第一話.プロローグ
桟橋に軽く打ちつける波音が外から響いた。
倉庫の中は少しだけ埃が舞っている。使われなくなって久しいこの場所で、あたし達は微笑む男と対峙した。彫像のように美しく整っていて、天使にもきっと見劣りしないだろう中性的な男。月明りで埃がキラキラと光ってより一層綺麗に見える。
でも、足元に転がっている人物は苦しそうに呻いている。この男が容赦なく痛めつけたのよ。
血を流しているから手当をしたくても、あたし達の足元は凍りついて下手に身動きが取れない。魔術を使おうにも、察知されたら転がっている人にこの男はとどめを刺すわ。
緊迫した空気の中で、自分が優位だと理解してる男が首を傾げて続けた。
「犯罪者に人権なんて、いる?」
嘲笑混じりの低い声に、微かに浅くなった自分の呼吸。
心臓に切れ味の悪いナイフを刺しこまれるような強い痛みが襲う。彼の言葉はある意味正しい。危険人物なら、本当は居ない方が大多数の人間は幸せに決まっていると、そう思ってしまう。
全然今とは関係ない、真っ赤な血だまりのできた床と手に持ってるナイフを鮮明に思い出したところで、誰かに手を握られた。
残酷な視線から壁になるように立つ先輩魔術師の手だった。ほんのり温かくて、そして力強く握ってくれる、手。前に聞いた彼女の言葉を思い出す。
前を向いて歩こうって決めた。だから、こんな言葉でいちいち傷ついてちゃ、駄目なのよ。たとえ相手の言っていることが正しいとしても。そう思う人が多いと分かっていても。
それに――まだ、あたしはあたしの事を思い出せない。
一体どこの誰だったのか、分からないままで縮こまっているなんてまっぴらなのよ。
だから、深呼吸をしてあたしはこの天使のような悪魔に視線を戻した。