第三十七話
翌日。昨晩から続く曇り空は未だ晴れず、どんよりとした空気感がのしかかるようにアマネには感じられた。
(昨夜のアレ……結局どうしたらいいのかしら? 先生に話しても全然取り合ってくれなかったし……)
ベアトリクスはサンマーク聖王国のスパイで、どうやらスターライト隊への諜報活動を行っているらしい。そう話しても先生は意味深な笑みを浮かべるだけで、それ以上はどうすることも出来なかった。
(こうなったら、私が決定的な証拠を見つけて、とっちめてやるんだから!)
今の段階では彼女を追及するには材料が足りない。何しろ、ベアトリクスはキャリアダック内の重要区画……例えば機関部やブリッジ、ヴァルクアーマーが駐機している格納庫には立ち入ってすらない。いや、ひょっとしたら既に侵入されているのかもしれないが、とにかくベアトリクスがスパイだという確たる証拠を見つけなければいけないのだ。
というわけで、今朝からアマネはベアトリクスの行動をそれとなく窺い、どこかへ一人で行きそうな時はこっそりと後を付け回していた。
「…………」
しかし、ベアトリクスは一向に怪しい素振りを見せず、それどころか甲斐甲斐しく働き続けるだけであった。すっかり他のメンバーとも打ち解けたようで、和気あいあいと談笑までしている始末である。
「えっと、簡単にベアトリクスさんの行動を纏めると……朝は早くから朝食の用意、頃合いを見計らって洗濯開始。みんなが朝ごはん食べ終わったら片付けに艦内の掃除……昼食の準備と夕食の仕込みを並行して行って、さらにはゴミの分別まで……しかもシャワールームとトイレの掃除まで……いや普通に優秀じゃないの! え、どこかのお屋敷で働いてたメイドさんとか……?」
一応、軍艦の端くれであるキャリアダック全ての区画に彼女が立ち入ることは出来ない。とはいえ、複数人が共同生活する場、普通の民家とは訳が違う。これまでは掃除や炊事、洗濯といった諸々の業務は日、あるいは週替わりの交代制で行っていた。それでも重労働なのは変わらず、入隊直後からビシバシ鍛えられてきたスターライト隊といえど流石に厳しいものがある。
しかしベアトリクスは嫌な顔一つせず、ニコニコ顔のまま厨房に立ち、床を磨き、洗濯物をきちっと干しているのだ。さらにその仕事のどれもがアマネでも分かるほどレベルが高いときている。
「格納庫へ入る廊下……いつも機械油でネトネトしてたけど、いつの間にかツルツルピカピカになってるし。シャワールームの隅っこでみんな見ないようにしてたカビも綺麗サッパリ無くなってる……しかもご飯だってジャンルが違うけどヨウランさん並、いや恐らくそれ以上の腕前だわ……」
正直言って彼女がスターライト隊をスパイしているような時間はあるのだろうか。アマネはだんだんと自分の行動に不安を覚え……というよりも、あの夜の出来事はひょっとして夢か何かだったのではないか、という気さえしてきた。
「……はぁ、なんだか拍子抜けしちゃったな……」
この二、三日の間、ずっとベアトリクスを監視していたアマネは一人でため息をつく。最低限の照明しか点けていない格納庫は薄暗く、ぼんやりと浮かび上がるヴァルクアーマーはどこか不気味に見える。
「アマネー、なにしてんのー?」
しばらくぼんやりとしていた彼女の横にアークが呑気な声を掛けてきた。気怠げに振り返ると、彼はベアトリクスから貰ったのであろう、保存用の加工肉を美味しそうに頬張っていた。
「アンタねぇ……いや、いいわ……」
「???」
「ベアトリクスとあまり親しくするな」と言おうとしたが、現時点で彼女がスパイという確証は得られていない。それをアークに打ち明けた所で何か情報が得られるとも思えない。だが、それとは別にアマネの胸の内では何かがぐるぐると渦巻く。
「そういえばー、こっちきてからぜんぜんゔぁーくあーまーのらないねー」
「言われれば……そうね。哨戒任務も割り当てられてないらしいし、たまの休暇と思えば良いんじゃない?」
「きゅうかー?」
「お休み、休日ってことよ。ま、観光の一つも出来ないけどね」
「ぶー! ゔぁーくあーまーのらなきゃ、うでがなまっちまう!」
「なにそれ、ヨウランさんの物真似?」
「にてるでしょー! たぶんねー、いまのヨーランだとベアトリクスにはちょっとかてないんだよー。マリアはおなじくらい、つよいかな? レイチェルはー」
「……? ちょっと待って、それどういう事?」
「??? えっとねー、ベアトリクスはかなりつよくてー、すごくてー、かなりつよーい! ががーんってかんじー! ゆびのね、このへんがすごいのー!」
「えっと、もしかして……あの人はヴァルクアーマー乗り……ってコト?」
「そうだよー! あのねー、ゆびのとこがぷくーってなってて、あとあと、あるきかた?がばーってなってたー!」
アークの身体全身を使った手振り身振りの説明はひどく抽象的ではあったが、要はベアトリクスの身のこなし方、ヴァルクアーマーを操縦する際に出来やすい指のタコなどから推測できるらしい。
「そういえばマリアさんたちと歩き方が似てるよーな、似てないよーな……」
「すっごくつよいよー!」
アマネは腕を組んでしばし考え込む。ベアトリクスがヴァルクアーマー乗りというのはあくまでアークの見立てだが、基本的にヴァルクアーマーは軍用の戦闘機械である。土木工事などで使われるヴァルクワーカーならいざ知らず、ヴァルクアーマーに乗れる人間はサンマーク聖王国であっても限られているはずだ。つまり、軍属の操縦士だ。
(だとすれば、やっぱりベアトリクスさんはクロ……! でもこれだけじゃあ証拠としては弱すぎるわね。他にも何か無いかしら?)
「アマネっ! アーク! こんな所にいやがったか! 大変だぞ!」
「ヨーラン、どーしたのー?」
「サンマークの奴らが攻めてきた!」
* * *
「んじゃ、簡単に説明するデス。今からおよそ六時間ほど前、国境付近を哨戒していたVA部隊から連絡が途絶。国境守備隊がその捜索に出たところ、突然謎のヴァルクアーマーに襲われたという報告が入ったそうデス。機体の特徴からしてサンマーク聖王国所属のものという可能性が非常に高いとの判断らしいデス」
キャリアダックの食堂兼ブリーフィングルームでは先生がこの数時間の間で起きた事を説明する。どうやら、メラトゥス側の領土にサンマークの攻撃部隊が侵攻してきたかもしれないとの事だった。
「そんなバカなぁ……!」
「急にどうしたデス? ベアトリクス?」
思わず声を上げてしまった事に後から気付いたようで、彼女は慌てて平静を装う。が、その動揺はあまり隠せていないようだが。
「あ、あら……おほほ、なんでもありませんよぉ。ただ、えっと、その……そう! 戦争、戦争でも始まるのかと思っちゃってぇ! 怖いですねぇ!」
「今の段階ではなんとも言えないデスけど、まだ両国との戦争になるかは不明デスね」
「なんで分からねェんだよ。サンマークの奴らが攻めてきた、立派な侵略行為じゃねェか」
「ヨウランの言うことももっともよ〜? でも、宣戦布告も無しにいきなり攻めてくるかしら〜?」
「ヨウランとレイチェルの言いたい事は分かるデス。しかし、攻撃してきた機体には識別マークもなければ信号も発してないんデスよねぇ……」
「つまり、どこの国の所属でも無い部隊……ということだね?」
「フザケた奴らだな……だったらとっととブチのめしゃいいだろうが。なんならこのアタシがぶっ飛ばしてきてやるよ」
「そうは言ってもデス。対応に一つ間違えりゃ本当に戦争になりかねん事態デスよ? これは」
「どういう成行きかは分からないけれど、実際に戦闘が発生している。迂闊に反撃をしてしまえば、これを機会として本当にサンマークが宣戦布告してくるかもしれない……って事だよ、ヨウラン」
「なんだよソレ……! 向こうから殴りかかってきたんだろうが!」
「その辺は政治的な所が大きいからね〜。私達も増援として向かっているけれど、ひょっとしたら一発も撃たずに引き返しちゃうかもしれないわね〜」
先生やマリアが今後の対応に喧々諤々しているその横、アークは退屈そうにあくびをする。彼にとっては国や戦争といった事柄はどうでもいい……というよりかは、そもそも理解していないらしい。
「本当に呑気ね……アンタは」
「わーい、やったー!」
「褒めてないわよ……」
「……ブツブツ……タカ派の連中かしらぁ……それとも例の……?」
「? どうかしました? ベアトリクスさん」
先程からじっと何か考え込んでいるせいか、彼女はアマネの呼び掛けに応じない。
(これはいよいよ怪しいわね……私の考えでは、ベアトリクスさんがスパイとしてこっちの内情を探りつつ、実働部隊がこう、なんか色々とやっちゃうのよ! 色々と! 物語だと大抵そうだもの!)
こうしちゃいられないとばかりにアマネはベアトリクスを捕縛するべく、ジリジリと接近する。逸る気持ちをどうにか抑えつつ、あと少しという距離まで近づいたその時。
「みなさぁん、すみませんが私は退出しますねぇ! お洗濯の残りを取り込まなきゃいけないのでぇ!」
「へ? あ、ちょっと……!」
「これからすぐに出発するデス、走行中のダックは揺れるから気を付けるデスよー」
* * *
「ちょっとぉ! どういうことなのぉ!?」
すぐさま北方への出発準備を済ませたキャリアダックから華麗に飛び降りたベアトリクスは、その後を追い掛けていた彼女の副官とすぐに合流する。
「は、それがどうやら我々の預かり知らない所で何者かが動いていたようです。現在、件の部隊を洗い出している所です」
「私たちが知らされていないということはぁ、十中八九……いえ、ほぼ100%で王族と対立しているグループの仕業よぉ」
「でしょうね。しかし、この件は如何されます? 我々としても難しい判断になりそうですが」
「あらぁ、簡単な話じゃないのぉ。対立グループの狙いはサンマークとメラトゥスの間でわざと戦争の火種を引き起こし、何かしらこちらが不利な形で幕引きを図らせるっていう筋書きよぉ。何も、本当に戦争がしたいわけじゃないでしょうしぃ」
恐らく、この侵攻の後でサンマーク聖王国軍の一部過激派が暴走したとかいうもっともらしい説明で事態の収拾を図るつもりなのだ。しかし攻撃を受けたメラトゥスとしては講和交渉で無茶な要求を突き付けてくるはずだ。
国力、経済、軍事にメラトゥスと比肩するサンマークではあるが、こんなつまらない事で全面戦争など引き起こしたくはない。少なくとも政治の主流派である王族と貴族達はそう考えている。そこに対立グループがつけこむ隙があり、彼等の思惑通りに事が進めばメラトゥス側にとって不利な要求をいくらか呑まなければならないだろう。
「そうすることで主流の王族派の力を削ぎ落とす、という事ですね。やることがいちいち回りくどい」
「それをやっちゃうのが今の対立派閥よぉ。傍流貴族の寄せ集めとはいっても、そういう裏工作だけは得意なんだからぁ」
「しかし、どうされます? 一度放たれた矢は手元に戻ってきません」
「決まってるわぁ。正体不明の部隊は、正体不明なまま消えてもらうのよぉ」
不敵な笑みを浮かべた彼女は、副官に一瞥をくれてから烏羽色の装甲を軽やかに登っていく。そして仰向けになっている巨人の腹部、パックリと割れた内部へと滑り込むようにして乗り込んだ。
ブゥウンと魔力炉が低い唸り声を上げる。暗かったコックピットは少しずつ明るさを取り戻し、周囲の様子をモニターに映し出す。
ヴァルクアーマー用の牽引車からゆっくりと起き上がったのは漆黒の巨人。鋭角と曲線のデザインが組み合わさったそのシルエットはどこか禍々しさと茫漠さを感じさせる。
この機体こそがサンマーク聖王国の最新鋭ヴァルクアーマー・ゴースト、そのエース専用機グレイゴーストだ。
「それではお気を付けて。私は後方で援護に徹しますので」
「えっ?! この流れだと二人で出撃じゃないのぉ?!」
「私のゴーストは支援向きですので。それに……ベアトリクス様の実力なら、お一人で何も問題はないでしょう?」
「……まぁ、それもそうねぇ。なぁんか納得いかないけれどぉ!」




