

 あからさまにイラついてきたそいつに、あたしは答えた。

「逆になんで話してくれないんだよ」

「…………」

 表情を消して、ぼんやりとあたしの方を見ている、ように見えた。なんだこいつ、と思った。

 死にたいと思うところからしてまともじゃないということは分かってたが、ただただ関わると腹が立つだけの人間だとはさすがに分かっていなかった。

 興味がなくなったし、まあもういいか、とあきらめかけた時、絞り出すようにそいつは言った。

「……人と」

「あ? もっとはっきり言えよ、聞こえねー」

「人と、一言話すだけでとか、すれ違うだけで、気を遣う。今の僕の動きは不自然じゃなかっただろうかと。今の発言は相手が気を悪くしないだろうかと。嫌われたくない。怒られたくない。僕を出来損ないの役立たずだと思わないでほしい。それでどんどん虚栄心の赴くままに、自分はもっとできるとか、不器用に偽った。そしたら、少し自分が失敗だと思うたびに、信じられないほどの暴言を吐かれて、自分を否定されて、傷ついて、泣いて、恐怖して、不安に飲み込まれて、それで二度と忘れないようにメモ帳に書きなぐって、そのすべてを気を付けていると、またどこか別の自分の欠陥が見つかって、それでまた怒鳴られて、生きてる意味も価値もなくなって、やがてその暴言も否定も期待も、全部自分しか僕に向けていなかったことに気付いて、虚しくなった。だったらもう、死んでもいいかなって思った。これで、詳しく話したことになる?」

「ああ。あたしがお前の気持ちを一生理解できないことだけは分かった」

「そっか。良かったね」

 少し笑ってそいつが言って、フェンスに寄りかかっているあたしを気に留めず、まっすぐフェンスに向かってった。

「マジで死ぬんだ」

「あはは。冗談だったら言わないよ。そんな命を無駄にするようなこと」

「冗談でもいうな、って叱られるからじゃなく?」

「…………もしかしたら、ただ、自分が道徳的に誠実だと酔いしれたいだけかもしれないけどね。怒られたくないなんて、頭おかしいだろ」

 ぼそりと呟いた。意外だな、と思った。

「ん? 誰だって怒られんのはダルくね? 少なくともあたしはダルいけど」

「でも、それで死にたいって思うのはおかしいでしょ」

「まあ、あたしには理解できないけど、だからといって否定すんのもおかしくね?」

「気持ち悪いんだよ、僕が。僕が僕を理解できないものとしてみていて、その直し方も分からない、じゃあどうすればいいんだよ」

 なんだかんだいいつつ、あたしと会話してくれる気はあるらしい。なるほど、こーゆーとこが偽善者だ。

「それはあたしも知らん。死にたいとか思ったこと一度もないし。理解できない、はいそーですか、で終わりじゃダメなん?」

「自分の問題だし、そのせいで誰かに迷惑をかけてるんだから、解決しないと駄目でしょ」

 何言ってんの、いうような目で見られた。なんだこいつ。少しむかついたから、食い気味に反論した。

「誰かの迷惑なんて考えてちゃきりがないだろ。あたしなんて親に死ぬほど迷惑かけてるわ。でもカイケツなんてする気ねーよ。お前みたいなクソ真面目でも迷惑かけるもんはかけるだろ。あたし何回もネイルやってっけど、たまに失敗してマジで萎えることもあるし。失敗だってしゃーねーじゃん。そんなんでめそめそしてんじゃねーよ」

「そんなん、でめそめそするから僕は困ってるの。メンタルクソ弱いのくらい、僕だってどうにかしたいよ。でもできないからこうやって、馬鹿みたいにため込んで、簡単に心折れて死ぬの。死にたいの。疲れたの。苦しいの。いいよね、君はそんなこと考えたこともないからね」

 そいつは、昨日よりもいっそうメンタルかストレスがぶっ壊れたらしく、いよいよ苛立ちを八つ当たりの域でぶつけてきた。あたしだって、それでむかついて、どんどんヒートアップしてった。

「うるせーな。悩みの一つ二つ、あたしだってあるわ。なに自分が変われないのをなにしょうがないみたいに言ってんだ。お前が変わろうと思えばいくらでも変われるだろ。変われないのは、変わろうって気がお前にないからだ」

「変わろう変わろうって頑張ったって、一生変われないから、頑張るのに嫌気がさしたんだ。いつかは変われるとか、自分を認めるようになるとか、そのいつかが来るまでがしんどいから、途中で死ぬんだよ。あと、誰にだって悩みはあるのくらい、僕だって知ってる。悩みを抱え込んで死ぬのだって分かってる。分かったところで、どうしようもない」

「はあ? お前な、どうしようもないわけねーだろ。なんか、特別授業でやってたみたいに、こう、……なんかあるだろ!!」

「知らないよ。そんなものにすがったってなんも意味ないよ。そもそも相談して誰かに迷惑をかけたくないし、匿名チャットとかだって、そんなのする勇気ないし、せいぜいネットで思いのたけを書きなぐって死ぬぐらいしかできない。というかそんなのできる度胸があるなら生きる気力に燃やしてる」

「なんでんな気軽に死ぬ死ぬ言うんだよ気持ちわりぃ。メンヘラかよ。勇気も度胸もねーのになんで死ぬんだよ。んなとこに使うより新しい趣味でも増やすのに使えよ。死ぬのだって誰かに迷惑かけんじゃねえの? ほら、ご両親が悲しむぞー?」

「気軽に言ってないのは当然として、死があまりに現実逃避に便利だからでしょ。自殺者って年々増えてるから。死ってすごく身近にあるのに万能薬みたいになんにでも効くの。どんなにつらくたって死ねば一発で逃げられる。あとメンヘラはもっと試し行動がひどいから。メンヘラだって別に悪いことじゃないし。勇気も度胸もないから、誰も傷つけずに楽に逃亡できる自殺って手段に出るの。新しい趣味とか、すでにある趣味だってとっくに楽しめなくなってるんだよ。食事も睡眠も全部楽しくないし味がしないし、全部吐きたいのに何を楽しめるんだよ。他人の迷惑を考えないほど、もう疲れ切ってるんだよ」

 と、ちょうどその時、予鈴が鳴った。

「で、死ぬのか?」

「…………」

 何かいいたけに目を細め、唇をかみしめてから、そいつは口を開いた。結局話すのかよ。

「少しだけ、気が楽になった。死んでも言いたくないけど、ありがとう」

「はあ? なんだお前、意味わかんねー」

 それから、あたしたちは立ち入り禁止の屋上で、口論とも言えない、いわゆるレスバのような、互いに思ったことをずっとぶつけ合っていた。毎日毎日、飽きもせず。

 そのたびに相手の理解のできない主張に腹を立てて、本気で言い合っていた。

 気づけば、そいつが本気で死のうと行動することは少なくなって、あたしも、少し授業に出るようになっていた。

 少し気が向いて、校長に直談判しに行ったんだ。

 あの屋上、空の景色がすごく綺麗なんだって。

 雨が降ってるときは雲がさえぎられることなく見ることができるし、その翌日は床が薄く水を張っていて、光を反射するからまるで池の上に立ってるみたいなんだ。

 それにあたしが高校二年生になったとき、風が強い日、桜がフェンスの下に一つ落っこちてて、綺麗だった。

 あと、一人静かに弁当を食いたいやつだっているだろうから、そーゆー時はいいんじゃないか、って。

 危ないから立ち入り禁止にしてるんだって渋られたが、あたしは一、二年使って別に危険はなかったぞって押し通した。生徒がふざけてフェンス登って死ぬのはしゃーない、ってわけにもいかないのは理解してるから、フェンスに針みたいなので触れないようにできるって聞いたから、それにしろっていった。

 災害になった時、避難場所になるかもしれないし、なら慣れておいた方がいい(これはあいつの提案)とも。

 昔自殺する人が出たかららしいが、飛び降りする奴はどこでも降りる。死のうと思えば、割と死ねる。あいつはどこから知識を付けてきたのか、ありとあらゆる方法をあたしに語ってきた。

 だったら、学校が屋上を開放しなかったところで変わらないって言った。鍵も簡単に外れる。あたしとあいつが証明できる。

 そしたら、屋上が正式に解放された。あたしが高三に上がった時だった。はじめは物珍しそうにギャルとか、あいつの言うリア充ってやつがいたけど、春は花粉症、梅雨は濡れている、夏はクソ暑い、秋は少し寒い、冬はクソ寒い、てので人気は長く続かなかった。卒業したから今は分からないけど、多分あいつみたいな、少し教室に居たくない人の逃げ場になれてたら、と柄にもなく思った。

 大学にきちんと入れて、うれしいようなダルいような複雑な気持ちになりながら、まあなんとか大人になっている。

 あいつとはもう一生意見が合わないと思っている。が、なぜこうも話すのをやめられないのか。この世の七不思議のひとつだ。

 あいつは彼女作っちゃってるし。『今でも死にたい気持ちは生きてるけど、でも、最悪死ねばいいか、って考えたら気持ちが楽になったんだ』とかいうし。

 なのにあたしはなぜか友達しかできんし。くそったれ。あたしだって彼氏の一人や二人ほしいわ。

 でも、少し、ああ、少しだけ、将来やりたいことが見つかったんだ。

 あたしは今が幸せでうぇーいって楽しくやれりゃあいっかって気持ちで、全く将来について考えてなかったんだけど、あいつと話してるうちに、うっすら、ぼんやり、ああ、こんなバカな考えのやつもいるのかと思った。

 あいつは音楽に救われた、といった。あたしも曲聴くのは好きだ。カワイイ曲も、バチクソカッコイイ曲も、好きだ。

 だから、なんかまあ、そんな感じの仕事出来たらいんじゃね? って思ってる。




 これで、いいか。

 あたしはぐっと腕を伸ばした。肩が凝る。

 手紙を書いた。

 交通事故で、親が死んだ。

 死ぬ前までは、ずっとネチネチ言ってきて面倒だと思ってた。

 死んだのはちょうど、大学に入るときだ。あれが一年前だと、まだ実感がわかない。

 なんでか分からんけどさ、すっごい泣きたくなって、あと少し、って思ってた。あと少し時間があれば、親孝行一つできたんかな、って。

 いつかあたしはあいつに言った。親が悲しむぞ、と。

 死ぬってこんなもんなのか、と初めて分かった。二度と会えなんだ、って。

 あいつと話してると、少し気がまぎれた。そして少し自分に引くことが、あの時自殺を見ていなくてよかった、と思うんだ。この手があいつの命を救った。

 少し、昔のことを思い出して、あたしは手紙を持って親の寝室に向かった。

 少し手紙をお供えすると、家に持ち帰った。

 少しだけ、前を向けた気がした。

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