僕は君を、君は僕を
早朝、うす暗いリビングで、僕は四人がけのテーブルの椅子に座っていた。
いつか、結婚したら、子どもは二人欲しいなんて、君と話したのを覚えている。
けど、君はもういない。僕はなぜ、生きているんだろう。
テレビをつけると、明るいニュースばかりだった。花見のシーズンがどうとかで、家族で桜を見に来た幸せそうな夫婦にインタビューしていた。
僕だって、こうなるはずだった。
でも現実は違う。君はもういない。
耐え切れなくなって、テレビを消し、僕は棚の上の写真立てを手に取る。君と、僕とで撮った写真が飾られていた。君は笑っていた。僕は、くっつきたがる君のそばで、恥ずかしそうにしている。
叫びたい気分だった。
実際、叫びそうになった。
キッチンに駆け込み、僕は半ば衝動的に包丁を手に取る。
君の旧姓と、君が入れたいと言って聞かなかった、桜の花びらの彫刻が刻まれている。
震える手で、刃を胸に向け、突き刺そうとする。
ーーーーできなかった。
病室で交わした、君との約束を思い出す。
「ごめんね。私の分まで、生きて」
背後から、はっきりとそう聞こえた。包丁を置き、振り返る。誰もいない。
僕は廊下に走り出し、声の聞こえた方の部屋を、片っ端から開けて回った。
どこにも、誰もいない。君との思い出が、あるだけだった。
最後に、ずっと避けていた、君の部屋の扉を開けた。
しんと静まりかえった君の部屋の、勉強机の上に、鍵が置いてあった。
ありえないことだった。
君が死んで、遺品を整理して以来、この部屋には訪れていないし、この家には誰も招いていない。
すがるようなおもいで、僕は勉強机の引き出しに鍵を刺した。鍵穴は、そこにしかない。
がちゃりと小気味のいい音を立ててロックが解除される。引き出しを開けると、君が好きそうな小物に混じって、一冊の、ピンク色のノートがでてきた。
開くと、それは日記だった。余命宣告を受けてから毎日、想いをつづっていたらしい。最後の日付のあとには、僕にあてた便箋が貼り付けてあった。
幸せだった、そう書かれていた。そして、誰か別の人と結婚して、幸せになってほしいと書いてあった。
流れ落ちた水滴で、文字がにじむ。慌てて服の袖で拭ったが、水滴は、あとからあとから落ちてきて、止めることができない。
その場で、膝から崩れ落ちる。ノートを抱きしめ、僕は泣いた。
僕は君を、君は僕を。
確かに、愛していたのだと、今更のように、想った。
君との日々を噛みしめて、僕はまた、立ち上がる。
僕はなぜ、生きているんだろう。
わかるまでは、生きてみようと思った。