マイ・スイート・ゴリラ
ミーナは自惚れていた。
『お見舞い用の花を』
そう言って買う花は、心のどこかでミーナに会うための方便というか、口実だと思っていたのだ。
──毎週、花を買いに来る人がいる。
一番最初に彼が来たのは、一年と半年前だ。
それから彼は毎週木曜日に店──ミーナの勤める花屋に来て、恩師を見舞う為の花を買っていく。
来店三度目で、ミーナから名前を聞いた。
グウィン・モラリュー。
軍学校の若手教官で、ミーナより五つ年上の二十四歳。
グウィンの第一印象は、『恐ろしく花の似合わない男』だった。
体が大きくて威圧感のあるグウィンは、初対面の人間(主に女性や子供)の前で身を縮めて話すそうだ。
これは、相手を怖がらせない為の行動らしい。
そして、グウィンは手も大きい。
ミーナが水入りのバケツをうんしょうんしょと運んでいる時、見かねて横からそれを掻っ攫われたことがあったのだが、その時に重なった手があまりに大きくて驚いた。
そうして彼の印象は、『優しくて頼り甲斐のある男』へと変わっていった。
だがはっきり言って、グウィンは美男ではない──動物に例えるなら、ゴリラに似ている。
剛毛で頑固な黒髪と日に焼けた肌を持っている彼は、筋肉隆々で大柄なところがゴリラっぽい。顔も似てるかも知れない。
……そして、円らで優しそうな目をしている。
実際、グウィンはとても優しい。
性格はもちろん、言葉の語彙も柔らかく、安心する声をしている。
ミーナがそう言ってグウィンを誉めた時、彼は目線をほんの少し右に逸らす仕草をした。
どうやら、照れた時の癖らしい。
そんな可愛い癖や、見た目に反して「甘いものに目がない」と言って、はにかむ笑顔にうっかりキュンとしてしまったことは少なくない。
面倒見が良くて気が効く彼は、子供やお年寄りに人気があるけれど、女受けはあまり良くない人──
だと、思っていたのに……。
──グウィンの隣には、線の細い可憐な美少女がいた。
その美しい少女は、グウィンの袖を引いて何かを彼の耳に囁く。
グウィンは眉を下げた優しい顔で、恋人であろう少女に微笑んでいる。
休日の買い物で、街をぶらついている時に視界に飛び込んで来た光景に、ミーナは大ショックを受けた。
そして「がびーん」と口にした──ミーナの悪い癖だ。
ミーナは感情を揺さぶられた時に効果音を自分で言ったり、訳の分からない言葉や変な声を出したりするのだ。
通り過ぎた若い男に二度見された。『一人言のやべえ奴』を見た時の正しい反応である。
さて、話が脱線したので、戻そう。
それよりも、だ。
どうして、彼がモテないなんて思ったのだろう。
あんなに素敵なのだから、一人や二人や……十人百人、彼を好きになる女性がいてもおかしくないというのに。
ミーナは、この時初めて気付いた──グウィンを好きなことに。
雇い主の店長に「あの大きい軍人さん、ミーナちゃん狙いだよね〜」と言われて、調子ぶっこいていた自分をぶん殴りたい。
一体何様だ、ミーナ様か?
何を勘違いしていたのか、恥ずかしいにも程がある。
店長にも恨みが生まれたがモテる女ぶって、「そんなことないですよ」なんて言ったりした自分が、百パーセント悪い(というか、恥ずかしい)。
「ううう、ぬぬぬ……っ!」
ミーナは、ぶつぶつ呟いたり呻きながら、買い物を続けた。
そして、新しいワンピースと、髪留めと、明るい色の口紅を買った。
なぜって、『可愛い』を作る為である。
彼には恋人がいたが、もしかしてもしかしたら、これからチャンスがあって、ロマンスが生まれることもあるかも知れないと思ったからだ──ミーナは超ポジティブ人間だった訳ではない。
これはちょっとした現実逃避である。
それに、グウィンに可愛いと思われたい気持ちは本当だ。
しつこいと思うだろうか?
失恋したのに彼を好きであり続けるミーナは、おかしいだろうか?
だって、恋人がいたのを知ったくらいで、好きな気持ちは消えてくれない。
そんなことで、消える気持ちは恋じゃない。
それで無くなる程度の恋なら、ミーナは深夜に高カロリーな揚げ芋を食べたりしない。
「失恋は女を綺麗にするんだから……っ!」
むしゃむしゃ揚げ芋を口に詰めながら、ミーナは少し泣いた。
そして、来たる木曜日。
新しく買った、小花が散った刺繍のワンピースは、本日下ろし立てだ。
可愛いとグウィンが感じてくれることを、こっそり願ってミーナは彼を迎えた。
「いらっしゃい、グウィン!」
ミーナという人間はチョロいもので、好きな男を目の前にすると全開笑顔になってしまう。
恋を自覚したことも、手伝っているのだと思うが、本当にチョロい。
グウィンがゴリラなら、ミーナは犬だ。すぐに尻尾を振る。
そもそも、ミーナに駆け引きの真似事や、大人の女の対応なんてできやしないのだ。
背中にニヤニヤ笑う店長の視線がぶすんぶすんと刺さるが、気が付かない振りに徹する。
店長は恋の話が大好きなので、すぐに『ミーナの恋心』を特殊なセンサーで感じ取るのだ。
いい人だけど、たまに鬱陶しい……。
店長は、イケイケドンドンと嗾けるが、ミーナは二人の仲を裂くようなことはしたくない。
グウィンに恋人がいることを知っているし、横恋慕なんてしないけれど……この気持ちがなくなるまでは、好きでいたい。
それだけだ。
「ミーナ、この後用事でもあるの?」
「え? ないよ。どうして?」
固い声のグウィンに、ミーナは首を傾げる。
「その……可愛い格好してるから、デートなのかなって……」
──か、可愛い?
ちょっと、聞きました!?
聞きました、聞きました!!
頭の中で複数の自分が井戸端会議をして、喜んでいる。
今、グウィンがミーナを可愛いと言った──正しくは、ワンピースが褒められたのだが、そんなことはどうでもいい。
だって、ワンピースはミーナが着た時点で体の一部だからだ(ミーナ論)。
……買ってよかった、ワンピース。
一緒にワンピースを選んでくれた店員さんに大感謝である。
ありがとう、親身になってくれた優しい店員さん。
「デートじゃないよ! 私、デートなんてしたことないし、あっ! えっと、今のは違う……」
違わない。
つい、本当のことを口走ってしまった。
しくった、と思う。
こんなこと言えばミーナは『モテない女』みたいである。
いや、モテないのは当たっているのだが、好きな男にモテない女と思われたい女が、世界の中のどこにいよう。いたとしても、ミーナはそうではない。
ちっぽけなプライドだが、恋する女とは時にこういうものに振り回される運命である。
「えっと、えっとね……可愛いから、買ったの! だから、用事も何もないけど着てみたというか……」
「そっか、すごく似合うね」
「え!? あぅ、ふひっ、ありがとっ!」
照れると気持ち悪い笑い方になるミーナをグウィンは突っ込むこともせず、にこりと笑い返してくれる。
優しいゴリラ顔が、愛しくて切ない。
今日もミーナは、このゴリラ──もといグウィンが大好きなままだ。
いつか思い出になるまで、あとどれくらいだろう?
そう思いながら、ミーナは時間をかけて花を包んだ。
*
グウィンは、花屋で働いている少女──ミーナ・ラブラスに会う為、週に一度花屋に通っている。
『お見舞い用の花を』
最初の一回目は本当だったが、それ以降はミーナに会う為の嘘だ。恩師はもうとっくに退院して今はすっかり元気である。
来店三回目で彼女の方から名前を聞かれた時は、内心小躍り状態だった。
ミーナは黙っていれば可愛らしい少女なのだが、挙動言動がおもしろくて飽きない。
グウィンのつまらない話に、うんうんと相槌を打ってくれる様子は一生懸命だったり、嬉しそうだったりと、反応がいちいち可愛い。
彼女は真面目に接客をしているだけなのに、あまりにも楽しそうにグウィンの話を聞いてくれるので勘違いしそうになる。
ミーナと何も進展がないまま一年半が経ったある日、彼女と同世代の妹が、田舎から帝都に遊びに来た。
その際に、ミーナのことを無理矢理に聞き出されて、頼んでもいない恋のアドバイスを色々とされた。
押し付けられた恋愛小説も嫌々と読んだ。
だが、グウィンには妹の憧れる恋愛小説の王子のような振る舞いは、到底出来そうもないという感想を抱くに終わった。
だってグウィンの外見は、女受けがあまり良くない。
見た目の良い男が言えば絵になる台詞もグウィンが言えば、お笑い草だ。
妹は血が繋がっているのが不思議に思うくらい、グウィンと似ていない。
この原因は、はっきりと分かっている。グウィンは父親似で、妹は母親似だからだ。
美人で評判だった母がなぜ父を選んだのかと、今でもそんなことを言う人間がいるくらいに両親は『美女と野獣』だ。
グウィンも疑問に思っていた時期があった。
しかし、母は「あらあら」と言って笑うだけで、教えてはくれない。
父の魅力とやらは母だけが知っていれば良いということらしい。
お熱いことで……。
グウィンだって、父が『いい人』なのは分かる。されど、それは男として欲しくない堂々一位の称号でもある。
残念なことに、グウィンは外見だけではなく、父からそれをしっかり受け継いでいる。
醜男ではないが、良いと言えない外見はグウィンを臆病にしていた──気になるあの子をデートになんて誘える勇気は微塵もない。
意気地がないのね、と可愛い顔でぷんぷんする妹に言われたが、元来、男は女よりも意気地のない臆病な生き物なのである。
男のくせに、と思うかもしれないが、傷付きたくない気持ちは老若男女全人類、同じだ。
──当たって砕ける覚悟はまだまだ固まらない。
そんなこんなで迎えたいつもの木曜日、ミーナがすこぶる可愛い。
いや、彼女が可愛いのはいつも通りなのだが……化粧? 髪型? 服装が違う?
先週まで動きやすいダボッとした服装と後ろでラフに纏めただけの髪型が、今日は花柄のワンピース姿で、グウィンには分からない名前の髪のアレンジをしている。
いつものミーナも可愛いが、今日の彼女はもっともっと可愛い。
しかし、だ。
どうして、こんな可愛い格好をしているのだろう?
ミーナの後ろにいる、オネエ言葉を話す見た目の厳つい店主がニヤニヤしているのが目に入る──彼(もしくは彼女)は、グウィンの気持ちに気付いているようでこうして揶揄いの視線を送ってくるのだ。
ああはなるまいと決意しつつ、ミーナにお洒落の理由を聞いてみれば、気に入って買ったから着ていただけらしく、ホッとした。
そういえば、母も妹も用事もないのに、意味なくお洒落をすることがあった。
そして、ミーナは「デートなんてしたことない」と言い、装いを褒めれば特徴のある笑い方をする。
ふひっと漏れる声が、相変わらずおもしろくて可愛いと思う一方、彼女がデートしたことがないという事実にグウィンは驚き、顔には出さないが喜んだ。
しかし、その喜びの気持ちに突如水が差された。
丁寧に花を包むミーナの肩越しで、オネエ店主が「デ・ェ・ト・さ・そ・え」と口パクで伝えてきたのだ。
続いて、「こ・し・ぬ・け」と煽られてカチンとする。
グウィンには煽り耐性がしっかり備わっていたのだが、奴の煽り方は異様にムカつくものだった。
それからふいに、ぴっ、と三本立てられた店主の指の横に、文字の書かれた紙が現れた。
『今日ミーナちゃんが、ナンパされた回数』
紙に書かれている文言を読んだ瞬間、とある不安がグウィンを襲った──もしかして、次回の来店には、彼女は誰かの恋人になっているかも知れない。
嫌だ。
「お待たせしました!」
ミーナが、包んだ花を持って微笑むが、グウィンは笑顔を返せない。
唇の淡い桃色から目が離せず、彼女を誰にもやりたくないという気持ちがますます強くなっていく。
「グウィン? どうしたの?」
心臓の音がうるさく、ミーナの声が遠く聞こえたグウィンは、遂に決めた──砕ける覚悟を、だ。
もし、これが断られたら悪趣味店主に甘いものをたらふく奢らせてやる!
やややけっぱちながらも『初めてデートした男』の称号を得る為、グウィンは勇気を振り絞って口を開いた。
「ミーナ、よかったら……!」
──数日後、街でゴリラ(に似ている男)と変な笑い方をする少女が、仲睦まじく手を繋いで歩いている姿が目撃された。
そして、それからは毎週木曜日が彼等のデートの日になったそうだ。
【完】